01.出会い
†とある小さなまち、ウェストタウン†
一匹の小さなトゲピーが元気に家を飛び出した。
「いってきますねー♪」
「…トト?こんな夕暮れ時だってのにどこ行くんだい?」
「うふふ。さてさて、どこでしょう♪」
「まったく、トトはやっぱり訳のわからない子ね。日が沈む前には必ず戻ってくるんだよ。いいね?」
「はーい」
トゲピーのトトは短い足をちょこまかと動かして道の真ん中を進む。
トトは、このウェストタウンで、ちょっとした有名ポケモンだ。だから、道を進めばすぐにいろんなポケモンに声をかけられる。トトはそのすべてに返事をした。
「おっす、トト」
「こんにちはですー」
「あら、こんにちは」
「こんにちはですー」
「……と、トトさん。こ、この前のお返事はっ?」
「こんにちはですー」
「あら、トトちゃん、どこ行くの?」
「こんにちはですー」
考えごとに熱中していると、トトは返事を適当にするクセがあった。けっして、わざとではない。わざとでは。
トトは、これから向かう場所について考えているのだった。トトが向かっているのはウェストタウンからでて、少し歩いたところにある海辺の砂浜。トトは、その場所で夕方の時間をすごすのが一番好きだった。
今から、あのきれいな茜色の海が見れる!
そう考えるだけで、トトはうきうきするのだった。
「ふんふふんふーん♪」
鼻歌を歌いながら、トトは海辺の砂浜へ向かっていった。
†海辺の砂浜†
そのころ、海辺の砂浜に一匹のポケモンが倒れていた。
「……ん、…」
なんだろう。頭がずきずきと痛い。それだけじゃない、体もだ。ひどい痛みだ。特に、この、しっぽなんかが、もう、本当に痛くて痛くて…
(ちょっと待って)
(――――しっぽ?)
いまいち状況が理解できなかった。ひとまず起きあがって確かめなくてはならない。
「……う、…うぅ…」
しかし、体の節々が鋭く痛みをあげ、起きあがろうとする意志を邪魔した。しばらく動かない方がいいかもしれない。全身の中でも、特に痛い部分は…しっぽだ。
(いや、おかしい)
(しっぽがあるなんて気のせいに決まってるじゃない)
(そうよ、気のせい)
(人間にしっぽなんて、ないもの)
「ふんふふんふーん♪」
そのとき、のうてんきな鼻歌が聞こえてきた。ようやく誰かが近くにやってきたのだ。助けを求めなければ。
あたしはどうにか片手をよろよろとあげ、ふるえる声をだし…
「そ…そこの、…あなた…助け」
「らんらららーーららーん♪」
鼻歌さんの歌声にかき消された。
「あ、あの…助け」
「あー!大変、大変ッ!」
「そう、…動けなくて…」
「きれいな貝がらをはっけん――――ッ!!」
「…………」
あたしじゃなくて、貝ですか。
「…あの、…貝がらより、あたしを…」
「あー!大変、大変ッ!」
「………あの…」
「ワニノコさんが倒れてる――――ッ!!!!」
だから、ワニノコではなくあたしを見て、と言いかけて、誰かが急いで走りよってくる音が聞こえた。ひょっとすると、気がついてもらえたのだろうか。
「だいじょうぶ?」
顔をのぞきこんできたのは、トゲピーだった。
(トゲピー!?な、なんで!?)
「トトが手伝うね」と言って、トゲピーは、あたしが起きあがるのを手伝ってくれた。
(あれ、このトゲピー…どうしてこんなに大きいの?)
(あたしの背丈…人間の背丈の半分くらいある)
座った状態の自分と、このトゲピーは目の高さがだいたい同じだった。
(変だ)
(絶対、何かがおかしい…)
「トトはね、トトっていう名前なの。ワニノコさんの名前は?」
「…ワニノコさん?」
あたりをきょろきょろと見回しても、トゲピーと自分以外誰もいない。
「ワニノコさんって、誰のこと?」
首をかしげると、トトは不思議そうな顔をした。
「ワニノコさん、トトと同じくらい変なポケモンですね。ワニノコさんは、ワニノコさんだよ」
とほうにくれて、なんとなく視線を下にさげる。すると、自分の、水色の手のひらがまっさきに見えた。
「…え?」
ぺたぺたと手のひらで自分の顔をさわる…感じたのは、硬い鱗の感触。そして、…そう、しっぽもある。人間のときよりも数倍大きな口もある。背丈もぜんぜん違う。トゲピーの二倍くらいの大きさしかない。
(ど、どういうこと!?)
(なんで、あたしがポケモンに!?)
そこで、あたしはあることに気がついて、さらにショックをうけた。
記憶がまったくない。
自分が昔なにをしていたか、ということはおろか、自分の名前さえも思い出せない。おまけに、ここがどこであるか、ということも見当がつかなかった。
人間だった、ということ以外なにひとつ、わからない。
「…ねえ、…トト、さん…」
あたしはどうにかして声をしぼりだした。
「はい!なんですか?」
「…あたし、ニンゲンに、…見える?」
トトはにっこり笑った。
「ワニノコさんは、ワニノコだよ?」
「…そっか、……そっかぁ…。あは、あはははは……」
そのまま、あたしは気を失った。
†
再び目をさました時には、ワニノコの体中の痛みは、だいぶましになっていた。ひとりきりで起きあがることもできそうだ。
「…よい、しょ」
どうにか立ち上がる。ワニノコは人間と同じ二足歩行なので助かった。歩くくらいなら、すぐにもできそうだ。
(でも、あたしはワニノコだ)
(ニンゲンからワニノコになってしまったんだ…)
顔をあげると、砂浜に先程声をかけてきたトゲピーが座っていた。ワニノコが目を覚ましたことには気がついていないようだ。
トトはじっと海を見つめている。なんとなく、つられるようにワニノコも海を見て、息をのんだ。
海の地平線の果てで、今まさに、夕日が沈もうとしているところだった。蜜柑色の夕日の飛沫が水面に散りばめられ、燦然と輝いている。長く濃い影を背中から伸ばして、ワニノコは声もなく景色に見惚れた。
(………)
「いつ起きたんですかー?」
いつの間にか、トゲピーがワニノコの隣に座っていた。ワニノコは質問には答えず、ぽつりとつぶやいた。
「…あの。トト、さん」
「トトでいいですよ?」
「わかった。……トト。聞いて」
「どうしたの?」
ワニノコはうつむいた。見慣れない水色の足の周りで、細かい砂がさらさらとおだやかな風にふかれている。
「あたし、ニンゲンだったの」
トトの返事はなかった。返す言葉もないのだろうか。
「ニンゲンって知ってる?あたしも、よくわからないんだけど…でも、あたしは、ワニノコではなかったの。それは、確かなこと。…それ以外なにもわからないの」
言葉を紡ぎ始めると、自分の中にたまっていた不安が一気にあふれでてきた。夕焼けの海のうつくしさが、よけいに心をしめつけていた。
「記憶も全然ないし、なんで自分がポケモンになっているかもわからない。どうして、あたしがここにいるのかもわからないの…!あたしが誰なのかすらも…!」
ふいに、泣きたくもないのに、目尻に涙がたまってあふれた。見ず知らずのトゲピーに、こんな姿を見せるのはあまりにもみっともないことだと、頭の隅で思ったが、もはや止めることはできなかった。
「どうしよう。何もない…。あたしには何もない。…なにもかも、…全部……全部、無くなっちゃった……」
そんな中、目の前のトゲピーは落ち着いた――どこか優しいともいえる――声でたずねた。
「ワニノコさん、お名前、わからないの?」
その、場違いなくらいのほほんとした声に、ワニノコははっと顔をあげた。
「…え?」
「お・な・ま・え!」
「名前もわからない、けど」
すると、トトはなぜか笑顔になった。
「じゃあね、トトがワニノコさんに、名前を……プレゼント!」
「名前、を…?」
意味がわからず、聞き返す。しかし、トトはうれしそうな表情のまま言った。
「ワニノコさん、トトと同じ、女の子?」
「うん」
「えーっとね。…それじゃあ、シェーラ、って名前はどうでしょう!」
ワニノコは口の中でつぶやいてみた。
「…シェーラ……。…シェーラ…。…あ、あたしにこんなきれいな名前…もったいないような気がする」
「トトが決めたからいいの!今日からワニノコさんはシェーラです!」
トトは満足げに笑い、それから、シェーラの片手を、彼女の小さな手でとった。
「それとね、トトからひとつお願い。…シェーラ、お友達になろう?」
「…友達?」
うふふ、と、トトは笑った。
「シェーラはね、何にもないわけじゃなくなるんだよ。シェーラにはね、シェーラって名前があるの。それで、トトとお友達になったら、シェーラは友達も持ってることになるの!そうしたら、シェーラはもう何もなくない。ね?トトが保証してあげる!」
シェーラは言葉もなく、驚いてトトを見つめた。トトはにこにこと笑っている。
(何も無いわけじゃ、ない…)
シェーラは目に残っていた涙をふきとった。そして、片手にのせられたトトの手を、そっとにぎった。
「うん。あたしからも、お願いする。どうか、友達になってください」
「はい!お友達になりましょう!ね、それじゃあ、シェーラ。ちょっといい?」
「…ん?」
何を、と問おうとしたその時、トトがシェーラのほっぺに、自分のほっぺをすりよせてきた。
(…!?)
目を丸くするシェーラに対し、トトは歌うような口調で言う。
「ほっぺたとほっぺたをくっつけるとね、本当の友達になれるの」
突然のことすぎて、シェーラは少し緊張した。
「そ、それは、ポケモンの決まり?」
「ううん。トトが決めたことです!」
「そっか…」
しばらく二匹は、お互いのほほをくっつけていた。やがて、トトが静かにはなれたのを見計らって、シェーラは静かにささやいた。
「トト」
「なあに?」
「あたし、まだこの世界のことよくわからないけど…。ひとつだけ、自信をもって言えることがあるよ」
「?」
「ワニノコになって、記憶をなくして…。それでも、最初に会ったポケモンが……トトでよかった…って」
トトはきょとんとしてから、うれしそうにほほえんだ。
「…トトもね、シェーラと会えてよかった」
二匹はしばらく心地の良い静けさに身をひたしていたが、やがて、トトが何かを思いついたのか、威勢良く言った。
「そうだ!シェーラにいいことを教えてあげる」
「いいことって?」
トトは、ゆっくりと語りだした。
「ひとつのお話です。遠い遠い昔、とある世界の時間が危機にさらされたことがありました。世界を救ったのは、あるひとつの探検隊なのです。それも、運命的な出会い方をした二匹のポケモン!…二匹がであったのはね、その世界の海岸らしいの」
シェーラは目をぱちくりさせた。
「それは本当に起こった話なの?」
「ううん。わからない。でも、トトはね、シェーラと出会ったことに運命を感じるの。トトはずっと探検家になりたかったんだけど、なれなかった。トトの町のギルドの親方は、パートナーがいなきゃ、トトは探検はできないっていうの」
たしかにトトは小さいし、危なっかしいところがありそうだ。
「トトはね、探検隊の一員になって、いろんな場所を見たいの。この夕方の海みたいなすてきな場所。そして、いろんな困ったポケモンを助けて、みんなでハッピーになりたいの!」
「でも、探検隊って、危ないこともする…ようなイメージがあるんだけど」
トトはちょっとうつむいた。
「そうなの…。悪いポケモンをつかまえたり、ポケモンのなわばりを通って、たのまれたものを探したり…。だから、トトは弱いから探検隊はダメって言われるの…」
そこで、トトはちらりと期待をこめたような目でシェーラの方を見た。
「ね、シェーラ。トトと一緒に探検隊になろ?」
思わぬ方向に話がとんで、シェーラはたじろいだ。
「あ、あたし…!?な、なんで?」
「お願い!トト、なんでもします!」
自分はポケモンとしてやっていけるかどうかすら不安なのだ。探検隊なんて、自分にできるのだろうか。というか、この世界、この身体に馴染めるのだろうか。(不思議で恐ろしいことに、身体に関してはすでに馴染みつつあったが)
「あたし、きっと強くないよ。役にもたたないと思う。…それに、あたし住む家とか、本当に何にもないし」
「いいの!トトはシェーラと一緒がいいの。お家についてはね、探検隊員になれば、ギルドが寝るお部屋をくれるから大丈夫なんです!…それに、探検隊になったらいろんな場所に行けるから、シェーラの記憶のてがかりもあるかもしれません。…ね、お願い!トト、ローリング土下座もします!」
そう言うと、トトは顔を砂浜につけ…
「え、ちょ、待っ…」
という、シェーラの制止の声も聞かず「ごろごろごろごろ…」と勢いよく転がっていった。転がる先にあるのは…夕焼けにきらめく、海だ。
「ごぼごぼごぼごぼ…」
「うわぁ!トトーッ!!」
あわててシェーラがおぼれかけたトトを救った。水タイプであるだけに、海では楽に泳げて助かった。
それから、二匹は砂浜に転がった。顔を見あわせると、びしょぬれの顔に茶色の砂がたくさんついていて、二匹は声をあげて笑った。
「探検、しよっか」
シェーラがぽつりと言った。一瞬、ぽかんとしたトトの顔がみるまに喜びに満ちあふれていく。
トトがうれしそうな顔をすると、こちらまで温かい気持ちになるな、とシェーラは思った。
「シェーラ、本当に!?」
「うん。今はそれ以外、何をすればいいのか、よくわからない。この世界のことも、自分のことも。だいたい、こんな迷子のあたしを助けてくれる物好きなんて、トト以外にいなさそうだもの」
シェーラはにやりと笑った。
「それに、トトがローリング土下座をしたら、あたしが助けてあげなくちゃいけないだろうし」
トトもえへへー、と照れ笑いをうかべた。
「それじゃ、トトと一緒に探検、する?」
「うん。しよう、探検!一緒に」
それから、二匹は砂浜に座ってもう一度ほっぺたをくっつけた。
夕暮れ時の穏やかな風がふいている。それはまるで、ひとつの探検隊の結成を祝福しているようでもあった。
「トトは弱いけどいい?」
「あたしも弱いもの。一緒に強くなろう」
「トト、泳げないけどいい?」
「いいよ。あたしがそのぶん、泳ぐ」
「トト、“ゆびをふる”しか使えないけど、いいの?」
「え、そうなの?」
「トト、ローリング土下座たくさんしていい?」
「お願いだからやめてください」
それから、トトとシェーラは日が暮れるまで、ずっと話をしていた。二匹を見ているポケモンは誰もいなかったが、もしもいたとすれば、二匹が、昔からずっと仲のよい友達同士のように見えたことだろう。