好意と、憎悪と 3-4
それは、唐突な始まりだった。
文字通り「でんこうせっか」の勢いで突撃してきた巨大なネズミを、余裕を持ってロキが拳で上空に殴り飛ばす。驚く民衆と黒美を尻目に、吹き飛んだそのポケモン――ラッタに追い討ちで「かえんほうしゃ」を放つ。夜闇を橙にする灼熱はラッタを一瞬で丸呑みにし、真っ黒に染め上げてから吐き出した。
「ほぼ一撃だと……っ! 馬鹿な!?」
「油断するなと言っただろうが! 行け!」
どこからか聞こえる驚愕する男の声に、ロキは思わず呆れた。
(標的の情報ぐらいちゃんと持っているのが組織の常識だというのに、本当に無能なんだなこいつら)
こんな雑魚ばっか集まってもやっていけるギンガ団というのは、さぞ優秀な上司に恵まれているのだろう。
外面はクールで優秀ぶっていても、中身は抜けている。そんなくだらん団員ばかり。……まあ、呆れたところで容赦はしないが。
ぼーっとしているようにさえ見えるロキに、今度は二匹のポケモンが飛び掛る。けれどロキは、そのうちの一匹――巨大なコブラのようなポケモン、アーボックの顎――「かみくだく」を片手で掴み、挟撃してきた図体の異様にでかい猫、ブニャットの前足――「きりさく」も片手で掴む。
その飛び掛ってきた二匹の勢いを利用し、更に自分の腕で勢いをつけ、頭と頭を思いっきりぶつけてやる。脳震盪を引き起こした二匹は、あっけなく気絶した。追い討ちに炎の拳(ほのおのパンチ)で殴ろうとしたロキが、二匹のあっけなさに、再びため息を吐いた。
「な、なんだこいつ……」
“技”すら使おうとしないマグマラシの姿に、宇宙服みたいな変な服装の男たちが揃って戦慄した。話には聞いていてかつそれなりの覚悟をしていたが、それでも恐れを抱かざるをえない「化け物」が、そこに居た。
「そ、そこの少女から先に狙え! 人質にしろ!」
真っ白な服の黒美を指差し、ギンガ団が叫ぶ。その言葉に、ロキの顔色が豹変した。
指示を受け、黒美の背後に“人型の狐のようなポケモン”――ユンゲラーが突如現れる。「テレポート」、一瞬で場所を移動するエスパータイプの技。けれどユンゲラーの無表情な目に映ったのは、驚愕。
「やあ」
骨まで冷え切る声と向き合い、ユンゲラーが恐怖で動けなくなった。
「……逆らえない命令だとしても、それは許せないんだ。ごめんね」
悪いとは微塵も思っていなさそうにいいながら、ロキはユンゲラーの首元を引っ掴み、「ふんか」。
強烈な爆発音。業火に包まれたユンゲラーを、再度爆発の炎に飲み込む。何度も何度も、ポケモンに情なんて持っていないはずのギンガ団が、慌ててモンスターボールに戻すまでロキはずっと爆発させ続けた。立ち込める煙と硫黄の臭いが、その凄まじい威力を物語っている。
その光景を見た周りの民衆が恐怖の表情で逃げ始めたのを見て、ロキは黒美の傍に寄る。
「やりすぎだよ」
そうロキを窘める彼女の言葉には、何の感情も宿っては居なかった。優しいし人も気遣えるが、こう見えて黒美は利己主義だ。“自分の周り”に仇なすものは、基本的に容赦はしない。
(……、楽しくなってきやがった)
口は、三日月形に邪悪に歪んでいた。
次々現れるポケモンは、あくまで自分の近くまで引き寄せてから一撃でなぎ倒す。黒美に近付いたポケモンは残虐なやり方で嬲る。そうすりゃ必然的に黒美のことは攻撃しづらくなり(ポケモンにだって感情はある)自分にマークが寄る。周囲の人もロキを恐れて逃げ出すから迷惑を掛けない。
頭のいいやり方だ、とロキは再度笑った。
結局ロキの思ったとおり、ポケモンは先ほどの“見せしめ”を恐れ、もう黒美を攻撃することも、近寄ることさえできなかった。
その上、行き場を失ったポケモンたちの闘志は自然と霧散してしまい、ロキは棒立ちで何もしないでも襲われることはなかった。主人に似てポケモンも情けないのしか居ないということか。もうちょっと白熱した戦いを望んでいたロキは、何度目かも分からないため息を吐く。
決死の表情で襲い掛かってくる敵のポケモンを軽くいなし、蹴散らし、ロキはもうちょっと怖がらせてやろうと思った。両腕の熱を暴走させて炎を顕現、一気に炎上させる。
「強すぎるぞこのマグマラシ! どうなってやが……ひい!」
ギンガ団のぼやきに思わずロキの顔に映る三日月が深みを増した瞬間に、“それ”は現れた。
――“真っ赤で巨大な竜巻”、「ほのおのうず」と言うべきか。
本来マグマラシは覚えないはずの、それでもって威力の低いはずの技は、一瞬にしてギンガ団のポケモンたちを飲み込み瀕死に陥れる。“ついで”にギンガ団団員たち飲み込みかねない巨大さに、彼らは蜘蛛の子を散らすようにして逃げ惑い始めた。
周りの温度を急上昇させながらも、その炎(かいぶつ)は対象を襲い続ける。
……その竜巻が動き続けられるのは、時間にして十分程度だろうか。雑魚を蹴散らすには十分だ、とロキは笑った。
結局、炎の渦が消えた後に残ったのは、焦げた地面と真っ黒に焼け焦げたポケモンの姿だけ。なんとか逃げ切ったギンガ団の服は煤塗れであちこち焼け焦げているし、逃げ切ったポケモンはもう恐怖で動くことが出来なくなっている。事実上ロキの完勝だった。
「……、なんかなあ」
少しだけ心配をした黒美が呆れて呟くほどの強さ。数の暴力など、理不尽で圧倒的な強さを持つロキには無意味だ。前回のロキは死に掛けていたものの、あれは本当に疲労が原因だったんだな、と黒美は一人で納得する。何せ自分が一歩も動かなくても、逃げようとしなくても、こうやって無事で居られるのだから。
「くっそ! 怖がってんじゃねえ! 使えないポケモンどもが!」
八つ当たりで気絶したポケモンを蹴飛ばしてから、ポケモンをボールに戻すギンガ団。そういうギンガ団の顔の方が、ずっと恐怖と焦りが色濃く滲み出ていたのだが。
(お前らが怖がるから、それがポケモンにも伝わってんだよ。どんなに道具扱いしたって、その道具扱いに慣れたって、そいつらには感情が残ってるんだよ。それぐらい気付いたらどうなんだ?)
ポケモンを道具扱いしている連中には無理か、とは思いつつロキは心の中で毒づく。
胸糞悪いとはこういう感情なのだろう。奴らが“使えない”とか“もっと強いポケモンが欲しい”だの言うたびに、ロキの表情がどんどんと冷たいものとなっていく。すなわち、怒りと憎しみへと。
「……ロキ」
「……分かってる。分かってるよ。人殺しはしないさ。ポケモンも殺してないよ」
黒美の咎めるような響きの声に、ロキが詰まらなさそうに口を尖らせる。本当は“殺したくて殺したくて仕方がない”という口ぶりだったが、黒美はそれに突っ込む気はしない。
「そうじゃなくて、お店まで壊さないの」
「無茶言うな。……とは言うけど、壊したのはほとんどあいつらね」
「あれだけ大きな技、撃っておきながら?」
「ちゃんと外してあるよ。……絶対に怒られる気がしたからね……」
心底面白く無さそうなロキの言葉に、「分かってるじゃん」と黒美が笑みを零した。
余裕綽々な彼女らとは逆に、疲労困憊なギンガ団たちが余計に焦り始める。
「ど、どうするんですかこんな化け物!」
「うろたえるな。……使いたくなかったのだが、実はアカギ様のポケモンを借りている」
「なんだと!」「アカギ様のポケモン……!?」
色めき立つギンガ団に、ロキが体勢を整える。なんだ? 奥の手でもあるのか?
「な、なんでそれを先に出さなかったのです!」
「お前らがこんなに弱いとは思ってなかったからだ」
リーダーらしき男の容赦の無い言葉に、ロキも同意しておく。
「アカギ様の好意に頼らないと自分たちの不祥事も管理できないとは。情けないとは思わないのか?」
ほんとだよ、とロキが二度目の首肯。アカギって奴が誰かは知らんが。
「も、申し訳ありません!」
「まあいいさ。お前らの処分を考えることなど二の次だからな。
……おい、そこのマグマラシ」
「あ?」
不躾なリーダーの男の言葉に、ロキも喧嘩腰で挑む。
「戻れば生かす。戻らなければ殺す」
「戻らないし死なない。交渉の余地は無いよ。……失せろ」
即答だった。リーダー格の男が目を丸くするほどの。
「……そうか。残念だ」
確かに少しだけ残念そうな口ぶりで、男はモンスターボールを投げた。
「後は勝手にやれ。“バンギラス”」
地面にボールが接触し、開放される。
登場したそいつの咆哮で、大地が揺れた。
黒美の身長の四倍はありそうな緑色の威容。その三つの爪を持つ巨腕は山をも切崩し、その分厚い装甲とも言うべき身体は、並の攻撃じゃびくともしない。数多のポケモンの中でも最高位の能力を持ち、ただひたすら、強いポケモンと戦うことだけを望む、狂った“化け物”。
「へぇ……」
赤光によって具現化される巨大な怪物の姿に、ロキが感嘆の声を零した。
その声を掻き消すように、辺り一面の街の風景が砂嵐に飲み込まれる。
叩きつけるような砂塵はそれだけで新たな傷が生みそうだ。下手なポケモンなら一気に体力を奪われ、戦闘不能になるかもしれない。周りにあるお祭りの出店も崩され、吹き飛ばされる。一瞬で地形が変わりかねない、それほどまでの砂嵐と地の揺れ。
……だが、平衡感覚さえ失いかねないその状況下の中ですら。
ロキは、体勢も表情も一つとして崩さない。
目の前に居る敵をしっかりと見据え、体を解しているその姿は、むしろ余裕さえ滲み出ている。
ここまでの砂嵐だと、視界が遮られるどころか目を開けてすらいられないはず。身動きするなんて持っての他だ。けれども彼は、確かに眼前の“化け物”に集中していた。
領分であるはずの炎すら出さず、彼は言う。
「……ごめんね。黒美」
相変わらずの冷淡な声は、砂嵐の音の中でもよく響いた。
「何?」
「お店を壊さないでってのは、やっぱ無理だよ」
「んー、“あの子”が出てきた時点で、それは諦めた」
口を手で塞ぎながらも、近くの店の壁に寄りかかりながらも、黒美は笑顔で返す。口の形は見えなかったが、間違いなく笑顔だった。無理するなといいたくなるし、離れていろともいいたいが、どうせ言ったところで引いてくれないのが黒美だった。昔からずっと、自分の意志を曲げることがないのが、黒美だから。
「下がってて? って言っても無駄だよね」
相変わらずの冷淡な声は、砂嵐の音の中でもよく響く。
「無駄だよ。……頑張って」
「頑張るさ。でも下がっててね」
呑気な会話を黒美と交わし、ロキは巨大な影(バンギラス)に突っ込んだ。
猪突猛進、凄まじい疾さで向かってくるマグマラシの姿に、怪物は微かに驚いた様子を見せた。
弱点も能力も何もかも劣っているはずのポケモンが、考えなく突っ込んでくるように見えたら、それは当然の反応だろう。
だがその逡巡もただの一瞬、隙になるほどの時間ではなく、次瞬にはその巨大な腕を振り下ろしている。砂嵐を叩き割るような風切り音が黒美にもはっきり聞こえた。
「技使わない時点で、甘いよ」
呆れたような低めのトーン。やはり、砂嵐の轟音に掻き消されない声質だった。
爆発的な速度からストップ。微かな土煙が起きて、砂嵐の中に消え去る。
攻撃を回避するための停止に見えたがそれは違う。
彼が静止した位置は、化け物の腕が振り下ろされるその位置だったのだから。
「!」
自殺じみた行為に、今度こそ化け物が唖然とした表情になった。
それでも迷わずに、ロキ目掛けて腕を振り下ろす。冷静な判断だったが、もっと冷静になれば分かったかもしれない。
――彼はマグマラシ相応の実力ではないのだから、隙を見せてでも、攻撃を止めるべきだったのだと。
振り下ろされる凶刃の前でも、ロキは冷徹だった。
「この世には、たくさんの力が溢れているんだ」
ロキは静かに目を閉じ、集中する。
「足掻いて足掻いて、必死扱いて見れば、その力も使えるようになるんだよ」
振り下ろされる兵器のような腕に、ロキは自分の動きを合わせ。
その刹那、彼は化け物と同じ感覚で呼吸をしていた。
「例え、敵の力だろうとね!!」
皮肉げに笑った彼の顔が化け物の目に映ったのは、ただの一瞬。
その一瞬で何が起きたかも、巨大な影には分かるまい。
そのバンギラス(ばけもの)の体が、轟音を立ててひっくり返ったのだから。
いや、正確にはひっくり返されたのだ。人間のような仕草の奇妙なマグマラシの手によって。
それをバンギラスが把握したときには、ロキはどこにもいない。
冷淡な声は、無様な怪物の上から聞こえた。
「人間は頭いいよねえ本当に。ポケモンですら、その武術は効くんだからさッ!」
空高く跳躍したロキの、重力を利用した破壊の一撃。
バンギラスの分厚い装甲の、唯一の弱点である腹に彼の放った灼熱の蹴り(ブレイズキック)が入る。
この時点でもまだ、化け物は油断していただろう。
……油断ではなく経験上からの確信だが、マグマラシの物理攻撃力など、たかが知れている。少なくともこのバンギラスは、マグマラシという種族の攻撃力では自分の装甲を突き破れないことを知っていた、例え弱点である腹であっても、重力の恩恵があってもだ。
けれど、そんな化け物よりずっと化け物染みた攻撃力を持つマグマラシなど、彼は知らなかった。自分の自慢の装甲を、平気でぶち破るとんでもない存在自体、知らなかったのだろう。
「ッ!!」
獣の纏う鎧は、“紙のように突き破られた”。
まるでそこに“鎧自体無かったかのように”、鎧は鎧としての役割を全く果たさず、いとも容易く破壊された。
――その腹に撃たれた杭は、一体どれほどの威力を誇ったのか。衝撃はバンギラスの体に留まらず、その下にある大地にさえ響いた。微かな地鳴りとともに、コンクリートの地面に皹が入る。
驚愕に目を見開きながら、凄まじい苦痛でバンギラスは絶叫した。
「やあやあ」
呑気で、それ以上に感情を感じさせない声が短く挨拶を述べた。だがこの危機的状況下に置かれたバンギラスにとって、その殺意を押し殺した冷淡な声は恐怖を増幅させるものでしかない。
「悪いね」
悪いとは全く思っていなさそうな語調で謝りながら、ロキは蹴りの勢いを使って空中で逆回転、その“力”を利用して、先程とほとんどの威力の変わらないブレイズキックを放つ。
二発目。
その一撃は咄嗟の判断で差し出された両腕のガードも容易く破壊し、バンギラスの体を蹂躙する。
今度は空中で一回転して体勢を整え、バンギラスの腹を軽く蹴って10メートル以上も高く跳躍。
そのまま、バンギラスに向かって頭から爆弾のように落ちていく。先ほどの攻撃で怯んで動けない化け物は、ただその成り行きを、見守っていくことしかできなかった。
炎を纏ったままの突進(フレアドライブ)が直撃し、轟音と爆発を引き起こす。その破壊力に、バンギラスの体が嘘のように弓なりに反った。
その止めの一撃により、化物は完全に沈黙した。
一連の流麗な動作を見て、怪物が意図も簡単に潰される光景を見て、ギンガ団は誰一人として言葉を発さない。発せない。先ほどまで冷静だったリーダー格の男さえ、動揺を隠せなかった。
人並みの反射神経しか持たない彼らは、バンギラスが何発攻撃を喰らったのかも判断できなかったに違いない。
何故ならロキは、本来は技として行使されるはずの「でんこうせっか」を、通常の移動手段として使っていたからだ。言うならば彼は、「どんな技でも先手を取ることが出来る」スピードを持つ、化け物以上の化け物だ。
そんな情けない組織の連中と、情けない緑色の化物を見て、ロキは心底残念そうに、呆れの混じった声を漏らした。
「それだけでかい図体と災害なみのパワーをもってこれ? 雑魚じゃんか」
冷酷非常な言葉。
伝説に出てくるポケモンにも匹敵する能力を有するポケモンに対する感想が、たったそれだけだった。その容赦の無さは既にポケモンのものではなく、“人”の殺し屋そのものだ。
「知能は足りないし経験も薄い。というか僕をたかが能力値の差だけで倒せる相手だと思っていることが間違い。……ごめんね。そもそも僕と君に能力値の開きなんてないから。というか、僕の方が強いから」
当然のように語るマグマラシは、確かに地に伏した化け物より圧倒的に強かった。
「そうだ。
僕は今機嫌がいいからさ。黒美に話すついでに、なんで僕がこんなに強いか、教えてあげるよ」
砂嵐が収まり、恐怖で腰が抜けたギンガ団を視界から逃さず、ロキは誰にでもなく語る。
「君たちは、“進化制御病”という先天性の病を知ってるかい? 通常のポケモンよりずっと優れた力を持つが故に、進化できない、という病だ。……なんだよ逃げるなよ面白くないなあ」
「ひィ!? がっ……」
逃げようとした一人の団員を昏倒させつつ、人間のように手を使いながら彼は語る。
「なんで能力値が高いと進化できないかっていうと、それは単純な話だ。
自分の力に重さに、器である自分の体が耐えられなくなるからさ。……人の話は聞かなきゃいけないってお母さんから習わなかったかい?」
「お前は人じゃな、……ごふっ」
隙を見計らって逃げようとしたもう一人の団員を気絶させる。
「……ロキ」
「……なんだよ。僕だって意識飛ばすのは面倒だよ。でも本部に連絡されても困るだろ」
「……じゃなくて、話の続き」
「え? ああ」
黒美から急かされるとは思っていなかったのか、少しだけロキが動揺する。
「まあ、さっき言ったような理由で、進化制御病のポケモンは進化が出来ない。出来なくても十分強かったりもするしね。……ちなみに、強さの倍率は大体1.3倍から1.8倍、っていう研究結果が出ているらしいよ。お、ちゃんと黙って聞けてるね」
そうしないと痛い目に遭わす癖に、というギンガ団のぼやきが黒美には聞こえたような聞こえなかったような。
「ロキは?」
「およそ2.1倍。知り合いのキュウコンが言うに、かなり例外的な数値らしいね」
「……知り合い?」
一瞬ロキの顔が、しまった、という失敗を悔いるものになる。
「……とにかく、その異質さが見初められて、僕はギンガ団に摑まったわけさ。黒美と一緒にね」
「ロキ」
「殺さないってば……」
一瞬ロキの目に、場の空気を凍りつかせるほど殺意が浮かんだのを見て、黒美が窘めるように呼ぶ。
心底楽しく無さそうに返答した彼なら、この場に倒れたバンギラスに止めを刺すのも厭わない。彼は優しいが、とにかく容赦が無いのだと黒美は知っている。そこで座り込んでいるギンガ団の命だって、微塵の躊躇も無く奪うだろう。それだけの覚悟と決意が、彼にはある。
けれど、ロキはそんなことをしない、それも黒美は理解している。“黒美がそんなことを望まないから”。
敵だろうと、誰の死も耐えられない弱い少女だからだ。
でもロキには分かっている。誰に対してでも優しすぎるのは、強さでもあると。
「しっかしまあ、全く。無茶するなよ……」
本気で困惑したような声を上げながらロキは、後ろに座り込んでいる黒美の方へ振り向いた。彼女が“立っている”位置は、マグマラシとバンギラスの激闘――というよりは、一方的な惨劇というべきか――に巻き込まれかねないような、10mも離れていない場所だった。
砂嵐の風に倒されそうな建物に必死でしがみ付き、ほとんど開けていられないはずの目をしっかり開き、戦いを見据えるその姿。吹き荒れる砂利で切ったのか、小さな傷が無数に存在し、病的に白い肌に良く映える紅が滲んでいる。
この姿のどこに、弱さが存在するだろうか。
この少女のどこを見れば、弱虫と判断できるだろうか。
傷付き、酷く心配し不安に陥りながら、結局、手を出さなかった彼女のどこが“弱者のそれ”だっただろうか?
「離れてて、って言ったはずだよ」
「……下がってろ、って私は言われたけど」
「……相変わらず、記憶力だけはいいんだね」
揚げ足を取るような黒美の言葉に、呆れたようにマグマラシは呟く。
――でも微かに、少女の気配に圧されてしまった。その整った顔には、今までの虚構を全て剥ぎ取ったかのように無表情そのものだった。人間染みたロキとは正反対の、“人らしからぬ者”の雰囲気を漂わせている。
「ロキならきっと、私を守りきってくれるから、だから大丈夫でしょ?」
ロキよりもずっと冷淡で感情を感じさせない声で、確信したように黒美は言い放つ。
――それが貴方の“強さ”なんだから――
少女は、言葉を発さずに囁く。
「……毎度のことながら、黒美に敵わないよ」
参ったといわんばかりに、炎を生み出す強者(ロキ)が諸手を挙げる。人の真似事ではなく、まるで人の魂が宿ったかのような、相変わらずの仕草。
ふふっ、と少女は笑い漏らし、その唇と笑顔を象った。無邪気な表情は相変わらず、そこから人の気配を感じ取ることは出来ない。当然だ。彼女は感情を表に出せないのだから。
“自分を表現することができないのだから”。
「……そろそろリナリアちゃんも戻ってくるんじゃないかな」
「写真とトレーナーカードも、早く済ませないとね……。これだけ騒ぎを引き起こしてしまったわけだし」
呑気に“これから”語り合い、ロキも黒美もギンガ団から背を向ける。
二人が戦闘の気配を失くした、その瞬間だった。
咆哮。
逃げようとしていたギンガ団たちが動けなくなるほどの威圧感。
「……へえ」
ロキの雰囲気が、“ポケモンバトル”のそれに戻る。
「手加減してなかったんだけどな。流石ってところかい?」
嬉しくってたまらない、と言わんばかりのロキの声に、戦闘不能だったはずのバンギラスが雄叫びで応える。
ほとんど体力が残っていないのか、砂嵐も地響きも何も起こせない。ただ、最後に残った殺気と闘志だけは本物だった。だからこそ、ロキも無視せずに“危険”と判断して、振り向いたのだから。
骨をも砕く凶悪な顎を開き、光を収束。それは徐々に球状へと変貌し始める。膨大な熱量により、空気中の物質がチリチリと灰に変わる音がする。その上集まるエネルギーの密度によって、そこだけ空間が歪んでいるようにさえ見えた。
破壊光線(はかいこうせん)。
ノーマルタイプ最強級の、文字通り破滅の一撃。
あまりのエネルギーの使用量によりその後動けなくなるまで憔悴してしまうのが欠点だが、それはほとんど欠点にならない。
……その技は文字通り、“一撃で敵ポケモンを破壊し尽くす威力”を持つからだ。素手と体術で防げる代物じゃない。
ロキの瞬発力と反射神経なら避けることぐらい可能かもしれないが、それも出来ない。
「……はぁ」
ため息を吐いて、ロキは隣で硬直する少女を見る。その内勝手に逃げるだろう、と判断して放置しておくんじゃなかった、という後悔とともに。
正確には、誰かを庇うような姿勢のまま静止した、黒美の姿を。
「参ったな」
逃げられない理由は明確、近くに黒美がいるからだ。
お祭りに使われるような大きな道路であるここには隠れる場所も無い。体はあくまでに人間の黒美とそこにいる子供がポケモンの破壊光線なんて喰らったら、一瞬で消し炭になるに決まっている。
だが、ロキの反応はバンギラスが予想していたものの、どれでもなかった。
「……っくく」
黒美を守るために、自らが犠牲にならねばならない。
そんな絶体絶命の状況でも。
「っははははははは!」
――悪魔のような神の名がつけられたそいつは、笑った。
「そうこなくっちゃ。化物は、化物じゃないといけないからね! 化物は化物らしく、化物染みたことをしでかしてから失せろ!」
余裕がないはずの状況を楽しんでいるマグマラシの不気味極まりない姿に、バンギラスは思わず一歩退いてしまった。それでも破壊光線の準備は止めない。既に光球の大きさは、化物の顔から首まですっぽり隠すほどのものになっていた。
「来いよ」
頭と腰から灼熱の炎を噴出。その一撃を相殺すべく、ロキは全力を出す。
「そんな一撃、完膚なきまでに粉砕してやるからさ」
挑発で無く、宣言だった。けれどその言葉をきっかけに、破壊光線のエネルギーが余計に上昇していく。怒りからか、真っ赤に充血したバンギラスは、炎に包まれたロキを見据え、滅亡の光を開放する。
世界が漂白されていくかのように、真っ白な光に染め上げられていく。凄まじいエネルギーに轟音を立てて地面が揺れる。馬鹿馬鹿しいほどの熱量で、周りの空気が燃え上がるように熱くなっていった。
しかしロキはそんなものには動じない。爆炎を身に纏い、再び突撃する。
真正面、バンギラスが破滅の光を向けるその方角から。後ろから刺さる黒美の恐怖の視線など、無視して。
「――愚か者めが」
呆れ声が、どこからか聞こえた。
光とロキがぶつかる瞬間、ロキの目の前に金色が映り……。
世界は、真っ白になった。