オーベム編:ジェントルとジェントルマン
「ぶも」
『え、ワタシの寝相は酷いですって?』
「ぶもぉ」
『おまけに寝ているときにサイキックを使っているんじゃないのか、ですって? またまた御冗談を。紳士の寝相は良いのですよ?』
「ジェントル。くい太……私、そろそろ寝るね……電気消しておいて」
今夜はポケモン可のホテルに泊まることになり、クレナはベッドへと身体を預け、早速寝息を立て始める。
『御休みなさい、クレナ様』
「ぶも」
クイタランは床に寝そべり、電気を消したオーベムは、借りた毛布に身体を包ませ、眠りに落ちていく。
「……スピピィ」
だが、クレナのオーベム「ジェントル」には、一つ困った癖があった。
紳士ポケモンである彼は、クイタランの指摘通り、とんでもなく寝相が悪かったのだ。
「スピィフフィフィー」
紳士ポケモンの指が発光する。
それは彼がサイキックを寝ぼけて使ってしまった証であり、その影響は、クレナ、そしてオーベム自身に及んだ。
クレナとオーベム。
夢の中の二人の意識は重なり、やがて一つの夢を見る……
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
他者の脳に干渉し、精神操作する。
それが、我らブレインポケモンの一族が最も得意とするサイキック。
この力を行使すれば。
どれほど大切な思い出であっても、白紙にすることができる。
どれほど強固な心の扉に隠した秘密であったとしても、その鍵を外して暴くことができる。
優れた技量を持つ個体ならば……他者の精神を破壊するだけでなく、操り人形のように使役することさえ可能だ。
この力が強力であることを自他共に理解しているために、自らの力を私利私欲のために用いる個体は多く、逆に利用しようと近づく他種族の悪党も後を絶たない。
故に、ブレインポケモンの一族は恐れられ、嫌われていた。
「次はあの人間の老人だ」
「我らの力を持ってすれば容易いことよな」
そして、若きリグレーである僕は、先輩オーベム達の悪事に付き従っていた。
鳥ポケモンが翼を持って空を舞い、炎ポケモンが炎を噴けるように……僕たちのサイキックは、生き残るために獲得したものなのだろう。
一度僕たちがサイキックを振るえば、他者の人生をも無茶苦茶にしてしまう。
だが、それが何だと言うのだろうか。それが僕たちブレインポケモンの生き方なのだ。
「見ておけ、坊主」
先輩オーベム達は、呑気にお茶をしている人間の老人を狙い、その両腕を向ける。
人間は、僕たちにとっては大きな利益をもたらす存在だ。
人間は通貨を持っており……僕たちが彼の大事な大事なポケモンであると認識させれば、その財布の中身を代償に、美味しい食糧を沢山得ることができるのだ。
「おや?」
ところが、予想外のことが起こった。
人間の老人は先輩方のサイキック攻撃を察知し、腰から球を取り出し、大型の犬ポケモン……ウインディを呼び出したのだ。
「立ち去れ、ブレインポケモン! この炎を喰らいたいか、木端共っ!」
現れたウインディは咆哮し、口部から覗く牙に炎を纏う。
「う、うおおおおおっ! 聞いてないぞ!」
「球使いだったのか……冗談じゃない!」
一目見ただけでもわかる。
このウインディは、レベルが違う。
僕たちがサイキックを振るう前に、このウインディは僕たちの喉笛を噛みちぎるだろう……
先輩方はどたばたと慌てて逃げ去っていくが、
「ひゃあ」
僕は彼らに付いて行くことが出来なかった。
ウインディの迫力を前に、すっかり腰が抜けてしまっていたのだ。
「あぁ、あわ、あわわわわ」
猛るウインディは眼前に迫る。
慌ててサイキックを練るが、もう間に合わないし、彼には通用しないだろう。
【もう十分だ、ヨウコウ】
だが、ウインディは僕に噛みつく寸前で、その動きを止めた。
人間の老人が、ウインディを制したのだ。
「相変わらず、ぬるいことを言う」
ウインディは命拾いしたな、と僕から身を引いていく。
「あ、あの」
「何だ」
「……ぼ、僕を許すのか?」
「許したのは吾輩ではない。あの方だ」
「貴方の様な逞しいポケモンが、人間の老人などに従っている……? 何故?」
「あの人間は、吾輩が認めたポケモントレーナーであり。吾輩の命を賭けるに値する紳士だからだ」
「紳士?」
僕は「紳士」の元に戻っていくウインディをほけっと見送り、再会されたティータイムを眺めた。
「…………」
じっくり眺めてみると、不思議だった。
人間の老人が、液体を飲んでいる。
ただそれだけなのに……何故、あの老人から気品を感じてしまうのだろうか。
「……ああ……」
これが、紳士。
僕はただ彼のティータイムを眺めていたが、やがてその首を甘く噛まれ、持ちあげられてしまった。
「わ、わわ」
「あの方が、お前にお茶を御馳走するそうだ」
「おおおお、お茶?」
「来い」
ウインディが僕を紳士の下へ連れて行き……僕は紳士の対面の席の椅子に乗せられてしまった。
【はじめまして。私はユウオウ】
「え、ええっと」
【驚かせてすまなかったね。お茶を御馳走するよ】
「に、人間。貴方は僕が嫌じゃないのか? 僕は貴方を傷つけようとしたんだぞ」
【ポフィンも食べるかい?】
人間が何と言っているのかわからないが、その雰囲気から察することは出来た。
彼は僕の悪行を許すどころか、僕を飲み物でもてなそうとしているのだ。
「…………」
目の前に置かれた綺麗な器に、香りの良い液体が注がれている。
【それはオレンティだ。ポケモンも美味しく飲めるよ】
紳士は手で器の取っ手を握り、その口元に運んでいく。
僕も彼を真似して、器の取っ手を持って口元へと運んだ。
「……美味しい」
【香りが良いだろう。ヨウコウも喜んでくれるんだ】
「紳士は、いつもこういうのを飲むものなのか。好きな香りだ……何て名前なんだ。どうやって作るんだ?」
【おかわりもあるよ】
僕は、ウインディが言った言葉の意味が分かった気がした。
この人間の一挙一動は気品に溢れていて、とても素敵だった。
彼は、僕が生まれて初めて出会った……本物の紳士。
そして、そんな彼の真似をすることで。僕もほんの少しだけ、その姿に近づけたような気がした。
「僕は貴方のようになりたい。どうやったらなれるだろうか?」
僕は紳士に問いかけるが、そんな中、脇で寛いでいたウインディが笑った。
「フッフフフ」
「何がおかしいんだ」
「馬鹿だな。人間に我らの言葉が通じるわけがないだろう。逆に、人間の言葉も我らには理解できん」
「……そ、それはそうだが」
ウインディの言うことは間違っていない。
脳を操作しシンクロすれば直感的に理解できるが、僕は、人間の「言語」を解さない。目の前の紳士が僕に何を話してくれているのか……わからかない。
一方で、人間は僕たちの言葉を理解できない。僕の伝えたいことが、伝わるはずもないのだ。
「まぁ。吾輩と彼は長い付き合いだ。何となく……はわかるがな」
人間とポケモンの会話とはそういうものだ、とウインディは語るが、僕は否定した。
「何となく……では、嫌だ」
「何だと?」
「僕は、何となくでは無く。隅々まで理解して伝えたい。不自由なく、彼の言葉を受け取り、僕の言葉を伝えたい」
「ははは。何だ、人間にでもなるつもりか?」
「いや、僕は間違いなくリグレーだ。ただ僕は……あの人間のような、素敵な「紳士」に近づきたい。そして、対等に話したいんだ」
「それは難しいな。例え言語を解したとしても、我らの声帯は、人の言葉を話せるつくりではないだろうに」
ウインディは笑ったが、僕には考えがあった。
我らブレインポケモンが得意とするのは、脳に干渉するサイキック。
人間の言葉を覚え、そしてブレインポケモンの力を応用すれば……きっと、あの紳士に、僕の言葉が伝えられる。会話することが出来る!
この日から、僕の生き方は一変した。
僕はこっそり、帰宅する紳士の後を付けて……彼の御屋敷で、その紳士ライフを学んだ。
立ち振る舞い、話し方、身だしなみ。
紳士そのものである彼の毎日は、僕にとって教科書そのものだった。
僕は、いや……ワタシは。
日々「紳士」へと近づいていくことを実感していきました。
こっそりと観察させて頂いていたつもりでしたが、いつの間にか、ワタシは彼の家族とも顔なじみとなっておりました。
ワタシは御屋敷の書庫に入り、人間の書物を沢山読みました。
最初は理解できずに涙を流したものでしたが、紳士のお孫さんであろう幼い人間が使用していた書物を頼りに、何とか言語の初歩を学ぶことが出来ました。
それからは、吸収の毎日です。
ワタシは、辞書の調べ方、読み方を習得しました。
真っ先に調べたのは、紳士。そう、「gentleman」の項目です。 Gentle(優しい)Man(男性)。それが紳士。
恐るべきブレインポケモンの一族として生を受けたワタシですが、ワタシはサイキックを悪用して他者を傷つける悪党でなく、ジェントルな男になりたいのです。
気品に溢れ、心優しく、とても格好良い……あの方のように。
「ブレインポケモン。人との交流を求めると言うのなら、書物を読みあさる前に……直接、触れ合った方が良いと思うんだがな」
「言ったでしょう。ワタシはあの方と対等に話をしたいのです。ですから、それまでは」
ワタシは、あの方との直接接触を控えるように努めました。
あの方と再びお茶をする時。それは、ワタシが一人前の紳士となったときです。
仲間のブレインポケモンが、攻撃的なサイキックの訓練に勤しむ中。
ワタシは言語の学習と並行し、人と言葉を交わすためのサイキックの開発に没頭しました。
「何をやっている」
「人間と言葉を交わす? 愚か者だなぁお前は……」
「その情熱が向く方向が異なれば、我らが一族の長にもなれただろうに」
ワタシの言葉を、人の言葉へと変え、負荷をかけずに脳へと届ける。この技の習得は、楽な道ではありません。
おかげで、ワタシはすっかり落ちこぼれリグレーとなってしまいましたが……私の努力は花開きました。
【あれぇ、ケーキ屋さんはどこだろう?】
『そこの角を左に曲がった先の、ポケモンセンターの隣にありますよ』
【あぁ、ありがとうございます! ……って、だ、誰……?】
ついに。
ついにワタシは。
人の言葉を理解し。そして、伝える術を習得したのです!
「やった! やりましたよ、ユウオウさん! ワタシは、ようやく貴方とお話ができる! ワタシはこの時を、ずっと待っていたんです……!」
ワタシは飛びはねました。幼い行動ですが、構いません。
紳士であっても、嬉しいものは嬉しいのです。
人間との会話の成功を確認したワタシは、街を飛び出し、喜び勇んで紳士の御屋敷へと駆けこみました。
「……?」
ですが、御屋敷はとても静かでした。
「ユウオウさん。どこですか……?」
「逝ったよ」
「え」
「病死だ。もう歳だったからな」
ウインディが告げた言葉に、ワタシは後ずさりました。
ユウオウさんの居ない、広くなった御屋敷。
お香の香り……
時間は流れ、やがて、あの逞しいウインディは、ポケモントレーナーであるというユウオウさんの御子息に引き取られていきました。
「ユウオウさん」
「ワタシはリグレーですが、貴方のような紳士に近づけたと自負しております」
ワタシは花を持ち、ユウオウさんのお墓に訪れました。
「ですが、ワタシが人の言葉を学んだのは」
「ただ……貴方と話がしたかった。それだけなんです」
紳士らしくもありません。
ですが、ワタシは、泣きました。さんざん泣いたと言うのに、また泣いてしまいました。
「ワタシは後悔しています。こんなことになるのなら、ワタシは言葉なんて覚えるんじゃなかった! ヨウコウの言うように、もっと、ただ、貴方の傍にいれば良かった!」
「貴方がいない今……ワタシは……この力を、一体、何に使うべきなのでしょうか……?」
ですが、お墓になってしまったユウオウさんは応えてくれません。
当然です。
死は、絶対的なものなのですから。
「ワタシは……」
落伍者となったワタシを、仲間のブレインポケモン達は受け入れてはくれず。
ウインディのような強さも無いワタシでは、野生の中、一人で生きていくこともできず。
「…………」
群れから追放されたワタシに、もはや行く宛てなどありませんでした。
やがて疲労と空腹から、街の草むらで倒れ込んだワタシは……このまま死んでも良いと考えました。
ユウオウさんが居ない今、ワタシにはもはや生きる目的もありません。
『……ああ……』
ですが。
ワタシのポケットモンスターとしての本能は、死を望みませんでした。
『……どなたか、いませんか……』
『……助けてください……』
人と言葉を交わすためのサイキック。
それをワタシは行使しました。
【……だ、大丈夫ですか?】
そして、ワタシの声を聞き、ワタシの身体を抱えてくれたのは。
かつてのワタシに負けず劣らず、涙にまみれた人間の少女でした。
弱ったワタシですが……獲得した力を、一体何のために使うべきなのか。
彼女を見た瞬間、理解をしました。
ワタシは、紳士なのです。
ジェントルマンが、涙を流す少女を、放っておけるわけがありません。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
『……ユウオウさん……』
「ジェントル」
『はっ』
オーベムが目を覚ますと、クレナが覗きこんでいた。
「嫌な夢を見たの?」
クレナがハンカチを渡す。
オーベムはここで、自分が涙を流していることに気が付いた。
『い。いえ。決して嫌な夢じゃありません。ただ、ただ……懐かしい夢でした』
「そう言えば。私も何だか懐かしい夢を見たよ」
『クレナ様もですか?』
「うん。ジェントルに初めて会った日。レモーに負けて、泣きながら帰っていた日の夢だった。私が飴をあげた後。ジェントル、私の涙をぬぐってくれたよね?」
『…………』
「私たち、お互い、放っておけなかったんだね」
クレナは苦笑いをし、オーベムに手を差し出す。
「さ、起きよう。いい加減くい太が怒りそうだ」
『え……?』
オーベムはこの時気が付いた。
『うーむ。くい太。貴方、相当寝相酷いですね』
「……ぶもっ?」
『ワタシの身体の下に潜り込むなんて。器用なものです』
「ぶももっ……!?」
クイタランが、オーベムの身体の下敷きになっていたことに……