神話の街にて 1-2
怒号。悲鳴。爆発音。破砕音。
夜の街の静寂をぶち壊すものがあちこちに響き渡っている。
ここが“ギンガビル”の近辺でなく住宅地だったら、住民が何事かと顔を出すほどの騒がしさだ。……と言ってもこの周辺の家は、ギンガ団と呼ばれる巨大な組織が土地を買い占めたために、全て南の方に追いやられてしまったのだが。まるで「住民は邪魔だから他所の移ってくれ」と言わんばかりの傲慢な態度。
言うまでもなく住民は憤慨したが、それも一年前の話。
どこから持ってきたか分からないほどの量の金で住民を黙らせ、ギンガ団団員たちは貴族のような態度でこの街に居座り始めた。
つまり、このギンガビルの付近でどれだけ誰かが騒ごうが、住民に気付かれることはない。ギンガ団が、どれだけ悪さをしようとも。
……報告によるとそれからだ。この街がおかしくなってきたのは。
子供たちのポケモンたちは次々に行方不明になり、得体も素性も知れない研究者たちが毎月ギンガビルを行き来するようになる。その上ギンガ団が警察よりも権力を持ち始めたため、犯罪や好き勝手をし放題になっている現状だ。治安も平穏もあったようなものじゃない。
そんな状況を案じ始めたのが国際警察だ。隠密捜査を得意とする彼らは、ギンガ団の悪事を見かねてここシンオウ地方へやってきた。
「なんだぁ? 随分と騒がしいな」
スーツの上に褐色のコートに身を包んだこの男も、恐らくはその類の人間だろう。住民が近づくことの出来ない場所に平然と侵入しているところを見ると、割とやり手の国際警察だということが分かる。
……だが、その雰囲気はどこか胡散臭い。警察と名乗るより探偵を名乗ったほうがリアリティを感じられる風貌だ。真面目そうな仏頂面も、何故だか演技のように見える。本人は真面目にやっているつもりなのだろうが。
「またあいつらは悪事を行っているのか……! 許せん! 今すぐ引導を渡してやる!」
ビシッといらんポーズを決めてから走り出す国際警察。
しかし最近のギンガ団の悪行には困ったものだ。発展のためとか宇宙エネルギーのためとか色々理由をつけて行動しているが、人に迷惑かけたり、傷つけたり、ポケモンを奪い取ったりするのは大人としても人間としても最悪だ。これでは、一時期カントー・ジョウト両地方で悪行の限りを尽くしていた「ロケット団」と呼ばれるあの忌々しいマフィア組織と、何も変わらないではないか。
そもそも、奴らギンガ団とは何のための組織なのか。何を目標とし、何を成果として集められた集団なのか。国際警察の力を以ってしても何も分からないのが現状だ。だが、ハンサムというコードネームを持つこの男が、此処シンオウ地方を調査して、一つだけ判ったことがある。
ギンガ団のトップに立つ男。弱冠二十七歳にして組織を作り、あっという間に纏め上げ、それを五年間かけて巨大なものにしたカリスマ的存在が居ることを。
確か名前は、……「アカギ」と言ったか。
一度、ギンガ団に変装をしてギンガ団のトバリビルに潜入し、演説をしている姿を見たことがあるが、見るからに食えない男だった。
部下に向けるその目には熱が篭っているようで、全てを見下していた。語りかける言葉全てが魅力的のようで、空っぽだった。やること成すこと全てはギンガ団のためのようで、自分の為のものだった。
そういえばと、走りながらハンサムは思い出す。一度ギンガ団団員と普通に会話をする機会があった。社会に出ている大人とは思えない幼稚な言動を繰り返され、困惑した覚えがある。何やら「アカギ様は素敵な人で〜」とか「ギンガ団の活動は素晴らしい実績を〜」とか度の過ぎた賛美。否定したら激昂し、意見をしても怒る、子供のような精神だ。
大人が持つ常識なんてものは全てかなぐり捨てて、まるで餓鬼に退行してしまったかのよう。退化するというよりは、洗脳されているように妄信している。あのアカギというボスを。そういった人間が、ギンガ団には大勢居るのだ。しかも、幹部という地位に居る者でさえ。
だからこそ、ハンサムは本部にこう報告するしかなかった。
「ギンガ団のトップに就くあのアカギという男は、危険だ」と。
何も無い、驚くほど何も無いその土地を走り抜けていくと、その“やばい男”が目的も分からずに作り出したビルが見えてきた。広い土地にポツンと孤独に建つその建物は、明らかに人の目を避けるための位置に建っている。それもまた、一体何のために建てられたのか分からない代物だ。
騒ぎの音が大きくなっていく。近づいている証拠だ。
……いや、先ほどより静まり返っているのか?
「何をしているお前ら! 悪事を働くなら引導を……」
そこから先は言葉が続かなかった。
想像している光景と目の前の光景が、あまりにかけ離れていたから。
「なっ……」
宇宙服のような格好。ギンガ団の団服だ。
何人ぐらいだろうか。恐らく50人は超えている。
その全てが血塗れで地面に伏し、蠢いていた。おぞましいことに、動かない人間がそこには居ない。死んでいる人間が誰一人としてその場に存在しないのだ。あちこちで聞こえる痛みを押し殺す苦鳴が、それ証明している。
地獄絵図。傷だらけで、足や腕が間違った方向に曲がっているギンガ団団員の身体でコンクリートの地面が埋まっている。もはや、この場に自力で動くことの出来る人間は居ない。自ら生きることの出来る力を、根こそぎ奪われている。
きっとこの場で倒れている人間は、今後一生何かを助けとしながら生活し、後遺症や体の障害に悩まされることになるのだろう。もしそれを分かっていてこの場のギンガ団全てを嬲ったのなら、
「一体、誰がこんなことを……」
幾ら相手がギンガ団だと言え、やり過ぎている。修羅場に何度も遭遇したことのあるハンサムですら、この残虐な光景には吐き気を催してしまう。
人間の出来る芸当ではない。恐らくはポケモンの仕業だ。
だとしても、人を襲うような凶暴な野生ポケモンはここハクタイシティの周りには生息していない。ならばトレーナーの手持ちになったポケモンの所業になるのだが、基本的に心優しく人間を襲わないはずのトレーナーのポケモンが、こんな残虐な非道をするわけがない。
でも、トレーナーに命令され、嫌々やったということならまだ納得が出来る。奴らギンガ団は、人から恨まれるようなことを散々しでかしてきたからだ。
……だが、それならばこの状況は一体何なのだ?
真っ赤に染まった、恐らくは返り血に濡れている一匹のマグマラシが、この場で佇んでいるこの状況は。
真っ黒で美しすぎる少女が、何の表情も浮かべないで座り込んで、ただただ涙を流しているこの状況は。
「どうして? どうしてなのかな?」
マグマラシの口から出たのは、流暢過ぎる人の言葉。
驚愕で声が漏れそうになるのを抑え、ハンサムは壁に身を隠した。……マグマラシも少女もこちらに顔を向けないので、とりあえず気付かれることはなかったようだ。一応の安堵をする。
「こいつらは二年間も俺らを閉じ込め、考えうる限りの最低の実験を僕らにしてきたんだよ? 僕らが今こうして話せるのも不思議なぐらいに。僕らが今こうして生きていることが奇跡なぐらいに」
少女は答えない。
「僕らは、こいつらを殺しても文句を言われないほどに憎悪を溜め込んできた。殺意を溜め込んできた。違うの? 黒美はそうじゃなかったの? 僕だけ一人が、奴らを殺してやるとずっと呪い続けてきたの?」
少女は無言で首を横に振る。
「じゃあ、どうして? どうして殺しちゃ駄目なのかな?」
少女は、その残酷な言葉に何か返そうと口を開いて――、何も言えずに再び黙り込んだ。
「……。黒美は、優しいね」
だが、何かを察してしまったのだろう。
人の言葉を解するマグマラシは、酷く悲しげに笑った。
「呪ってもいいのに。悲しんでもいいのに。恨んでも憎んでも妬んでも、こんな最悪なことをしでかした僕を怖がったっていいのに」
黒美と呼ばれた少女は、俯かせていた涙でぐちゃぐちゃの顔を、マグマラシに向けた。
無表情だというのに、意志の強さを強く感じさせる真っ黒な瞳が、まっすぐマグマラシを見つめた。
「……私のことは、いいの」
空白に、ポツンと浮かぶ笑顔。
「だから、ロキは誰も殺さないで」
それは、小さな懇願だった。
黒美は、ロキと呼ばれたマグマラシの言葉には、何も答えなかった。
「……参ったな」
一瞬、呆気にとられたような表情を見せたロキは、一度憎悪が滲み出た視線でギンガ団団員たちを見つめ、その後黒美の顔をまじまじと見る。その後、やたら人間臭い仕草で頭を掻いて、小さくぼやいた。
「……そんな顔されたら、誰も殺せないよ。畜生め」
愚痴のように呟くマグマラシは、ぷっつり糸が切れるように崩れ落ちた。