神話の街にて 1-1
ここは「昔を今につなぐ街」と呼ばれるハクタイシティ。神話に登場するポケモンである、「時を操るディアルガ」、「空間を操るパルキア」の銅像が街の北東に並んで佇んでいる、シンオウ地方唯一の場所だ。
街が発展し、ビルが建ち始めた今やその面影もほとんど無いが、本来ここは神であるその二匹のポケモンを祀るために作られた歴史ある街らしい。といっても、この街の子供たちは既に神様のことなどほとんど知らない。歴史は淡々と受け継がれていっても、自然と中心部以外の記憶は薄れていってしまうものだ。
だからだろうか。この街が夕焼けに染まる時には、ふと郷愁を感じさせる寂しさがある。例え子供たちが楽しげに遊んでいる風景だったとしても、風化していく記憶の悲しげな雰囲気が、この街には備わっていた。
だが、そんな人が寝静まった夜の街を点々と暗躍する影が、夜闇を更に深く染め上げているように見える。切なげな街の情緒が、その存在によって完全に掻き消されていた。
「――標的確認。実験体No112533、実験体No435-TLだ。両方とも殺害許可は出ていないため、瀕死状態にし、捕獲しろ。片方はマグマラシだが、野生のポケモンでは無い。モンスターボールは使用しても仕方が無い。戦闘能力は未知数。心してかかれ。繰り返す……」
宇宙服みたいな格好をしている男が、物騒な内容の通信を発信している。気味の悪いことに、顔には表情が無く、声には抑揚が無い。例えるなら、伝言をするためだけに生み出された通信機のようなイメージ。
そのロボットのような男と同じ服、同じような表情をした他の集団も、その男の指示に従うように、対象を捕縛するために動き始めた。それもまた訓練された軍の兵というよりは、精密なコンピューターのような心の無い動きだ。
それでもどこか人間臭さを残した“そいつら”は、服装、表情、動き、何もかもが奇妙で歪。そんな怪しい人間たちが同じような動きで何かを袋小路に追い詰めるように、規律正しく動いているのだ。不気味なことこの上ないだろう。現に、その光景を見かけた人間が慌てて逃げ出す光景が、何度か連続して起こっている。
「――闘能力は未知数。心してかかれ。……繰り返す。実験体No112533、実験体No435-TLの姿を確認した。現在は我らの視界から離脱している。マグマラシはモンスターボールの使用が出来ない。その上戦闘能力は未知数だ。油断はするな。繰り返す……」
だが、壊れたレコーダーのように繰り返す彼らは、決してコンピューターみたく頭が良いわけではない。その証拠に、一心不乱に通信を繰り返す男の背後で、その言葉をしっかりと聞いている者が二人も居ることには誰も気づいていないのだから。
――丸聞こえだよ、間抜けな宗教中毒者(レリジョンズホリック)ども。
その内“一匹”である、今まさに「標的となっている存在」は内心で毒づいた。獣の癖に妙に人間くさい表情のマグマラシは、男が通信を止めるタイミングを見計らっていた。
奴ら「ギンガ団」のことだから、恐らく発信機も持っているのだろう。だから、この場で“彼”がその男を一瞬で昏倒させることが出来るとしても、その瞬間に通信ないし連絡がブツ切りになり、周りのギンガ団員から怪しまれることになってしまう。
あの機械みたいに不気味な連中のことだ。軍隊でも再現できないような規律的な動きで、あっという間に彼らは狭い通路に抑え込まれ、大人数の敵に囲まれることになってしまう。そうなったら、確実に消耗戦に突入してしまう。
だが、奴がいる通路を通らなければ外に出ることは不可能だ。……なら。
――ぶっ飛ばして通らせてもらうしか、ないよねえ?
少し息切れしたのか、男が通信を一旦中断する。
その隙にマグマラシは音も無く近づき、頭の高さまで跳躍。
空中で前転、その勢いを利用した後頭部への踵落としが綺麗にミートする。
軽い打撃音とは裏腹に、男は一撃で気絶した。
「……ザルな警備だなぁ。舐められてんのかねえ」
やはり音も無く着地し、今まさに気を失った男を気だるげな半目で見据えながら、実験体No-112533と呼ばれたマグマラシはぼやいた。獣の言葉でそう言うのではなく、完璧な人語を喋っている不思議なマグマラシだ。
彼は生まれつき知能が高い。だからこそ、この「施設」から抜け出すべく、計画を練りに練り、出口の位置も特定し、警備員やギンガ団が少なくなる時間帯をわざわざ選ぶことが出来た。このマグマラシだからこそ出来た芸当だ。
だから、防御網がザルならザルで良いのだが、流石に「ギンガ団と警備員合わせ二人にしか鉢合わせていない」となると、何か嵌められているのではないかと不安になる。
そもそも、“彼の後ろをピッタリと付いてくる印象的な黒髪の少女”を此処(じごく)から逃がすためには、例え罠に引っかかったとしても、奴らを一人残さず薙ぎ払って無理やり外へ出る以外に、選択肢は無いに等しいのだが。
「黒美。もうすぐ出口だから」
不機嫌そうなジト目に険しい光を宿らせながら、淡々と背後の少女に告げるマグマラシ。だが、静かで落ち着いたその口調はどこか優しげだった。
「……うん。分かった」
「そんな心配しなくても大丈夫だよ。どうせすぐに終わる」
「……、ロキがそういうなら、信じる」
きっとその言葉は、実験体No435-TLと呼ばれた少女、「黒美(くみ)」を落ち着かせる意味もあったのだろう。
辺りを不安そうに見回していた彼女は、頬が扱けていても美しさが分かるその顔に、ほんの少しだけ安堵した表情を見せる。
だが、そう言った本人であるロキは、固い表情を崩さない。何時でも黒美を守り、敵を打ち倒すことが出来る体勢を保ち続けている。黒髪を揺らして前に進む少女を庇うように先行する彼の姿は、主人に連れ添う獣というより、姫を守る騎士の姿に似ていた。
「……」
話すことが無くなったのか、揃って二人とも黙り込む。
……本当のことを言えば、黒美はロキに聞きたいことがたくさんあった。だが、前足から灯りの炎を出しつつ無言で歩を進めるロキの姿を見たら、確認も質問も必要ないと思えてしまった。
何故だかは分からないが、仏頂面ばっかり浮かべる変なマグマラシの姿は、信頼に値すると判断出来た。
――根拠は全く無いんだけどね。
「今日初めて出会って、今日初めて一緒に逃避行を共にする」というのに、ロキの姿を見ると、黒美はとても懐かしい気持ちになり、思わず苦笑を零してしまう。
「――黒美」
少しだけ遠いところに意識をおいていた黒美が、ロキの声でこちら側に引き戻される。
「……なぁに?」
振り返りもせずに言葉を投げかけたロキに、彼女は不思議そうに髪を揺らして答えた。
「ここが出口」
「……、うん」
ロキの小さな手が指し示す方向には、明らかに正規のものではない非常用出口があった。薄暗く、灯りはほとんど点いていないため、僅かな光に反射するドアノブがかろうじて見える程度の明るさだ。掃除もされていないようで埃が酷く、黒美は思わず咳き込んだ。普段ここが使われていない場所だということは自明の理である。
――拍子抜けだ。ロキは思わず舌打ちをする。
ここまであっという間に着いてしまうとは思っていなかった。人も居なければ罠も無い。警備が出来ていないとかそんな話ではない。警備なんて居ないレベルだ。
罠を張っていると、明言しているようなもの。
「……大丈夫、なのかな」
立ち止まって何かを考えている風のロキの姿を見て、黒美も気を揉んでいるようだった。ここまで脱出がうまく行くと逆に煽られるのだろう。
「……ん? ああ」
ワンテンポ遅れて、一瞬前までは不安げに顔を歪めていたロキが軽い言葉で返した。
心配そうな黒美とは違い、彼は、悪いことを考えついた悪戯ガキのような表情をしていた。その視線の先には、右上に備え付けられているカメラに映し出されるギンガ団団員の姿が映っている。
「大丈夫さ。このドアの先に敵が潜んでるのは分かったんだし」
間抜けな敵の姿を見て、ロキは悪役のように笑う。抑えきれない憎悪が滲み出た、どす黒い笑顔だった。
マグマラシの右腕で灯っていた灯りの炎が、突然青色に変色する。
「こうなったら、全員に今までの“ご恩”を返さないとね!!」
声を張り上げたロキが何をするのか分かったのか、黒美がぎょっとした顔で後ろに下がり、耳を塞ぐ。悪魔のような笑顔を浮かべるロキは、黒美が自分から離れるのを見ないで確認し、燃えない毛で包まれた拳を突き出した。
瞬間、鼓膜を突き破りかねない轟音。同時に暗闇を真っ赤に染める業火が壁を扉ごと豪快に抉り、悲鳴ごとギンガ団団員を容赦なく吹き飛ばす。
「ロ、ロキ……!」
「下がってて。すぐに終わらせたいからさ」
右拳を突き出す姿勢で微動だにしないロキは、突き放すように黒美に言う。
容赦の無いその言葉で、彼にはもはや余裕も無いのだと少女は悟った。
それもそうだ。あの場所では、まともな食事がほとんど与えられなかった。
私やロキはほとんどギリギリ生かされている状態でこの二年間を過ごし、その半分はケージに培養された状態でほぼ仮死状態で眠らされていた。言ってしまえば完全な道具扱い。
本当に、ロキはどうやってその状態から抜け出したのだろう。しかもほとんど動くことが出来なかった状態で、体も衰えに衰えているはずなのに。
(彼の、この強さは何なのだろう)
黒美の疑問は。浮かび上がるだけで晴れないままだ。
不意に、少女の思考を吹き飛ばしかねない轟音が三回。
その音に合わせるかのように、ゴルバット、ゴーリキー、そしてハガネールの9mを超える巨体が吹き飛ばされた。宇宙服のような奇妙な服を纏う人間を数人巻き込んで、三匹は目を回して戦闘不能に陥る。
「ひょ、標的確認。実験体No-112533。実験体No435-TL。ただちに捕獲行動に――」
「くだらねえ真似事すんなよ」
退路を確認し、外部のへの連絡をしようとした団員の顔面に回し蹴り。みしりと嫌な音を立てて、団員が綺麗な弧を描いて吹き飛ぶ。
人間の半分ほどの背丈しかないブランクだらけの体からは、想像も出来ない破壊力だ。
「悪役には向いてねえよ。あんたらは」
「! ……行け!」
マグマラシとは思えない凄まじい彼の強さに、次第にギンガ団にも焦りが見え始める。とりあえず人間で対抗できる「化け物」ではないのは確かだ。ギンガ団のほとんどがそういう考えに至ったのだろう。ほぼ同時に投げられた大量のモンスターボールが宙を舞う。
……はぁ、と人間染みたロキのため息に気付けた者はギンガ団に居たのだろうか。
刹那、彼の姿が一瞬で掻き消えた。
その次の瞬間には多種多様なポケモンがあっちこっちに現れる。……だが、投げられたモンスターボールの半分以上が、開くことなく地面に落ちた。
「なっ……!」
「……お前らさぁ。あれだけ僕らに『酷い事』やっておいて、まさか正攻法で戦ってもらえるとか思っていたわけか? ――考えが甘すぎるんじゃない?」
驚愕の声を漏らすギンガ団に、ロキは呆れ声を突き刺した。今まさに「30を越えるモンスターボールに拳をぶち込み、皹を入れた」彼は、眠そうにすら見える目でギンガ団をねめつける。
「ポケモンだけ狙ってるわけじゃないんだ……。用があるのは、あんたたちギンガ団そのものなんだよ」
人と共存し、人のために動き、人を愛するポケモンが放つとは思えない殺意の篭った言葉に、ギンガ団は始めて悟った。自分たちは、本当にやばいものを相手にしているのだと。
だが、そのマグマラシとて一筋縄ではいかない状況だ。何せ半分以上のモンスターボールを破壊しようと、相手のポケモンの数は20を超えているのだから。
「だからさ、
全員、この場で死んでけよ」
それでも、彼がこの状況を心底楽しんでいることは分かった。
悪魔のごとき神の名前が付けられた彼の口が、三日月形に歪んでいたから。