第二章 オレタツバサ
12.二匹の記憶


 シェーラがニンゲンだったこと。
 グレンとよく似た声をしたヒトカゲのこと。
 持っていた大切な何かを奪われそうだったこと。
 そして、気がつくと海岸でワニノコになっていたこと。
 それら全てを話し終えると、グレンは額に手をあてて唸った。
「……なにか思い出したこと、ある?」
「いや、何も」
 グレンはあっさり手を横にふった。ほっとしたシェーラは深い安堵のため息をもらす。
「…そもそもお前の言っていることにも覚えがない。そのヒトカゲは、本当に俺か?」
 シェーラは確信をもってうなずくことができた。
「それは間違いないよ」
「そうか…」
 しかし、何かが引っかかっているのだろう。グレンは訝しがる表情になって、腕を組んだ。
「今ので気になった点があるんだが」
「どこらへんが?」
「そうだな。……ひとつ聞くが。お前は海岸に倒れていたとき、何をどこまで覚えていた?」
 シェーラはさらに訝しく思ったが、きちんと答えた。
「何も……。自分の名前も、どこからきたのかも覚えてなかった。自分がニンゲンだった、っていう意識だけあった」
 そうか、とうなずき、グレンも自分のことを話した。
「俺は、四年前にある火山で倒れていたんだが、自分の名前以外、何も覚えていなかった。しかし、記憶がないにも関わらず、ポケモンの種族名は言えた。お前はどうだ?」
 シェーラは息を呑んだ。

 そうだ。
 思い返してみれば、初めて会った瞬間から、トトがトゲピーだと頭が瞬時に理解していた。

「……あたしも、そうだ」
「つまり、俺もお前もポケモンのいた世界からやってきたわけだな」
「な、なるほど…」
 グレンはさらに言葉を続ける。
「あとは、ニンゲンについて、だな。お前が疑問に思っていないあたり、おそらく俺とお前の間に、認識の食い違いがある」
 無言のまま目で問う。グレンはもったいぶらずに言い放った。

「ニンゲンは、普通、ポケモンと言葉をかわすことはできない」

 目を見張るシェーラに、「あくまで伝説上の話だが」とグレンが付け足した。シェーラはますます驚きをつのらせる。
「伝説上って…ニンゲンは存在しないの?」
「いるわけないだろ」
 グレンが当然のように言い捨てる。どうやら常識のようだ。

(…今までどうして誰も言ってくれなかったんだろう)
 考えてみれば、シェーラがニンゲンだったと知っているのは、トトと親方さんとユキメノコさんだけだ。そのメンバーを思い浮かべて、シェーラはちょっと納得した。
(たしかに、この三匹は言ってくれないかも)
 ユキメノコさんは、必要外のことは言わなさそうだし、トトと親方さんは…いろんな意味で常識を超えているポケモンだ。

 シェーラは難しい顔つきになった。
「じゃあ、あたしがニンゲンだったってことは……この世界とは違う世界からきたってこと、かもしれないのね」
「そう言うと、途方もない話に聞こえるな」
「他人事みたいに言わないで。あんたもニンゲンが存在する世界にいたってことなんだから」
「それはそうだが。……ニンゲンとポケモンが話していた理由はまだ不明だぞ」
「うーん。…あ!」
 シェーラはひとつ閃いたので、顔を明るくさせた。
「あんたが特異なヒトカゲだったとか?」
「あるいは、お前が特殊なニンゲンだったか、だ」
 シェーラが思いつくことなどわかっている、と言わんばかりだった。
「……な、なるほど」
 グレンは軽くうなずき、言った。
「俺が気になった点はこれくらいだな」

 ほんの短い記憶の中から、グレンは多くの情報をすくいだしてくれた。それも、シェーラ自身が気づくことのできなかったことばかりだ。
 牙を噛み合わせ、口を閉ざした。リンゴ三つ分の距離を隔てて隣に座るリザードが、並々ではないことをまた痛感させられていた。
(あんたは…本当に、すごいね)
 心の中に、その言葉はおさめておく。

「よし」グレンが立ち上がった。「そろそろ、先に進むか?」

「うん」
 夜明けはまだ先のようだが、体力は回復していた。
 シェーラも身軽な動作で立ち上がる。尻尾をふり、腕を回し、最後に大きくのびをした。

 バッグを背負って歩き始めたグレン。その背中に、シェーラは「ねえ」と、思わず声をかけていた。
 グレンが足を止めて、顔だけ振り返った。シェーラは視線をさけるように、ちょっとうつむいた。

「あ、あんたに話してよかった。…その、記憶のこと」

「お互い様だろ」
 グレンはにこりともせずに言った。そこに愛想はなかったが、口調は優しかった。
「また何か、思い出したら話してくれ。俺も気づいたことがあれば、言う」
「うん」

 四年前、とさっきグレンはさりげなく言葉をもらしていた。
 四年前にグレンはこの世界にやってきたのだ。そして、いまだに記憶が戻っていない。

 シェーラには想像することしかできないが、四年間ずっと、自分の過去がわからないまま時を過ごしてきた彼は、いろいろな悩みや辛さに直面してきたに違いない。
「記憶、取り戻したいよね」
 取り戻したいのは、ただ単に好奇心がうずくからではないのだ。

「記憶がないと、いつか、あたしがあたしじゃなくなるような…そんな気がするの」

 ああ、同感だ、とグレンが呟き、ダンジョンの奥地へ足を踏み入れた。シェーラもその揺らめく尻尾の炎の後についていった。


 †カトラ雲山・山頂への道 奥地 2F†

 奥地は、これまでの道と格段変わったところはなかった。あえて違う点をあげるなら、壁の凹凸がさらに険しいものとなり、気温が少し下がったことだろうか。ポケモンは先ほど見かけた種族ばかりだ。
 グレンは進む速度をあげることもさげることもなく、ひたすらさくさくと進んでいた。

 今、その足取りが急に止まった。

「おっと…まずいな」

 通路から、ちょうど部屋に足を踏み入れた時だった。背の小さいシェーラは、グレンの背中に遮られているせいで、何がまずいのかわからない。すぐ反応できるように身構えていると、切羽詰まった声が鋭く響いた。

「一歩下がれ!…モンスターハウスだ!」
「わ、わかった!」

 言い終わるか言い終わらないかのうちに、シェーラはすでに一歩どころか三、四歩後ろに待避していた。

 グレンは何者かの攻撃を避けて飛び下がり、爪にぐぐぐ…と力をこめていた。
「きりさく!」
 誰かの苦悶の声が、ダンジョンに響く。グレンの尻尾の炎がまぶしい程に光を放ち、大きく燃え上がった。

 †

 通路に下がったグレンの目の前に、意気揚々と敵が現れた。対峙したのは一体のキノガッサ。目にもとまらぬ早さで懐に飛び込んでくる。“マッハパンチ”だ。
 熱くたぎる頭を冷やし、あえてグレンはその攻撃を肩でうけとめた。一瞬生まれる敵の隙。それをついて、グレンはその細い首もとを掴みとった。
 苦しげな顔から胞子がまき散らされる前に、グレンは拳で相手の横っ面を殴りとばす。一撃で戦闘不能にした。

 次に優雅に現れたのはロゼリア。その色鮮やかな赤と青の花が、グレンの灯火で照らされる。早々に片づけようとしたところで、殺気を感じ、グレンは狭い通路の後方へ転がった。直後、上空から不可視の空気の刃がはなたれ、一瞬前までリザードがいた地面が穿たれていた。
 仰ぎ見ると、ゴルバットがけたけたと笑っている。
(使うか……?あの技を)
 一瞬、そんな考えが脳裏をよぎったが、背後のワニノコの存在を思い出し、即座にそれを打ち消した。
 ロゼリアが青い花をつきだした。花びらの間から、毒に濡れた細い針が打ち出される。

 避けたら、“どくばり”がシェーラにあたる。

 そう思ったグレンは、逡巡せずにバッグから特大サイズの“銀のハリ”を取り出した。そして、片足を深く踏み込み、流れるような動作で、銀のハリを真一文字にふるっていた。銀色の一閃が、音を立てて、毒針をはじきとばす。
「サイズ、大きすぎじゃありません…?」
 呆然とつぶやくロゼリア。グレンは「ふんっ」とどこか得意げに笑う。
 その銀色のハリは、グレンの腕くらいの長さがあった。普通サイズのだいたい2倍の大きさである。グレンは拾ったハリを選別し、とても長く、強度もしっかりしている“銀のハリ”をバッグにいれていたのだ。
「…調子にのるなッ!」
 つばさに風をまとって、ゴルバットが飛び込んできた。
「ごもっともですッ!」
 好機、とみたのか、同時にロゼリアもマジカルリーフを闇に浮かび上がらせる。
 グレンの瞳が爛々と輝く。尻尾の炎を激しく燃え上がり、共鳴の声をあげるように、牙から強い熱量がふきあがった。さらに、片手に持った銀のハリを尻尾の炎につっこみ、焼きをいれる。
 グレンは高く跳躍し、襲いかかってくるゴルバットを回避。同時に、空中で尻尾の炎を瞬間的に大きくし、追跡してくるマジカルリーフを焼き払った。
 グレンは、どん!と音をたてて着地した。そして、素早い動作で、背後に抜けていこうとしたゴルバットの足をひっつかんでいた。

「悪いな、ちょっとばかり熱いぜ?」

 恐怖に顔を歪めるロゼリアとゴルバット。グレンは問答無用で、それぞれに、熱した銀のハリと炎のキバをお見舞いした。


(……う…わ)
 バトルを眺めながら、シェーラは慄然としていた。全身の血が沸騰するような彼の苛烈な戦い方に、むしろ寒気すら覚えた。
 斜め後ろから、照らされた彼の顔がかいま見える。まるで、いたずらを考えている最中の子供のような表情だ。心底バトルを楽しんでいるらしい。
 敵の攻撃をかわすためか、グレンはよく後ろに下がる。しかし、明らかに身をひねれば避けれるような攻撃を、受け止めていることも多々あった。

(あたしを、かばってるんだ…)

 シェーラはぎゅっと手のひらを握った。何もできない自らの弱さが辛かった。
 またもやグレンがシェーラの方に飛びすさった。シェーラも距離をとるために、後ろへ歩を進める。
 その時、とすっ、と音がして、彼女の背中が何かにぶつかった。
「……?」
 嫌な予感しかしない。
 おそるおそる首を後ろへめぐらせる。

「……っ!!」

 シェーラは息を呑んだ。
 彼女の背後に、巨大なポケモンがのっそりと立っていた。

 トロピウスだ。

 そいつは長い首を妙にのろのろとした動作でシェーラの方に近づけていった。シェーラは恐怖に硬直した。
 しかし、トロピウスは小さなシェーラの存在に気がついてはいなかった。彼女の真上をあっけなくこえ、さらに首を伸ばしていく。
 トロピウスのねらいが、グレンにあると察した時、シェーラは恐怖を忘れ、硬直から解き放たれた。
(いけないっ……!)
 グレンは背後から迫る危険に気がついていない。かといって、今声をかけて、彼の集中を途切れさせたら、正面からまともに攻撃をくらってしまうかもしれない。
(そう、あたしが……)
(あたしが、何とかするんだ…!)
 シェーラは腹にエネルギーをため込み、無茶苦茶に狙いをさだめた。
(なんでもいい。…なんでもいいから)
(とにかく、でかヅノから、離れろッ!)

 シェーラは“みずでっぽう”を必死の思いで繰り出した。

 空中を飛ぶ水の塊。
 トロピウスの顔の下にそれが直撃した。つまり、あごにぶらさがっているきのみにぶちあたったのだ。
 きのみは、技をくらった衝撃に耐えきれず、ひゅーっという妙に間の抜けた音をたてて、落下する。
 その時、トロピウスは首を長くのばしていて、真下には――
 ――なんと、戦うグレンがいた。

 ――結果。

 熟れたきのみが勢いよく落下し、ぐしゃっ、という音をたてて、グレンの頭の上できたなく潰れた。甘い匂いがふわりと周囲に広がった。

「……?」
「……?」
「……?」

 敵も味方も関係なく、誰もが固まった。

 ねばるような甘い果汁が、ゆっくりと、グレンの額、頬、あごをつたい、地面に吸い込まれていく。

「…………ッ」

 ぶちっ、と怒りでグレンの血管が切れる音が、聞こえたような気がした。

 戦闘という至福の時を邪魔されたグレンは完全に怒り狂った。彼は、恐ろしい形相で真上のトロピウスを見上げ――トロピウスは言い逃れをするかわりに、首をぶんぶんと横にふった――続いて、シェーラのことを見た。
「………てめえか?」

 不機嫌度MAXの低い声。
 敵ポケモンは、固唾をのんで、成り行きを見守っている。

「…えーっと…」
 シェーラは言葉に詰まる。あなたを助けようとした、などとは、口が裂けても言えなかった。
 潰れたきのみを頭にのせたグレンは、この出来事の犯人がシェーラだと察したらしい。彼はすうっ…と大きく息を吸い込み、

「くそチビはッ!引っ込んでろッ!!」

 本日最大級の怒声を、ダンジョンに大きく響きわたらせた。

 †カトラ雲山・山頂への道 奥地 6F†

「……」
「……」

 2Fで彼が怒鳴ってから、ひたすら無言が続いていた。

 最初こそ、シェーラはぷんすかと怒っていた。
 悪いことをした、とはもちろん思っていた。だが、悪気があったわけではないし、本当にグレンを助けたかっただけなのだ。
 それを、『引っ込んでろ』などという言葉で怒鳴るとは、あまりにもひどいじゃないか。
 そんな風に、思っていた。

 けれど、階が進み、黙々と歩を進めるうちに、自分の揺るぎない思いに段々と亀裂がはしっていった。

 グレンが身を削るような戦い方をしていたのは、一体誰のせいか?何故そんなことをしなければならなかったか?

 シェーラがいたからだ。シェーラをかばうためだ。

 シェーラが、弱いからだ。

 あなたを助けたかった。だからあれは仕方ない。怒るなんてひどい。
 そんな言葉はただの傲慢だ。自分の弱さから目を背けて、適当な言い訳をつけているだけにすぎない。
 もっと自分が強ければ。そうだったなら、グレンが気がつく前にトロピウスを倒せたのに。彼の背中を守ってあげられたのに。

(あたしは…弱い)

 シェーラは謝ろうとした。

 けれど、一定の調子でずんずん歩を進めるグレンの背中は、いまだに怒っているように見えたし、こんな頑固な奴に、謝ってやるもんかばーか、という気持ちもまだぬぐい去れなかったために、ついに口を開くことはできなかった。

 仕方がないので、シェーラは、怒ったように歩くグレンに、心の中で声をかける。

(…でかヅノの短気)

 いつの間にか、シェーラの歩調はとぼとぼとした、どこか寂しげなものになっていた。

(…でかヅノの馬鹿)

 記憶がないもの同士、いろいろ気があってもいいはずなのに。なんだか、全然うまくいかない。

 どうして?
 誰のせい?

 グレンのせい?

 ……違うよね。きっと。
 こうして、謝れない馬鹿な自分がいるからだよね。

(……シェーラの、いじっぱり)


 †カトラ雲山・山頂への道 奥地 8F†

「……」
「……」

 2Fで彼女に向かって怒鳴ってから、延々と無言が続いていた。

 眠る敵ポケモンが横を通るたびに、グレンは、敵が目を覚まして襲いかかってくることを期待した。
 この鬱屈とした気分を打破するには、戦闘するしかないだろう。しかし、こういう時にかぎって、ダンジョンのポケモン達はのんきに眠りこけているのだった。

(くそっ。気まずい)

 グレンは先を進みながら顔をしかめた。
 今、後ろでシェーラがどんな表情をしているのかさっぱりわからなかった。振り返れば見えるのだが、それができないので、ひたすらグレンは歩を進めた。

(言い過ぎた……かもしれない)

 グレンは周囲の警戒を怠らない程度に、先ほどのことを思い出した。
 冷静になって考えてみれば、あのトロピウスは背後からグレンに攻撃をしようとしていた、とわかる。
 ということは、もしかすると……結果は散々なものだったが、シェーラは、自分を助けようとしたのではないか?
 チビで、レベルも低くて、何にも知らないくせに。

(……)

 そういえば、とグレンは思い出す。たしか、奥地のこの8Fに、おたずねものがいたような気がする。
 シェーラに伝えようかどうか少し迷い、やめた。どうせ自分がそばについているのだ。倒してから教えてやるのでも、全く問題はないはず。

 こいつはお尋ね者なんだぜ、という言葉が、会話のきっかけとなってくれるだろう。

 少しやる気のあがったグレンは、熱心に辺りを見渡しながらさらに歩を進める。
(お尋ね者は…たしか、ノクタスだったかな)

 ――足下から、乾いた音が響いたのは、その時だった。


 カチリ。


 足の裏が、土とは違う、金属特有の冷たさをとらえていた。視線を下に落とすと、土で薄く覆い隠された四角い罠に、自分の片足が乗っけられていた。

「………ッ!」

 はっと気がついた時には、もうすでに遅かった。
 振り返ると、シェーラが目を大きく見開いて、こちらを見つめていた。

「でかヅ――」

 途中で彼女の声が途切れた。

 ワープスイッチの光がグレンを包み込み、同じ階のどこかへ強制的に移動させていた。一瞬の出来事だった。



ハシドイ ( 2013/06/23(日) 18:24 )