9話:GENE
ツチニンがテッカニンに進化した翌朝。
依頼主の家に通されたクレナは、依頼主の父親……ベッドに横たわる老人と対面した。
「親父。トレーナーさんがツチニンをヌケニンに進化させてくれたよ」
依頼主の呼びかけに対し、老人は微かに目を開く。
「クレナイ・クレナと申します」
「…………」
「この度は、依頼をありがとうございました」
老人は返答をしない。
だが、その瞳は確かにクレナを捉えていた。
「親父は昔は一流のトレーナーだったんだが、今は会話も難しい状態でね。それでも、最期までポケモンと一緒にいたいらしい」
依頼主がボールを開き、ヌケニンを呼び出す。
「けぇ」
呼び出されたヌケニンは静かに老人の側まで浮遊し、やがて静止した。
呼吸をせず、物も食べず、生と死の狭間で生きるヌケニンは、ただ静かに老人の側に寄り添ったのである。
「…………」
老人は、わずかに口を緩ませる。
「「ありがとう」って言いたいみたいだ」
「こ、こちらこそ。いい勉強になりました」
「……君が連れてきてくれたヌケニンは、優しいんだな」
「それは、きっと。この子の半身だからです。今思えば……急かされましたが、彼女は、私がバッジを取るまで進化を待ってくれていたような気がするんです」
クレナは、腰のボールスロットからテッカニンのボールを取り出した。
彼女は両手でボールを包み、依頼主に差し出す。
「お借りしたツチニン、いや、テッカニンをお返しします」
「うん。それなんだけどさ……君、テッカニンの寿命を知っているかい?」
「え?」
「不思議な種でね。したづみポケモンの名の通り、ツチニンの状態だと10年以上生きるが、テッカニンに進化した後は短命だ。長くても2年が限度だろう」
長くても2年。
クレナはテッカニンのボールを見つめた。
「進化すれば長くは生きられない。だが、彼らはそれでも進化する」
「……子孫を残すためですか?」
「そうだろうね。だが、彼らもそれでは寂しいと思うんだろうか。忘れ形見のヌケニンはツチニン以上に長生きらしい。いつの間にか、元々いなかったかのように消えてしまうことも多いらしいけどね」
依頼主は、クレナの両手の中のボールに優しく触れた。
「ポケモントレーナーじゃない私では、彼女の短い命を燻らせてしまう。この子は野生に帰そうと思うが……もし良かったら、君がこの子を連れて行ってくれないか?」
「テッカニンを?」
「君の負担にならなければ、だが」
「…………」
クレナは思案した。
このテッカニンを連れて行く。それはクレナにとって嬉しい提案であった。
だが、残りの短い生涯をクレナと過ごすことは、テッカニンにとっては不幸なことではないのだろうか?
テッカニンは野生に帰り、お婿さんを見つけるべきなのではないのだろうか……?
「あの、すみません。一緒に……近所の公園まで来て頂けませんか?」
「良いよ」
クレナはテッカニンのボールを握ったまま、依頼主を連れて、ツチニンがテッカニンへと進化した公園へと向かった。
「出ておいで、テッカニン」
クレナはボールを開くと、勢い良くテッカニンが飛び出し、クレナの周囲を旋回した。
「ジィーッ!」
「テッカニン。ここにはお婿さん候補がいるよ。見つけておいで」
「逃がすのかい?」
「……彼女がそう望むならば」
周囲を見回すと、丁度一匹のテッカニンが木に張り付き、鳴いていた。
「ほら、あそこにいるよ」
クレナが指差したそのとき、ジージーと鳴いていたオスのテッカニンはクレナのテッカニンに気がついたのか、求愛行動を示しながら近寄ってきた。
「ジィーッ」
「ジィーッ!」
だが、クレナのテッカニンは拒絶した。
近寄ってきたテッカニンを、鋭い爪で引っ掻いたのである。
「あ、あれぇ?」
負け蝉は悲しそうに去っていき、クレナのテッカニンは勇ましく鳴いた。
「ポケモンバトルだと勘違いしたのかもしれないね」
「ありゃー……」
依頼主とクレナが呆れる中、テッカニンの仮面のような黄金の外殻は太陽を浴び、満足気に煌めいている。
「もしかすると、この子はお嫁さんになるよりも、君と一緒に駆け抜けたいのかもしれないよ」
「…………」
「ジィーッ!」
テッカニンは鳴く。
虫の言葉はわからない。
だが、彼女は明らかにクレナを急かしていた。
早く次のバトルを! と。早く私に冒険を! と。
「テッカニン、私と一緒に来てくれる?」
「ジィーッ!」
「本当に、本当に良いの?」
「ジジィーッ!!」
人生を疾走する、テッカニンの渾身の一鳴き。
その声に後押しされるように、クレナはテッカニンをボールに収納し、依頼主を振り返った。
「あの、その。このテッカニン、連れて行きます」
「そうしてくれ。それが彼女の幸せだ」
依頼主は謝礼をクレナに渡す。
その中身は、契約分よりも幾分か多かった。
「こ、こんなに」
「私の気持ちだ、受け取ってくれ。君は良いトレーナーだ」
依頼主は、新人トレーナークレナに微笑んだ。
「……私はポケモンのことなんて、好きじゃなかった。だが、今年は見るよ、ポケモンリーグ」
「え?」
「期待しているよ、君とテッカニンに」
バッジを八個手にしたトップトレーナーだけが出場できる、大規模なポケモンバトル大会。
それがポケモントレーナーの祭典、ポケモンリーグである。
「あ、はははは」
そんな大舞台に出場することを期待されてしまったクレナは、照れ隠しに笑った。
「そう言えば、君はポケモンには名前を付ける人だったっけか」
「はい。クイタランにはくい太、オーべムにはジェントルと名前を付けています。そして、テッカニンには……」
クレナは暫し思案し、やがて人差し指を立てて提案した。
「「ジーン」にします!」
「gene。遺伝子、という意味だね。進化して、次世代にバトンタッチしていくテッカニンに合う名前だ」
「い、いや、単純に、ジージー鳴くから、ジーンという……」
一個目のバッジ、そして新たなポケモン。
クレナの寿命はテッカニンより長いが、授業免除期間はそう長くはない。
彼女はテッカニンに急かされるように、次の街を目指すのであった。