12.二匹の記憶
シェーラがニンゲンだったこと。
グレンとよく似た声をしたヒトカゲのこと。
持っていた大切な何かを奪われそうだったこと。
そして、気がつくと海岸でワニノコになっていたこと。
それら全てを話し終えると、グレンは額に手をあてて唸った。
「……なにか思い出したこと、ある?」
「いや、何も」
グレンはあっさり手を横にふった。ほっとしたシェーラは深い安堵のため息をもらす。
「…そもそもお前の言っていることにも覚えがない。そのヒトカゲは、本当に俺か?」
シェーラは確信をもってうなずくことができた。
「それは間違いないよ」
「そうか…」
しかし、何かが引っかかっているのだろう。グレンは訝しがる表情になって、腕を組んだ。
「今ので気になった点があるんだが」
「どこらへんが?」
「そうだな。……ひとつ聞くが。お前は海岸に倒れていたとき、何をどこまで覚えていた?」
シェーラはさらに訝しく思ったが、きちんと答えた。
「何も……。自分の名前も、どこからきたのかも覚えてなかった。自分がニンゲンだった、っていう意識だけあった」
そうか、とうなずき、グレンも自分のことを話した。
「俺は、四年前にある火山で倒れていたんだが、自分の名前以外、何も覚えていなかった。しかし、記憶がないにも関わらず、ポケモンの種族名は言えた。お前はどうだ?」
シェーラは息を呑んだ。
そうだ。
思い返してみれば、初めて会った瞬間から、トトがトゲピーだと頭が瞬時に理解していた。
「……あたしも、そうだ」
「つまり、俺もお前もポケモンのいた世界からやってきたわけだな」
「な、なるほど…」
グレンはさらに言葉を続ける。
「あとは、ニンゲンについて、だな。お前が疑問に思っていないあたり、おそらく俺とお前の間に、認識の食い違いがある」
無言のまま目で問う。グレンはもったいぶらずに言い放った。
「ニンゲンは、普通、ポケモンと言葉をかわすことはできない」
目を見張るシェーラに、「あくまで伝説上の話だが」とグレンが付け足した。シェーラはますます驚きをつのらせる。
「伝説上って…ニンゲンは存在しないの?」
「いるわけないだろ」
グレンが当然のように言い捨てる。どうやら常識のようだ。
(…今までどうして誰も言ってくれなかったんだろう)
考えてみれば、シェーラがニンゲンだったと知っているのは、トトと親方さんとユキメノコさんだけだ。そのメンバーを思い浮かべて、シェーラはちょっと納得した。
(たしかに、この三匹は言ってくれないかも)
ユキメノコさんは、必要外のことは言わなさそうだし、トトと親方さんは…いろんな意味で常識を超えているポケモンだ。
シェーラは難しい顔つきになった。
「じゃあ、あたしがニンゲンだったってことは……この世界とは違う世界からきたってこと、かもしれないのね」
「そう言うと、途方もない話に聞こえるな」
「他人事みたいに言わないで。あんたもニンゲンが存在する世界にいたってことなんだから」
「それはそうだが。……ニンゲンとポケモンが話していた理由はまだ不明だぞ」
「うーん。…あ!」
シェーラはひとつ閃いたので、顔を明るくさせた。
「あんたが特異なヒトカゲだったとか?」
「あるいは、お前が特殊なニンゲンだったか、だ」
シェーラが思いつくことなどわかっている、と言わんばかりだった。
「……な、なるほど」
グレンは軽くうなずき、言った。
「俺が気になった点はこれくらいだな」
ほんの短い記憶の中から、グレンは多くの情報をすくいだしてくれた。それも、シェーラ自身が気づくことのできなかったことばかりだ。
牙を噛み合わせ、口を閉ざした。リンゴ三つ分の距離を隔てて隣に座るリザードが、並々ではないことをまた痛感させられていた。
(あんたは…本当に、すごいね)
心の中に、その言葉はおさめておく。
「よし」グレンが立ち上がった。「そろそろ、先に進むか?」
「うん」
夜明けはまだ先のようだが、体力は回復していた。
シェーラも身軽な動作で立ち上がる。尻尾をふり、腕を回し、最後に大きくのびをした。
バッグを背負って歩き始めたグレン。その背中に、シェーラは「ねえ」と、思わず声をかけていた。
グレンが足を止めて、顔だけ振り返った。シェーラは視線をさけるように、ちょっとうつむいた。
「あ、あんたに話してよかった。…その、記憶のこと」
「お互い様だろ」
グレンはにこりともせずに言った。そこに愛想はなかったが、口調は優しかった。
「また何か、思い出したら話してくれ。俺も気づいたことがあれば、言う」
「うん」
四年前、とさっきグレンはさりげなく言葉をもらしていた。
四年前にグレンはこの世界にやってきたのだ。そして、いまだに記憶が戻っていない。
シェーラには想像することしかできないが、四年間ずっと、自分の過去がわからないまま時を過ごしてきた彼は、いろいろな悩みや辛さに直面してきたに違いない。
「記憶、取り戻したいよね」
取り戻したいのは、ただ単に好奇心がうずくからではないのだ。
「記憶がないと、いつか、あたしがあたしじゃなくなるような…そんな気がするの」
ああ、同感だ、とグレンが呟き、ダンジョンの奥地へ足を踏み入れた。シェーラもその揺らめく尻尾の炎の後についていった。
†カトラ雲山・山頂への道 奥地 2F†
奥地は、これまでの道と格段変わったところはなかった。あえて違う点をあげるなら、壁の凹凸がさらに険しいものとなり、気温が少し下がったことだろうか。ポケモンは先ほど見かけた種族ばかりだ。
グレンは進む速度をあげることもさげることもなく、ひたすらさくさくと進んでいた。
今、その足取りが急に止まった。
「おっと…まずいな」
通路から、ちょうど部屋に足を踏み入れた時だった。背の小さいシェーラは、グレンの背中に遮られているせいで、何がまずいのかわからない。すぐ反応できるように身構えていると、切羽詰まった声が鋭く響いた。
「一歩下がれ!…モンスターハウスだ!」
「わ、わかった!」
言い終わるか言い終わらないかのうちに、シェーラはすでに一歩どころか三、四歩後ろに待避していた。
グレンは何者かの攻撃を避けて飛び下がり、爪にぐぐぐ…と力をこめていた。
「きりさく!」
誰かの苦悶の声が、ダンジョンに響く。グレンの尻尾の炎がまぶしい程に光を放ち、大きく燃え上がった。
†
通路に下がったグレンの目の前に、意気揚々と敵が現れた。対峙したのは一体のキノガッサ。目にもとまらぬ早さで懐に飛び込んでくる。“マッハパンチ”だ。
熱くたぎる頭を冷やし、あえてグレンはその攻撃を肩でうけとめた。一瞬生まれる敵の隙。それをついて、グレンはその細い首もとを掴みとった。
苦しげな顔から胞子がまき散らされる前に、グレンは拳で相手の横っ面を殴りとばす。一撃で戦闘不能にした。
次に優雅に現れたのはロゼリア。その色鮮やかな赤と青の花が、グレンの灯火で照らされる。早々に片づけようとしたところで、殺気を感じ、グレンは狭い通路の後方へ転がった。直後、上空から不可視の空気の刃がはなたれ、一瞬前までリザードがいた地面が穿たれていた。
仰ぎ見ると、ゴルバットがけたけたと笑っている。
(使うか……?あの技を)
一瞬、そんな考えが脳裏をよぎったが、背後のワニノコの存在を思い出し、即座にそれを打ち消した。
ロゼリアが青い花をつきだした。花びらの間から、毒に濡れた細い針が打ち出される。
避けたら、“どくばり”がシェーラにあたる。
そう思ったグレンは、逡巡せずにバッグから特大サイズの“銀のハリ”を取り出した。そして、片足を深く踏み込み、流れるような動作で、銀のハリを真一文字にふるっていた。銀色の一閃が、音を立てて、毒針をはじきとばす。
「サイズ、大きすぎじゃありません…?」
呆然とつぶやくロゼリア。グレンは「ふんっ」とどこか得意げに笑う。
その銀色のハリは、グレンの腕くらいの長さがあった。普通サイズのだいたい2倍の大きさである。グレンは拾ったハリを選別し、とても長く、強度もしっかりしている“銀のハリ”をバッグにいれていたのだ。
「…調子にのるなッ!」
つばさに風をまとって、ゴルバットが飛び込んできた。
「ごもっともですッ!」
好機、とみたのか、同時にロゼリアもマジカルリーフを闇に浮かび上がらせる。
グレンの瞳が爛々と輝く。尻尾の炎を激しく燃え上がり、共鳴の声をあげるように、牙から強い熱量がふきあがった。さらに、片手に持った銀のハリを尻尾の炎につっこみ、焼きをいれる。
グレンは高く跳躍し、襲いかかってくるゴルバットを回避。同時に、空中で尻尾の炎を瞬間的に大きくし、追跡してくるマジカルリーフを焼き払った。
グレンは、どん!と音をたてて着地した。そして、素早い動作で、背後に抜けていこうとしたゴルバットの足をひっつかんでいた。
「悪いな、ちょっとばかり熱いぜ?」
恐怖に顔を歪めるロゼリアとゴルバット。グレンは問答無用で、それぞれに、熱した銀のハリと炎のキバをお見舞いした。
(……う…わ)
バトルを眺めながら、シェーラは慄然としていた。全身の血が沸騰するような彼の苛烈な戦い方に、むしろ寒気すら覚えた。
斜め後ろから、照らされた彼の顔がかいま見える。まるで、いたずらを考えている最中の子供のような表情だ。心底バトルを楽しんでいるらしい。
敵の攻撃をかわすためか、グレンはよく後ろに下がる。しかし、明らかに身をひねれば避けれるような攻撃を、受け止めていることも多々あった。
(あたしを、かばってるんだ…)
シェーラはぎゅっと手のひらを握った。何もできない自らの弱さが辛かった。
またもやグレンがシェーラの方に飛びすさった。シェーラも距離をとるために、後ろへ歩を進める。
その時、とすっ、と音がして、彼女の背中が何かにぶつかった。
「……?」
嫌な予感しかしない。
おそるおそる首を後ろへめぐらせる。
「……っ!!」
シェーラは息を呑んだ。
彼女の背後に、巨大なポケモンがのっそりと立っていた。
トロピウスだ。
そいつは長い首を妙にのろのろとした動作でシェーラの方に近づけていった。シェーラは恐怖に硬直した。
しかし、トロピウスは小さなシェーラの存在に気がついてはいなかった。彼女の真上をあっけなくこえ、さらに首を伸ばしていく。
トロピウスのねらいが、グレンにあると察した時、シェーラは恐怖を忘れ、硬直から解き放たれた。
(いけないっ……!)
グレンは背後から迫る危険に気がついていない。かといって、今声をかけて、彼の集中を途切れさせたら、正面からまともに攻撃をくらってしまうかもしれない。
(そう、あたしが……)
(あたしが、何とかするんだ…!)
シェーラは腹にエネルギーをため込み、無茶苦茶に狙いをさだめた。
(なんでもいい。…なんでもいいから)
(とにかく、でかヅノから、離れろッ!)
シェーラは“みずでっぽう”を必死の思いで繰り出した。
空中を飛ぶ水の塊。
トロピウスの顔の下にそれが直撃した。つまり、あごにぶらさがっているきのみにぶちあたったのだ。
きのみは、技をくらった衝撃に耐えきれず、ひゅーっという妙に間の抜けた音をたてて、落下する。
その時、トロピウスは首を長くのばしていて、真下には――
――なんと、戦うグレンがいた。
――結果。
熟れたきのみが勢いよく落下し、ぐしゃっ、という音をたてて、グレンの頭の上できたなく潰れた。甘い匂いがふわりと周囲に広がった。
「……?」
「……?」
「……?」
敵も味方も関係なく、誰もが固まった。
ねばるような甘い果汁が、ゆっくりと、グレンの額、頬、あごをつたい、地面に吸い込まれていく。
「…………ッ」
ぶちっ、と怒りでグレンの血管が切れる音が、聞こえたような気がした。
戦闘という至福の時を邪魔されたグレンは完全に怒り狂った。彼は、恐ろしい形相で真上のトロピウスを見上げ――トロピウスは言い逃れをするかわりに、首をぶんぶんと横にふった――続いて、シェーラのことを見た。
「………てめえか?」
不機嫌度MAXの低い声。
敵ポケモンは、固唾をのんで、成り行きを見守っている。
「…えーっと…」
シェーラは言葉に詰まる。あなたを助けようとした、などとは、口が裂けても言えなかった。
潰れたきのみを頭にのせたグレンは、この出来事の犯人がシェーラだと察したらしい。彼はすうっ…と大きく息を吸い込み、
「くそチビはッ!引っ込んでろッ!!」
本日最大級の怒声を、ダンジョンに大きく響きわたらせた。
†カトラ雲山・山頂への道 奥地 6F†
「……」
「……」
2Fで彼が怒鳴ってから、ひたすら無言が続いていた。
最初こそ、シェーラはぷんすかと怒っていた。
悪いことをした、とはもちろん思っていた。だが、悪気があったわけではないし、本当にグレンを助けたかっただけなのだ。
それを、『引っ込んでろ』などという言葉で怒鳴るとは、あまりにもひどいじゃないか。
そんな風に、思っていた。
けれど、階が進み、黙々と歩を進めるうちに、自分の揺るぎない思いに段々と亀裂がはしっていった。
グレンが身を削るような戦い方をしていたのは、一体誰のせいか?何故そんなことをしなければならなかったか?
シェーラがいたからだ。シェーラをかばうためだ。
シェーラが、弱いからだ。
あなたを助けたかった。だからあれは仕方ない。怒るなんてひどい。
そんな言葉はただの傲慢だ。自分の弱さから目を背けて、適当な言い訳をつけているだけにすぎない。
もっと自分が強ければ。そうだったなら、グレンが気がつく前にトロピウスを倒せたのに。彼の背中を守ってあげられたのに。
(あたしは…弱い)
シェーラは謝ろうとした。
けれど、一定の調子でずんずん歩を進めるグレンの背中は、いまだに怒っているように見えたし、こんな頑固な奴に、謝ってやるもんかばーか、という気持ちもまだぬぐい去れなかったために、ついに口を開くことはできなかった。
仕方がないので、シェーラは、怒ったように歩くグレンに、心の中で声をかける。
(…でかヅノの短気)
いつの間にか、シェーラの歩調はとぼとぼとした、どこか寂しげなものになっていた。
(…でかヅノの馬鹿)
記憶がないもの同士、いろいろ気があってもいいはずなのに。なんだか、全然うまくいかない。
どうして?
誰のせい?
グレンのせい?
……違うよね。きっと。
こうして、謝れない馬鹿な自分がいるからだよね。
(……シェーラの、いじっぱり)
†カトラ雲山・山頂への道 奥地 8F†
「……」
「……」
2Fで彼女に向かって怒鳴ってから、延々と無言が続いていた。
眠る敵ポケモンが横を通るたびに、グレンは、敵が目を覚まして襲いかかってくることを期待した。
この鬱屈とした気分を打破するには、戦闘するしかないだろう。しかし、こういう時にかぎって、ダンジョンのポケモン達はのんきに眠りこけているのだった。
(くそっ。気まずい)
グレンは先を進みながら顔をしかめた。
今、後ろでシェーラがどんな表情をしているのかさっぱりわからなかった。振り返れば見えるのだが、それができないので、ひたすらグレンは歩を進めた。
(言い過ぎた……かもしれない)
グレンは周囲の警戒を怠らない程度に、先ほどのことを思い出した。
冷静になって考えてみれば、あのトロピウスは背後からグレンに攻撃をしようとしていた、とわかる。
ということは、もしかすると……結果は散々なものだったが、シェーラは、自分を助けようとしたのではないか?
チビで、レベルも低くて、何にも知らないくせに。
(……)
そういえば、とグレンは思い出す。たしか、奥地のこの8Fに、おたずねものがいたような気がする。
シェーラに伝えようかどうか少し迷い、やめた。どうせ自分がそばについているのだ。倒してから教えてやるのでも、全く問題はないはず。
こいつはお尋ね者なんだぜ、という言葉が、会話のきっかけとなってくれるだろう。
少しやる気のあがったグレンは、熱心に辺りを見渡しながらさらに歩を進める。
(お尋ね者は…たしか、ノクタスだったかな)
――足下から、乾いた音が響いたのは、その時だった。
カチリ。
足の裏が、土とは違う、金属特有の冷たさをとらえていた。視線を下に落とすと、土で薄く覆い隠された四角い罠に、自分の片足が乗っけられていた。
「………ッ!」
はっと気がついた時には、もうすでに遅かった。
振り返ると、シェーラが目を大きく見開いて、こちらを見つめていた。
「でかヅ――」
途中で彼女の声が途切れた。
ワープスイッチの光がグレンを包み込み、同じ階のどこかへ強制的に移動させていた。一瞬の出来事だった。