1話:主人がクイタランに殺されて1年が過ぎました。
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件名:主人がクイタランに殺されて1年が過ぎました。
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いきなりのメール失礼します。
ヒサミツ・サヤカ、29歳の未亡人です。
お互いのニーズに合致しそうだと思い、連絡してみました。
自分のことを少し語ります。
昨年の夏、わけあって主人を亡くしました。
自分は…主人のことを…死ぬまで何も理解していなかったのが
とても悔やまれます。
主人はイッシュに頻繁に旅行に向っていたのですが、
それは遊びの為の旅行ではなかったのです。
収入を得るために、私に内緒であんな危険な出稼ぎをしていたなんて。
一年が経過して、ようやく主人の死から立ち直ってきました。
ですが、お恥ずかしい話ですが、毎日の孤独な夜に、
身体の火照りが止まらなくなる時間も増えてきました。
主人の残した財産は莫大な額です。
つまり、謝礼は幾らでも出きますので、
私の性欲を満たして欲しいのです。
お返事を頂けましたら、もっと詳しい話をしたいと
考えています。連絡、待っていますね。
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「何このスパムメール」
中学生の少女であるクレナは、携帯端末から迷惑メールを削除して机上を見る。
新品のモンスターボールが一つ、光に照らされて煌めいていた。
―不思議な生物、ポケットモンスター。略してポケモン。
ポケットモンスターの飼育には、ポケモン取り扱い免許証(通称:ポケ免)の取得が求められる。
ポケ免は講義と簡単な筆記試験をパスすることで取得できるものであり、クレナはつい先日に取得したばかりであった。
クレナの住む国では10歳以上の人間はポケ免の取得を許されており、更に取得後に申請をすれば、ポケモントレーナー修行のための授業免除期間が与えられるという制度が存在していた。
トレーナー修行推進制度はポケモンと共に暮らす術を身につけるためのものであり、また競技選手としての優秀なトレーナーの輩出も国の狙いの一つであった。トレーナーが鍛えたポケモン同士の対決、即ち「ポケモンバトル」は国境を越えて広まっており、今やポケモンバトルは国の威信を賭けた世界的競技と化しているのだ。
「修行の旅……ちょっと、憂鬱だなぁ」
この国の大多数の人間はこの制度を利用してきており、少女クレナもトレーナー修行に旅立とうとしている者の一人である。
クレナが10歳を迎えたころ、彼女は「最強のポケモントレーナー」を目指し旅立つ、近所の男の子達を何人も見送っていた。
それから数年後である現在。今度は女の子の友人達が「機は熟した」とばかりに一斉にトレーナー修行へと旅立ってしまった。
クレナはポケモンがあまり好きではなく、また、ポケモンバトルもどこか暴力的なものだと感じていた。それは今も変わっていない。だがクレナは取り残されるのは御免であり、気乗りはしないものの、遅れる形となりながら友人達の後を追うことにしたのだ。
「授業免除が受けられるんだから、良いんだけどさ」
「駄目よ、そんな不純な気持ちで旅に出るなんて。しっかり人生経験してきなさい」
「……まだポケモンを持ってすらいないんだけどね」
「貰うポケモンは決まった?」
「それが、どの子にしようかまだ迷っていてさぁ」
外出の支度をしながら、ポケモン協会紙を広げる母と会話を交わすクレナ。
トレーナー修行のための授業免除を受けるためには、ポケモンの所持が絶対条件であり、ポケモンを所持していない者は、ポケモン協会から扱いやすい初心者用のポケモンを受け取ることができる。
クレナはポケモンを飼っておらず、彼女はポケモン受け取りの書類申請のために、これからポケモン協会へ出かけようとしているところであった。
「だったら、ミズゴロウにしたら?」
「ミズゴロウねぇ」
「クレナはどんな子が好みなの?」
「可愛いのが良いかな。まぁ、協会に着くまでには決めるよ」
身支度を整えたクレナは、最後に机上のモンスターボールをバッグへと収め、のそのそと玄関へと向かった。
受け取れるポケモンは地方によって異なり、提示された数種の中から選ぶことができる。だが、意識の低さからか、クレナは最初のパートナーとなるポケモンを未だに選びかねていた。
「……行ってきまーす」
「行ってらっしゃい」
今日は快晴。良い御天気である。天気につられて、クレナの気分もどこかポジティブになってしまう。
協会までは家から約2kmの道程である。母に見送られたクレナは鼻歌交じりに川沿いの道を歩いて行くが、その中程で異様なものを発見することとなった。
「ぶもぉーうぅ」
「ん?」
ずっしりとしたポケモンが、排水溝に見事にハマっていたのだ。
「く、クイタラン?」
「ぶもぉーおぉ」
「どうしてこんなところに。アレって外国のポケモンなんじゃ」
紅い身体。長ーい顔。
クレナの目の前にいるのは、間違いなく炎ポケモンのクイタランである。
突然のクイタランの出現に、クレナは驚くと同時に冷や汗をかいた。彼女の脳裏に、出かける前に読んだスパムメールのタイトルが過ったのである。
―件名:主人がクイタランに殺されて1年が過ぎました。
「じょ、冗談じゃない冗談じゃないよっ!」
「ぶもおぉ」
クイタランの炎の舌で焼かれれば、大怪我は間違いない。例のスパムメールの夫とやらと同じ運命を辿る可能性もある。
「わわわわわ! 命だけは御助けを!」
クレナは後退りするが、身体のバランスを崩して尻もちをついてしまった。排水溝にハマるクイタランを前に、激しく慌てる彼女だったが……
「ぶもぉん」
「あれ?」
クイタランは特に炎を噴くわけでもなく、ただ悲しそうに鳴くだけである。
クレナがよくよく見ると、クイタランの体は鳥ポケモンに突かれたのか幾つもの傷が付いており、血が流れている。どこか、しょぼくれた情けない顔をしているようにも見えた。
「う、うぅん。動けないのね?」
「ぶも」
クイタランは怖いが、かと言って怪我ポケを放置しておくのは気が引けた。このまま放置していたら衰弱して死んでしまう可能性もある。
「わかったよ、手伝うよ。あぁもう、仕方がないなぁ」
炎を吐かれることを警戒し、クレナはそぉーっとクイタランの背後に回り、その胴体に両腕を回した。
クイタランは炎ポケモンだが身体はそこまで熱くない。火傷しないことを確認したクレナは、クイタランを力いっぱい引っ張った。
「ぶもおぉ!」
「んぎぎぎぎぎっ」
だが、平均体重58.0kgとされるクイタランは、女子中学生であるクレナには重すぎた。クイタランも頑張って身体を引っこ抜こうとするが、それでも抜けず。
「無理、無理無理。私の力じゃ抜けないよ! ダイエットしてよね!」
「ぶもぉん」
「もう、そんなに悲しそうに鳴かないでよ」
流石に諦めようとしたクレナだったが、クイタランの背には哀愁が漂っており、このままその場を立ち去るわけにもいかなかった。
「ひぃひぃ、もう消防呼ぶしかないかなコレ」
「ぶもも」
そもそも、クイタランはどうやってここにハマったのか。お腹が引っかかっており、物理的に引っ張り出すことが難しい状況だった。
汗を流し、弱音を吐き、しばらく不毛な努力を続けた上で……ふと、クレナに名案が浮かんだ。
「そうだ! いっそのこと」
抜けないのならば、入れてしまえば良いのだと。
「ボールに収まれば、ポケットサイズになるモンスター」
クレナはバッグから新品のモンスターボールを取り出し、そっとクイタランの背に押し付けた。
「だから、「ポケモン」ってね」
中央のスイッチが押され、ボールが開き、クイタランの身体をキャプチャ―ネットが包みこむ。同時にクイタランの身体は赤色のビームのようになり、排水溝から場所を変え、モンスターボールの中へと収納された。
ポケモン捕獲機モンスターボールは、それこそどんなサイズのポケモンであろうとも、捕獲及び収納してしまうことが可能なのである。
「よしよし、上手くいった。救助にも使えるなんて、便利な道具だね」
クイタランが収まったモンスターボールは激しく揺れており、クレナはモンスターボールを排水溝から離れた地面に置いた。
野生のポケモンを捕獲するには、ポケモンバトルで弱らせるのが必要不可欠であり、単純にボールを投げただけでは捕獲機としてはほぼ意味を成さず、簡単に破壊されてしまう。安物(200円)であるノーマルバージョンのモンスターボールとなれば、尚更である。
しかし、今回は捕獲が目的ではない。後はクイタランがボールを破壊して出てくるのを待つだけである。「モンスターボールの購入に使った200円が勿体ない」という気もしていたが、それは心の底に飲み込み……クレナは揺れるモンスターボールを眺めていた。
カチッ
「あれ」
いつ壊れるか見守っていたクレナだったが、モンスターボールは小さなロック音と同時に動きを止めてしまった。
暫く経ってもボールは壊れず、クイタランも出てこない。
「え?」
クレナは茫然として、動かぬモンスターボールを見つめた。
捕獲に成功してしまったのである。
既に弱っていたためか、バトルも無しに、クレナはクイタランをゲットしてしまったのだ。
「わ。私のポケモン?」
クイタランを捕獲し、晴れてポケモントレーナーとなったこの瞬間。クレナの脳裏には、再び例のスパムメールのタイトルが浮かんでいた。
―件名:主人がクイタランに殺されて1年が過ぎました。
「え、えええぇっ!」