8話:したづみポケモンの進化
新人トレーナーのクレナがツチニンを預かってから、数日後……
すっかり定位置となった公園のベンチに腰掛けながら、クレナはポケモン図鑑のツチニンの項目を眺めていた。
「下積みポケモンのツチニンは、何年も真っ暗な土の中で、じっと動かず静かに暮らす……目は殆ど見えない」
クレナは横目で食事中のツチニンを見る。
初めて出会った頃のように爪で攻撃されるということは無くなったが、彼女(メスであった)は相変わらずアグレッシブであり、ジェル状のポケモンフーズを啜ってはクレナを威嚇し、啜っては威嚇していた。
「別に取り上げないから、落ち着いて食べなよ」
「ジィジジジジ!」
「どこが下積みポケモンなんだろう……地上でガンガン動き回っているし、ポケモン図鑑もいい加減だなもう」
ポケモン図鑑を上着のポケットに入れ、クレナはツチニンに目線を近づけた。
「ねぇ、ツチニン。どうすれば私は君と仲良くなれるかな」
「ジジジジッ!」
ツチニンに人間の言葉が分かるはずもない。
逆に、クレナにはツチニンの言葉などさっぱりわからない。
「私が強いトレーナーになれば、君は私を認めてくれる……?」
「ジジッ!」
もしかすれば、彼女は「ご飯がまずいわ」や「外は暑いのよ」と怒り狂っているのかもしれない。
だが、クレナはどことなく、彼女が「せめてバッジ一個くらい取ってきなさいよ!」と叫んでいるような気がした。
それはクレナ自身の声でもあったのだが、ジムバッジには中々手がとどかない。
「でもさぁ。勝てなくてさ」
クレナは回想をする。
今回のジム戦ルールは2on2。初挑戦時には一体目にストレート負けを喫したものであるが、現在では二体目までは難なく進めるようになっていた。
しかし、問題はそこからであった。
―ノズパス! 岩石封じ!―
ジムリーダーのニ体目の岩ポケモンが「強い」のである。
それは正しくクレナ達の前に立ちふさがる壁であり、彼が繰り出す岩攻撃にオーベムとクイタランは倒され続けていた。
オーベムのサイキック攻撃では重量級のポケモンを抑えきれず、クイタランの炎技は岩のポケモンに効果が薄い。
リフレクター、火傷を駆使して立ち回るも、最終的に岩攻撃により退路を塞がれ、KOされてしまうのが常であった。
「……まぁ、君に愚痴を零してもしょうがないよね。さぁツチニン、食事も終わったようだし、くい太とバトルだ」
クレナは脇に控えていたクイタランの背を軽く叩き、ツチニンと相対させる。
ポケットモンスターは、バトルの経験を積むことで進化が促進される。
クレナのアルバイトの内容は、ツチニンを進化させてヌケニンを依頼主に届けることであるが、肝心のツチニンは言うことを聞かず、一般トレーナーや野生ポケモンとのバトルをさせることができない。
それ故に、クレナは身内同士でのバトル(オーベムはバトルが苦手なので、実質クイタランと)を行うことで、ツチニンに経験を積ませていた。
「ジジジジッ」
「ん?」
いつもならば即座に飛びかかって来るものであるが、今日の彼女はいつもと様子が違う。
鳴くばかりで動かない彼女に首を傾げたクレナであったが、彼女の視界に泥が舞った。
「わぷっ!?」
慌てて顔の汚れを払った彼女は、同様に顔を拭うクイタランの姿を見た。
そして、あっという間に地面に潜っていくツチニンの姿も。
「しまった! ツチニ……」
非常時にツチニンの動きを止める役割を持つオーベムは、現在ポケモンセンターで休ませていて不在である。
ツチニンのボールを取り出し、彼女を回収しようとしたクレナであったが、既に手遅れであり、ツチニンは完全にその姿を消してしまった。
泥かけ、そして穴を掘る。
ポケモンの技を駆使し、ツチニンは逃げてしまったのである。
「ど、どうしよう。私、依頼主さんになんて言えば……!?」
目の前の穴を見つめ、クレナは真っ青になり、硬直する。
同時に、彼女の目から涙が溢れた。
―ツチニンは、私に愛想を尽かしたんだ。
―私が、バッジの一つも取れない駄目トレーナーだから……!
結局ツチニンに認めてもらえず、仕事をこなすこともできなかった。
虫ポケモン一匹、満足に育てられない。
後悔がクレナの思考を渦巻いていくが、そんな彼女を引き戻したのは、相棒の咆哮であった。
「ぶもぉおおおおおっ!」
クイタランは両腕を構え、鋭い爪で地面を抉った。
そのスピードは早く、彼は見る間に地面の中へと消えていく。
「……あ、「穴を掘る」? くい太!」
それは「技」であった。
やがて公園の地表が盛り上がり、長い顔に突き飛ばされ、地中からツチニンが跳ね上げられた。
「戻れ、ツチニーンッ!」
クレナはボールから照射される回収レーザーをツチニンに当て、彼女が地表に落下する寸前に、ボールへの回収を成功させた。
「……ねぇ、ツチニン。私は自分でも勘違いしていたんだけどさ」
クレナはツチニン入りのボールを両手に持ち、地表へと這い上がるクイタランへとかざした。
「私は、駄目トレーナーなんかじゃないよ。だって私は、くい太のトレーナーなんだもの!」
―
「ノズパス! 岩石封じっ!」
ツチニン脱走騒動のその日の夕方、クレナはジムリーダーへ挑戦した。
残りポケモンはお互いに一体。
ジムリーダーのポケモンが、クイタランの周囲に巨大な岩石を振り下ろす。
「くい太っ」
これで何度目の挑戦になるだろうか。
連戦連敗を続けていたが、これまでに足りなかったものが、今はある。
「穴を掘って脱出!」
「ぶもぉ!」
岩の牢の中、クイタランは地面で出来たバトルフィールドの床を掘り進む。
「地面技を!?」
「そして、突き上げろぉ!」
もはや迷いは無い。
今、クレナには確信に近い自信があった。
勝利し、クイタランと共に、一個目のバッジを手にする瞬間が来たのであると!
「ズプァアアア!」
クイタランの真下からの攻撃を受け、岩ポケモンの巨体が宙を飛び、落下する。
「……ノズパス」
自重に潰され昏倒した己のポケモンを見たジムリーダーは、穏やかな笑顔でポケモンをモンスターボールへと収納し、挑戦者へと告げた。
「おめでとうチャレンジャー。これまで、よく学んだわね。貴方の勝ちよ!」
「や、やった……」
「それでは、勝者の貴方に、こちらをお渡しします」
ジムリーダーの手からクレナの手に、トレーナーの実力の証拠が、煌めくジムバッジが、バッジケースと共に渡される。
もはや顔なじみと言って良いほど通っていただけに、遂に敗北したジムリーダーも感慨深いものがあったらしく、彼女はクレナと握手を交わした。
「クレナさん、自信を持って良いわ。勉強熱心な貴方は、きっと良いトレーナーになれる!」
「ありがとうございます!」
負け続けのスランプからの脱出。
ジムバッジと更新されたトレーナーカードを手に凱旋したクレナは、センターでポケモンの治療を行った後に、いつもの公園で祝勝会を行った。
「時間はかかったけど、念願のバッジだよ! ありがとう、ジェントル、くい太!」
『ようやくジムバッジをクレナ様に献上することができました。このジェントル、不覚にも涙が止まりませんっ……!』
「ぶも」
既に日は落ちており、人気はない。
オーベムはクレナから借りたハンカチを片手に涙しているが、クイタランは相変わらずの表情である。
「くい太が「穴を掘る」を覚えたのは、この技が使えるツチニンとバトルを続けたお陰かな? まぁ、公園に開けた穴を埋めるのはちょっと大変だったけど……」
クレナはモンスターボールを開き、ツチニンを呼び出す。
「見てみてツチニン。私、バッジを手に入れたよ!」
「…………」
「ツチニン?」
ボールから出てきたツチニンだったが、それは静かな召喚だった。
ツチニンはいつもの様に大暴れすることなく、静かにクレナを見上げているのだ。
「どうしたの、ツチニン」
クレナはジェル状ポケモンフーズをツチニンに差し出すが、彼女はそれを口にせず、静かにクレナに背を向けた。
「具合が悪いの……?」
ツチニンは、ベンチの近くの木に向かって進んでいく。
『もしや。進化の時が来たのかもしれません』
「えっ」
ツチニンは木に器用に爪を引っ掛けて登り、やがてその中腹で動かなくなった。
オーベムの推測は正しく、それはツチニンが進化の際に見せる習性であった。
「くい太、ジェントル」
クレナはクイタランとオーベムを引き寄せ、三人で彼女の姿を見守った。
「ジ」
見ていてね。
そう言わんばかりにツチニンは最後に一言だけ鳴いた。
彼女の背中が盛り上がり、ぱきり、という音とともに割れる。
ゆっくりと、「ツチニンだったもの」から、白い身体が抜け出し、透明な翅が広がっていく。
それは唯只管美しく、神秘的な光景であり、クレナは思考を止めて「進化」を見守った。
触れれば壊れそうな脆さであった身体はやがて色づき、黄金の仮面と鎧を纏った。
透明な翅は広がり、強靭に。
ツチニン時代からの名残である爪は、より大きく。
「ジィーッ!」
そして、これまでの静寂を打ち破るかのような、勇猛な一鳴き。
ツチニンは下積み時代に終わりを告げ、忍びポケモン「テッカニン」に進化を遂げたのであった。
「格好良い」
「ジィッ」
「進化おめでとう……テッカニン!」
「ジジーッ!」
どこにでも行ける翅を手にしたというのに、進化を遂げたテッカニンはクレナの周囲を周回するのみで、飛び立つ素振りを見せない。
「あぁ、嬉しいな。やっと君と仲良くなれた?」
『クレナ様、抜け殻を御覧ください』
「そうだ、ヌケニンは」
クレナがはた、と抜け殻を振り返ると、そこには天使のようなポケモンが浮いていた。
「けぇ」
幽玄に広がる羽根と輪。がらんどうの背中。だが、そこに確かに宿る命。
「……貴方が、ヌケニン?」
「けぇ」
生と死の狭間にいるポケモン、それがヌケニンであった。
動かず、呼吸もしないが、生きている。
その存在は、一生を疾走するテッカニンの置き土産なのだろうか……
「ヌケニン。貴方を必要としている人がいるの」
だが、クレナには疑問を感じている余地は無い。
クイタランとオーベム、そしてテッカニンに見守られる中、クレナは、空のモンスターボールをヌケニンに差し出し、そっと押し当てる。
ヌケニンは一切抵抗することなくボールに収まり、クレナは安堵の息をついた。
「よし。あとはヌケニンを届ければ、仕事は終わり。ジムバッジも手に入れたし、ようやくこの街から出られるね」
早速依頼主に連絡をすべく、クレナはポケモン達をボールに収納していく。
「でも、君とお別れするのは……ちょっと寂しいな」
「ジジィー」
言葉が通じているのかいないのか。
「そうね」と返事をするような鳴き方に吹き出しながら、最後にテッカニンをボールに戻し、クレナはポケナビの電話機能を開いた。