ナマコブシと俺
テッカニンが鳴き騒ぐ夏の昼。
惰眠から目覚めた成人男性「スミヨシ」は、未だ身体を起こせずにいた。
―これぞ最高の贅沢。至高の休暇の使い方……
夏の暑さと、倦怠感に身を任せ、扇風機の音の中、再び目を閉じようとしたスミヨシであったが、そんな彼の顔面を粘液が襲った。
「ぶえっ……」
「ぶじっ」
圧し掛かった物体をスミヨシは取り払い、ため息をつく。
「おはぎ。何度言えばわかるんだ? 顔に乗るな」
「ぶじっ」
「次やったら珍味にしてやるからな」
「ぶじっ」
粘液だらけの軟体ボディ。
柔らかい突起。
気の抜けたお顔。
スミヨシの顔面を襲った粘液の持ち主は、彼が飼っているポケモン「ナマコブシ」であった。
「金も無し、女も無し、居るのは一匹の「おはぎ」のみ……」
「ぶじっ」
顔を洗って戻ってきたスミヨシは、布団を粘液で濡らすナマコブシの姿を目撃し、彼の身体を摘まんで風呂場へと連行した。
「なぁおはぎ。俺達、何だか虚しくないか?」
「ぶじっ」
「そーかそーか虚しいか」
「ぶじっ」
「……お前、何も考えてないだろ」
風呂場にナマコブシを運んだスミヨシは、布団を濡らしたナマコブシへの折檻を始めた。
彼の身体を、人差し指でぷにぷにと、心行くまでつつくのだ。
「お前ときたら、昔から柔らかいくらいしか取り柄が無いもんなぁ」
スミヨシとナマコブシの出会いは、5年前になる。
恋人に振られ、涙しながら夜の街を彷徨っていたスミヨシは、南国風の装いをした男に声をかけられたのだ。
―幻のポケモン、ナマコブシ!―
―今ならたったの1万円!―
―この出会いは一期一会、今を逃したら次は無いよお兄さん!―
気が付けばスミヨシは、財布から万札を取り出し、男に差し出していた。
幻のポケモンという触れ込みを信じたわけではない。
ただ、彼は寂しく、心を埋めてくれる存在を渇望していたのだ。
かくしてナマコブシを手にしたスミヨシであったが、このポケモンは正しく役立たずであった。
頭が悪い。粘液で部屋は濡らす。防犯という概念を持たない。その顔は感情表現に欠けており、愛想が無い。更に、ポケモンバトルではサンドバックである。
このポケモンに取り柄があるとするならば、その柔らかいボディをつつくと楽しいという一点のみ……
「でもさ。俺はお前だけで十分かもしれないって思ってるんだ」
「ぶじっ」
「俺は、おはぎのこと好きだぜ」
「ぶじっ」
「おはぎも、俺のこと好きだろ?」
「…………」
ナマコブシは、口から白い物体を放出する。
それは、彼の内臓器官であった。
ナマコブシという生き物は、外敵から身を守るために、刺激を与えられると内臓器官を吐きだすという習性を持っているのだ。
その内臓は、まるで人間の拳のような外観をしており、その昔、スミヨシは取り柄のないナマコブシに芸を仕込んだことがある。
ナマコブシ愛好家が集うサイトにて、なんとその内臓をピースサインのような形で放出するナマコブシ動画がアップロードされていたのだ。
ガーディの「お手」のように、訓練すればどのナマコブシにも可能であるとのことであり、早速スミヨシは居候のナマコブシに動画を見せたのであったが……
「ぶじっ」
スミヨシの前に現れたのは、ファックサインの形を模した内臓であった。
「…………」
「ぶじっ」
「本心じゃないよな?」
「…………」
「いや、そこは「ぶじっ」でしょ」
眼前にそそり立つ中指に、指をひっこめたスミヨシは顔を伏せる。
この芸はとても人前で見せられないというのに、悪癖が付いてしまったのか、ナマコブシは時折このファックサインをスミヨシに示すようになっていた。
「やれやれ」
するすると戻っていく内臓を見送り、スミヨシはため息をついた。
ナマコブシは感情表現に乏しく、彼の本心を推測することは難しい。
「おはぎ。お前、アローラに帰りたい? 次の長期連休。アローラに旅行に行って、逃がしてやっても良いぞ」
そもそも頭の悪いナマコブシには、スミヨシが話す言葉を理解することはできないだろう。
だが、スミヨシはおや、と眼を開いた。
「ぶじっ」
触ってもいないと言うのに、再び例のサインを模した内臓が、スミヨシの眼前に突き出されたのである。
「ぶじっ」
「おはぎ……」
「ぶじっ」
「お前ってやつは!」
ひし、とナマコブシを抱きしめるスミヨシ。
だが、その顔面に、内臓で出来た拳が叩きこまれた。
「ぶじっ」
「やっぱ俺のこと嫌いだろお前」
「ぶじっ」
「次やったら珍味だからな」
「ぶじっ」
「「ぶじっ」」
「ぶじっ」
かくして、不毛な時は流れる。
賃貸アパートでの、成人男性スミヨシと、ポケモンおはぎの夏の一幕であった。