始まりの始まり―2
「……ん?」
不意に少女の思考が途切れる。どこかで何かが動いた気がしたのだ。
それと、肌に触れる空気がほんの少しだけ暖かいような気がした。
違和感の正体を探るように辺りを見回すが、白一色の世界と美しい樹氷が、綺麗に並んで黙しているのみ。
普段の少女なら無視出来る程度のものでしかなかったのだが、何故か胸がざわついて落ち着かない。早くその「何かを」見つけないと、取り返しの付かないことになってしまうといった、正体不明の不安感。
だが、落ち着いて探している暇は彼女には無い。世界を凍らせる自然の脅威がだんだんとその強さを増してきているのだ。
このまま家に向かわずに“それ”を探していれば、すぐに視界が雪色の包まれてしまうだろう。
「……」
少女の端正な顔に、迷うような表情が浮かぶ。遭難するかもしれない恐怖と、無視できない違和感への好奇心が入り交ざった複雑な感情。
いや、それは好奇心なんてものではない。自分の手で救える何かを、救えなくなってしまうかもしれないという『危機感』だ。
「なんなの……?」
風は戸惑う彼女の心など気にせず、少女の黒髪とマフラーを引き千切ろうとするかの如く吹き荒ぶ。少女の焦りに煽られるように、吹雪はその勢いを強めていく。
天気の神様はどこまでも意地悪で、少女の道をひたすらに遮ろうとしているようにしか見えた。
けれど、どうしていいか分からない過酷な状況に苛まれても、少女の心は自然と落ち着きを取り戻していった。
「……はー」
深く呼吸をして、自らの不安を取っ払うように服に引っ付いた雪を叩き落とす。瞼を閉じ、吹雪の音以外を聴き取ろうと耳を澄ませる。
再度開かれた時には、まだ小学生を出てもいない少女が放つとは思えないほどの強い決意の光が、その黒眼には宿っていた。
『――』
確かに少女は聞いた。命の脈動を刻む弱弱しい拍子が。唸るような吹雪の中で、その小さな鼓動だけが、世界から切り取られたかのように少女の鼓膜に響いたのだ。
……無論、普通はそんなものが聞こえるわけがない。気のせいか幻聴が良いところだ。けれど、樹氷の連なる森を突き進み始めた少女には確信があった。
『しにたくない』と願う誰かが、この先には居るのだと。
不意に、彼女は不思議に思う。
どうして自らを危険に晒してまで、居るかも分からない、生きているかさえはっきりしない何かのために動いているのだろうか?
自分でも理解できない行動に首を傾げるつつも、少女は歩みを止めない。
「……誰かなんて分からないけど、ほっとけないよね」
お人好しな自分に呆れるように、少女は曖昧な笑顔を浮かべた。
元々彼女は、他のものを気にしていられるほど余裕のある身分ではない。
子供にとって一番の精神的支柱である両親が居なく、心を安らげる場所であるはずの“家”が、少女の孤独感を引きずり出すだけの地獄であるというのに。
もしかしたら「捨てられた」のかもしれないのに。
一生、迎えが来ないかもしれないのに。
そんな内に秘めたる感情を隠すように少女は笑い、そして気付いた。確かに自分は「不幸」だし、「道化」を演じていると。周りから同情されてもおかしくないぐらいに悲惨な状況に居るのだと。
だからこそ少女は、誰かの不幸を見るのが嫌いだった。
人の取り繕う表情は大嫌いで、だがそれより、一瞬でも「何かの命」に対する不安感を無視しようとした自分自身が大嫌いだった。
吹雪は依然強くなるばかりだが、彼女は森の奥底へ向かう足を止めたりはしない。むしろ次第に足早になっていく。
「待ってて……」
誰にともなく、少女が呟く。
「すぐに、助けに行くから……」