2話:レモーとアイアント
ポケモン処女の卒業。
公園のベンチに座り、「初ポケモン」と向かい合うクレナは、そのポケモンの愛想の悪さに苦笑いをした。
「ぶも」
炎ポケモンのクイタランは、可愛げのない瞳をクレナに向ける。
「まぁ私に炎を吐いてこないから良いけどさ」
クレナはクイタランの捕獲後、ポケモン協会のスタッフに彼の今後の扱いを相談した。
傷の治療法、身体の洗い方、餌の種類……
クイタランの傷の手当とシャワーは、母の協力を得て既に済ませている。
幸いなことに、クイタランは炎タイプのポケモンだが、シャワーや水浴び程度ならば平気であるとのことであった。
(シャワーで濡れて細くなったクイタランは、クレナに不満気な表情を終始送っていたのだが)血と泥に塗れていたクイタランの身体は一先ず清潔となり、残る問題は食事だけである。
「クイタランってアイアントを主食にしているんでしょ? それなのに、返り討ちにされちゃうなんて」
クイタランは本来は外国に生息するポケモンであるのだが、ポケモン協会のスタッフ曰く「数年前の豪雨と干ばつを期に、この地方で多くの外来種ポケモンが確認されるようになった」とのことだった。
また、外傷は同じく外来種である「アイアント」の群れに襲われたことによって付けられたものではないかと。
クレナは細長い容器に汎用液状フーズを注ぎ、クイタランに差し出す。
ポケモン協会のスタッフが勧めた品であるが、果たしてクイタランは食べるのか。
「…………」
容器を器用に両手で受け取ったクイタランは、暫く容器を見つめた後に、長い舌を容器の口へと突っ込んだ。
ポケモン協会から支給された「ポケモン図鑑」によると、クイタランは炎の舌でアイアントを捕食すると書かれているが、今のクイタランの舌からは炎は出ていない。
「いつも炎を纏っているわけじゃないのね」
美味しいのか、美味しくないのか。
いつもジト目のクイタランからは伺えないが、一先ず食べられるようである。
長い舌を使って器用に液体を舐めとるクイタランを横目に、クレナは今後の方針について考えた。
授業免除期間はそう長くない。とは言え、クレナには目標があるわけではなかった。
トレーナー見習いは、プロトレーナーを目指すべく各地のポケモンジムを巡り、そしてポケモンバトルの祭典ポケモンリーグを目指す者が大多数である。
だが、クレナはポケモンバトルというものに魅力を感じることができず、かと言ってコンテストの道に進むという気も起きなかったのだ。
「……とりあえず、名前をつけようかな。いつまでもクイタランじゃ、少し寂しいし」
クレナは食事中のクイタランに向かい、人差し指を立てて提案をした。
「せめて名前だけでも可愛く、「くい太」でどうだろう。食い気も有るようだし」
「ぶも?」
「うん。君は今日からくい太だ」
命名、くい太。
自己満足に満ちたクレナが一人頷く中、彼女の背に声が掛けられた。
「ちょっと安易すぎるんじゃない?」
「わっ」
クレナが声に振り向くと、そこには「お嬢様」が立っていた。
「レモー。帰って来てたの?」
「ちょっと家の用事でね。でもまた直ぐに出発するわよ」
お嬢様のレモー。
帰国子女である彼女はクレナの友人であり、数カ月前にポケモン修行の旅に出たトレーナーである。
「ジムバッジも3つ集めたわ。この調子で、ポケモンリーグを目指すんだから!」
レモーがバッジケースを開き、磨かれた3つのバッジをクレナに見せつける。
ジムバッジは、公認ポケモンジムのリーダーに認められたトレーナーに渡される品であり、トレーナーの実力の指針となる。
このジムバッジを8つ集めたトップトレーナーのみこそが、ポケモンリーグの参加資格を得るのだ。
「ところで、クレナ。聞いたわよ。貴方もついに旅に出るんでしょう? だったら、バトルしましょうよ!」
「えぇっ。でも」
「バトルをしてこそのポケモンよ。あそこにポケモンバトル用のコートもあるし。さぁ、さぁ!」
「わ、私はバトルは」
レモーはクレナの手を取り、彼女を強引にバトルコートへと引っ張っていく。
「お、バトルか」
「女の子のトレーナー同士だ」
「クイタラン? 渋いポケモン連れてんなぁ」
公園のギャラリーはぞろぞろとバトルコートの周囲に集まり、クレナはもはや逃げられない状況となってしまった。
「レモー。私、ポケモンバトルなんてしたこと無いよ」
「勿論、ハンデは付けるわ」
「ハンデ?」
「私はそのクイタランに、このポケモンで勝負してあげる!」
レモーはボールを取り出し、コートへと投擲した。
「行きなさい、シロガネッ!」
ボールから飛び出したのは、鎧を纏った虫ポケモン。
クイタランが主食とする「アイアント」であった。
「あ、アイアント?」
「圧倒的な相性差。これならハンデは十分でしょ? さあ、クレナ。先行は譲るわ。かかってきなさい!」
天敵が目の前にいるというのに、アイアントは恐れを感じないのか、クイタランを挑発するように大顎を打ち鳴らしている。
クレナが脇のクイタランを見ると、彼は両手を広げ、出現したアイアントを威嚇していた。
「くい太」
これは、かつてアイアントに敗北を喫したクイタランにとってはリベンジマッチとなる。
クイタランはアイアントを食べ、アイアントはクイタランに食べられるもの……
クイタランの威嚇は、そのことをアイアントと、そして己自身に認識させるかのようであった。
「……も、もう。こうなったらやけくそよ」
クレナは思い返す。
図鑑に記載されていた、クイタランが使える炎技は……
「くい太っ、炎の渦!」
クレナはクイタランに指示を出すが、彼はクレナに困ったような視線を送る。
「あっ……」
クレナはレモーに待った、の合図をした。
まだ一切訓練をしていないため、「炎の渦」だけでは、クイタランには何のことやら分かるはずもないのだ。
「こ、これ!」
クレナはポケモン図鑑を操作して「炎の渦」の項目を表示し、クイタランの目の前で動画を再生する。
動画では、ロコンが口から放った炎が相手ポケモンを囲み、逃げ場を封じていた。
「これが炎の渦。わかる?」
クイタランからの返事は無い。
だが、クイタランは動画から目を離し、対峙するアイアントを睨みつけた。
「よ、よし。もう一度……アイアントに、炎の渦っ!」
「炎の渦」が何を示す言葉かを理解したらしく、クイタランは細い口から、ロープのような炎を掃射した。
長い舌のようにうねる炎がアイアントを襲うが、
「シロガネ、穴を掘る!」
レモーの指示により、アイアントは地中に姿を隠してしまった。
「い、一瞬で穴を」
「それがポケモンの凄さって言うものよ。でも、本当に凄いのはここから!」
地中が盛り上がり、クイタランに迫る。
「くい太、気をつけ」
言葉の終わりを待たずに、クイタランの身体が宙に飛ぶ。
アイアントの「穴を掘る」が炸裂したのだ。
「シロガネ、噛み砕けっ!」
「キョオォッ!」
レモーはアイアントに追撃を指示する。
アイアントは宙のクイタランに飛びつき、その肩に大顎を刳りこませた。
「く、くい太」
苦悶を漏らすクイタランの腕は、流れ出る血で染まっていく。
―炎の渦で反撃だ!
そう叫びたかったが、声が詰まり、クレナはクイタランに指示を出すことが出来なかった。
テレビ越しでは無い本当のポケモンバトルを前に、クレナは頭が真っ白になってしまったのである。
「フィニッシュよ、シロガネ! アイアンヘッド!」
これが、ポケモントレーナーの差であるのか。
絶対的な相性差が有るはずの相手に何も出来ぬまま、クイタランは腹に強烈な頭突きを受け、クレナの目の前で昏倒してしまった。
ー
「あんな負け方。駄目なトレーナーだなぁ、私」
夕焼けの中、初バトルにして惨敗を喫したクレナは、ポケモンセンターからの帰路についていた。
ポケモンセンターは、傷ついたポケモンの治療を基本無償で行う国営施設である。大怪我こそしていないものの、クイタランは元々捕獲時に傷を負っていたこともあり、一晩だけセンターに入院することとなった。
「くい太もきっと怒っている」
クレナの目から涙が溢れる。
負けた直後は負傷したクイタランをポケモンセンターに運びこむことでクレナの頭は一杯になっていたが、時間が経つにつれ、じわじわと悔しさが彼女を苦しめた。
自分が未熟なせいで相性有利な相手に惨敗し、クイタランのリベンジマッチをも台無しにしてしまったのだと……
悔しい。
悔しい。
悔しい。
『ああ』
悔しい。
悔しい。
悔しい。
『どなたか、いませんか』
このままじゃ駄目だ。
私は勝ちたい。
レモーに勝てるようになりたい。
『助けてください』
私はもっと強く……
……………
「え?」
声に気がついたクレナは現実に戻り、慌てて周囲を見回した。
その声は音と言うよりは……まるで、彼女の思考に、何者かが直接呼びかけているかのようだった。
『死にそうです。助けてください』
一体何者かはわからないが、伝わる声は弱々しい。
このまま放置するわけにもいかず、クレナは「声」に対して返答をする。
「だ、大丈夫ですか?」
『あ、ああ良かった……ワタシの声が届いた……』
「どこにいるんですか?」
『そ、そこの草むらの中です』
「草むら?」
『そこからちょっと右です』
「右」
『あっ、行き過ぎです。岩のあたりです』
「岩のあたり……」
導かれるままに声の主を探すクレナは、やがて岩の側で行き倒れている存在を発見した。
「……リィイ」
模様の入った大きな頭部。水色の身体。マーブルチョコのような粒粒付きの腕。
覗きこむクレナに、ポケモン「リグレー」は弱々しく手を降った。
『……た、食べ物を……分けて頂けませんか……』