29話:トップトレーナーになった日
「ストーン、ナックル、バランス、ダイナモ、ヒート、フェザー、マインド……そして、レイン」
「…………」
「ジムバッジ、確かに確認しました。ランク8昇格、そして今季ポケモンリーグの出場権獲得おめでとう、クレナイ・クレナさん!」
ポケモンセンター職員は、クレナにバッジケースとトレーナーカードを返却する。
緑から紫色へと更新されたトレーナーカードは、クレナはもはやビギナーなどではなく、トップトレーナーの一人になったことを証明していた。
「私は、本当に八個集めちゃったんだ、ジムバッジ」
「ぶも」
「ゆ、夢じゃないよね?」
クレナはクイタランを振り返るが、帰ってくるのは相変わらずのジト目ばかり。
夢が覚める気配もなく、どうやら夢ではないようだった。
「信じられないなぁ……」
トレーナーカード更新手続きを終えた職員に礼を言い、ポケモンセンター内の宿泊室へと戻るクレナ。
窓を見ると、既に日は落ち、星が瞬いていた。
「この街の月夜も、これで見収めだね」
「ぶもぉ」
クレーターの街には数週間におよぶ滞在となったが、それも今日で終わり。
名残惜しさは残るが、トレーナー修行推進制度を利用した無料連泊期間は限界に迫っている。
後は、明日に予約している、港町行きのポケモンフライトタクシーを待つのみであった。
「バッジはちゃんと八つある。トレーナーカードも色が変わっている……」
部屋に戻っても落ち着かないクレナは、バッジケースの中身を再確認し、更新されたトレーナーカードを財布から取り出して、その裏表を眺める。
最後のジム戦を制したのは数時間前だが、彼女の頭は未だに冷めず、熱をもった状態だった。
「私、勝てたんだよね。あのジムリーダーに」
「…………」
「本当に、夢じゃないよね?」
「ぶもぉ」
「現実だよね?」
クイタランは落ちつけと言わんばかりに、クレナの腕に触れた。
「ぶも」
「……うん。そうだよね。最後はくい太が、決めてくれたもんね」
ポケモンリーグ出場を賭けた最後のジム戦は、厳しい戦いだった。
初戦勝利など適わず、クレナは負けて、負けて、負けて、負け続け、連敗記録は最初のジム戦を上回ってしまった。
油断したわけではない。
無策で挑んだわけでもない。
単純に、ジムリーダーが強かったのである。
プロの中でも「トッププロ」だけが就くことができるジムリーダーは、チャレンジャーのランクによって、使用ポケモンを変更する。
彼らはジム戦で、プロ公式戦でのフルメンバーを使用することは決して無いのだが……それでもランク8戦ともなれば、チャレンジャーは、ジムリーダーの「本気」の片鱗に挑むことになる。
即ち、トッププロとして使用しているポケモンの一体が、切り札として繰り出されるのだ。
そして、この街のジムリーダーが、ランク8戦の切り札として使用しているのは、水の龍キングドラ。
水とドラゴンの二つのタイプを有するキングドラは、水のフィールドを縦横無尽に駆け巡り、嵐を呼び、クレナのポケモン達を次々に倒していったのだった。
ポケモンバトルの祭典、ポケモンリーグはトップトレーナーのみが立つことが許される場。
その壇上に上がるためには、プロのポケモンを打ち破らなければならない。
―駄目だ、勝てない……!―
数時間前も、クレナは前回、前々回、前々前回の挑戦と同じように、キングドラの前に窮地に陥っていた。
戦えるポケモンは残り一体、クイタランのみ。
テッカニンの技「日本晴れ」で、バトルフィールドを水タイプが不利な状況へと変えることには成功したが、いくら水技の威力が減少すると言っても、クイタランは水に弱い炎タイプである。
そして、キングドラは炎への強い耐性を持つポケモンであり、まともにやり合っては、とても勝ち目は無い。
だが、召喚されたクイタランは、不安を隠せないクレナを振り返り、いつものジト目と共に一言鳴いた。
―ぶも―
嵐を纏うキングドラへと相対する彼の背に、恐れは無い。
クレナは己が握り締める、クイタランのモンスターボールを見る。
相棒の証が、エースシンボルのコーデシールが、強い日差しに照らされて煌めいていた。
―さぁ、決着の時です!―
ジムリーダーの指示と同時に、キングドラのハイドロポンプがクイタランを襲う。
―くい太ぁ!―
弱気を振り払い、クレナは、クイタランに技を指示する。
私たちは、弱くない。
ここで勝って、証明してみせる!
クレナの意志と呼応するかのように、強い日差しを浴びるクイタランは両腕を突き出し、そして放った。
水の大砲を撃ち抜く、巨大な光の束を。
「…………」
それが、数時間前のこと。
クレナのクイタランは、水しぶきを全身に浴びながらも見事キングドラを下し、勝利の栄誉と八個目のジムバッジをクレナに与えたのであった。
「あ、そうそう。バッジ八個獲得したトレーナーは、ポケモン協会のホームページに名前が載るんだってさ」
「ぶもぉ」
「どれどれ……?」
ベッドに腰掛けたクレナはポケナビを操作し、ポケモン協会ホームページへとアクセスする。
該当ページを開き、スクロールしていくと……最下層に、「クレナイ・クレナ」の名前が確かに刻まれていた。
「載ってる載ってる」
にやにやしてしまうクレナだったが、彼女はふと思い立ち、ページ内検索をかける。
「…………」
キザクラ・レモー。
リストの中腹付近に、ライバルの名はあった。
登録日を見ると、どうやら彼女は最後にクレナと会った後、間もなく八個目のジムバッジを入手したらしい。
「いよいよだね、くい太」
「ぶ」
「ポケモンリーグだよ。私たち、最高峰の大会に出るんだよ」
「…………」
「とにかく、凄いことなんだよ。出られるだけでも名誉な大会なんだよ?」
クレナはクイタランに、自分達が如何に凄いことを成し遂げたかを伝えようとするが、言葉のわからないクイタランに伝わるはずもない。
彼はいつものように、クレナにジト目を送るのみである。
「信じられないな。数ヵ月前まで、私はポケモンリーグなんて、テレビの向こう側の存在だと思っていたのに」
クレナは思い返す。
実況と共に放送される、ポケモンリーグの生中継。
台所でテレビを眺める、母の寂しげな後ろ姿。
母は、何を想って試合を見ているのか。
その背を見るのが、クレナは溜まらなく辛かった。
だが、今度は違う。
次のポケモンリーグの中継で母が観ることになるのは、去ってしまった父の幻影では無い。
「ねぇ、くい太。笑っちゃうよね。ポケモンバトルが嫌いだった私が、ポケモンリーグに出るなんて」
「ぶ?」
「多分、去年の私に話したら、ひっくり返ってるよ」
そんな中、クレナのポケナビに着信が入る。
「あっ。電話……母さんだ」
クレナはポケナビの受話ボタンを押す。
同時にTV電話モードへと切り替わり、ポケナビの液晶に、クレナの母親の姿が映し出された。
『クレナ。元気?』
「母さん」
『ポケモン協会のホームページ。見ちゃったんだけど』
「うん。今日8個目を手に入れたんだ。私、今季ポケモンリーグに出るよ」
『凄い。おめでとう、クレナ! それにしても……まさか、貴方がポケモンリーグに参加するだなんて、流石に思わなかった』
「へへへ、実は、私も……!」
クレナの母の声に反応したのか。
クイタランが、画面を覗きこむ。
『くい太』
「ぶもぉ」
『相変わらず、元気そうね』
「今日のジム戦は、くい太のお陰で勝てたんだよ」
『えぇ? でも確かあのジムって、水タイプ専門でしょう? 炎タイプのくい太でどうやって』
「それがね……」
クレナはよくぞ聞いてくれましたとばかりに、今日のジム戦の試合内容を語る。
母親はその言葉に耳を傾けながら、娘の嬉しそうな表情を見つめた。
『…………』
かつて、彼女の夫のユウゾウも、そんな顔をしていた。
彼は、諦めきれないポケモンマスターへの夢と、勝利への執着で、いつしかそんな笑顔など見せなくなってしまったが……
クレナの表情は、旅に出たあの日と変わらない。
とても良い笑顔だった。
『へぇ。クイタランは器用な種族だとは聞いていたけれど……そんな大技が使えるのね』
「…………」
『ねぇ、くい太』
母親は、画面に見切れているクイタランへと呼びかける。
呼ばれたクイタランは、ポケナビへとその顔を近づけ、クレナはその身を引いた。
『クレナを助けてくれてありがとう、くい太』
「…………」
『……どうか、ポケモンリーグでも、この子を支えてあげて』
「ぶも」
「あはは。くい太は、母さんの言葉がわかるのかな?」
母親の頼みに返答するかのように鳴いたクイタランの顔を、クレナは覗きこむ。
「……くい太?」
クイタランは、ただ見つめていた。
画面越しの、クレナの母親の瞳を。彼にとって大切なものが、そこにあるかのように。
「…………」
「どうしたの、くい太?」
「……………………」
クイタランは画面から視線を放し、クレナの脇で寝そべった。
どうやら、もう電話は十分らしい。
「どうしたんだろ、くい太」
『くい太は、私に約束してくれたのよ』
「へ?」
『うふふ。なんてね……! ところでクレナ、一度家に帰ってくるの?』
「ごめんね母さん。ポケモンリーグ開催まであまり期間は空いていないし、シダケには戻らない。リーグにはミナモの船便で行くよ」
『そっか。わかった。私、応援しているわ』
「うん。また電話するね」
クレナは電話を切り、脇で寝そべるクイタランを見下ろす。
「ねぇ、くい太」
「ぶも」
「あのさ」
「……ぶ」
「私、やっぱり旅に出て良かったよ」
「…………」
「母さんだけじゃない。大舞台で、「クイタランと私」の強さ、あのアイアントとレモーに見せてあげなきゃね!」
「ぶもぉ」
画して、見事バッジ八個を獲得し、トップトレーナーの一人となったクレナイ・クレナ。
彼女が挑むは、ライバルが待つ真剣勝負の大舞台……ポケモンバトルの殿堂ポケモンリーグ。
「未来のポケモンマスター」の打倒を胸に、クレナは相棒達と共に、当地方ポケモンリーグ開催地である、花が咲き誇る南国の島を目指すのであった。