終わりと、始まり 2-2
「……おーいリナリア。いい加減準備は出来た?」
「あ、はいもう大丈夫です! 完璧です!」
人に服着せるのに完璧を追及する奴があるか! という呆れ果てたロキのもっともな突っ込みはともかく。何故か普通に置いてあった試着室に篭ったまま実に一時間半が経過した。ちなみに上の会話は既に十五分前のものである。
暇を持て余したミルナァルが尻尾を揺らしながら欠伸をし始め、戦闘での疲れが残っているロキが船をこぎ始めた頃になってやっと、リナリアと黒美が試着室から出てきた。
「お待たせしました。ちょっとやりすぎた気がします」
「全くだよ。化粧でもしていた……」
そこまで言いかけてロキの舌の動きが止まる。少し気恥ずかしそうに外に出てきた黒美の姿を見て。それはミルナァルも同じことだった。
「ここまでやっちゃったら、待ち行く人全ての動きを止めちゃいますよね……」
若干申し訳無さそうにそういうリナリアの言葉は、別に過剰ではない。
平たく言ってしまえば、縁の言うとおり縁が仕立て上げた服装は黒美に良く似合っていた。
黒美が着ているのは、黒を基調としたというよりは「ほとんど喪服に近いほど黒い」服だ。フリルやレース、リボンで飾られた、華美でどこか退廃的な雰囲気を感じさせるゴシックロリータのドレスと、褐色の編み上げのブーツ。生地の雰囲気や作りの細かさ故に、値打ちの付くものだと人目で分かる。
結局リナリアにコルセットを締められたのか、柔らかい布地の厚みがあるスカートと、細い黒美のウエストがいいギャップになっている。
そもそも、不吉とさえ取られかねない色合いのドレスのはずなのに、黒美が着てしまうと違和感がない。恐怖を抱かせるよりも先に、しっかりと髪の手入れや化粧をして、美しく着飾った黒美の端然とした姿に見入ってしまうからだろう。普通の人が着たら滑稽にさえ見えかねない洋服が、見事に着映えしていた。
しっかり繕われた艶やかな黒髪、どこまで深い色合いの漆黒の双眸。ぞっとするほど整った美しい顔立ち。華奢だが女性らしい体格に合った服装。
「……パーフェクト。パーフェクトだよリナリア。パーフェクトな仕事だ」
「ロキ、大事なことを言っていないでとりあえず鼻血は拭くのじゃ」
どこでそんな仕草を覚えるのか、黒美の姿を見て全力の笑顔で全力で親指を立てたロキに、ミルナァルが冷静に突っ込みを入れる。いつもとは明らかに違うテンションであるロキと、いつも通り冷淡なミルナァルの落差は相当に激しかった。
「でもあれだね。こうも“すごい”と邪魔な『虫』が引っ付いてきそうだね。仕事が増えそうだなあ」
「ロキ、鼻血噴出しながら怖いこと言っても気持ち悪いだけじゃぞ。拭くのじゃ」
どこまでも落ち着いているミルナァルにティッシュを大人しく手渡され、しばらく鼻血を抑えるロキ。人の姿に惚れこんで鼻血を流すポケモンというのは、あまりに人間臭くて奇妙だった。
「……ロキさんの言いたいことは分かります。私は正直、黒色の服なら目立つことはあまり無いだろうと思ったのですよ。それで、どうせなら化粧や髪の手入れもしてしまおう、と」
「……試着室じゃないの?」
「……試着室に化粧台や洗面所はありません。あれはもっと違う何かです。楽屋の一室みたいなものですきっと。何故そんなものが家にあるのかは分かりませんが、有難く使わせていただきました」
そういうリナリアは今までの黒美の格好が気に入らなかったのだろう。非常に満足そうだった。良く見ると確かに、伸びっぱなしだ黒美の髪の毛は少し短くなっているし、体調故に良くなかった肌色も化粧で綺麗になっている。
「な、なんか良く分からないまま色々されちゃったけど、大丈夫なの、かな」
「大丈夫です。保障します。問題はありません。目立ちすぎますのでもうちょっとナチュラルメイクになると思いますが……」
「リナリア。残念ながら元がよすぎる分どう化粧したって目立つと思う」
「知ってます。というか、髪整えたり化粧する前でも十分に目立ってたのではっきり言って諦めてます」
「それでも見た目は整える、と?」
「勿論です。玉は磨くものです」
良くぞ言った! と言わんばかりのロキの笑みに、リナリアもその端麗な顔に花咲くような笑顔で浮かべて答える。
「ね、ねえ。よく分からないけどそれっていいことなの……?」
「「そりゃあもう」」
「そ、そっか……」
最初の頃はお互いに疑心もあるような仲だったというのに、今回の騒ぎで意気投合したらしい。黒美としては、黒美のいいところをひっきりなしに褒める二人の姿は気恥ずかしくってたまらないのだけど。
困惑しきりな黒美を見て、今日は異口同音良く聞く日じゃ、とミルナァルがため息を吐いた。
「と、とりあえずコルセットは外したい、かな……。苦しいし動き辛いよ……」
「だ、ダメです! せめて雪さんが帰ってくるまで待ってください!」
「え? まさかこの格好で写真撮るの!? 嫌だよ恥ずかしい! もう脱ぐ!」
「ちょ、ちょっと待って! 待ってくださいってば! 今脱いだらロキが出血多量で死んじゃいます!」
「どうやら、僕はここまでらしい……」
「良い笑顔で死にそうになるのはやめて! やめてください!」
「お主らほんと面白いのう……」
「ミルナァルさんも傍観してないでとめてください!」
便乗して状況を悪化させてしまったとは言え、リナリア一人でも既に収拾がつかなくなってきた頃。
「――なんか私が準備している間に騒がしくなってるなあ……」
ドアが開く音と一緒に、良く通る大人っぽい声が家に入ってきた。
「ただいま? ってことになるのかな。全くいろんな意味でお騒がせな子たちなんだから」
年齢不相応に大人びた雰囲気を持つ少女。水色の髪を揺らしながら普通にオーキドの家に戻ってきた雪は、黒美の姿を見てあっという間に凍りついた。
あ、まずいかも、とリナリアは思ったが既に手遅れだった。
「……えっ!? ちょっと何この可愛くて綺麗な生き物! うわーこのゴスロリ相当値打ち物でしょ? 生地とか作りですぐわかるしオーダーメイドかと思うぐらい黒美ちゃんに似合ってるもん! ああ、縁の仕立てた服か。あいつ良い仕事するじゃない。枝っ毛もすっかり無くなってるし髪さっらさら!……やばい。抱き締めたい。というか抱き締める」
登場した途端マシンガントークで褒めちぎった雪が、黒美の体をぎゅーっと強めに抱き締める。抱き締められた本人の方は、見てて可哀想なぐらいに狼狽していた。
「わっ、わっ、く、苦しいです。ゆ、雪さん」
「化粧はリナリアちゃんの仕事? もうちょっとナチュラルでもいいけど素晴らしいわ。ふふふ、素材はダイヤモンドとは踏んでたけどここまでとは思わなかったなー……。うわー柔らかい。良い匂いがするー。寝るとき抱き枕にしたいぐらいだわー」
「雪さん。その発言はちょっと変質的です……」
恍惚としたまま黒美を抱き締める雪と一歩距離を置きながら冷静に言うリナリア。自分より駄目な人が来て、少しは動転していた気が治まったらしい。
だんだんとされるがままになってきた黒美から名残惜しそうに手を離しながら、雪は言う。
「でもコルセットはあれかな。抱き締めたときに固いから嫌かも。写真栄えするからいいけどね」
「「「……いやいや」」」
その発言はおかしい、と思わず三人(一人と二匹)でツッコミを入れる。
「腰曲げたりするときに不便だし、コルセットは無しでいいんじゃない? どうせウエストはそのままでも細すぎるぐらいなんだし」
その言葉にうんうんと首を縦に振る黒美の姿に、雪は小さく笑いを零す。対してロキとリナリアは「「……えー」」と不服そうだったが。いつの間にこの二人こんなに息が合うようになっちゃったんだろう、と雪は微笑ましくも疑問に思う。
「えーとか言わないの。ただでさえ動きにくい服に余計に制限つけてどうするの。……というかロキ君大丈夫? 鼻血すごいよ?」
「死にはしないよ。目の前が暗いけど」
「……ポケモンセンター、ここから近いよ?」
出血多量でふらつくロキは、どうやら天敵のミルナァルに労われているのを振り払う気力も無いらしい。こんな調子で大丈夫なんだろうか、とリナリアと雪は激しく不安になった。
「とりあえず、写真取ろっか。他の手続きは博士が済ませちゃってるから、そしたらすぐにトレーナーカードが出来るはずだよ」
いつの間にか取り出していた一眼レフのカメラを弄り回しながら、雪が笑顔で言う。
……黒美の受難は、もうちょっとだけ続きそうだった。
*
結局あの後、「給料」と称して黒美(と何故かリナリアも)の撮影会が開催された。総数何枚取られたかはもはや誰も覚えていない。少なくとも軽く3桁。その上、手ブレを起こしてしまった写真というものがほとんど無いのだから、彼女の集中力がいかに凄まじいかが分かるだろう。
……そもそも、ロキが失血死し、ミルナァルは途中で爆睡、黒美とリナリアも疲労困憊になって誰一人まともな体勢で座っていたり寝ていたりしないこの地獄絵図を、撮影会と呼んでいいのかは疑問が残るが。
「ふふふ。いい写真が取れたわ。写真集にするには年齢的に法律的にアウトだけど」
「何をとんでもないこと言ってるんですか」
そんなこの世の果てみたいな場所でも笑顔で写真を眺めている雪の野望を、なんとか回復したリナリアが止める。ちなみに一番枚数を取られていた上に、撮影中は死後硬直のごとく動かなかった黒美の方は完全に死体も同然で、雪の言葉にびくりと反応はしても、もはや体を起こしはしなかった。ちなみに、今の彼女は腰に何も巻いていない。コルセットを外しても大して見栄えが変わらなかったのと、黒美が全力で要求したためだった。
「あー、ミルナァル起こして。ロキも起こして。黒美ちゃんも起きて。後一枚だけ撮るよ」
「ま、まだ取るの……? もう私疲れたよ……」
「頑張って。記念写真だけ撮りたいんだ」
最後のお願い、と言わんばかりの顔でそう頼み込まれては黒美は断る術を持たない。
へろへろと立ち上がった黒美たちを笑顔で見ながら、雪はスタンドにカメラを立てかけて、時間差モードで撮影する。ぴ、ぴ、ぴと物々しい一眼レフのカメラのライトが点滅。
「ミルナァルは早く立つ! というか起きなさい!」
「痛いっ! 何するんじゃ!」
「カメラ見て! 三、二、一」
「まま待て待つのじゃ!」
慌てて姿勢を整えたパシャリ、という乾いた音と一緒に、全員が笑顔になる。もっとも、雪以外は皆疲れきっているのが表情に出ていたため、あまりに酷い写真になってしまったが。
「……君たち、もうちょっといい顔しようよ」と雪が呆れるぐらいに。
「……まあ、いっか。なんかこれの方が素っぽくて」
最後にもっかい撮ろうと提案して、全員に止められた雪が若干不服そうにぼやいた。
*
雪だけがひたすらに楽しんだ撮影会が終わり、疲労困憊の他の面々の代わりに雪が旅の準備をすることになった。というのも、五つの地方を巡り巡って、五年もの間旅をしている彼女が、一番経験が長いためだった。
「……うん。これで大方準備は終わったんじゃないかな」
パンパン、とサイズの割に結構しっかりと収納できる機能性カバン(ちなみにこれも値打ち物)を叩きながら雪が言う。
「ポケモンウォッチとか図鑑とか、傷薬一式とか一応モンスターボールとか、旅に必要なものは大体入ってるよ。……あの服のせいで少し重くなるのは容赦してね」
「ありがとうございます。本当に何から何まで……」
「何から何まで準備したのは縁だよ。礼ならあの娘に言ってね。といっても彼女曰く『もうしばらくは会う選択肢が無いみたい』とのことだけど」
「うわ、良く似てます」
捻くれっぽく声真似してみせた雪に、リナリアが感嘆した。
「さて、私はそろそろ戻るよ。リナリアちゃん」
「……はい?」
「あの服、着てね」
「…………」
何故か無言で俯いてしまったリナリアに雪は苦笑しながら、今度は黒美と向き直る。
「雪さん。……ありがとう」
「いえいえ。可愛い黒美ちゃんを見せてもらったお礼ぐらいだよ」
「かわ、いい……?」
「黒美ちゃんは自分に自信が無さそうけど、君は可愛くって綺麗だよ。
そこのマグマラシに聞けば、同じことを言ってくれるんじゃないかな」
そういわれ、ふとロキの方を向く黒美。一瞬目が合ったロキの方は、ぷいっと照れたようにそっぽを向いてしまった。「素直じゃないなあ」、と黒美と雪が顔を見合わせて笑う。
「もし会う予定があるなら、その縁さんって人にもお礼を言っておいてもらえれば。他人のはずなのにここまでしてもらって」
「……他人、か」
「え?」
「んーいやなんでもないよ。分かった。あの捻くれ者にもちゃんと伝えておくよ」
「じゃー、私はこれでね」と雪はあっさり居なくなってしまった。来るときも去るときも突然な人だった。
「……さて、黒美さん」
「はい」
わざと真面目ぶった風に黒美に向き直るリナリアに、黒美も表情を固くする。
「お腹空いたので何か食べましょう。作りますよ」
「んー……。好物なんて覚えてないからお任せ、かな」
「――私はパスタがいいなー。カニクリームの」
「はい分かりました……。って雪さん帰ってなかったんですか!?」
「玄関に行ったらおいしそうな会話が聞こえたから戻ってきちゃった」
「なんてマイペースな……」
背後から突如現れた挙句、悪戯っぽく舌を出す雪さんに、リナリアは呆れた声を出した。
「……まあ、私は構いませんよ。人数が多いほうが作りがいがあります。ロキ君は人の食べ物でいいんですよね?」
「うん。僕はそれで」
「わしもそれでよいぞ」
「貴方たちはもうちょっとポケモンらしくしたほうがいいと思います……」
結局しばらく、この家が静かになることは無さそうだった。