15話:少女は雨に唄う
ポケモンジムから一歩外に出たクレナは、雨が降っていることに気が付き、折り畳み傘を取り出しながらため息をついた。
「弱ったなぁ」
雨と曇り空は、重いクレナの気分を更に沈ませていく。
クレナが目下の目標としていた、三つのジムバッジの入手。
その目標に手が届こうとしているというのに、三番目のジムリーダーは易々とはバッジを渡してはくれなかった。
攻撃力、耐久力、そして機敏な動き。
今回のジムリーダーが繰り出すポケモンはその全てを備えており、まさに優等生なバランス型と言えた。
―くい太、ジェントル、おむ奈じゃあの動きに追い付けない。
―ジーンの速度なら圧倒できるけど、一度でもあの爪の攻撃を受けたら駄目だ。
弱点らしい弱点が見つからない。
そんなポケモンを相手に、一体どうすれば勝てるのか……脳内で反省会を行うクレナであったが、攻略方法が浮かばない。
何よりも厄介なのは、相手の素早さであった。
彼女の手持ちポケモンは素早い動きを苦手としている者が多く、一方で、先手を取れるテッカニンはジムリーダーのポケモンを一撃で倒せるほどのパワーが無く、反撃を凌げるほどの耐久力も持っていなかった。
―おむ奈のパワーと硬さなら、何とかならない気がしないでもないのだけど。
あの爪を受けるだけの耐久力。
そして、あのタフなポケモンを一撃で倒すだけの火力。
クレナの手持ちでそれを併せ持つのは、唯一オムナイトのみであった。
しかし悲しいかな、彼女は即座に「無理」であると判断した。理由は、オムナイトの素早さにある。
いくら火力があると言えども、彼女の素早さでは、相手に攻撃を当てることすら難しいだろう……
「ごめんね、おむ奈。水中戦だったら、きっと君の独壇場なんだろうけど……」
雨の中、腰のボールホルダーに向かって話しかけるクレナであったが、
「キィ!」
突然ボールが開き、オムナイトが勝手に外へ飛び出した。
その身体にはジム戦のダメージが残っているが、彼女は「落ち込まないで!」と言わんばかりにクレナに身体全身を使ってボディランゲージを行った。
「おむ奈」
「キィキィ」
そして、雨が降っていることに気がついたオムナイトは、嬉しそうに鳴き、触手を天に広げた。
全身に雨を浴び、陽気に唄いながら、彼女はくるり、くるくると回る。
その姿は、まるでダンスを楽しむ少女のよう。
敗戦の痛みなど、彼女には存在しないのか。存在したとしても、涙はこの雨で洗い流されてしまうことだろう。
「…………」
そして、オムナイトが、あまりにも楽しそうなものだから……
「おむ奈、私も混ぜて」
そんな歳でもないでしょう、とは思いつつも、重い荷物を雨のかからない屋根の下に置き、傘を閉じ。
少女クレナはオムナイトの傍に立ち、雨の中、オムナイトと共に踊った。
「♪」
オムナイトは陽気に唄って踊る。
雨は、地上へと生きる場所を移した彼女への祝福だった。
全身を濡らす雨はオムナイトに海の温もりを思い出させ、力を与えてくれる。
心は弾み、身体は軽い。
「♪」
クレナも鼻歌を歌い、オムナイトの傍でくるくると踊る。
ダンスが好きな性質では無いのだが、オムナイトと共に踊ると、妙に楽しく感じられた。
服は水を吸い、靴はガポガポ音が鳴っており、髪は顔に張り付いてしまっていたが……心は弾み、身体は軽い。
「♪」「♪」
人とポケモン。
二人の少女は雨の中踊る。
だが、「紳士」を筆頭に、旅のお供はそれを最後まで許してはくれず……
「ピイイイイ!」
「わっ、ジェントル」
『風邪をひいてしまいますよ、クレナ様!』
ボールから勝手にオーベムが出てきたのを皮切りに、テッカニン、そして水が苦手なクイタランが渋い顔でボールから現れ、クレナ達を屋根の下へと引っ張っていったのであった。
「ぶも」
「そ、そんなに渋い顔で見ないでよ、くい太。直ぐにポケモンセンターに行くからさ」
排熱をしてクレナを暖めるクイタランの表情は、まるで子供の無茶をたしなめる父親のようであり。
一方で、テッカニンはオムナイトに向かって叱る様に鳴いた。
「ジィー!」
「キィ」
「ジジィーッ!」
「キキキィ」
だが、オムナイトに反省の色は見られない。
彼女はわきわきと触手を動かし、陽気に鳴いた。
『雨は楽しい。自然と身体が動く!……だそうです』
オーベムからタオルを受け取ったクレナは身体を拭くが、その眼前で、オムナイトはダンスを続けた。
いつも身体が重そうだった彼女であるが、水を得た魚、否、貝は触手をうねらせ、機敏に動いている。
「ジッ」
その姿にテッカニンは驚いた。「あのおむ奈が、こんなに機敏に動けるなんて」と。
「うぅむ」
一方で、クレナは若干の後悔を覚えていた。
オムナイトにはどうやらダンスの才能があるらしい。
女の子らしくオムナイトに「おむ奈」と命名したのであるが、もしかすると「オムボルタ」や「オムデー・ナイト・フィーバー」の方が良かったのではないか……と。
そんな中、オーベムはクレナに声をかけた。
『クレナ様。ワタシが以前読んだ書物に書かれていたことなのですが、「すいすい」と呼ばれる特性を持つポケモンが存在するそうです』
「すいすい?」
『ええ。その特性を持つポケモンは、激しい雨の中に限り動きが機敏になるのだとか。もしかすれば、彼女も……』
特性すいすい。
確かに現在のオムナイトの状態は、その特徴と一致している。
「ぶ……」
クイタランはゲンナリとした表情と共に、「雨の中で元気になるなんて、水ポケモンの考えることはわからん」とばかりに鳴いた。
「雨の中なら、おむ奈は素早いポケモンになれるってことだね。でも、野良試合ならともかく、ジム戦は屋内だ」
屋内で雨を降らせるなんて無理がある。
スプリンクラーを壊せば再現可能であるかもしれないが、そんなことを故意にするわけにもいかない。
「いや、待てよ。案外、「雨を降らせる技」が使えるポケモンがいたりして?」
未知のパワーを秘めているのが、ポケモンというものである。
クレナはクイタランに視線を向けるが、彼の表情で全てを悟った。
クイタランには無理である……
次に、クレナはテッカニンの方を見た。
「ジーン。雨を降らせる技、持っていたりする?」
「ジジジジジッ」
言葉が伝わっているのか、伝わっていないのか。
「ジーッ!」
テッカニンは翅をより激しく震わせ、爪を広げ、強く鳴いた。
「…………」
雨が止み、快晴となってしまった。
「ジ?」
「キィ?」
テッカニンとオムナイトが顔を見合わせる中、苦笑いでクレナはオーベムと向き合った。
「ジ、ジェントル。出来たりする? 雨を降らせる技……」
『雨を降らせる技ですか?』
困惑気味のオーベムであったが、やがて彼は覚悟を決めたように念を送った。
『ワタシは紳士。やってみましょう。リグレーの一族に伝わる奥義を!』
「おおっ!?」
クレナが期待を込めて見守る中、オーベムはピヘンと咳をし、両腕を天に掲げ……その手を合わせ、
「ピピピィ♪」
「ピィピィー♪」
「ピィー、ピィー、ピピィ♪」
ふりふりふり、と可愛く踊った。
「……………」
「ぶも」
「ジー」
「キィ♪」
しかし、何も起こらない。
『い、以上。リグレー一族伝承奥義・雨乞いの舞でした……』
顔を赤らめたオーベムがクレナの傍に戻り、その顔を両手で押さえる。
恥ずかしさで瀕死状態の彼を見かねたクイタランが、その背を軽く叩いたそのとき、
「わっ」
「ぶもっ!?」
局所的に集中豪雨が起こった。
「す、凄い!」
『嗚呼、クレナ様。このジェントル、「雨乞い」に成功したのですね……!』
豪雨の中、オーベムはさめざめと涙する。
その前方でオムナイトは再び踊りだし、テッカニンは「調子に乗るな」とばかりにオムナイトに一喝し、そのシュールな光景を眺めるクイタランはつぶやいた。
「ぶも」
風邪をこじらせる。いい加減ポケモンセンターに行こう、と。
―
そして、その翌日。
クイタランの助力もあって服と靴を乾かし、風邪もひかずに済んだクレナは、ジム戦へと再挑戦していた。
「くい太、乱れ引っ掻き!」
「ザングース、ブレイククローッ!」
ジムリーダーのザングースとクイタランが組み合い、技を繰り出す。
お互いの大きな爪がぶつかり合い、打ち合うが、先発のテッカニン戦のダメージが蓄積していたザングースは、クイタランの乱れ引っ掻きを耐えることができなかった。
「やるなチャレンジャー。昨日より良い動きじゃないか」
「ありがとうございます」
「だが、このポケモンに勝てなければ、ジムバッジは渡せない!」
所有バッジ二つのクレナが挑むのは、ランク3認定戦である。
このジムにおけるランク3認定戦ルールはシングル戦であり、ジムリーダーが繰り出す二体のポケモンを、チャレンジャーが所有する六体以内のポケモンで倒すというものであった。
「行け、ヤルキモノ!」
ジムリーダーが次に繰り出したのは、ノーマルタイプのポケモンのヤルキモノである。
前回の挑戦では、クレナ達はこのヤルキモノに一切対抗できずに負けてしまったのである。
「切り裂け!」
「炎の渦っ!」
クイタランが炎の渦を射出すべく息を吸い込むが、その懐にヤルキモノが飛び込み、彼の腹に爪の一撃を叩きこんだ。
つんのめったクイタランが体勢を立て直したそのとき、既に前方にヤルキモノの姿は無かった。
「くい太、後ろに」
「騙し打ち!」
クイタランが振り返ると同時にヤルキモノの荒々しい一撃が叩きこまれる。
その攻撃は重く鋭く、クイタランはそのまま倒れてしまった。
「……やっぱり強い」
クレナはクイタランをボールに収納し、エスパータイプのシンボルマークが付いたボールを、腰のボールホルダーから取り出した。
「ジェントル。ごめんね、こんな役ばかりで」
クレナはボールをフィールドへ投げ入れ、オーベムを呼び出す。
専用グローブによってクレナの手へと戻ったボールを握る中、オーベムの念が伝わってきた。
『クレナ様の勝利に貢献できる。これ以上に嬉しいことはありませんよ』
クレナは、オーベムに礼は言わなかった。
今はバトル中であり、オーベムへの礼は勝利という形で応えなければならない!
「ジェントル、雨乞い!」
「ピィイイイ!」
ジェントルは祈りを捧げるかのように両手を天に向かって合わせ、舞い踊る。
だが、ジムリーダーのポケモンがその隙を見逃すはずは無く、オーベムの身体をヤルキモノの騙し打ちが襲った。
「ピギィッ!」
オーベムは宙を飛び、床へと叩きつけられる。
効果は抜群であり、彼の身体は、一撃で動かなくなってしまった。
もはや戦闘不能であるが、オーベムは自らの身体に水が落ちるのを感じた。
サイキックを応用した「雨乞い」により、室内に雨雲を生成し、局所的豪雨を降らせることに成功したのである。
「雨を降らせたか」
雨に打たれながら、ジムリーダーはほう、と息をついた。
ランク5以降は重量級のケッキングを使用したバトルになるが、ランク3戦ではその進化前のヤルキモノがエースとなる。
まだ経験も浅いチャレンジャーが、一体どのようにして素早いヤルキモノを攻略するのか。
ジムリーダーにとって、彼ら新人トレーナーが知恵を絞った戦略を見るのは大きな楽しみであった。
「さぁ、出番だよ、おむ奈!」
雨の継続時間はそう長くなく、勝負は短期決戦になる。
オーベムをボールに回収したクレナは、間髪いれずにバトルフィールドにオムナイトを繰り出し、叫んだ。
「転がって、追い詰めろ!」
「キィ!」
オムナイトは全身を大きな貝の中に収め、水飛沫をまき散らしながらヤルキモノへと回転し、猛進した。
その勢いは鈍重なオムナイトとは思えないほどのものである。
「ヤルキモノ、迎え討て!」
ジムリーダーはヤルキモノに回避ではなく、迎撃を命じた。
この豪雨ではヤルキモノの機動力を潰されてしまう。その上、「転がる」は早期に潰さなければ、威力が増し続ける技なのである。
「グアォ!」
ヤルキモノが迫るオムナイトを殻ごと切り裂くべく腕を振り下ろすが、
「キィッ!」
今のオムナイトは豪雨の力を得た砲弾であり、攻撃を弾き飛ばし、ヤルキモノの腹へと突貫した。
「弾けなかったか」
「おむ奈、まだまだっ! 転がる!」
オムナイトはヤルキモノに二発目の転がるをお見舞いすべく、フィールドを転がりながら旋回して加速をしていく。
「行けえ、おむ奈!」
「ヤルキモノ、堪えるんだ!」
オムナイトが二度目の転がるをヤルキモノにぶつけるが、防御に全精力を傾けたヤルキモノを倒すには至らなかった。
だが、ヤルキモノの体力は残り僅かであるのは明白であり、クレナは続けて指示を出した。
「転がる、三撃目!」
オムナイトはもはや止まらない。
だが、ジムリーダーとヤルキモノは迫るオムナイトに不敵に笑った。
「ヤルキモノ。どうやら、チャレンジャーはパワーもスピードも兼ね備えているようだ」
「グァオ」
「敬意を表して、見せてやろうじゃないか。ここ一番の大技を!」
更に加速をつけて迫るオムナイトに対し、ヤルキモノが構える。
―今のおむ奈は、きっとカビゴンでも止められない。
―ましてや、ヤルキモノでは!
勝利を確信したクレナであったが、信じられない未知のパワーを秘めているのが、ポケモンというものである。
「ヤルキモノ、起死回生!」
一体何が起こったと言うのだろうか。
クレナは理解が追い付かなかった。
「キィィッ!」
「お、おむ奈!?」
弾き飛ばされたのは、ヤルキモノでは無い。
オムナイトが、宙をくるくると飛び、フィールドへと落下していく。
「行け、ヤルキモノ!」
「あっ」
クレナが我に返った時、既にヤルキモノは無防備なオムナイトに向かって走っていた。
何故、勢いのついた「転がる」状態のオムナイトが弾き飛ばされたのか。
その答えは、ヤルキモノが攻撃を受けた瞬間に放った「起死回生」の技の性質にある。
この技は、使用したポケモンの体力が少ないほどに威力を増す技なのだ。
だが、クレナにそのことを知る余裕も余地も無く。
―嫌だ。
「起死回生!」
―負けたくない。
「……おむ奈っ!」
―ここで、負けたくない!
「キィッ!」
「水鉄砲!」
振り下ろされる腕に向かい、オムナイトは水鉄砲を放った。
目に雨が入り、クレナの視界がにじむ。
身体は雨で冷え切っているが、クレナの負けん気は熱く滾っている。
クレナは手で目を拭い、力の限り叫んだ。
「行けぇ、おむ奈ぁーっ!」
「キィーッ!」
陽気な貝の少女は、己が持つ力の全てを水鉄砲へと注いだ。
冷たい化石から蘇り、二度目の生を得たオムナイトは、己の心に正直であり、貪欲であった。
彼女は是非とも応えたかったのだ。
自分を信じるクレナの声に!
「……グ、グァ」
起死回生の一撃を叩きこまんとするヤルキモノであったが、豪雨の力を得てより強力となった水鉄砲を打ち破ることは適わず、じりじりと後退する。
豪雨はオムナイトのスピードだけでなく、水を使った攻撃の威力をも高めているのだ。
「キィィィッ!」
「グァオォアアアア!?」
やがて足を取られたヤルキモノは全身に水鉄砲を浴び、水浸しの床へと流されていく。
「ヤルキモノ!」
ジムリーダーは流されたヤルキモノに駆け寄るが、ヤルキモノは昏倒しており、戦闘不能の状態であった。
ジムリーダーは彼をボールへと収納し、クレナへと拍手を送った。
「チャレンジャー、君の勝利だ。天候を利用した戦術、見事だったぞ!」
「や、やった。勝てた……!」
雨乞いの効果が終わったのか、雨雲が消滅する。
クレナは水浸しのフィールドを走り、オムナイトの下へ駆け寄った。
「おむ奈ぁ!」
「キィィ」
ずるっ
「あ」
だが、足を滑らせてしまい、クレナはオムナイトの傍で派手に転倒してしまった。
「あいててて」
クレナの目から、ジム戦勝利の感動と、こけた気恥ずかしさから涙がこぼれる。
そんなクレナの顔にオムナイトはぬるぬるの触手を伸ばし、頬の涙を拭き取った。
「ぬ、ぬるぐちょだぁ……」
「キィキィ♪」
ジムトレーナーからタオルを渡されたジムリーダーは、クレナ達の傍に歩み寄り、ポケモンリーグ認定公式バッジを取り出した。
「ランク3昇格おめでとう。このバランスバッジは君のものだ」
「あ、ありがとうございます!」
立ち上がったクレナであったが、彼女はぶるりと震え、くしゃみをした。
全身余すことなく濡れており、髪からは雫が滴っていた。
「今後も頑張ってくれ。お互い風邪をひかないようにな」
「は、はい……!」
かくして、タオルと三つ目のバッジをジムリーダーから受け取った少女クレナは、見事当初の目標を完遂した。
だが、未だ彼女は知らない。
クレナの旅の切っ掛けである幼馴染は、クレナを引き離すかのように歩を進めていたということを。
―
クレナが三番目のジム戦に勝利した、丁度同じ時刻。
「あと二つで、ポケモンリーグに出場できる」
「キョオオオ」
「シロガネ、私たちは成ってみせるのよ」
アイアントを従え、六番目のジムを後にしたお嬢様のレモーは、バッジケースに並んだ六つのバッジを見つめて微笑んだ。
「トッププロの頂点。「ポケモンマスター」に」