第二章 オレタツバサ
13.届く声
「でかヅノ――?」

 突然、目のくらむような白い光が目の前に出現し、光の消滅と共にグレンの姿がかき消えていた。

「……え?」

 訳もわからず、消えたリザードの炎の残像を求めて、無意識のうちにシェーラは前に一歩、進みだしていた。
「……っ!?」
 カチ、という音とともに、先程と同様、真っ白な光が出現。シェーラを包みこんでいた。


 一瞬のうちに、シェーラは見知らぬ場所へ投げ出されていた。頭の痛みと、軽い酩酊感。それらによって、シェーラは自分が何を踏んだかに気がつくことができた。

(ワープスイッチだ)

 空間を強制移動させられたことによる身体の拒否反応が、数秒生まれる。気だるさ、頭痛、身体の硬直等々……。防御の姿勢をとれない状態だったが、幸い、その時、シェーラの周りに敵ポケモンはいなかった。
 しかし、安心している暇などひとかけらもありはしなかった。

(まずいことになった…)

 先程に比べ、圧倒的に視界が悪い。
 グレンの炎による明かりがないせいで、遠くの敵に気がつくことはできなくなってしまった。暗闇に慣れた目によって、どうにか部屋の輪郭が見える程度だ。

 そして、なによりも、自分のレベルの低さ。
 シェーラのレベルはこのダンジョンにみあっていない。

(敵と鉢合わせする前に、…グレンと会わなきゃ)
 さもなければ、死ぬ。それだけ。

 シェーラは、ワープスイッチを踏んでしまったことをすぐに後悔した。あの部屋に留まって、じっとしていたら、グレンもすぐにシェーラのことを見つけやすかったに違いない。我ながらとんでもなく馬鹿なことをした。

 仕方ない、ここでじっとしてグレンを待っていよう。
 そう考え、シェーラは腰をおろそうとした。が、それに反対するように、彼女の心をかすめた事があった。
 怒っているようなグレンの背中の映像だ。

(どんな顔をして会えばいいんだろう…)

 一匹でいるのが危険であることは確実だ。しかし、顔の合わせ方がわからなかった。

 一体自分は移動すべきなのかそうでないのか。

 二つの事柄に板挟みにされ、シェーラは悶々と悩み、落ちつかなげに部屋を歩き回った。だが、所詮レベルの足りない身。他の誰とも巡り会う前に、彼と再会しなければ、自分は−−

「……これはこれは」

 考え込んでいたせいで、その存在に気がつかなかったのだろう。いつの間にか、暗い部屋の中にもう一体のポケモンが出現していた。首を右にかたむけ、傲慢そうにたたずんでいる。

 ノクタスだ。

「俺様を捕まえにきた、探検隊か?」

 シェーラの心臓が一気に跳ね上がった。身体が恐怖に縛られ、指先が痺れた。
 こいつは、探検隊に捕まえられる存在なのだ。つまり、

(お尋ね者!?)

 このノクタスは、たしかにギルドのお尋ね者掲示板に貼られていた気がする。

「……そのわりに、なんともちびっこいことだ」

 余裕たっぷりのねばりつくような声。
(……まずい)
(まずいまずいまずい)
 冷や汗が背中を伝うのを感覚する。
 シェーラは恐怖を押さえ込み、自らを奮い立たせるように心の中で叫んだ。

(ひるむな、シェーラ!)
(怖がったら、負けよ)

 シェーラはノクタスを睨みつけた。
「…か、覚悟しなさい!あたしが捕まえてやるから!」
 勇ましかったが、様になってはいなかった。やはり、というか、当然ノクタスは失笑する。そして、わざとらしく肩をすくめ、嘆くように首を横にふった。
「おっと、声が震えているぞ?……まぁ、俺様はSランクだから仕方ないといえば仕方ない」
 シェーラは皮膚の表面から骨の芯まで凍り付いた。

(……S、ランク…!?)

 想像以上だった。けた違い、とはまさにこのことだ。自分のレベルではひとひねりされてしまうだろう。シェーラは恐怖に震えた。
 逃げるしかない。命懸けで。
 しかし、ちらと見渡せば、この部屋からでている通路はたった一本だけだった。これではグレンがこの部屋を見つけるまでに時間がかかるだろう。おまけに、シェーラと通路の間にはノクタスが立っていて、逃げ道をふさいでいた。

(それでも逃げなきゃ……どうにかして、早く!)

「“だましうち”」

 瞬きの後に、ノクタスが目の前に移動していた。腕が高く振り上げられ、シェーラの小さな体躯を殴りとばす。
「……ッ」
 声を出す暇さえ与えられず、尖った岩の壁にたたきつけられた。息がつまり、背中に鈍い痛みが生まれる。
「反撃はないのか、え?」
 はっと顔をあげると、すでにノクタスが目の前にたっていた。目があった瞬間、ノクタスの足が、シェーラの腹部を蹴り上げる。強烈な痛みがあった。相手の足のトゲがくいこんでいた。再び壁に背中がぶつかった。

「お尋ね者も隠れていると、暇なわけだ。少しは楽しませてくれよ。“ミサイルばり”」

 トゲが、続けざまに勢いよく放たれた。シェーラは攻撃から逃れるように、駆けだした。
(逃げなきゃ、早く…!)
 首だけ後ろに振り返ると、迫りくる攻撃は目前にまで迫っていた。シェーラはとっさに横へ転がる。ごつごつとした地面が容赦なく彼女をさいなんだ。
 顔の皮膚をわずかにかすめて、彼方へとミサイルばりが消えていった。心臓が止まりそうな瞬間だった。
「痛いか?痛そうだな。ん?」
 ねっとりとした声が耳をうつ。
(考えろ、どうすればいい…?)
 痛みにぼうっとしそうになる頭を無理に働かせる。
(どうすれば…)
(どうすれば、逃げられる?いつ、どんな風に――)

 逡巡するシェーラの表情をみて、ノクタスは愉悦に顔を歪めた。首をくいっと右に傾け、嘲りの声をあげる。
「怯えているな?俺様が怖いな?ふんっ。……安心するといい。探検隊のようなクソ共は嫌いだが、俺様は優しいポケモンだ。涙と鼻水まみれのクソ醜い顔で命乞いをするなら、殺さずに許してやらんこともない」

(………な、)

 ノクタスは傲岸(ごうがん)な態度で、シェーラを見下ろす。泣く子も黙るような、光る黄色の不気味な瞳だ。

「俺様自身、貴様に恨みはないが、探検隊員はお尋ね者の天敵だ。恨むなら俺ではなく探検隊員になった自分を恨めよな。まぁ、今さら後悔しても遅いが…」

 その言葉を聞いた瞬間、シェーラは先程まで抱えていた恐怖が綺麗さっぱり吹き飛んでいた。いや、それどころではない。
 あろうことか、このノクタスに怒りを感じていた。
 自分のレベルなどお構いなしだった。
 背中の燃えるような痛みなど、まるきり無視を決め込んでいた。

 ――なんですって

「理解したか?なら、土下座して、俺様に乞うてみたらどうだ、ん?」

 殴られたような衝撃と共に、ふつふつとさらなる怒りが沸き上がる。
「………しなさい…」
「…?」
 ぶつぶつとつぶやくシェーラに、ノクタスが笑みをひっこめ、不思議そうな顔をした。

「…今の言葉、否定しなさいよッ!」

 シェーラは叫ぶなり、思いっきりノクタスの腕に噛みついた。細かいトゲが口の中をかききるが、そんなことは気にしていられない。

「……ッ!?やる気があったのかッ!離せッ!」

 ノクタスが腕を振り回す。しかし、シェーラはがっちりと腕をくわえたままだった。絶対に離さないという硬い岩のような決意が胸に生まれていた。
 シェーラは振り回されながらも、腕をくわえたまま、手に力をこめ、“かわらわり”を繰り出した。レベルの差はあれ、効果ばつぐんの技にノクタスは一瞬顔をしかめる。
「…もがが!」
 どうだ!とシェーラは挑戦的なまなざしでノクタスに戦意をぶつける。
 その表情が、彼は、気に食わなかったらしい。

「貴様――」

 直後、ノクタスは一瞬で表情を消し、冷ややかな目で食らいつくワニノコを見やっていた。Sランクお尋ね者らしい顔つきだった。

「……いいだろう。俺様に命乞いをしなかったことを後悔するんだな」

 空気が一気に冷えたような錯覚を覚える。かと思った瞬間、ひゅんっと耳に風をきる音が聞こえ、シェーラの背中に激しい痛みが生じていた。

「……うぐぁッ…」

 ノクタスが、自らの腕ごと、すさまじい勢いで壁にシェーラを叩きつけたのだ。壁の鋭い突起が、先程の攻撃でおった背中の深い傷を突き刺していた。小爆発でも起きたのかと勘違いしてしまうような、それほどの痛み。
 痛みに、思わず口を離しそうになる。――いや、離しそうになるだけだ。シェーラは、離さなかった。

「…しつこいな」

 ノクタスは再び壁に叩きつける。今度は壁の突起が右足にぶちあたった。耐えきれないような激痛がはしった。それでもシェーラは離さなかった。

「…さっさと離せッ!」

 もう一度、ノクタスが壁に打ちつけた時、とうとうシェーラは口元の力を失い、みじめに地面に倒れ伏した。
「気晴らしにもならないな」
 ノクタスは吐き捨て、噛まれた腕をさすりながら、シェーラを見下ろした。意識がないのかワニノコは彼の足下でぴくりとも動かない。

 と。

 がしっ、と足が捕まれるのを、ノクタスは感じた。
 倒れていたはずのシェーラの手がノクタスの足をつかんでいた。ノクタス特有の足のトゲで、手のひらにひっかき傷を作り、顔をしかめながらも、彼女はお尋ね者を睨んでいた。
「…ひ…てい……し、なさ…い…」
 ノクタスはぎょっとして、どこか恐怖さえ浮かべて、ワニノコを見やる。
「…な……」
 そして、ノクタスは驚いた自分を恥じるように、再びワニノコを壁にむかって蹴り上げた。
「この…気味悪い奴めッ…!!」
 シェーラの身体はたやすく吹っ飛ばされた。

(どうして、あたしは、)
(こんなにも…)

 痛みに朦朧(もうろう)とするシェーラの頭に、とりとめのない思考が浮かび、消えてゆく。


 ――あたし、何のためにここに来たんだっけ。

(行かなきゃ)
(山頂へ)
(ハヤテのために)

 それじゃあ、足止めをくらってちゃ駄目ね。
 早く、逃げなきゃ……

(でも)
(このノクタスからは、逃げたくない)

 あたしは怒っているから。

(なんで、こんなに怒ってるんだっけ)

 だって。
 許せなかった。

 探検隊員をクソ共なんて、そんな……
 …そんなことを。


 相棒のトゲピーの顔が脳裏に呼び起こされる。探検隊トルネードの仲間。あたしの、友達。
 同時に、シェーラは、探検隊員と聞いて、もうひとつの顔を思い出していた。その、ポケモンは――

「……?」

 その時、ノクタスが何かの気配を感じたのか、シェーラから目を離し、鋭く振り返った。緊張の糸が場にぴんと細く張る。
 シェーラは薄くまぶたを開き、ノクタスの視線の先に顔をむけた。一体何に警戒しているのだろう。そこにあるのは、先の全く見えない黒々とした通路だけなのに。
 ――否。

 通路のはるか奥で、ちっぽけな灯火が見えている。

 間違いない。今まさに、シェーラが思い浮かべていた、あのポケモンだ。

 そうと理解した途端、シェーラは喉が痛みにひきつるのを感じながらも、文字通り、血を吐くように、全身全霊で叫んでいた。


「で、か、ヅ、ノ――――――――ッ!!!」


 叫びは届いたのだろうか。

 きっと、届いたに違いない。

 何故なら、次の瞬間からその灯火は、強い確信を伴って、迷うことなく、一直線に、こちらへ向かってきたからだ。
「……!?」
 ノクタスが状況を把握できず、狼狽する。対するシェーラは、焼けるような痛みにうっすらと涙さえうかべながら、彼の声を待った。


「くそチビ――――――――ッ!」


 ようやく腹の立つあだ名が聞こえた時、シェーラは全身から力が抜けるのを感じた。ほっと安堵していた。
(……もう、大丈夫だ…)
 灯火の光が、彼が近づくにつれ、強くまぶしいものとなってゆく。

 彼が、部屋に立ち入ると、一方向から照らされた壁の突起が、長く黒い影を一斉におびた。
「探検隊員…!」
 ノクタスが息を呑んで言う。対する彼は、何も答えず、ちらと倒れたワニノコの姿を一瞥(いちべつ)して、ノクタスに向き直った。

 シェーラは目を細めて、逆光の中にいる輝かしいその姿を見つめる。

 彼の尻尾の炎が、一瞬の揺らめきをおび、そして、ごうっ!と音をたてて勢いよく燃え上がった。彼が開いた口から鋭利な牙がのぞき、尻尾の火に共鳴するがごとく、あつく、あつく、熱を帯びてゆく。

 彼が跳躍した。

 それを目で追うノクタス。反撃する暇など当然与えられず、とっさに顔を両腕でかばっていた。

 彼の色――鮮やかな紅蓮の炎が、華麗に躍り上がる。


「――ほのおのキバッ!!」


 グレンの渾身の攻撃が命中し、ノクタスの悲鳴が、清閑なダンジョンに、大きく響きわたった。




 グレンは手慣れているのか、淡々とした動作で探検隊バッジを、倒れたノクタスにかざした。ギルドの牢屋にお尋ね者のノクタスを送るためだ。その間、シェーラは痛みにふらつきながらもなんとか立ち上がる。
「……」
「……」
 目をあわせるのがきまずいので、黙ったまま、二匹とも互いに視線をそらして、暗い地面を見ていた。
「お前……」
 とうとう口火を切ったのはグレンだった。傷だらけのシェーラを見かねて、鋭く言う。
「その傷で…本気で頂上行くつもりか?」

(……お前はさっさと帰れ、ってことよね)

 言われなくても状況はわかっていた。
 シェーラは立つだけでも精一杯の状態だった。一歩進むだけで、ひどい苦痛を味わうことになりそうだ。探検は中断した方がいいに決まっている。
(だけど、山頂はもうすぐだ…)
(まだ帰れない)

 ふと、シェーラは、探検に出発する前にグレンが言った言葉を思い出す。

『お前がのろのろ歩いてたら、置いていくからな。覚悟しろよ』

 シェーラはぽつりとつぶやく。
「置いていってもいいよ。多分、一匹でもなんとかなるから」
 そう言いながら、頂上まで一匹で行く方法を、頭の中で模索し始める。きっと、険しい道のりになるだろう。
 すると、グレンが深々とため息をついた。
「その傷、お前のレベル、このダンジョン…。どれをとっても“なんとかなる”なんて言えないだろ普通」
「……」
 シェーラは黙りこくってうつむく。
「くそチビが一匹で行くとか、無茶すぎる」
(……そうかもしれないけど)
 しばらくの間、シェーラは黙ってうつむいていたが、覚悟を決めると、表情を凛としたものに変えた。顔を上げ、片足をひきずりつつ歩きだす。視界はぼやけ、足取りはおぼつかないが、前には進むことはできた。

(まだいける)
(全然、大丈夫だ)

 脇を通りすぎようとしたところで、グレンに肩を掴まれた。
「……離して」
「ちょっとは他人の話も聞け」
「あたしは帰らないからね」
 言ってから、シェーラは自分が小さい子供がだだをこねているようだ、と思った。会話が噛み合わないのは、やっぱり自分の幼さのせいなのだと、心の何処かが少し痛む。

 グレンは肩を掴んだまま言った。
「無理はしてもいいが、無茶はするな」
「無理もしてないし、無茶もしてない」
「してるだろ」
 だいたい……、とグレンはむっつりとした顔になった。

「お前は早とちりすぎる。俺がいつ“一緒に行かない”なんて言った?……んなこと俺は言ってないだろうが」

「……え?」
 シェーラは目を丸くした。彼の言葉に対する理解が追いつかず、間抜けな顔をさらしてしまう。
 そんなワニノコの様子に、グレンは再度大きなため息をつく。
 そして、大声で怒鳴った。

「……お前は俺をなんだと思ってるッ!」

 グレンの本気の怒りが空気を震わせた。
 呆気にとられて何も言えないシェーラの肩から手を離し、彼は長々と言う。

「いいか。俺は探検隊員。お前は依頼主だ。お前が頂上まで連れていけ、と言ったんだ。依頼主の頼みは、誠意をもって叶えるのが探検隊員だろう。俺はお前の頼みを引き受けたんだ。途中で投げ出すわけがない。……わかったか?」

 睨み殺されてしまいそうなほど鋭い眼光に、シェーラはうなずくしかない。
「う……うん」

「なら、一匹で頂上に行くとか訳の分からんことをほざくな。くそチビは、黙って俺の後ろについてこい」

 シェーラはしばらく呆然として立ち尽くしていたが、やがて、こくりと小さく頷いた。
 グレンの言葉を心強く思ったことが、はっきりと彼女の表情に表れていた。グレンは満足げに鼻をならし、険しい表情をかすかに緩めた。

「まあ……だが、お前の根性にはつくづく驚かされるな」
「ごめん」
「どうして謝る?お前のしつこさを、俺は、美点だと思うぞ」
 グレンは真面目な顔でさらりと言いのけた。
 そんなことはない、と否定しようとしたが、できなかった。認められたことに対して生まれた誇らしさは無視できない程大きなものだったからだ。しかし、嬉しくてほころんだ顔を見られるのもしゃくなので、少しうつむきがちに礼を言う。
「ありがとう……ございます」

 それから、グレンは何も文句を言わず、シェーラの歩調にあわせて、とてもゆっくり歩いてくれた。
 帰れ、と彼は言わなかった。足手まといだ、とも言わなかった。

 ただ、黙って先を行き、敵を倒し、行き先を照らす。
 それだけだった。

ハシドイ ( 2013/06/29(土) 07:30 )