09.折れた翼
†カトラ雲山・ふもと†
【カトラ雲山・ふもと】のダンジョン内は洞窟だったが、そのわりに明るかった。障害物も少なく、歩きやすい。ただ、ひとフロアがむやみに広く、階段を捜し当てるのにかなり苦労するのが難点だった。
「みずでっぽう!」
シェーラは向かってくるスボミーを水流ではじきかえした。スボミーはあっと言う間に逃げていく。背中の方では、ハヤテが“なきごえ”をくりだし、トトが木の枝を投げてハネッコと応戦している。
ハヤテが“つつく”を繰り出すと、ハネッコもすぐに逃げてしまった。
「ハヤテ、やるじゃない」
シェーラが声をかけると、ハヤテは少し照れたようにそっぽを向いた。
「別に…。敵が弱いだけだし」
確かにハヤテの言うとおりだ。このダンジョンは敵が弱い。そもそも怖がらずにシェーラ達の前にとびだしてくるポケモンすらまれだった。
「なんだか草タイプが多いよね」
「ねー」
しゃべる二匹にハヤテが不安げにささやいた。
「気を抜かないでよ」
「ん、まあ…この調子ならあたしの“かみつく”でも楽勝よ。大丈夫」
そこでシェーラは突然「あ!」と声をあげた。踏み入れた部屋に、紫色の玉が落ちている。――と、頭で理解した瞬間、呆気にとられるポッポを尻目に、シェーラは全力でかけだした。同時にトトも疾走している。
「もらったぁー!」
「トトがゲットするぅー!」
シェーラの方が気づくのが早く、優勢だったが、途中からトトがぐるぐると転がって移動し、アイテムの目前でシェーラを追い抜いた。
「トトの勝利ー!」
トトが誇らしげに紫色の“てきしばりだま”をかかげる。対して、シェーラが悔しげにうめいた。
「ああぁー…。転がるのは禁止って言ったのに」
「うふふ。勝利は勝利ですよー?はい、シェーラ♪」
トトがアイテムを差し出す。シェーラは不服そうな表情でそれを受け取り、“てきしばりだま”をバッグにしまった。
「…何してんの」
それらを見ていたハヤテの冷静なつっこみに、トトは無邪気に答えた。
「アイテム争奪戦♪」
「争奪って…アイテムは二匹で共同で使うんだろう?」
シェーラはちょっと恥ずかしげに頭をかいた。
「ま、まあね…。たんにアイテムを早くゲットした方が勝ちなだけなの。あ、ちなみにこれは玉が落ちてた時だけだからね」
無意味な争奪戦の始まりは、ついこの前の探検の時だった。
ぶらぶらと歩いていた敵ポケモンの前に“てきおびえだま”が落ちていたため、それを取られまいとしてトトが飛び出したのが、そもそものきっかけだ。
素早い動きで敵よりも先に玉を取ったトトは「えっへん」と誇らしげになったのである。すると、それを見たシェーラは負けじと、次見つけた玉を素早く取り、「えっへん」と自慢げに胸をそらしたのだった。
こうなると、もうどちらも後にはひけない。玉を先に取られ、自慢げにされる悔しさを知ったからだ。そんなわけで、争奪戦は示し合わせたわけでもないのに今まで続いている。
「なんだそれ…」
「楽しいからいいの♪」
でもあんなすさまじい形相で走る必要はあるのか、とハヤテは思ったが口にはださなかった。かわりに、呆れたようにぼそりとつぶやいた。
「…なんだかシェーラとトトって、探検隊っぽくないよね」
「え?そうかな」
「僕のイメージではもっと、探検隊はかっこいい感じなんだけど」
シェーラとトトは顔を見合わせた。そして、何を思ったか一瞬後には嬉しそうな笑顔になっていた。
「ふっふっふ。それはトト達が、とーっても可憐だってことですねー?」
「いやぁー…照れるますねー。あっはっは」
勝手に勘違いをし、勝手に嬉しそうになる二匹に、ハヤテは半眼になった。
「…そんなことは言ってもいないし、思ってもいない」
「ひどい!」
†カトラ雲山・ふもと 5F†
「とうちゃーーくっ!」
トトが元気に叫びをあげた。敵が予想以上に弱かったので、力がありあまっているのだ。
「ついたね!」
ダンジョンはこの5Fで終わりらしく、敵ポケモンは一匹もいなかった。
5Fは山の内部からつきだした、展望台のような場所だった。周囲の景色を見渡すことができるようだ。
ハヤテは到着したとたんに、何もしゃべらずじっと景色を見つめ始めた。なんとなくシェーラ達もそれにならって眺めてみる。眼下には森が広がり、その向こうにぽつぽつといくつかの町が見えた。ウェストタウンはどれだろう。
(そんなに高い地点じゃないけど、綺麗な眺め)
時刻は昼で、太陽は空の真ん中にあった。日光がさんさんと彼女達にふりそそいでいる。気持ちのいいおだやかな風がゆるりと吹き、シェーラは目を細めた。
「んーんんーんー」
そのとき、何気なくトトが鼻歌をうたいだした。もの悲しい曲調だ。少しそれを聞いてから、シェーラは尋ねた。
「いつもと違う歌?」
トトは歌を止め、首ごと体を横にふった。
「ううん。同じ歌の違うところを歌ってみたの」
「へえ…。その歌、題名とかあるの?」
「うん。“とりかごのうた”って言うの。歌詞もあるよ」
シェーラは興味がわいた。
「どんな歌詞なの?」
「…うーん?」
トトはにっこりと笑って、それ以上何も言おうとしなかった。もしかして言いたくないことなのかもしれない。
シェーラは慌てて話題を変えた。
「それにしても、ここはいい場所よね」
「トトもそう思う!ハヤテさんはー?」
返事がないので、二匹がハヤテの方を見ると、彼はどこか寂しそうな表情で、景色をながめていた。
「…ハヤテ?」「ハヤテさーん?」
シェーラとトトが呼びかけて、ようやくポッポは我に返ったようだ。景色から目をはずし、シェーラ達の方へ向きなおる。
「…あ、ごめん。何か言った?」
「あー…たいしたことじゃないよ。それよりも、大丈夫?何か考え事でもしてたの?」
ハヤテは再びちらりと広がった景色を見た。
「高いところからの景色、久しぶりだな…って」
シェーラは軽くほほえんだ。
「ハヤテの住処も高い場所でしょ」
「それとこれとはちょっと違うよ」
何故かポッポは再びむっつりとした表情になってしまった。シェーラにはわけがわからない。
「…え、でも…」
そこで、突然シェーラの手がぎゅっとつかまれた。振り返ると、トトが無言で手を握り、首を横に振っている。ますますシェーラはわけがわからなくなる。が、とりあえず言葉の続きを言った。
「飛んでいるときには高い場所でしょ?」
致命的なくらい重い沈黙がその場を支配した。
その沈黙の中でシェーラはハヤテの表情がゆっくりと変化するのを見た。己に対する羞恥から、くちばしがわなわなとふるえるような、悲しさ…そして屈辱へ。しかし、最後には、それらの感情を全てを押しのけるように、あきらめきった表情だけがハヤテの顔に残っていた。
ハヤテはぽつりとつぶやいた。沈黙の場に、やけに大きく響く声だった。
「僕は空を飛べないんだ」
シェーラは思わずハヤテの翼を見る。しかし、見た目には折れてもいないし、怪我もしていないように見えた。
(どうして…?)
その疑問を読みとったかのように、ハヤテが言った。
「僕が飛べないのは、翼が悪いわけじゃない。…だから、きっと心の問題なんだと思う」
「心…?」
ハヤテはうつむいた。
「僕は…ちょっと変なんだ。ときどき、僕は夢の中でもうひとりの僕を見る。もうひとりの僕は、翼が折れていて…飛べないんだ。だから、かな。僕は飛べない。…たとえこの翼が折れていなくても、心の中では折れていて、絶対にはばたいてはくれないんだ」
消え入りそうな声だった。シェーラは、自分がどれほど無神経なことを言ったかを、ようやく悟った。
「ハヤテ…」
「気にしないで。僕も気にしてないから。そろそろ帰ろう。報酬を渡さなきゃいけないし。…あ!そうだ。後でギルドの中を見学してもいいかな?」
ハヤテは声の調子を無理矢理変えていた。
シェーラは「もちろん」と答えを返すこと以外、何も言えなかった。
シェーラは、探検隊バッジをとりだした。トトが手を強くにぎってくれている。シェーラはかるくハヤテの体にふれた。
「…任務完了」
言い終えた瞬間、三匹はバッジから放たれた強い光に包まれた。その光が霧散した時には、シェーラ達の姿は影も形もなく消えていた。
実は、その場にまだあと二匹のポケモンが残っていた。シェーラ達の様子を、じっと隠れてながめていたのだ。
「いいの?見逃したけど」
片方のポケモンが尋ねると、もう一方は事務的な口調で答えた。
「奴らが“鍵”を手に入れる時まで余計な手は出すな、との命令だ」
「ふーん。…そういえば、この前ギャラドスに余計な嘘をついたのは、どこの誰だったかしら?」
ま、私にはどうでもいいことだけど、と呟きが続く。
「…あれは、あのワニノコの特殊性を確かめるために仕方なくやったことだ。…報告を急がなければ」
「なら、さっさとすれば?」
「…お前に言われずともわかっている」
「あ、そう」
会話が止み、一匹が“あなぬけのたま”をかかげた。刹那、玉から爆発的な青い光がほとばしり、二匹は光に飲み込まれ、消え失せた。
†鳥ポケモンの村†
探検隊バッジは、三匹をハヤテの村へ送った。
巨木の前で、すでにオオスバメが待っていた。ハヤテを背中にのせていたポケモンだ。
(ハヤテは飛べないから、このオオスバメに乗っていたのね)
「おかえりなさい、ハヤテ。どうだった?」
「やっぱりあそこはいい場所だよ。あ、それと…この後、ギルドの中を見学させてもらうことにしたから。今戻ってきたのは、先に報酬を渡そうと思って」
「わかったわ」
オオスバメはうなずき、シェーラ達の方へ近づいた。
「ハヤテをつれていってくれてありがとうございます。どうぞこの背中に乗ってください」
シェーラとトトは互いの顔を見た。
「どっちが乗っていく?」
「シェーラ、乗る?」
「いいの?」
「いいよー!」
シェーラはおずおずとオオスバメの背中に乗った。「しっかりつかまってくださいね」という声に従うと、オオスバメの翼が羽ばたきだし、シェーラの手の下で筋肉が躍動した。
シェーラは鳥ポケモンに乗るのははじめてだった。
ばさり、と翼が風をはらんだかと思うと、オオスバメは二匹を乗せて空に浮かび上がっていた。あっと言う間に地面が遠くなり、見送るトトとハヤテの姿も小さくなっていった。
「どうですか、高いところは平気ですか?」
「いえ、…あの、…っすごいです」
うまく言葉にあらわせないくらい、シェーラは感動していた。世界が大きく広がるようだった。鳥ポケモンは、いつもこんな景色を見ていたのか、と思うとうらやましかった。しかし、同時にハヤテのことも考えていた。
(ハヤテ…)
翼があるのに飛ぶことができない、ということはどれほど苦しく、どれほど辛いことなのだろう。シェーラは悲しくなった。
オオスバメは、巨木の茂った葉の中を滑空した。そして、ひとつの巣にとまり、シェーラをおろした。オオスバメは少し散らかり気味の巣の中を、くちばしでごそごそ探した。
「あ。ありました」
オオスバメはくちばしでワザマシンをひょいとくわえ、シェーラに渡した。
「引き続き、ハヤテをよろしくお願いしますね」
「はい」
そこで、シェーラは少し興味がわいた。
「ところで、オオスバメさんとハヤテはどんな関係なんですか?」
「ハヤテは私の甥なんです」
そう言うと、オオスバメは落ち着かなげにきょろきょろと辺りを見渡した。どうしたんだろう、とおもってシェーラが見ていると、オオスバメは言った。
「…あの、…少しお願いしてもいいですか?」
「何でしょうか?」
オオスバメは真剣なまなざしだった。
「…あの子に、あなたはきっと空を飛べる、と励まさないでほしいんです」
シェーラはきょとんとした。
「どうして…?」
オオスバメは目をふせて、話し出した。
「あの子は生まれてからずっと飛べず、それでいて、高いところが好きな子でした。他のポケモンが空を飛んでいるのを見ると、あの子はいつも無表情になるのです。一生懸命、悲しいのを隠そうとして」
シェーラは、ハヤテのあきらめきった表情を思い出した。
「ハヤテは賢い子です。自分が空を飛べないことをよくわかっています。…励ましたくなる気持ちもあるかもしれませんが、どうか、無責任に空を飛べるなどと言わないでやってください」
お願いします、と言ってオオスバメは頭をさげた。彼女の悲痛な思いが伝わってくるようだった。
シェーラは「わかりました」と言った。そう言うしかなかった。オオスバメは見るからに安堵して、心からの感謝の言葉を述べた。
(…これでいいの?)
心の中で自分が問いかけてくる。
多分、これでいいのだ。シェーラはあくまで探検隊。ハヤテは依頼主だ。関わりすぎるのもよくないだろう。
そう割り切って、シェーラはオオスバメの背中に乗って下へと降りていった。上っていく時のようには、空を飛ぶことを楽しめなかった。
†ゆうれいやしき†
時刻は夕方になっていた。地面の土から、木々の葉の一枚一枚にいたるまで、オレンジ色の光が照らしている。
「やっぱりこの建物、怖いなぁ…」
ギルドの建物を見ながら、ハヤテがつぶやいた。
「そうかな?」
おどろおどろしい外装にも、もうすっかり慣れたシェーラである。と、そこでトトが横から口をはさんだ。
「ハヤテさんにいいこと教えてあげる!シェーラはね、実はね、怖くてこの建物に入れなかっ…もがもが」
「秘密、それ秘密ッ!」
黒歴史を暴露されかけてシェーラが慌ててトトの口を押さえる。しかし、少しだけ遅かったようだ。
「ふーん。シェーラって怖いの無理なんだ」
ハヤテがにやりとした。
「いいいい、いや別に、ま、まったく怖くないし」
すると、再びトトが言った。
「怖くないなら、トトとシェーラとハヤテさんで怖い話、する?」
「やめてくださいお願いします」
即答だったので、ハヤテが笑った。シェーラは早くこの話を切り上げたかったので、さっさとギルドの方へ向かった。
「もう、早く行こう」
ハヤテは本当に探検隊が好きらしく、ギルドの中では始終、目を輝かせてばかりだった。すれ違う探検隊の名前もほとんど知っていたし、それだけでなく、探検隊のランクやメンバーがどんな風に変化していったか、ということまで熟知していた。新入りであるシェーラがまったく知らないことばかりだった。
ギルドの主な部屋を見終えると、せっかくの機会だから、ということでシェーラ達は“トルネード”の部屋にハヤテを招待した。
「まあ、何もおもしろいことないけど。少し休むためにでも…」
「ううん、すごいよ!僕、感動した!まさか本物の探検隊の部屋に入れるなんてっ…!」
嬉しそうにぴょんぴょん飛び跳ねるハヤテにシェーラ達は笑った。
「ハヤテさんは探検隊マニアだね♪」
「うん。そして、予想をはるかに上回る知識量だったねー」
ハヤテからの返事はなかった。どうやら、彼は探検隊の部屋を満喫するのに集中し始めたようだ。
暇になったので、シェーラ達は今回の報酬でもらったワザマシン【かわらわり】をどうするか、ということを話し合った。結果、トトがワザを覚えられないので、シェーラが“かわらわり”を覚えることになった。
ワザマシンをセットすると、シェーラは妙な感覚になった。
(あれ…?)
シェーラは“ひっかく”“みずでっぽう”“かみつく”の三つしか覚えていないはずだ。だというのに、“かわらわり”を覚えようとすると、頭の中がこんがらがった。
(ど、どうして…!?)
少しの間、頭を整理しようとしたが、無駄だった。
(あー…もういいや!)
シェーラは“ひっかく”を忘れて、“かわらわり”を覚えた。
「シェーラ、どう?」
「んー。多分、大丈夫」
「やってみて!」
「うん。…“かわらわり”!」
シェーラは集中し、腕を勢いよくふりおとした。今の一瞬、腕が鋼鉄のように硬くなり、力がみなぎるのがわかった。
「いい感じ!」とトトがうなずいた。シェーラもうなずき返す。技をくりだすのは簡単にできそうだ。
一方、すっかり満足したハヤテはその様子を静かに見守っていたのだが、ふいに言った。
「ねえ、シェーラ」
「ん?」
「そういえば、そのワザマシンをもらった時にさ。…オオスバメに何か言われた、よね?」
「え…」
不意打ちの質問に、シェーラはぎくりとして答えを返せなかった。ハヤテは小さくため息をついた。
「やっぱり…。どうせ、なんだかいろいろ言うなって釘をさしたんだろうな」
何も知らないトトが無邪気にたずねる。
「お願いってなあに?」
口をつぐんだシェーラのかわりに、ハヤテが答えた。
「オオスバメは…僕が空を飛べないから、必要以上に世話を焼こうとするんだ。村のみんなに僕の前ではむやみに飛ばないでってお願いしたり…」
たしかに、あのオオスバメは心配性に見えた。悪いポケモンではないのだろうが。
「ハヤテさんは、それが嫌なの?」
トトが聞くと、ハヤテは首を横にふった。
「違う。だって、僕はオオスバメのことは好きだ。それに、自由に飛ぶポケモンを見るのは辛いし。……だけど、さ」
ハヤテはつぶやいた。
「飛べないポッポは可哀想なポケモンだ、と思われるのは…もっと…辛い」
ハヤテはそう言ってから、あきらめた顔をした。
「まあ、仕方のないことなんだけど」
(…そうか)
その言葉を聞いて、シェーラはひとつわかったことがあった。
おそらく、あきらめることは、ハヤテにとって自分の心を守るための術なのだ。必要以上に努力することも、飛べるかもしれないと希望を持つことも、彼の心を引き裂いていくものだから。
けれど、頭では理解できても、心では納得できないこともある。シェーラにとって、ハヤテがあきらめることは、まさしくそれだった。
(このままでいいの?)
(彼を放っておいてもいいの?)
問いかけが、海底から浮かびあがる泡のように、次々とシェーラの心にあふれてくる。そして、極めつけの問いかけが、心の奥から生まれ、はじけた時、
(…後悔してもいいの?)
シェーラの心の中で何かがぷつんと音をたてて切れた。
(…よくない)
(全然よくない)
シェーラはおもむろに口を開いた。
「ハヤテが飛べば万事解決じゃない」
「な…」
呆気にとられてから、ハヤテは突如、怒りをあらわに叫んだ。
「だから、僕は飛べないって言ってるじゃないか!」
対するシェーラは奇妙なほど落ち着いた声だった。
「頑張れば飛べるかもしれないよ」
「飛べないよ!シェーラは知らないからそんなことが言えるんだ!…今まで、僕が、どれだけ…ッ…」
ハヤテはその先を言わずに、顔をそむけた。
「もう、無理なんだよ。僕が飛ぶのは…不可能なんだ」
沈黙が煙のように充満した。
シェーラはしばらく静かなまなざしでハヤテを見つめた。それから「少し、ひとりで散歩してくるね」と、言い残し、静かな足取りで部屋からでていった。
「シェーラ」
廊下を少し行ったところで、名前を呼ばれた。振り返らなくてもわかる。トトの声だ。
「…ホウオウの羽根ですか?」
その単語を聞いただけで、シェーラはなんだか泣きそうになってしまった。自分はなんて素敵な相棒をもってるんだろう、と思った。
「なんかさぁ」シェーラは振り返り、相棒の姿を見た。「ときどきトトって、エスパーポケモンみたいに、勘がするどくなるよね」
トトは「えっへん」と胸をはり、それからにこりと笑った。
「シェーラは素直ないい子だから、わかるんです」
直球の言葉に、シェーラはだいぶ照れた。
「…べ、別に、そんな…」
「でもね、シェーラ。忘れ物があるよ?」
トトが光るものを投げてよこした。空中でそれをつかみ、じっと見つめる。
探検隊バッジだった。
「…トト…」
「それでね、トトは弱いから、お見送り!」
シェーラはきゅっとバッジを一度握り、素早くカバンにそれをつけた。そして、距離をへだてて立つトゲピーをまっすぐに見つめた。
「トトに、ハヤテを頼みます」
「ラジャーです!」
いつもの敬礼もどき。
「無理をする子にはおしおきですよ。みだれづきの刑!」
シェーラは苦笑した。
「わかったよ、無理しないから」
「頼みますよー?」
「ラジャーです」
シェーラがまねをして返事をすると、トトはくすくす笑った。
そして、トトは片手をあげて、ふった。
「いってらっしゃい、シェーラ!」
シェーラも微笑みをそえて、片腕をあげた。
「いってきます」
腕をふりながら、シェーラは思いをはせた。
(トトの“みだれづき”か…)
(きっと、くすぐったいだろうなぁ)
それから、シェーラは、トゲピーにくるりと背をむけ、迷いのない足取りで前へ踏み出した。今から、ちょっとした無理をするために。
最初に向かうのは、すぐ近くの場所だ。