こげ茶色のアゲハント
こげ茶色のアゲハント
こげ茶色のアゲハント
 僕は風邪を引いてしまって、しばらく森へ遊びに行くことができなかった。だから体調がよくなったその日、風邪で遊べなかった分まで思いっきり遊ぼうと、張り切って森へと出かけた。

 だが、そんな僕を待ち構えていたのは、いつも一緒に遊んでいるアゲハントの群れだけではなく、全身が黒に近いこげ茶色をした、悪魔のように見える色違いのアゲハントだった。

 鮮やかで美しい羽を持つアゲハントの群れの中に一匹だけ、みすぼらしく悪魔の顔のような模様をした羽を持つアゲハントを見た僕の背筋に悪寒が走った。あのアゲハントは何なのか? いや、そもそもアゲハントなのか? そんな疑念がよぎり、その場に立ち尽くして、色違いのアゲハントをまじまじと観察した。

 色違いのアゲハントと目が合った。その瞬間に僕の背筋にさらなる悪寒が走り、ふっと足の力が抜け、その場に尻もちをついてしまった。こげ茶色をしたアゲハントの、強調された赤い目が僕の目とあった瞬間、僕の体を一瞬にして恐怖が取り付いたのだ。恐怖。アゲハントから想像できない恐怖。

 動けない。動かそうとしても足も手も動かない。逃げ出せない…………!

 僕は牢屋に閉じ込められたのだ。日の出を見ることもならず、いくらあがいても脱出することが不可能、ただそこで動物のように飼われるだけの牢屋に。

 その牢屋の中で、僕の頭上に何かが触れた。そう思うと、僕の前に細長いストローのように巻かれたものが現れ、鳴き声がした。

「ハンちゃん…………?」

 頭上からうれしそうな鳴き声が続けて聞こえる。あれほど動かなかった僕の手がゆっくりと動き、頭に止まっているそれに触れる。それは平たい何かで、僕にはそれがすぐアゲハントの羽であることがわかった。

「ハンちゃん」

 今度は呼びかけるように言った。再び頭上から嬉しそうな鳴き声が聞こえてくると、ハンちゃんは僕の頭上から離れ、僕の前に現れた。いつにも増してにこやかな笑顔をしているそのアゲハントに、僕は勇気付けられるようにして、立ち上がった。

 僕がハンちゃんと呼んだこのアゲハントは、このアゲハントの群れで僕の一番の友達だ。僕の頭にとまるのがお気に入りのようで、僕がここに遊びに来るたびに、今のように僕の頭にとまりうれしそうな鳴き声を出す。ほかよアゲハントたちと遊んでいるときですら、とまっていることもある。

 僕が立ち上がるとほかのアゲハントたちも近づいてきて、僕の周りを飛び回る。久しぶりに来たからアゲハントたちも喜んでくれているらしい。僕は前にいるアゲハントたちの頭をなでてあげ、微笑む。

 しかし、その微笑みも再び目に映った色違いのアゲハントを見て、一瞬にして曇る。閃光のような赤い目と目が合うが、今は悪寒どころか恐怖も全く感じなかった。それどころか、僕を心配しているような表情を見せているのに気がつき、僕自身が少しいたたまれなくなった。

「大丈夫だよ」と僕はそのアゲハントの頭をなでながら言った。「ちょっと驚いただけだから。でも、もうなんともないよ」

 とはいえ、このこげ茶色のアゲハントの存在についての疑念は変わらなかった。色違いのポケモンといえば、めったに見ることのできない珍種だ。でも、この色違いのアゲハントは、アゲハント本来の綺麗さが損なわれているようで、あまり見たいと思えなかった。色違いのポケモンとは、必ずしも見たいと思う色をしたポケモンがいる訳ではないのだろうか。でも、それにしたって、綺麗なアゲハントの色違いがこんなになってしまうのは、不思議な気もした。

 僕の覚えている限り、風邪を引く前にこの森へ遊びに来たときには、この色違いのアゲハントはいなかった。風邪を引いたその日の昼間に最後に来たのだから、ちょうど一週間となるが、その間にここち来たのだろうか?

 色違いのポケモンは、他のポケモンと違う色をしているから、故に淘汰される数が多くないと言われるのを聞いたことがあった。でも、少なくともここにいるこの色違いのアゲハントは、他のアゲハントたちと仲良くやっているようで、考えている僕の周りを他のアゲハントたちと楽しそうに飛び回っていた。

 僕はそれを見て深く考える必要がないと思った。こげ茶色のアゲハントにある種の不気味さはあるけれど、遊んでいる姿を見たら、最初に感じた恐怖はなんだったのだろう、と思わされるばかりだった。

 その日は久しぶりに遊んだからか、いささかはしゃぎすぎてしまったらしい。僕はいつの間にかに眠っていたらしく、目を覚ましあたりを見回してみると、すでに暗くなっていた。幸いにも月が出ていたが薄暗く、その薄暗さがどこか僕に薄気味悪さを与えていて、僕は一瞬身震いした。

 くしゃみをした。薄暗い森の地面には、ところどころ黒い影ができていて、その影の出所を見てみると、木々の上にたくさんのアゲハントが止まっているからなのがわかった。僕はあたりを見回していると、ふっと何かが目に映り、隣を見てみると、そこにも一匹のアゲハントがいた。どうやら眠っているらしく、周りにいるアゲハントたちも静かで、目を瞑っているように見えた。

「そうか、僕ら眠っちゃったんだ」

 僕はふっと時間が気になった。この暗さだ。明らかに陽が落ちてから、数時間が経過しているのだろう。早く帰らないといけない。まさかこんな時間まで遊んでいたとなれば、どれほどしかられるかわからないし、もし何時間も帰らないとなると村中が騒ぎ出すかもしれない。

 それに、僕の住んでいるところは、一番近い工業都市部から十キロ以上離れたところにある小さな村で、還暦を迎えた人たちが大勢住んでいる。小さな村だと噂がすぐに広まし、みんな昼間の大変な農作業をして、僕の捜索をすることになれば負担になるだろう。

 ――早く帰らないと。

 僕は立ち上がった。しかし、いまこの場にいるアゲハントたちをこのままにしておくわけにもいかなかった。彼らにだってねぐらがあるのだから、そこに返してやらないと。

 と、僕の前にゆっくりと例のこげ茶色のアゲハントが現れた。あたりが暗いせいで、こげ茶色のアゲハントは真っ黒にみえ、逆に羽の模様は全く見えず、完全な黒いチョウになってしまっていた。僕は一瞬ドクケイルの姿が浮かんだ。

「君はもう起きていたんだね」

 色違いのアゲハントは鳴き声を鳴らす。どうやら、このアゲハントも疲れているのか、鳴き声にはあまり覇気がなかった。

「すぐに君たちのいたところに返してあげるよ」と僕は色違いのアゲハントに言った。「だから、他のアゲハントたちを起こすのを手伝ってくれないかな? 二人でやったほうが早いし」

 アゲハントたちを起こすと、僕の周りに集まってきた。頼りにしてくれているのかな、と思ってちょっと嬉しくなる。

 自慢ではないが、よくこのアゲハントの群れの中で遊んでいるから、群れのアゲハントの数がわかる。だから、集まった全部のアゲハントを見てあれ? と思った。数は足りている。でも何かが変だという違和感が消えない。

 そのときはっとわかった。数は足りている。でも、「数」が合っていないのだ。

 群れのアゲハントの合計は十三匹で、ここにいるアゲハントも十三匹である。ただし、その数字は色違いのアゲハントを含めてだ。

 僕は風邪を引いていてしばらくこれなかったから、今日この色違いのアゲハントの存在を知った。だから、十三という数字は、風邪を引く一週間前のものだ。だから、今日、初めて見た色違いのアゲハントを十三の中に含めてはいけないのだ。

 残りの一匹どこかにはぐれてしまったのだろうか……。それとも僕がいなかった一週間の間にこの群れで何かあったのだろうか。

 いずれにせよ、そのアゲハントがどこかにいってしまったことは確かだ。しかし、今この僕にできることは何もなかった。なにせ、あたりは月光が照らしているとはいえ暗いし、アゲハント一匹を探すにはこの森は広すぎる。それに夜風が冷たく、くしゃみを何度もしている。このままいけば、再び風邪を引いてしまうだろう。そうなれば、アゲハントを探すこともできなくなる。

 心苦しかった。でも、そんな僕を慰めるかのように、ハンちゃんや他のアゲハントたちは、早く帰ろうとばかりに僕の背中を押した。僕は村を目指して歩き始めるしかなかった。

 ハンちゃんたちが空に飛んで、村の方角を見定めてくれたから、村には時間さえあればしっかりとたどり着けるはずだったが、どうも森の奥まで入ってしまっていたらしく、なかなか村は見えてこない。今現在、僕らがどこにいて村までどれくらいなのかは、しゃべることのできないハンちゃんたちが教えてくれるはずもなかった。

 もし、僕が迷っていたのが都会だったら、いろんな目印があるだろうから、場所を判断することはできたかもしれない。しかし、森にそんな目印があるはずもなく、ただ同じ光景だけが延々と映るだけ。その同じ光景は僕らを酔わせ、感覚を麻痺させて、どこにいるのかをわからなくさせる。麻痺した感覚は、僕らを焦らせ、ここから出られないのかという恐怖と混乱を感じさせる。まるで迷いの森をさまよう幽霊の如く恐怖と混乱を……。

 さらに夜風という冷たい風が僕の恐怖をあおる。寒い……体が震え上がりっぱなしで、どこかだるさを感じ始める…………。

 チラッとアゲハントたちを見ると、どうもその恐怖と混乱を彼らは感じないらしい。みんな疲れ気味ではあるが、恐怖を感じ、あたりをきょろきょろしたり速度を速めたりするアゲハントは一匹もいない。この森に住んでいる彼らは、この同じ光景に慣れているのか、それとも、今現在どこにいるのかわかっているのだろうか。

 と、僕の頭に何かが乗ったと思うと、嬉しそうな鳴き声が聞こえた。僕は目線を上に上げ、ハンちゃんのストロー状の口が見えた。その口はいつものように丸まってはおらず、僕らの行く方向を示していた。その先に視線を移して見たのは、暗い月光のような薄暗い明かりではなく、赤々とした黄色いの明るい灯りだった。

 ――村だ!

 僕は衝動的に走り出した。危ないよ! といっているかのような心配そうな鳴き声が、頭上から聞こえたが、お構いなしだった。僕は一刻も早く村に戻りたかったのだ。だが、暗い森の中を走り足元に不注意だった僕は、木の根に引っかかって、転んでしまった。

「大丈夫だよ、ハンちゃん」と心配そうな顔をして僕の顔を覗き込んだハンちゃんに僕は言った。「ちょっとすりむいちゃっただけだから――」

 僕は立ち上がろうとした。しかし、そのとき、僕の目の前が突然ぐるぐると回りだし、意識が朦朧とし始めた。いったい何だ……そう思うまもなく、僕の意識は突然と失われ、再びその場に倒れた。

 ハンちゃんの鳴き声が最後に聞こえた。それだけは覚えている。


 僕が意識を取り戻したのは、それから二日後のことだった。僕が倒れた場所が村の近くだったこともあって、村の人が見つけてくれて、家まで運んでくれたのだという。意識を失ったのは、風邪を引き返し肺炎になったことによる、酸欠が原因ではないかとのことだった。

 それから数日間は外に出ることを禁じられた。もっとも、風邪のせいで外に出る元気すらなかったが、その間ずっとアゲハントたちのことが気がかりだった。

 数は足りているのに、合っていないアゲハント。何かがあったことに間違いはない。

 では何があったのか?

 そのことを考えているうちに、一つのひらめきがあった。

 もし、あのこげ茶色をした色違いのアゲハントが、行方不明のアゲハントだったとしたら?

 それならば、数が足りているのは当然で何の疑問もなかった。それに考えを進めていくうちに、色違いのアゲハントが行方不明のアゲハントの条件にぴったり合っていることがわかってきた。

 大概、新境地にやってくるとその新境地に慣れるまで時間がかかる。だから、僕が遊びに行って倒れたあの日、長く見積もって一週間の色違いのアゲハントが、ほかのアゲハントたちからはぐれず、馴染んで遊んでいるのは、どうも違和感がある。もちろん、馴染むこともあるだろうが、あの色のアゲハントでは、いくら友好的なアゲハントとはいえ、一週間ほどで村へ帰る最中のときのように馴染むのは、難しいと思う。

 また、最初に見たとき以降、色違いのアゲハントから最初に感じた恐怖は、まったく感じなかった。簡単に受け入れてはいたが、前述どおり簡単に受け入れるのは難しいだろうから、体が知らずと前に遊んでいた行方不明のアゲハントだと感じたのかもしれない。そうでなかったら、あのこげ茶色のアゲハントを見れただけで、恐怖を感じ、数時間はおろおろしながら遊んだに違いない。

 しかし、この考えには欠点がある。

 なぜ、普通のアゲハントが色違いのアゲハントに変わってしまうのか?

 常識的に考えて、色が変わるなんてありえない。突然変異ということもあるが、突然変異とは生まれたときに変化することであるから、突然変異ではない。

 となれば行方不明のアゲハントがこげ茶色のアゲハントであるということはありえない。だが、これだけの状況の中からこげ茶色のアゲハントが行方不明のアゲハントでないと結論してしまうのは、どうも腑に落ちない奇妙な違和感があった。

 以上のことを僕は、風邪を治す二週間弱という日々の中で考え出したことだった。日が経つにつれて、熱も下がり、頭の回転はよくなっていたが、これより先の結論は出すことができなかった。

 しかし、やるべきことははっきりしたように思う。

 色違いのアゲハントが、普通のアゲハントであるかないか、それを調査することだ。

 再び森に入ったのは、実に二週間ぶりだった。いつも風邪は一週間以内に治していたし、それ以上かかる病気や怪我もしたことがなかった。だから、二週間も森に行かなかったのでは、ハンちゃんたちも心配しているだろうから、ハンちゃんたちを安心させることができると思うと、僕はうれしかった。

 だが、そのときですらも、色違いのアゲハントから感じる奇妙な違和感が離れなかった。その感じとは別に、アゲハントの群れがいつもいる場所に近づくにつれて、恐怖感が強くなっていった。恐い……どうしてそう感じるかまったくわからない。だけど、その感じだけが、とにかくあった。

 その感じの原因を僕はうすうす感じていたのかもしれない。だが、僕の恐怖感はその光景を見ることで最高潮に達した。

 こげ茶色をしたアゲハントが集まってできた、闇の世界を目撃したことによって。

 通常の色をしたアゲハントなど一匹もおらず、すべてのアゲハントがこげ茶色をしている。僕は前の光景が理解できなかった。信じられなかった。ここは僕がいつも来て遊んでいたアゲハントの群れが、いつもいる場所であると信じたくなかった。そうここは違うんだ、と。

 一匹のこげ茶色のアゲハントがこちらを向いた。そのアゲハントは僕を見ると嬉しそうに笑って、こちらへと飛んでくる。僕はそのアゲハントから逃げ出したくなる恐怖を感じた。だが、逃げ出せなかった。体が硬直してしまい、手足を縛られ幽閉されているように指一本たりとも動けなかった。

 と、こちらへ飛んできたアゲハントの姿が突然、視界から消えた。そう思うと、僕の前に細長いストローのようにまかれたものが現れ、鳴き声がした。

「ハンちゃん…………?」

 頭上から嬉しそうな鳴き声が返ってきた。

 僕は叫びにもならない奇声を上げた。やっぱりハンちゃんなのだ。そして、ここにいるアゲハントたちは、二週間前に色違いのアゲハントが混ざっていて、僕と一緒に遊んだあの群れなのだ…………。

 信じたくなかった。だが、それが現実だった。

 なんともなかったアゲハントたちはみんな、こげ茶色をした色違いのアゲハントになってしまっていたのだ。

 そのとき、僕の目の前がぐるぐると回りだした。二週間前と一緒だった。ただ、意識が朦朧としたその瞬間に僕はその後のことを覚えていない。

 ハンちゃんの声も聞こえなかった。

 再び僕の意識が戻ったのは、それから五日後のことだった。

 何でも僕の診断された風邪という症状は、もっと深刻な病気だったらしい。長ったらしい医学用語の病名なんて覚えていないが、とりあえず肺炎を発症しているのは確かで、治療するために一番近い工業都市部にある病院に僕は入院をしていた。

 意識を取り戻すと、あの悪魔のようなアゲハントたちのことをすぐさま思いだした。そのことを見舞いに来ていた、お母さんたちに聞いてみたが、わからないとだけ。自分で確認するにも、退院できるのはだいぶ先らしいし、点滴を打たれているから身動きをすることもできなかった。

 もしかしたら、あれは夢だったのかもしれない。そんな願いを込めながら、ただ、僕は退院日を待っていた。

 そんなただ待ちぼうけの僕のところに、お母さんが初めて見る男の人を連れてきた。二十代ぐらいの痩せ型の人だった。

「初めまして、レアトくん」とその人は、ベッドの近くにある椅子に座って、僕を見ながら言った。

「初めまして」と僕は怪訝そうに答えた。

「何も警戒することはないよ。私は探偵のテクトというものだ」

「探偵?」

「そう。実はとある依頼人から、依頼を受けていてね、君が住んでいたあの村に私は滞在していたんだ。その依頼内容は、黒っぽい色をしたアゲハントの正体について」

「あのアゲハントについて知っているんですか?」と僕は驚いて聞き返した。

「そうだ。そして、私はあのアゲハントのことについての結果を提出した。ところで、聞くところによれば、君はあの変色したアゲハントたちのところに倒れていたらしいね。もしかして、君はあのアゲハントたちと友達だったのかい?」

「そうです。僕はあのアゲハントたちとよく一緒に遊んでいました。それより、あのアゲハントたちの結果って一体なんなんですか? あのアゲハントたちはいったいなんだったんですか?」

「それを君に話すためにここに来たんだよ。もうじき、そのアゲハントのことについて大々的に報道されるだろうからね。君の話を聞いて、アゲハントたちと友達だったら先に話しておいたほうがいいと思ってね。だが、先に忠告しておこう。これから話すことは現実だ。決して夢などではない」

 僕はうなずいた。だが、内心は恐怖心でいっぱいだった。僕が倒れる前に見た光景……それは、決して信じたくないことだった。それがいったいどんな展開を迎えるのか、それを知るのが怖かった。それでも、僕は知らなければいけない、そんな風に思った。

「君が知っている黒っぽいアゲハントは、すべてを物語っていたんだ。この町が――この工業都市部が犯していた罪をね」

「罪……ですか?」

「そうだ。この町にたくさんの工場があることは、君も知っているだろうか。その工場からはたくさんの煙が、吐き出されている。その煙の中には、多数の有害物質が含まれていて、風に乗って十キロも離れている君の村へと有害物質が飛ばされていたんだ。本来ならば、そんな有害物質を出さないように高機能フィルターを煙突につけなければいけないんだが、まったくそれをしていなかったみたいでね」

「いったいそれとあのアゲハントと何の関係があるんですか?」

「関係大有りなんだよ、あの変色したアゲハントとね。有害物質というのは、人間に多大な悪影響を及ぼすことがある。だが、人間には免疫というものがあるから、潜伏期間が長いが、ポケモンは違う。ポケモンなどの自然というものは、さまざまなことに敏感なんだ。もちろん彼らにも免疫はある。だが、人間と違って彼らは外で生活し、きのみなどの食べ物を洗わずに食べるだろう。だから、体に及ぼす影響もいち早く現れる。その影響というのが、アゲハントの変色だった」

「でも、そんなことがありえるんですか? 突然変異って言うのは――」

「突然変異とはつまり、生まれたときに何かしらの影響によるもので、変化するものだ。突然変異ではない」

「じゃあ、なんだっていうんですか?」

「あのアゲハントたちは、奇形に変異したんだよ。突然ではなく、徐々に風に乗って運ばれた有害物質を吸い続け、体の遺伝子情報が破壊されて変異したのだ」

「つまり、あのアゲハントは――――」と僕は言葉を呑んだ。

「あのアゲハントたちは」僕の言葉を引き継ぐようにテクトさんは言った。「奇形種だったんだよ。この工業都市部の犯した罪の被害者だったんだ」

 奇形種……その響きで僕の背中に悪寒が走った。あのアゲハントたちは苦しんでいたんだ。

 そのことに僕は気がつく手立てはあった。初めて色違いの――いや、奇形種のアゲハントと遊んでいたとき、楽しんでいたもののどこか疲れた感じがしていたではないか。特にあの夜、ほかのアゲハントたちを起こすときに、だいぶ疲れていたように感じたのを覚えている。

 それに僕自身だって、あのアゲハントと同じ運命をたどっていたのだ。工業都市部から出された有害物質によって、僕は肺炎をわずらい、今こうして入院している。奇形種アゲハントと出会う前の風邪という症状も、有害物質のせいだった。あのときから、行方不明だったと思っていたアゲハントは奇形種に変異してしまったに違いない。

「それで…………」と僕は小さくつぶやくような声で言った。「あのアゲハントたちは……?」

 テクトさんは口を開いたが、瞬間閉じた。言うのをためらっているようだ。だが、僕は薄々感じていた。テクトさんが重たい口を開く前から。この質問をする前から。

 ーーただ、信じたくなかった。

「アゲハントたちは全部死んでいた」

 テクトさんはこの話を始める前に言っていた。

 これは現実なのだ、と。


灰戸 ( 2015/07/06(月) 18:00 )