好意と、憎悪と 2-4
結局その後ロキはどこからともなく、どこ吹く風で帰ってきた。
何処行っていたかを聞かれてもロキは、迷った、の一点張り。頑なな彼の態度にリナリアも黒美も負けて、理由は聞けないまま有耶無耶にされてしまった。
まあ、帰って来るのも早かったし、逸れることもここから無いだろうし、別にいいや、と黒美は思う。少しだけロキの様子がおかしい気もしたけど、彼は追及されることを好まない。大体、黒美はロキが無事に帰ってくれば“例え何かをやって、それを隠していたとしても”別に構わなかった。
「それでは、……あ、お金は大丈夫ですか?」
「うん。“なんでか知らないけど”使い方は分かるから」
そう言って情けなさげに笑う黒美。相変わらず、人の気を抜かせる微笑みだった。
その表情の悲しさに一瞬顔を歪めそうになるが、それでもリナリアは必死で微笑む。
「なら大丈夫ですね。ではロキさん、黒美さんを頼みます」
「言われなくても」
「そうですよね」
黒美の足元でのんびり歩くロキの即答に、リナリアは苦笑。二人の信頼関係は疑うまでも無いようだった。
「では、私はこれにて失礼します」
「うん。また会おうね」
あまり目立つ行動は避けてくださいね、と釘を刺して、リナリアはどこかへ走って行ってしまった。
(……つっても、黒美自体がすごく目立つから、無理じゃないかなあ……)
ため息を吐きたくなるのを抑えながら、ロキは思う。
リナリアの言葉は至極真っ当なものなのだが、既にロキと黒美とリナリアは周りからかなり注目されてしまっている。……言うまでもなく、黒美とリナリアの容姿がずば抜けて優れているからだ。
ぽりぽりと頭を掻きながらも、困ったなあ、と一人で思うロキ。人間臭い仕草で、しかも二本足でてくてくと歩いているロキの姿も注目の的の一つなのだが、本人はそんなことには全く気付いていないらしい。
「さーて! 何して遊ぼうかな!」
「その前に、手に持ったままのわたあめとフランクフルトとりんご飴とじゃがバターをどうにかしようよ」
「分かった。どうにかする!」
「あ、いや急いで食べてって意味じゃなくて、……ん?」
すごい勢いでおいしそうに食べ始めた黒美から視線を逸らして、ロキが後ろに振り返る。
「どうしたの? ロキ」
「……いや、僕の気のせいみたいだ」
りんご飴をばりばりと勿体無い食べ方をしながら不思議そうに首を傾げる黒美を安心させるために、ロキは笑顔を取り繕う。
「そっか、ならいいや」
自然な口ぶりだったロキの言葉を信じて、黒美は再びあちこちの出店に寄り始めた。……底知れない彼女の食欲に、リナリアから貰ったお金を使い切らないか少し心配になるロキだが、その思考に釣られず先ほどの違和感に意識を寄せた。
……誰かから見られている気がしたのだが、気のせいだったか?
ギンガ団団員だったら、すぐに逃げても奴らの情けない雰囲気が残るからなんとなく分かるのだが、今回はその視線の“名残”も無い。ぞっとするぐらい静かな視線だった。
「なんだったんかねぇ」
はしゃいでいる黒美に視線を戻しながらも、ロキは思案する。人やポケモンの視線を感じるときの感情じゃない。何かを恐れる感情でもない。
ただ、ぞっとしたのだ。その視線には、何も意図が無かったから。
「まあいいさ。別に」
「何がー?」
「ん、別にリナリアの金を使い切ったっていいか、ってね。……黒美、少し食べ過ぎだよ」
食うというよりも喰らうといったペースで色んなものを食べつくす黒美に若干呆れながらも、ロキは一度手を握る。ある程度回復したその身体なら、例えどんな敵が来たとしても負けはしないだろう。
何せロキは、強者だ。
黒美を救い、黒美を守り切るために、死ぬ気で強くなろうとした。もはや一度たりとも、敗北は許されない。
「この病気も、案外悪くないもんだね……」
自分が守りたいものを守るために力になるものなら、なんだって利用して見せる。
少し食べすぎている黒美の行く末を案じながらも、ロキは彼女の足元に寄り添う。
「何?」
「何でもないよ」
「そっか」
そういえば、せっかく喋ることができるようになったのに、随分淡白な会話が続いている。本来、お互いに言いたいことはもっとあるだろうが、別にロキはそれで構わなかった。黒美も、大して気にしていなかった。
一緒にのんびりと旅をするのが、彼女たち一人と一匹の本来の夢だったから。
「ロキは、何か食べないの?」
「僕はいいや。……というか、ポケモンが食べるものなんて売ってるの?」
「たーくさん売ってるよ! ポケモン用でも人が食べられそうなものもね!」
「……食べてないよね?」
「うん、多分ー」
「多分て」と、微妙に不安げにするロキに「冗談だよ」、と笑う黒美。
それは、“ロキが守りたかった笑顔”ではなかった。黒美は、そんな“悲しい表情”をする女の子では無かったから。
けれど、彼女がロキの守りたかった存在であるのは間違いないし、守るべき存在であることも変わらない。ならば、やるべきことも何も変わらない。……分かりやすい話だ、とロキは少しだけ楽しくなってきて笑う。
「楽しいなー」
そういって黒美はニコニコとピエロのように笑う。中身の見えない笑顔だった。けれどロキは、その笑顔が愛しいとさえ思っている。
「そうだね」
そうやって頷くロキを見て、黒美は余計に楽しそうに笑った。
それでも、その笑顔は空っぽだった。
*
そんなこんなでなんとかお祭りを楽しめているロキと黒美の居る場所から、少しだけ離れた場所。
「……」
あっちこっち色んな服を、無言で眺めている人間が一人。
藤色の美しい髪とアメシストのような目が印象的な、まだ十代前半ながら既に美しさを伴う少女、リナリアだ。その年齢にしては厳しすぎる仏頂面で物色しているその姿は、ショッピングを楽しむ女の子のそれではない。
「……」
お洒落な雰囲気が漂う服のお店に、まだ十一の女の子が一人で来ている光景。普通は変なものとして受け取られるはず、なのだが、彼女の大人びた性格と雰囲気もあって、不思議と違和感は無い。……違和感は無いのだが、本当に面白く無さそうにショッピングする彼女は、やっぱり服屋さんには相応しくない。
そうすること早十分。視線が無いはずの服との睨めっこに諦め、リナリアは小さくため息を吐いた。
「……分かんないなぁ……」
「何が?」
「いえ、黒美さんにどんな服が似合うのか……、……わぁ!?」
普通に答えようとして、リナリアが振り返って後ずさる。何故気付かなかったのか不思議なぐらいの距離で(というか顔と顔が近い!)、その辺にはほとんど居ないであろう水色の髪が目立つ女性――雪が関心したような声を上げた。
「へぇー。リナリアちゃんも可愛いことを考えるのね。でもここ、メンズの服屋さんだよ」
「な、なな……」
「あーでもこれ可愛いなあ」と男物のジーンズを手にとって腰に合わせる雪の姿を、ガッチガチに固まった顔を向けるリナリア。
聡明そうな彼女の整った顔付きを眼前で見てしまった恥ずかしさもあるが、何より、幾ら集中していたとは言え、彼女が後ろから近付いてくるのに全く気付けなかったことに戦慄してしまった。
距離を取ったままのリナリアに、「あれ?」と雪が惚けた声を上げる。
「……ん? なんか警戒されてるな」
『暗殺者もびっくりな忍び足で近付いて声を掛けたら、誰だって警戒しますって……』
傍らで呆れるバクフーンを無視して、雪はリナリアの手を取る。
「!」
「そういえばちゃんと挨拶してなかったよね。リナリア・アージェント。美少女作家さん」
「な、なんでそのことを……」
こっ恥ずかしいその通り名に赤面しつつも、リナリアは目を見開いて雪を見る。悪戯っぽく微笑む彼女にリナリアは、やられた、とすぐに察した。
「やっぱりリナリアちゃんで合ってたか。鎌かけちゃってごめんね。私ファンなんだ」
「……、なんなのですか。貴女は」
赤面したままの憮然とした表情で、そっぽを向くリナリア。
「カメラウーマンだよ。カメラウーマンの黒羽 雪(くろば ゆき)。あっちこっちでポケモンの写真を撮るのがお仕事。こっちのバクフーンは相棒のリンネ」
『よろしくお願いします』
そう言って、ぺこり、と礼儀正しくお辞儀するバクフーン。
「……別に、名乗れ、って言っているわけではありません」
「んー? じゃあこういうことかな? ――とりあえず私は、何やら真面目な雰囲気で服を見つめる変な女の子を発見しました」
「へ、変……っ?」
明らかに戸惑った表情のリナリアを見ながら、相変わらず服の物色を続ける雪。
「『可愛い、けど似合わないよね』とか、『これだと小さいよね……』とか呟きながらもなんか困ってるリナリアちゃんの姿を見て、思わず話かけちゃいました、って話」
「……声、出てましたか?」
「随分悩ましげな声が、ね」
リナリアを弄り倒すのが楽しくて仕方がない、と言った風の雪の表情に諦めたのか、藤色の髪の少女は深くため息を吐いた。この人には敵わない、と判断してのため息だった。
それから「ここまで知られてしまったなら、今更隠し切れませんよね……」と少し自虐の入った口ぶりで雪に向き直す。
逃げないと分かったのか、雪もリナリアの手をゆっくりと放した。
「黒美さんに、服をプレゼントしたいんです」
「黒美ちゃんには、あの真っ白で簡素で面白くない服しか持っていない。それでもあの子は気にしていないだろうけど、自分は黒美ちゃんに女の子らしい格好をしてほしい。だから服を買いにきた、と?」
「……私が言いたかったこと全部言うの、やめてくれませんか?」
「ふふふ。ごめんごめん」
……謝っている顔じゃないけど、いちいち突っ込むのも面倒くさくなったのでスルーしよう、きりが無い。とリナリアは心の中で小さく誓った。
そんな彼女の心情を知ってか、顎に手を当てる思案のポーズをして、雪は小さく唸る。
「そっかー。黒美ちゃんに似合う服かー……。……とりあえず、レディースのお店に移動しよっか」
「私はともかく、黒美ちゃんには男性のサイズは合わないからね」といいつつ、リナリアとの会話の片手間にいつの間にか会計を済ませてしまったらしい。
『黒美さんがどうこうではなく、自分の用が済んだだけなんじゃ、痛いっ』
「レディースのお店で可愛い服売ってるところがあっちにあるよ。ちなみにゴスロリだとかそっち方面の服屋もあるけど、私はオススメしないかなあ。……色んな意味であの店は」
……一瞬、声のトーンが変わった気がしたが気のせいだろうか。
「まあ、黒美ちゃんならなんでも似合うと思うけど」
「……その発言には同意ですが、何故貴女が付いてくるのです?」
「え? だってその方が楽しいじゃない」
最近出来ただけあり、内装の随分綺麗なデパートの中をリナリアと一緒に歩きながら、さも当然のように言う雪。傍らで申し訳無さそうにしているバクフーンを可笑しく思いながらも、リナリアは確信した。
(雪さんって絶対、自分を中心にして世界が回っているタイプの人間だ)
この手の手合いは言ってしまえば傍若無人で人を簡単に巻き込んでしまう、ハプニング気質の人間だ。
雪本人は親切で優しい女性に見えるので、その台風人間さながらのハチャメチャさはどうやら天性と天然のものらしい。しかも彼女は悪い人どころかどっちかと言うといい人のタイプなので、余計に性質の悪い部類だ。
「分かりました。……正直言うと、私もどんな服を買えばいいのか分からないところもあったので」
「ふふふ、そうでしょそうでしょ。そうと決まったら急いで行きましょうか」
「え、きゃ! 引っ張らないでください!」
「今日はせっかくのお祭りなんだから、そっちを楽しむためにも急がないとね」
そう言ってリナリアの言葉も気にせずに走り出す雪。成すがままになっていたリナリアも段々と諦めて、彼女の走るペース(結構早い)に合わせて走り始めた。
『マスターはさっき、わたあめ屋さんの店員さんにタンポポと一緒に怒られて追いかけられてた最中じゃないですか……』
リナリアにはポケモンの心が分からないが、このバクフーンが苦労していることはなんとなく分かる。リンネと呼ばれたそのバクフーンが、ずっとこっちに申し訳なさそうな視線を向けているから。全く、喋ることが出来たらお互いに愚痴を言い合っていたものを。
(それにしても、私の周りって変な人ばっかだ)
と、不意に可笑しくなって、雪に引っ張られながらリナリアは小さく笑った。
誰かを道連れにして何かをするのも、案外悪くないものらしい。
*
結局あの後、普通の服屋さんでは気に入った服が見つからなかった。
リナリアと雪による服の批評談話のせいで店員、というか店自体がぴりぴりし始め、結局リンネに引きずられて店を出る。という半ばくだらない茶番を何度か繰り返し、リナリアもそれなりに雪への警戒心を解き始めた頃。
きっかけは、雪からリナリアへの小さな提案だった。
「――そうだ」
「なんですか?」
楽しいことを思いついた、という口ぶりの雪に、リナリアも少しだけ上機嫌に返す。
「せっかくだからさ。リナリアちゃんもなんか服買おうよ」
本当に何気ないつもりで放たれた言葉だったし、だからこそ雪も、何気ない反応が返ってくると思っていた。
それは単純に、彼女の誤算だった。
「……、え?」
信じられない提案だと言わんばかりに、リナリアの動きが停止する。“そんな言葉は予想していなかった”、という驚きとは違う。もっと異質で、普通の女の子が持つものとは違う感情だった。
「……どうかしたの?」
ただ、服を買ったらどう? と聞いただけの反応にしては、それは異質すぎた。
「あ、ああ……。いえ。私はいいんです……」
「……どうして? お金が無いとか?」
「……いえ」
急に覇気の無くなったリナリアを疑問に思いつつも、あまり追求してはいけないと思いつつも、雪は疑問を突きつける。
「だったら、なんで?」
どっかで、この女の子に似た姿を見たことがあった。
「どうして、服を買うことも駄目なの?」
いや、私はいつもそいつと一緒に居る。
不意に、雪は思い出した。今のリナリアの姿と誰を重ねているのか。
これは、“少し前の私の姿”だ。
「……、私は、許されないからです」
ぞっとする声のトーンだった。まだ十代前半の子供が出すとは思えない、無感情な声だった。
「……なんで許されないか、そんなことを教えるつもりはさらさらありません。とにかく、私には普通の女の子としての生活や趣味なんて、許されません」
「……誰に?」
雪は流れのままに聞いた。
「“自分自身”にですよ」
どうしようもない返答がくることなど、分かっていたが。
「……そっか」
そんなの駄目だよ、なんてありふれた言葉は雪からは出ない。“雪自身も、自分を許せない人間の一人”だったから。
ただ、先ほどまでの緩い雰囲気が完全に消えていた。けれど、笑顔の種類は緩いもののまま、彼女は一着の服を手に取る。
「!」
無表情を装っていたリナリアが、思わず雪が手に取った服を見つめる。それは、リナリアがこの店で唯一気に入った服だった。
Sサイズで、胸元にカシュクールデザイン付いた、カットソー素材のワンピース。
「雪さん……っ」
「すいません。レジお願いしてもいいですか?」
とめようとするリナリアを無視して、至極愛想の良さそうに近くに居た店員に話し掛ける水色の少女。「……え、あ、はい。大丈夫ですよ」と、雪の美貌にたじろぎながらも、店員さんは営業的なスマイルを浮かべながらレジの中に入った。
「……12600円ですね」
「トレーナーカードでお願いできますか? 支払いは一括でいいですよ」
「はい、畏まりました」
「あ、後」
そこでやっと、愛想の良さそうなありふれた笑みから、悪戯っぽい彼女本来の笑みに表情が戻る。
「プレゼント用に包装するのってお願いできます?」
「なっ……」
ここで初めて、リナリアは雪の意図を理解した。
「はい。出来ますよ」
「それじゃあ、出来るだけ綺麗に包装しちゃってください」
「畏まりました」
店員さんの丁寧で簡潔な応答を受け取ってから、雪はリナリアに向く。
「雪さっ……」
なんとか話しかけようとして、リナリアの息が止まる。
雪の顔は相も変わらず悪戯っぽく笑ってはいるが、目が全く笑っていなかった。群青色のその目は、底知れない深い闇を宿しているように見え、リナリアはその視線から目を逸らすことも、次の言葉を発することも出来ない。思わずリナリアが冷や汗を流すほど底冷えするその目は、絶対零度の怒りが宿っていた。
「リナリアちゃん」
返答も異存も許さない、黙って聞け。そう目で語りながら、雪はドスの聞いた声で言った。
「罪に甘えるな」
それは、これ以上ないぐらい容赦の無い言葉だった。
「そんなくだらないものに甘えるぐらいなら、黒美ちゃんや、私に甘えなさい」
そして、これ以上ないぐらい優しい言葉だった。
「……さて」
包装の終わった袋を受け取り、それをそのままリナリアに差し出す。
「プレゼント」
「……、受け取れません」
「頑固だなあ」
あれだけ“脅して”動かないのか。
ある意味強固な精神ではあるのだが、多分リナリアの場合は“それ故、脆い”。
「んじゃこういうことにして。私は仕事で貴女の写真を撮る。そのためには貴女には似合う服を着て貰いたい。つーわけで貰え」
「訳が分かりません」
「まあ、リナリアちゃんが受け取らないならー、ゴミになるだけだけどね」
「……、う……」
ゴミ、という言葉を聞いて、リナリアが初めてたじろぐ。
「別にー、私は構わないけどねー。リナリアちゃんがこれを着たら可愛いだろうなー、っていう勝手な想像だしー。喜んでくれたら嬉しいなー、とか勝手に考えてたけどー、リナリアちゃんが喜ばないならこの服も必要ないしー」
「う、うぅ……」
間延びした雪のえげつない言葉に、リナリアが余計に迷う。
素直なリナリアには、どうやらこっちの精神攻撃の方が聞くらしい。可愛いなこの子、と改めて雪は思った。
「なんか受け取ってもらえないプレゼントってー、見てると悲しくなるんだよねー。お祭りの灯りにしちゃう方がー、まだ気分が楽というかー。ねー」
「!!」
ぽん、とぞんざいにリンネの方に包装されたワンピースを投げる雪。
「……リンネ。今ここで燃やしちゃってくれる?」
『了解。マスター』
「まままま待ってくださいっ! 貰います! 貰いますから燃やさないでください!」
結局、先に折れたのはリナリアの方だった。
……で、一瞬、燃やす気満々に見えたリンネもやっぱり主人に似ているのかもしれない。と必死でワンピースをバクフーンから奪い取りながら、リナリアは思った。
*
しばらく二人で物色したものの、黒美に着せてみたい服、気に入る服がお互いに見つからなくて早一時間。……あまり黒美を待たせるのも悪いので、リナリアが少し焦ってきた頃。
「さって、……結局このお店だけ残っちゃったね」
「いい雰囲気のお店ではありますけどね……」
そう顔を合わせ、二人して思わず苦笑する。
ドアの前に髑髏が置かれていても、なんら違和感がないその雰囲気の服屋。人の活気に溢れるデパートにはあまりにも不似合いなそれに、「なんでこんなデパートにあるんでしょうね……? 人もあまり入りませんし……」と、リナリアも思わず疑問を呈した。
雪も頷きながら、雪も言葉を紡ぐ。
「本来デパートっていうのは、売り上げがそれなりに行かないとお店が追い出されるシステムになっているはずなの。……まあ、あの店長なら、こんな不思議があってもおかしくないけどね」
「――私も不思議よ。こんな場所でやっていけるなんて思ってもなかったから。中で売っているものがそんなに安くないからかしら? 別にデパートから売り上げで文句を言われたことは無いの」
「きゃあ!?」
本日二度目のリナリアの悲鳴。ギンガ団と退治しても全く怖いとは思わない強心臓な彼女だが、今日は何かとリナリアにとっての「イレギュラー」が多すぎる。
「……お邪魔しても?」
ドアを開いて上半身だけを乗り出している“そいつ”を訝しげに見つめながら、“幽霊のように静かで気配の無い彼女”の突然の出没にも、全然驚いていない雪は言った。
「勿論。いらっしゃいませ」
歓迎しているとは思えない淡白な口ぶりで、“そいつ”はドアを開けて姿を現す。
“そいつ”には、サービス業として必要なはずの笑顔も、愛想も、相手を敬う言葉すら全く持ち合わせていない、影のように真っ黒で無表情な女の子だった。
長さも量もある黒髪をツインテールにまとめ、ゴシック調のフリルのたくさん付いた黒衣を身に纏っている。見た目で年齢を判断するなら、大体黒美と同じぐらいだろう。
店員をやるにしては、若すぎる少女だった。……というより、法律違反である。
「服を見ていくのよね? 出来れば真っ黒で目立ちにくく、かつ大人っぽくて可愛らしい服がお好みね。それでプレゼント用の包装。金額は問わないからとりあえずクオリティの高い作品。――間違っていなければ、もう用意は出来ているわよ」
「なっ……」
雪とリナリアで相談した内容、そのままだった。まるで二人が相談するその場に居合わせていたかのような淀みなさに、雪もリナリアも愕然とする。
「三着ほど別の服があれば、尚よし。お祭りに似合う服もあるといいのね。とりあえず立ち話もなんだから、店の中に入ってくれると嬉しいわ。一応、椅子も用意してあるの」
「……何者です?」
不気味でさえある少女の対応に、一瞬で険悪な雰囲気を醸し出したリナリア。
そんな彼女の姿を見ても顔色を変えず、真っ黒な人形のような少女は小さく会釈をした。
「そういえば名乗るのを忘れていたわね。……失礼しました。
――私は、しがない服屋の店長を勤めさせて頂いております、日向 縁(ひなた ゆかり)と申します。以後お見知りおきを」
そう言って彼女は、上品で丁寧で、空っぽで印象に残らない笑顔を浮かべる。
警戒したまま無言になるリナリアと雪を見て、彼女は「……あ」と声を上げる
少しだけ、残念そうな口ぶりで、日向縁は不思議なことを言った。
「……時間切れね」
「え?」
「貴女方が楽しめる時間が、ここで終了した、ということよ」
「それは、どういう……」
全く意味の分かっていない、という雪の表情。
「外に出てみたら分かるのではないかしら。
――特にそちらの紫髪のお嬢さんは、ね」
「……まさか」
縁の言うとおり、リナリアには思い当たる節があった。
その彼女を信用してくれた、一人の少女の姿が思い浮かぶ。
――黒美に、何かあった?
「不安に思ったら、まずは行動してみたらどうかしら。まあ、言うまでもないことでしょうけど」
紙に書いた提案をそのまま読み上げるような縁の感情のない言葉。
それを聞いて、リナリアは弾丸のように走り出した。
どうか間に合いますように、と心から願いながら。
*
「ちょっと、リナリアちゃ、……あー、行っちゃった」
小さくなってすぐに消えていったリナリアに手を振る雪。どうやら付いていかないらしい。
「……貴女は付いていかなくていいの? 黒羽さん」
からかうように笑う縁を、雪はすっと細目で睨みつける。リナリアが居る前とは全く違う態度だったが、少なくとも初対面ではないようだった。
「分かっていることを聞くのは、縁ちゃんの悪い癖」
「ふふふ、そうね」
さっきとは打って変わり、不機嫌そうな雪と楽しそうな縁。
「リナリアちゃんと黒美ちゃんには悪いけどね……。人には得手不得手があるの。縁ちゃんだってあるでしょ?」
「私に苦手なものなんて無いわ。じゃなきゃ、一人で店を開くなんてこと出来るわけないから」
「……そうだった。縁ちゃんはそういう娘だったね」
さらりととんでもないことを語る黒髪の少女に呆れ、雪はぼやいた。
「とにかく、これはリナリアと黒美ちゃんの問題。私が今手助けをして一時的に救ったって、仕方ないでしょ?」
「……そう。あの二人は、ギンガ団が壊滅するまで、……否、壊滅してもその残党に負われ続ける。うちの両親と同じパターンね。大きなものを敵に回すことで手に入れる何かにはやはり、大きな代償が必要なのよ。ちょっとしか視えなくても、“規定路線”ぐらいはなんとなく分かるの。……あら、三人かしら」
「ほんと、何でも知ってるんだね」
雪の言葉に、「何でもじゃないわ」と縁はそっぽを向く。人形みたいな彼女には相応しくない、不機嫌そうな仕草だった。
「……あんま面白くないのよ、この力は」
そりゃそうだ、と雪も頷く。何もかも知ってしまったら、何も面白くは無い。
「全く。普通のカメラマンやってたら未来視の服屋さんに出会うなんて、どういう運命してるのかなあ私って」
「聞きたいなら言うけど?」
「全力でお断りします」
即答した雪に「でしょうね」と縁は苦笑を零す。
「とは言っても私にはっきり分かるのは、一番近くの選択肢とその先の結果だけ。あまり先になるとしっかり見通せないから、大して便利な能力でもないわね」
「……どうして?」
「決まっているでしょう?
その場で一番良い選択をしたところで、それが良い未来に繋がるとは限らないの」
そういいつつ、ずっと遠くを見つめるような光の無い視線で、彼女は語る。
「その結果の先にある選択肢が、絶望的なものになる可能性だってある。悪い選択肢を選んだ先が結局、いい結果になる可能性だってあるの。だから、私のそれは『未来視』なんて素敵で最悪なものじゃないの。私だって、私が何時死ぬかなんて、知ったこともないわけだし。
私に見えるのは、膨大な選択肢だけ。さっきの“手品”だって、貴女たちが選んだものをそのまま口に出しただけなのよ?」
未来なんて途方も無いものを見てしまったら、私という存在は今頃この世に無いわね、と少女は言った。結果の分かる未来なんて、どんな未来でも絶望と一緒だと。
「まー確かに。自分の未来が決定されているなんて知ったら、死にたくなるね」
「そうでしょ? だから私はそこまでは視たくない。人がどんな選択肢を選ぶのか、それをわくわくしながら覗き見るのが趣味」
「悪趣味、でしょ?」
「ええ。そうね」
そういって、日向とは正反対の少女は、昏く(くらく)笑った。
「……、全く。ほんと食えない娘ね。縁ちゃんて」
「褒めてる? ありがとう」
「質問した後返答する前に礼を言うのはやめなさい、……あ、そうだ」
そういって、雪は腰に付けたポーチから、一枚の写真を取り出す。
「これ、大事なものなんでしょう? 返しておくね」
「あ、ありがとう」
その写真の見た縁の表情が一瞬だけ綻び、そして再び無表情になる。
「……やっぱり、見つからなかったのね」
「“そっくり”な女の子なら居たけどね。別人だと思うよ」
「そんなこと“知ってる”わ。私が言っているのは“そういうことじゃない”」
「……え?」
雪が絶句したのは、彼女のその返答ではない。縁が見せた表情に、目を奪われたからだ。
「ごめんなさい。“その子”にあげる服はもう用意してあるから、今日はもう帰ってもらえないかしら?」
「ええ? 別に今受け取ってもいいのに。……というか、なんで黒美ちゃんだって分かったの?」
「知ってるから。その子の趣味なら、誰よりも」
「……はい?」
「だから、帰って」
「……仕方の無い娘だなあ。縁ちゃんも」
そういって雪がすんなり引き下がったのは、縁が酷く悲しそうな表情をしていたからだ。これ以上彼女の悲しそうな顔を見たくない、という気持ちと、一人にさせた方が楽だろう、と判断してのことだった。
「ごめんなさい。……雪は、優しいわね」
「うるさいなあ。後で服を取りに来るから、その時にはしっかり準備しててね」
と縁に釘を刺し、手を振りながら雪とリンネは居なくなった。
……そういえばあのピチューの姿を見ていないけど、何かあったのだろうか、と他人事ながら少し心配になる縁。本来、リンネとそのピチュー――タンポポはワンセットでなんぼのような存在だ。それに雪は、ポケモンをモンスターボールに入れるのをあまり好まない。
(まあ、お祭りではしゃぎすぎて怒られて、出すに出せなくなってしまった、ってところかしら)
そう考えたら、悲しい気分も少しだけ晴れる。“規定路線”に縛られた少女はそれ故に人との関わりを好まないのだが、雪とその手持ちのポケモンたちとは珍しく長い付き合いだった。リンネもタンポポも碌な過去と過去の選択肢を持っていないが、それでもある一定の幸せを手に入れている。羨ましくない、と言えば嘘になる。
「といっても、そんな私の規定路線なんか簡単に崩してしまえる稀有な人間だって、この世には居るわ。雪は、その類の人間だったのだし」
少なくとも私はそれに値しないけど、と今度は寂しげに笑った。絶望を物ともしない少女の、僅かに残った人間らしい感情だった。
だが、雪のおかげで、雪が友達になってくれたおかげで、この生活も少しはマシになった。気分だけの問題で何も変わっていないようだけど、こういうのは本当に大事だと縁は知っている。
そして“彼”もまた、意志で“今”を変えられうる存在だった。
「そう。貴女はそうでしょう? “ロキ”。悪魔のような神様を象った、かわいいかわいいマグマラシ。
――私の目には絶望しか見えないその女の子を、どうぞ守ってみなさいな」
最後に、少しだけ楽しそうに笑って、彼女は店の扉を閉じた。もうここに入るべきものなど居ないと、言わんばかりに。
騒がしくなり始めたデパート内から浮いているそのお店だけが、再び静寂を取り戻していった。