神話の街にて 1-3
(これは……)
一体、どう判断すれば良いんだ。
恐らく、ギンガビルの連中を壊滅させたのはあのロキと呼ばれたマグマラシだろう。こちらとしては諸手を挙げてしまいたい状況ではある。しかし、この阿鼻叫喚の絵図を見てしまっては素直に喜べない。幾らなんでも非道すぎる。
これは戦いではなく、ただの一方的な虐殺だ。誰も殺してないようだから齟齬が生じるが、それにほとんど近いようなことを仕出かしている。悪いことをしていたから止めたというわけでも、絡まれたからこうしたというわけでも確実にない。確かな殺意と憎悪を持って、あのマグマラシは人間を半殺しにした。だからこそ、止めを刺すことも全く厭わないだろう。
当たり前だが、国際警察という立場であるハンサムは、この場を生み出したマグマラシと一緒に居るあの女の子を捕縛しないといけない。そして、場合によっては処罰も与えることになる。疲労困憊のマグマラシと、か弱い女の子だ。逮捕するにはあまりに容易い。
……だが、本当にそうすることが正しいのだろうか?
死にそうなほど痩せ細った少女が泣いている。気を失ったマグマラシを抱き締めて、何も出来ず、助けを呼ぶことも出来ず、自らもほとんど体力が無いために歩いてどこかに向かうことも出来ず、叫びもせず、ただ泣いている。
見るからに可哀想なあの女の子に対して向けるのが、助けを差し伸べる手ではなく、手錠なのか?
あのマグマラシが危険なのは間違いない。……それでも、主人であろうあの女の子の言うことには忠実で、その上終始少女に気を遣っているように見えた。
だとして、俺はどうする。
国際警察として動くのか? それとも……。
「あーもう! 何をやっているのだ私は!」
ぼーっとしていた顔を自分で叩き、気を入れ直す。やることなんて、悩む必要も無い。
「大丈夫か! 君たち!」
壁から突然姿を現したコートの男に声を掛けられ、マグマラシを抱き締める少女がびくっと体を震わせた。
「国際警察のハンサムと言う者だ! 今から君たちを保護する」
ビシッと、これまた警察手帳を見せつける(いらん)ポーズをして、病院服のような病的に白い服しか着ていない黒美に、脱いだコートをバサリと被せる。
「……保、護?」と、黒美は“まさかこの場で助けてくれる人が居るとは思っていなかった”と半ば呆然とした声を漏らした。
「この場に居るギンガ団の者達は、私の方から救急の手配をする! 君たちは見たところとても疲れているように見えるから、知り合いの家まで送ろう!」
「で、でも……」
「遠慮するな! いいか? 子供は大人に従うもので、困ったら誰かの助けの手を払わないものだ! 正直言うと、手を払われる者の方が迷惑なのだ!」
躊躇する少女の言葉を、無茶苦茶なことを言って遮るハンサム。
大きさの合わないコートを着せられ、目を白黒させる黒美の姿に、国際警察は小さく苦笑した。こんな可愛い女の子を、どんな男が助けないというのだろうか。
「わ、私たちが何者かも、分からないのに……?」
「困ってる女の子と倒れてるポケモンを助けない奴なんぞ、男じゃない!」
正体や素性なんぞは二の次だと、格好つけすぎている刑事は言った。
「あ、あの、その……」
ハンサムの言葉の返事に窮し、視線を泳がせる少女は、……ハンサムのことを疑っているわけではなさそうだ。
だが、困惑しているというよりも、もはや怯えていると形容したほうが良いかもしれない雰囲気。言ってしまえば“自分を助けてくれる人間なんて初めて見た”と言わんばかりの怖がり方。それはまるで、未知の存在に遭遇したときのような、得体の知れないものを見たときのような……。
少なくとも、まだ中学生ごろの年齢の女の子が人間に見せる怖がり方ではない。
「とりあえずそのマグマラシを見せなさい。傷薬ぐらいはいつも携帯してるから、応急処置ぐらいは出来るぞ」
しかし、そんな少女の様子を気にしていられる猶予は無い。彼女が“命を繋ぎ止めるように強く抱き締めている”ロキを、今すぐ介抱しなければならないからだ。一応、“げんきのかけら”もあったはず。
……ただし、本当に効くかは分からない。
普通に気絶しただけのポケモンなら体力の半分ほどを回復出来るという、旅人に重宝されている道具だが、それはポケモンの生命力があってこそ。だが、通常備わっているその力が今のロキにあるとは思えない。それほどの疲労具合だ。
そもそも、これだけの数のポケモンを一匹で叩きのめすこと自体、本来は有り得ない。
ポケモンには「パワーポイント」という、技を使うことが出来る回数制限のようなものがある。マグマラシが使うことの出来る技の回数の合計と言ったら、多くても50回程度だが、この場で倒れている人間、ポケモンの数を含めれば優にその数を超えるだろう。下手したらその倍の数、三桁に登るかもしれない。
それを一匹で倒すことなど、鍛えられたポケモンでも至難の業。というよりは不可能だ。可能に出来るわけがない筈なのだ。
だがこのマグマラシはやってのけた。
もはや死にかけたその体で。
背中に、少女を庇って。
「うぁ……」
どうすればいいのか分からない黒美は、思わず呻き声を発する。
混乱する黒美の腕の中で気を失っているロキは、虫の息で、痙攣すらしていない。まるで魂が抜けてしまっているのかのようだ。不意に、とても怖くなって、黒美はロキを手離せなくなってしまう。
抱き締める腕を緩めたら、本当に死んでしまうのではないか?
怖くて、怖くて堪らなかった。
「……」
それでも、少女は涙を拭った。
「……、分かり、ました。……ハンサムさん」
噛み締めた艶やかな唇から紅を滲む。
「……ロキを、ロキを助けてください」
文字通り血を吐く思いで、黒美はハンサムにロキを預ける。
ハンサムは黙って頷いて、少女からマグマラシを受け取った。
「とりあえず場所を移そう。歩けるか?」
無人の公園がある方角を指差し、ハンサムは提案した。BGMにギンガ団の苦しむ声を聞く趣味はハンサムには無い。
「あ、はい。大丈夫、です……」
「そう言いながら、立てないようだが?」
「…………、すみません」
「いや、気にすることはない」
座り込んだまま動けないことを恥じているのか、申し訳無さそうに言う少女に、ハンサムは背を向けて、ポンポンと自分の背中を叩く。
「さあ、乗るんだ」
「え?」
ポカーンという擬音が聞こえてきそうな、黒美の顔。
「いやだから、おんぶ」
「……、え、でも」
「マグマラシを抱えながら君を背負うぐらいなんてことはない。大丈夫だぞ」
「……いえ、そうではなくて」
「歩けないのだろう? だからおぶろうじゃないか」
「…………」
この人には羞恥心が分からないのだろうかと内心で少し呆れつつ、何を言っても無駄なような気がしたので、黒美はその厚意を受け取ることにした。そのすぐ後に、ここには誰もいないのだから、恥ずかしがる意味は無いのだと気付く。
(こんな寂しいところに、二年間も……)
ロキいわく「忌々しい思い出しかない」場所だが、黒美にはその感情が理解できない。むしろ二年間“お世話になった地”との別れと考えると、どこか切なくもある。
「どうした、乗らないのか?」
「……あ、すみません」
少し呆けていたらしい。
背中を向けて腰を下ろした、黒美が負ぶさり易いポーズのまま静止していたハンサムに声を掛けられる。やたら怪しい雰囲気を醸し出す彼の間抜けな姿勢に黒美は思わず笑いそうになるが、すんでのところで堪えた。……それでも、少し震えているようだったが。
「……そ、それじゃあ……、お邪魔します?」
礼儀正しくお辞儀してから背中に跨る黒美に、ハンサムは再度苦笑を漏らしてしまう。
「邪魔じゃないぞ、っと」
器用にも、ロキから両手を離さないままハンサムは黒美をそのまま背負った。彼の言うとおり、どうやら黒美の重さを苦に感じていないらしく、歩くペースは普段と大して変わらなかった。
スーツが細身だから良く分からないが、どうやらかなり鍛えているらしい。黒美が体重を預ける国際警察の背中は、飄々とした雰囲気からは予想も出来ないぐらいに頼りがいがある。
それは、なんとなく感じていた黒美の不安感を、少しだけ落ち着かせることが出来るものだった。
「く、ふぁ、ぁ……」
少し安心したからだろうか。張り詰めていた心が緩み、抑えきれなかった欠伸と一緒に眠気がやってきた。目を擦って睡魔から逃げようとしたが、どうやらかなり疲れているみたいで、うとうととした気分は全然抜けなかった。
(……、どうして、なんだろう)
優しい闇へと落ちていく意識とは裏腹に、たくさんの疑問が浮かび上がってくる。
どうしてここまでして、ロキは私を守ってくれるのだろうか。
どうしても見知らぬ人間である私を、この警察の人は助けてくれるのだろうか。
どうしてギンガ団の人たちは、私のことを必死になって捕まえようとしたのだろうか。
どうしてだろう? 意識が混濁しているからか、余計に何も考えられなかった。
ただ、眠いし疲れた。ロキのことは心配だけど、このハンサムという人は信用が出来ると思った。なら、何も出来ない私は、今のうちだけでも体を休めよう。黒美は、そうやって自分を納得させることしか出来なかった。
「……ごめんなさい……」
虚ろな気持ちの中、誰に対しての謝罪なのかも分からないのに、なんとなしに呟く。
でも、どこか深い深い心の奥底で、その呟きは間違っていると知っている自分が居る気がした。
(……なんでだろう)
疑問だけがひたすら浮上してくる。
けれど、答えなんて、黒美の中には一つも存在しなかった。