クイタラン編:くい太の追憶(2)
「うん。じゃあ、また電話するよ。おやすみ母さん」
ポケモンセンターの個室ベッドにて、ポケナビの通話機能を切ったクレナはうぅんと伸びをした。
「あぁ。やっぱりベッドは良いよ、くい太」
「ぶも」
「久々に母さんと長電話してたら、疲れちゃった……てなわけで、おやすみ……」
『あれっクレナ様。ワタシ達もここで寝て良いのですか?』
今回宿泊している個室はそう広くない。
オーベムは「外に出ているクイタランと自分はモンスターボールに戻った方が良いのではないか」とクレナに提言したが、その念が伝わる前に、クレナは既に夢の中に落ちていた。
「ピィイ」
仕方がない、とオーベムはクレナに毛布を掛け、床に横になった。
「ピィ」
「ぶも」
就寝の挨拶を交わし、クイタランとオーベムもまた、夢の世界へと落ちていく。
「スピピィ」
だが、クレナのオーベム「ジェントル」には、一つ困った癖があった。
紳士ポケモンである彼は、とんでもなく寝相が悪かったのだ。
「スピフィフィー」
紳士ポケモンの指が発光する。
それは彼がサイキックを寝ぼけて使ってしまった証であり、その影響は、クレナ、そしてクイタランの「くい太」に及んだ。
クレナとクイタラン。
夢の中の二人の意識は重なり、やがて一つの夢を見る……
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
大顎を持ち、鋼の鎧を纏った虫、アイアント。
彼らの外殻は強固だが、クイタランが持つ炎の舌の前には何の意味も持ちはしない。
「見ていてね、お父ちゃん」
アイアント狩猟訓練に興奮する娘は、後ろに控える俺にそう呼びかける。
身体の維持に大量の栄養を必要とするクイタランにとって、栄養満点のアイアントは重要な食料だ。
俺も、死んだ妻もそう教えられてきたように。娘も野生として生きるからには、一匹でアイアントを狩れるようにならねばならない。
「孤立した個体を狙え」
「うん。わかってるよ」
娘は群れから逸れたアイアントに狙いを定め、飛びかかる。
ターゲットのアイアントは必死に逃げるが、娘が伸ばした炎の舌はアイアントを絡め取り、一瞬でその外殻を焼き溶かした。
「へへへ。やったね」
「慣れてきたな」
捕らえたアイアントの中身に吸い付く娘は、近づいた俺を見上げて苦笑いをした。
「ねぇお父ちゃん。私、もっと沢山食べたいよ。次はお父ちゃんみたいに、群れを狙いたいなぁ」
「お前にはまだ早い」
「でも。アイアントだよ? アイアントにクイタランが負けるわけ無いじゃない」
「集団が相手になると、連中もそれなりに厄介になる。まずは経験を詰め。群れはそれからだ」
クイタランにも色々いるが、娘は明らかに狩りの才能があるクイタランだった。
「ねぇねぇ、お父ちゃん。そろそろ群れを」
「まだだ」
将来は、俺よりもずっと強いクイタランになることだろう。
「今日こそ。そろそろ良いでしょう?」
「もう少し、腕を磨いてからだ」
夢の場面は目まぐるしく切り替わり、進んでいく。
娘は日々アイアント狩りの腕を磨いていき、今では俺の留守の間に、一人でアイアントを狩ってくるようになっていた。
「ねぇねぇ。お父ちゃん。昨日ね、穴場を見つけたんだよ」
「穴場?」
「そう! アイアントがもう沢山! 味見したんだけど、とても美味しくて。お父ちゃんも一緒に行こうよ」
「……そうだな。そろそろお前にも、ハグレ以外のアイアントの狩り方も教えてやるか」
「待ってました!」
今の娘の実力ならば、アイアントの集団相手にも対処できるだろう。
そう判断した俺は、娘と共に「穴場」へと足を運んだ。
―駄目だ。行くな―
例え「万が一」があったとしても、俺がフォローできる。
そのはずだった。
―行っては、いけない―
これは俺の夢。
だから、この先に何が待つか、わかっている。
だが、夢だからこそ制御はできない。俺は過去を、ただただ追憶することしかできないのだ。
「ぎゃあっ」
娘の身体を襲ったのは、巨大な岩の刃だった。
「キョオオオオオオッ!」
群れ刈りの訓練。その最中、一匹のアイアントが群れを守るように立ちはだかり、娘に見たこともない技を繰り出したのだった。
「下がっていろ!」
俺は苦痛に呻く娘の前に立ち、立ち塞がるアイアントに炎の渦を照射したが、そのアイアントはあまりに素早かった。
アイアントはまるで俺を嘲るかのように攻撃を避け、俺の懐に接近し、鋼の頭で殴りつけたのだ。
「ぐぼっ……!」
その一撃は、これまでに受けたことのない重さだった。
これが、本当にアイアントなのか。
俺が知っているアイアントとは別次元の強さだった。
「キョオオオオオオオオーッ!」
俺は、かつてクイタランの同胞から聞いた言葉を思い出した。
球使い。
そう呼ばれる人間に鍛えられたポケモンは、それこそ生態系を破壊するほどの強さを得るのであると。
「ぐあっ」
「ぐっ」
「ぐあああっ!」
パワーも、スピードも、技の精度も及ばない。
俺はクイタランだと言うのに、捕食対象であるはずのアイアント一匹相手に何もできず、叩きのめされていた。
「きゃああああああーっ!」
ダメージで混濁する意識の中、俺は悲鳴を聞いた。
「キョオオッ」
「キョ」
「痛いっ」
「キョオオオオオッ」
「止めて!」
「キョオオ」
「ぎゃああっ!」
「キョオオオ」
「嫌だ! 助けて、お父ちゃーん!」
「キョオオオオオオ!」
先の一撃で弱った娘が、アイアントの群れに襲われていた。
今や捕食関係は逆転し、娘に纏わり付いた大量のアイアントが、その大顎で娘の身体を食い千切っている。
「痛い! 怖いよ、お父ちゃん! お、お父、ちゃん……!」
大顎を打ち鳴らす音と、アイアントの金切り声が響く中、血に塗れる娘は只管俺に助けを求めている。
「うわあああああああーっ!」「キョオオオオオオーッ!」
絶叫して群れに飛び込む俺に、狩りの邪魔はさせまいと、アイアントが大顎で大地を抉り、俺の足元に巨大な岩の刃を突き立てた。
「……お……お父……ちゃ……」
身体中を喰われながら、最期まで俺に助けを求めた娘の身体は、アイアント群体の銀色の中へと消えていく。
岩の刃に突き上げられた俺の身体は宙を跳び、川へと転がり落ちた。
「ごぼっ! ぐばっ」
水を飲み、水流に揉まれ、流されていく。
その最中、妻の声が聞こえた。
―この子を守ってあげて。お願いよ―
―私達の大切な子供……どうか、私の分まで―
自分の死期を悟った妻の願い。
俺は、妻の死を認めることができず、その言葉に応えなかった。
何故、俺はあの時。彼女の言葉に応えてやらなかったのだろう。
俺は、何故。
何故……
後悔と共に水流に掻き混ぜられながら、夢もまた、時間を超えていく。
死に損ない、流れ着いた俺が行き着いた先。
そこは、妻を裏切り娘を見捨てた最低の父親に相応しい場所だった。、
「そうか」
……俺は、溝に詰まっていた。
衰弱した身体ではあるが、腹が詰まって引き抜くことができなかった。
「ここで惨めに死ねということか」
溝に詰まり、動けぬままに死ぬ。
その運命から逃れたいとは思わなかったが、不思議と慟哭が止まらない。
妻の願いを受け入れず。
アイアントに打ちのめされ。
最期まで助けを求めた娘に駆け寄ることさえできず、溝に詰まって死ぬ。
俺はなんて情けないクイタランなのだ、と。
だが、そんな中。
【く、クイタラン?】
情けなく鳴く俺に、近づく存在があった。
【どうしてこんなところに】
それは、人間の少女だった。
クイタランで言うならば、俺の娘よりは年上だったが、それでもまだ若い個体だ。
彼女は俺の姿に驚き、怯えていたが、動けない俺を見かねたのか、俺の身体を溝から引っ張り出そうとした。
だが、俺の身体は、人間の少女には重すぎたらしい。
汗を流す彼女は俺に文句らしき言葉を放つが、それでも俺の救出を諦めようとはしなかった。
【そうだ! いっそのこと】
疲れ果てた様子の少女だったが、彼女はやがて「球」を取り出した。
娘を死なせた遠因である、人間の球使い。
俺は球を見るのは初めてであったが、それこそが例の球であることは察することが出来た。
夢は進み、時間は流れていく。
嫌がる俺に、まるでかつての娘のように水浴びを勧める人間の少女、クレナイ・クレナ。
俺に与えられた、くい太という名前。
クレナと同じ年頃の球使いが従える、シロガネという名のアイアントに喫した敗北。
人間好きの、変わったエスパーポケモンとの出会い。
そして。
「…………」
クレナの旅立ちの前日。
俺はクレナの住処で、可もなく不可もない食事を取っていた。
頬杖をついてその俺を見つめるのは、クレナの母親だ。
【…………】
クレナは、どこか娘に似た雰囲気を持っている女の子だ。
だが、その母親である彼女の、どこか憂いを含んだ瞳は……俺の妻のものよく似ていた。
人間とクイタランを重ねてしまう俺を、笑いたければ笑うが良い。
だが、クレナの母親の瞳は、嫌でも俺に死んだ妻を思い出させるのだ。
【ねぇ、くい太】
妻の瞳を持つ人間は、俺に語りかける。
【どうか、クレナを守ってあげて。お願いよ】
俺はクイタランだ。
あの奇妙なエスパーポケモンと違って、人間の言葉などわかりはしない。
だが、俺は感じた。
かつての妻が、俺に願ったように、この人間は、俺に託しているのだ。
彼女の娘を守ってほしいと。クレナの旅を、傍で見届けてほしいと。
【……あの子は、私の大切な娘なの】
だから、俺は応えた。
「あぁ」
これは俺の自己満足だ。
いくら重ねたところで、彼女は俺の妻でなければ、クレナも俺の娘ではない。
人間を守ったところで、死んだ妻と娘の供養にも、罪滅ぼしにもなりはしない。
ただ、俺は。
死んで妻と娘の元に行く、その前に。
せめて、彼女達に顔向けできるだけのクイタランになりたい。
そう、想っただけなのだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「あちゃあ。私ったら、ボールに収納せずに寝ちゃったんだ。狭くてごめんね、くい太、ジェント……うわっ。ジェントル凄い寝相」
クレナは目覚め早々、紳士らしかぬオーベムの寝相に苦笑いをした。
「おや。珍しく、くい太まだ寝てる」
クレナはちょいちょい、とクイタランをつつく。
「ぶ……」
「おはよう、くい太」
クレナは、薄く眼を開くクイタランを覗き込む。
「ぶもも」
「あのさ……」
覚えてはいないが、今朝見た夢のせいだろうか。
起床したばかりのクレナは、クイタランにどうしても伝えたい事があった。
「くい太」
理由はわからない。だが、クレナは己に浮かんだ気持ちのままに、クイタランの身体に手を回し、囁いた。
「私達、絶対レモーと、アイアントに勝とうね」
「…………」
人間の言葉など、クイタランには分かるはずもない。
「ぶも」
だが彼は、クレナの言葉に応じるかのように、鳴いた。