第二章 オレタツバサ
06.探検隊バッジ
 †■■■■■†

 奴は椅子の上に、足を組んで座っていた。その鋼鉄の体躯はあまりにも鮮やかな赤色で、月明かりに照らされた部屋の中で、その存在を強く誇示していた。赤色は、すなわち炎の色でもあるが、奴の色は血の色とよく似ていた。
 奴は微笑して言った。
「先日捕らえたポケモン。またもハズレくじだった、と聞いたが」
 自分は目を閉じ、その赤色を視界から消した。
「その通りだ」
 返答に、奴は、かちかち、と愉快げに音をあげた。機嫌がいい時、奴は御自慢の真っ赤なハサミを閉じたり開いたりする。そのハサミは見開かれた不気味な目玉を持っていた。まばたきひとつしない、狂った目玉。まぶたで遮っても、その紋様が見えるようだった。
「いつまでたってもあんたの行為は報われないなぁ。昔、あのニンゲンを追いつめた時も、結局は逃したし」
 無機質なハサミの音と並んで、声が続けられる。
「虚しくないか?辛くないか?目的を忘れかけたりしないのか?……なあ、リュービ様」
 名前を呼ばれてたので、ゆっくりまぶたを持ち上げると、奴は無造作にロメの実をかじっていた。果汁が奴の口元をしたたり落ちる。ハサミの手でぬぐう気もないらしい。
「雇われの身が、ずいぶんと主人に口出しをするものだな」
 こちらの皮肉めいた言葉にも、奴はけらけらと声をあげて笑っただけだった。
「俺は俺自身に十分な価値があることを知ってるからな」
「価値、か…」
 つぶやき、自らの悲願に思いを馳せた。いまだ見つからぬ、探し求め続けているモノ。

「“鍵”の価値…その存在意義は、鍵穴にさしこまれ、扉を開くことだけだ」

 声に出してから、我ながらなんと抑揚のない声だろう、と思った。
 奴も同じことを思ったらしい。かちかち、というあの不快な音がいつの間にか止んでいた。ちらりと目をやると、先ほどとは違う、ある種の狂気を抱いた笑みが広がっていた。
「…時を経るにつれて、あんたはいろんなものを失っていくようだ。まず泣くことを忘れ、笑うことを忘れ、今となっては眠ることも忘れている。…いつか、あんたは無機質な物体になり果てるんじゃないか」
 奴の黄金の瞳がにやりといやらしく垂れ下がっている。一拍おいて、奴の声が続く。
「意志なき物体に従うのも、まあ一興だ。金をもらえるならば、俺は文句を言わない」
 言葉を返さず、しばらく無言でいた。月明かりの下で、ガラスの器に盛られた実がつやつやと魅惑的なかがやきをはなっている。
 おもむろに、その実を、自分の左の白い爪で突き刺し、右腕の刃でまっぷたつに切断した。切った半分を奴に投げ渡す。
「…サンキュー」
 狂った笑みを消して、奴は豪快にかぶりついた。
 自分の手元に残ったもう半分の実を、爪から抜き取り、床に投げ捨て、足で踏みつけた。残念そうに実の残骸を見た奴に、言葉を放つ。

「あいにく、俺は意志なき物体ではない。話すことくらいはできる」

 そう言って、扉に向かった。すると、奴の声が背中にかかった。
「おや、捕らわれの身の彼女とおしゃべりするつもりか?」
「ハズレくじとはいえ、利用価値さえあれば、情けをかけてやろうと思ってな」
「へえ。…価値がなかった場合は?」
「処分する」
「さすがはリュービ様。結構な答えだ」
 奴は再び楽しげに、かちかち、と音を鳴らす。
「それなら…あんたが求め続けてる“鍵”も、扉を開けた後には、結局捨てるのかな?」
「そうだ。価値がなくなれば、“鍵”にも用はない」そして、赤色のハサミを冷たく見つめた。「お前も価値がなくなれば、消えてもらう」
 かちり、と音をたてて、ハサミが閉じられた。

「…まったく。なんておっかない主人だ」

 奴の言葉を最後に聞き、部屋から出ていった。


 暗く闇に沈んだ螺旋階段を降りていく。一定の間隔で設置された扉の向こうから聞こえてくる嘆きの声を黙殺しながら、ゆっくりと、一段ずつ降りる。最初から数えて23番目の扉の前で、ようやく足を止め、扉を開いた。
 狭い部屋だった。自分の爪と同じくらいの大きさの窓から、僅かに月光が差し込んでいる。部屋には、四角い檻がひとつあった。檻の中で、ポケモンが一匹、静寂と共に座り込んでいる。それは、マリルリだった。耳は疲れきったように、力を失って垂れている。
 マリルリは一瞬だけこちらを見て、すぐに興味を失ったように檻の床に目を向けた。
「食べる物がほしいか」
 声をかけると、マリルリの表情が面白いくらい一瞬にして変わった。期待をこめるように、強く、深く、マリルリはうなずいた。

「なにか、歌え」

 こちらの注文に、マリルリはいぶかしげな表情をした。
「命令だ。歌え」
 マリルリは表情を引き締めると、澄んだ声で歌い始めた。水の波紋が広がるような、はかなげで繊細な響き。
 黙って聞くことができたのは、少しの間だけだった。すぐに吐き気をもよおすような違和感が生じ、頭が割れるようにひどく痛んだ。
「やめろ」
 檻を蹴りつけた。わずかに檻がかたむき、マリルリの歌がぴたりと止まった。
「その歌ではない」
 もう一度、今度は自らの紺色の尻尾を強くたたきつけると、マリルリの短い悲鳴があがった。がしゃん、という耳障りな音をたてて、檻が横に倒れた。マリルリも無様に倒れた。

「その歌ではない」

 そう吐き捨てて、部屋から出ていった。



 †ゆうれいやしき†

「ふんふふんふーん♪」

 トトが陽気なテンポで鼻歌をうたっている。何度か聞いたことのあるものだ。陽気に歌わなければ、意外とせつないメロディになりそうだな、とシェーラは聞きながら、勝手にそんなことを思った。

 ミカルゲ親方からの依頼をうけ、東の森へ行ったあの日から二日がたっていた。トトが目をさますとすぐに、二匹はバッグに入れておいたオレンの実をミカルゲに渡したのだった。依頼は完了し、“トルネード”は正式な探検隊と認められた。
 しかし、“トルネード”の探検隊バッジは、発注したのが遅かったため、ゆうれいやしきに届くまでに少し時間がかかるらしい。だから、二匹はもらいうけた“トルネード”専用の部屋でまったりと二日間すごしたのだった。
 ワニノコにとって住みやすい環境とはどんなものか、シェーラにはさっぱりわからなかったが、二日間過ごして、この部屋は住みやすい、と素直に思った。なによりも、トトと一緒にいられるのがよかった。

 今、シェーラ達はミカルゲ親方の部屋によばれたところだった。親方の部屋に到着すると、トトは鼻歌をぴたりとやめ、真面目な顔つきをした。シェーラもそれにならう。
「二日ぶりだ。二匹とも具合はいいようだね?…さて。ずいぶんと待たせて、すまなかったね」
 親方はこの前と同じように、机の上に座っていた。その背後にいたユキメノコが、足音なくシェーラ達の前に進み出た。ユキメノコの手には、小さな木の箱がのっている。
「トト様、シェーラ様」
 ユキメノコは、まるで中に宝物が入っているかのように、そっと優しい手つきで箱のふたを開いた。
 トトが身をのりだして見入った。そこにあったのは、翼のはえた円をかたどったバッジ。……探検隊バッジだ。
「トト達のバッジね!」
「ええ」
 ユキメノコはかすかな微笑の気配をうかべて、探検隊バッジを手にとった。
「さあ、どうぞ」
「ありがとうございます」
 てのひらに渡された、バッジ。汚れも傷もまだついていない、真新しい探検隊の証。裏返すと、磨かれた銀色の表面がワニノコの顔をかすかに反射した。
「あっ」
 バッジの裏側に、“tornado”という文字がひそやかに刻まれていた。その文字こそ、シェーラとトトだけのもの、あるいは“トルネード”だけのもの、あるいはこのバッジが世界にたったひとつだけの大切なもの、であるということを示していた。
「シェーラ、どうしたの?」
「ほら、見て」
 指先の硬い皮膚でそのくぼみをなぞってみる。トトはきょとん、とそれを見つめた。
「なんて書いてあるのー?」
「トルネード、だよ」
 その時、一瞬、ミカルゲとユキメノコが視線を交わしたのだが、シェーラ達は気がつかなかった。
「そうなんだぁ…。すごい。シェーラ、大発見ね!」
 そんな言い方をされると、ちょっと照れくさい。「いや、それほどでもー」と頭をかいていると、ユキメノコの声がかかった。
「そのバッジは特殊な金属でできています。依頼を完了したとき、命の危険にさらされたとき、あなた方をこのギルドへと運んでくれるでしょう」
「へえ…。こんなに小さいのに、すごい」
「そして、バッジはどのようなポケモンの技であろうと、欠けたり、割れたりすることはありませんので、ご安心を」
「多機能なんですね」
「素敵♪」
 そこでミカルゲが口をはさんだ。

「しかし。いくら砕けにくくとも、細かい傷ならつく」

 穏やかな声でミカルゲが言った。シェーラ達は、バッジに向けていた視線をあげた。
「君達のバッジにもいずれ多くの傷跡が残るだろう」
「多くの、傷跡…?」
「そうだ。落ちない汚れがつくだろうし、やがて、くすんだ色にもなるだろう。…だが」
 親方はぐるりと目をまわした。

「それは同時に君達の成長を示してくれるものだ。いつかそのバッジが、古ぼけ、色あせ、ボロボロになった時、君達は必ず最高の探検隊になっている。…そんな日がくることを、ワガハイは楽しみに待っているよ」

 シェーラは自然とバッジに、再び目を向けていた。

(ボロボロのバッジか…)

 掌の上にあるくすみのない輝き。綺麗だと思ったが、親方の言葉が、今、シェーラの認識をあらためていた。

(時がたって、ボロボロになれば)
(きっと、もっと綺麗になる)

 泥水が澄んでいくように、宝石が磨かれて輝くように、バッジが傷つき、汚れていくことは――間違いなく素晴らしいことだろう。

「トト隊員、ラジャーですっ!」
 トトが敬礼をする。精一杯の気持ちがこめられている。
 シェーラは、きゅっとバッジをにぎった。
「あたしも…できるかぎり、がんばります」
 うなずきを返すように、親方の目が一回転する。

「精進したまえ」

 黙ってそれらを見守っていたユキメノコ…刹那に、どこか懐かしげな表情をよぎらせていた…は、間合いを見計らって、言った。
「ひとつ提案があります。トト様…そして、とくにシェーラ様は、ギルド内部のことを、あまり知っていないと思われます。もしよろしければ、このあと、私がギルド内を案内するのはどうでしょう」
 相変わらず無表情なユキメノコだったが、なんとも親切な提案だった。シェーラはふかぶかと頭をさげた。
「ありがとうございます…!」
「それでは…善は急げ、と言いますし。今からご案内しましょうか?」
「はい!」「うん!」
 心をはずませて二匹が返事をする。
 すると、何故かミカルゲ親方がそれに便乗した。
「待ちたまえ!ワガハイも!一緒に!行きたい!」
 途端、柔らかだったユキメノコの態度が一変し、空気が凍り付くように冷えた。ユキメノコは絶対零度のまなざしでミカルゲを一瞥する。
「親方様がご自分で歩かれるなら、よろしいかと」
「断る!階段を降りるのが面倒きわまりない。頼むよ、ユキメノコ」
「階段で突き落としてもよろしいでしょうか」
「ひぇええええ」
「それが嫌でしたら、親方様は、私のかわりに書類整理をしていてください」
「さ、さらに面倒ではないかっ!」
 ユキメノコはミカルゲの叫びを無視し、悠然と“トルネード”の二匹に向きなおった。
「トト様、シェーラ様」薄氷色の瞳が有無を言わさぬ冷気をおびて、こちらを見つめた。「私達、三匹だけでまわってもよろしい…ですよね?」
「ラ、ラジャーです」「も、もちろんです」
 即答する二匹。逆らったらやばい、というのを本能的直感で即座に察した結果であった。まあ、別に親方がいなくても不満はない。まったくもって。

 早速なめられ気味な親方の「カムバーーック!ワガハイ、書類ひとりでまとめたくないよ!」という叫びは聞こえないふりをして、いそいそとシェーラは部屋から退散した。
 トトも「トトが思うに、お歌を歌えばさみしくなくなると思いますよー?」と、ちょっと見当違い気味な助言をしてから、親方をおいてさっさと部屋からでる。


 部屋に残ったユキメノコは、足を止め、少し部屋から出ずにとどまった。ミカルゲも騒ぐのをぴたりと止める。
 マシロ、とミカルゲはユキメノコの名前をよび、声のトーンを下げて言った。
「先ほどの、聞いたかね」
「聞きました。あの文字を、読むとは…」

「記憶を失った、元ニンゲン。かつ、あの文字を読むワニノコ……。要検討事項として、心にとめておこう」

「はい」
 さあ、ユキメノコも早く部屋から出たまえ、という親方の声に従って、ユキメノコは部屋から退出し、扉をきっちりと閉めた。


「さて。まずは、どの部屋から説明いたしましょうか」

 何事もなかったかのように、部屋からでてきたユキメノコが言った。むしろ涼しげ、といっても過言ではない様子だ。
「あの、親方様…。本当にほっといてもいいんですか?」
「親方様のことは、どうかお気になさらず。あの方はいつも怠けてばかりなのです。時には、親方らしく真面目に仕事をしてもらわなくては」
「いつも親方さんは怠けて、ユキメノコさんばっかりにお仕事ですかー?」
「そんなところです」
「…なんというか、お疲れさまですね」
「………」
 返事が返ってこないので、見ると、ユキメノコは遠い記憶をたどるような目をしていた。彼女はぽつりとつぶやいた。

「…本当に、頼りにならないお方」

 シェーラはちょっとだけ、どきりとした。言葉の内容とは裏腹に、ユキメノコの声には、強い信頼の気持ちがかいまみえるような気がしたからだ。気のせいだろうか。
「今頃親方さん、机から落ちてるかもしれませんよー?」
 シェーラの隣でトトがのんびりとつぶやいた。すると、ユキメノコの目は普段通りの冷徹なものに戻っていた。
「一日くらいは倒れたままの体勢でいてもらうのも、ひとつの手かもしれませんね」
 やっぱり前言撤回、とシェーラは思った。



ハシドイ ( 2013/06/22(土) 07:57 )