堕ちる夕日に照らされて
堕ちる夕日に照らされて
 聳え立つ木々が、辺りを犇めく草花が、喘いでいた。
 地を這う芋虫を、大鳩が鋭い眼で凝視する。大鳩は眼の性質上、見える世界が白黒に映り、背景と獲物の区別が付き難く成る。然し此の鳥は、自らの集中を一心に込め続けた結果、眼前の動きを確りと捉えられていた。一方で芋虫は、自身が狙われている事を知らず、悠長に家路を歩いている。平和な日常が魔の手に侵される事を、彼は未だ感知していない。
 此の芋虫は、此れまで非常に良く頑張ってきた。病気で死に瀕している母親の為に、毎日懸命に食料を運んでいたのだ。
 強風が吹き付け、木の葉が舞う。次の瞬間、大鳩は急降下する。途轍も無い速度で逼り来る巨影に、芋虫は気付いて慌てふためく。然し既に遅い。大鳩の、尖った嘴が、パカッと開く。自らの運命を悟った芋虫は、恐怖で全身が硬直し叫ぶ事すら出来無い。
 不意に風が止む。彼の視界は闇に染まり、其の命は消滅した。


 以上が僕の妄想である。心地よい風が吹いている中、のどかな自然公園の草むらで、野生の二匹を見つけた僕は、そんなことを考えていた。
 ピジョンとキャタピー。彼らは食べる側と食べられる側の関係にある。ポケモンが全く存在しない地域に住み、かつ図鑑の説明を鵜呑みにした人は、そんなふうに思っていることが多い。しかし実際は、ピジョンはキャタピーを襲わないし、食べるなんてこともしない。僕が今見ている二匹だってそう。一方は身体を反らしながら黙々と葉っぱを食べ、もう一方は首を上下に振りながらそこらを歩き回り、つまりお互い無関心だ。そもそもポケモンに食物連鎖は存在しない。ポケモンは基本的に木の実しか食べない。どうも向こうの人達は、そこをなぜか勘違いしている。
 僕はそんな彼らと違い、ちゃんと真実を知っている。なおかつその真実は、眼の前で克明に描かれている。しかし僕の脳内は、そんな真実とは正反対の、偽りの世界を描いていた。ポケモンがポケモンを食べる、ストイックな話。真実を知る人から見て、残酷だと思われる話。なぜそんな妄想をしたかというと、何の罪もないキャタピーが、いきなりピジョンに喰われたら、なんだかとっても嬉しいなって思ったからだ。
 僕がしていた妄想の中には、キャタピーはとても頑張っていたという設定が加えられていた。そう、これが重要だ。頑張った彼が、食べられてしまう。これはとても理不尽だ。キャタピーは頑張ったのに、報われない。そしてそれなら。それなら僕が報われなくても、何もおかしいことはない。そうやって考えることで、一定の安心感を得たかった。僕がどんなに頑張っても報われないことは理不尽で、眼の前に理不尽が存在するのなら、僕に理不尽が降りかかっていても、それはそうだと納得がいく。



 青く澄み渡る空の真ん中に、綿あめのような雲が浮かんでいる。 
 自然公園のベンチに座り、おもむろにタウンマップを取り出した。赤ペンで囲んである箇所を探し、そこが見えるように折り畳んだ。
 赤ペンで囲んであるのはエンジュシティで、その斜め左下に、僕が今いる自然公園がある。ワカバタウンから旅立ち、ヨシノシティ、キキョウシティ、ヒワダタウン、コガネシティと進み、ようやくここまで辿り着いた。ここまで来るのに、およそ三年もかかってしまった。ポケモンを育てるのに多くの時間を使い、ジム戦でも苦戦を強いられたのが、主な原因だったと思う。ジム戦は本当に大変で、体外三回は挑戦しないと勝てなかった。しかし、一度だけ例外もあった。巷で鬼門と噂されていたコガネジムだけは、たった一回の挑戦であっさり通過することが出来てしまった。理由は今でも、よく分からない。これが原因で努力にようやく実がなったと誤解してしまい、負け続けている最近との激しい落差に襲われ、いったいどっちなんだと余計に混乱する破目になったのだから、むしろこの勝利はマイナスだったと言えるだろう。ここ最近の自分は、ジムリーダーどころか普通のトレーナーにすら勝てないくらいのスランプに陥っている。コガネジムを制してから、浮かれて手を抜き始めたとか、別にそういうわけじゃない。それなのに、報われることがないのは明らかな理不尽。

  

 空はだんだんと暗くなり、沈みゆく太陽がマダツボミの塔に切り裂かれる。家々の窓から漏れる明かりが次第に目立ち、お寺の鐘が子供達に帰る時間を告げる。旅立っていった一年前のあの日にどこか空気感がよく似ていて、それがむしろ自分の心を歪ませる作用になった。
一つ目のバッチを得ることができず、鬱屈した気持ちをさらに鬱屈させていた僕は、ポケモンセンターの個室部屋で泊まろうと思い、さっさとチェックインを済ませようとしていた。そのときだった。隣で部屋の予約の記入欄を書く手を止め、僕の方を瞬きしながらじろじろ見てくる人がいた。その人はだんだんと若気け始め、そして話しかけてきた。
「久しぶり、元気?」
 少し考え誰だか把握し、屈託のある笑顔を浮かべ、さらっと間の抜けた常套句を返す。
「雄介じゃん。久しぶり」
 雄介とは昔、学校で同じクラスだった。学校を卒業した後は一度も会っておらず、言わずもがな旅をしているためだが、どちらにせよ彼とは特に仲良くなく、たまに話すくらいだったので、特に会おうとも連絡をとろうとも思わなかった。僕は彼を正直あまり好きではない。性格が合わないとかの理由ではなくて、巧みな微笑を浮かべつつ放つ彼のあの一言が、僕にはどうも聞き苦しかったのだ。
「ポケモンの回復?」
「いや、今日ここに泊まろうと思って」
「そうか。実は俺もなんだ」
 雄介はつばの付いた帽子の下から屈託のない笑顔を覗かせ、嫌気が差してしまうほど純粋な眼を輝かせている。どこか正統派を彷彿とさせるその姿と仕草からは、今の自分と全く正反対の臭いを醸し出していた。 
 チェックインを済ませた後、少しの時間ポケセンのロビーで話をした。おもに僕が雄介の話を一方的に聞いていた。雄介は学校を卒業した後、トレーナーにならず進学を目指していた。コガネシティにある、目標とする学校に見学に行って今はその帰りらしい。ポケモンクラスタではない彼は毎日参考書と対峙し、目標に向けて努力していると思われる。彼の調子がすこぶる良いのは、その努力が報われているからだろう。
 成績表を見せてきた雄介に対し、どこから彼の自慢話になったか記憶を巡らしながらも、とりあえず持ち上げておこうと思い、すごいねめっちゃ頑張ってるねと言った。すると、彼は巧みな微笑を浮かべて、
「いや、俺全然勉強してないから」
 その言葉は、僕の脳天を刺してきた。
 頑張ってもバッチ一つ得られない僕と、頑張ってないのに成績が上がる彼。この差はなんだろう。なぜ僕は、報われないのだろう。僕が今までやってきたことは、いったいなんだったのだろう。
 僕は彼の言葉を聞いて、ものすごく不安になった。この言葉は聞き手を不安にさせる効果がある。仮に、それが合格しなかったときの保険であると分かっていても。
 この言葉に僕はかつて、散々苦しみ不安にさせられた。そして今日もまたこの言葉は、別のジャンルという距離感をもろともせず、僕の内心を共振させてきた。
 雄介と別れ予約した部屋に入り、昔の嫌な記憶を思い出してしまって嘆く。また一からやり直そうと、心に決めたはずなのに。
 トレーナーになるなんて、考えてもいなかった。もともと自分は、進学しようと思っていた。絶対に志望校に受かってやるという意気込みを持ち、一日十三時間を勉強に費やした。他人より長い時間やっているというのが、僕の自信の唯一の根源となった。
 しかし、僕は受からなかった。そのとき自分で自分を、努力が足りないと叱責した。そして次こそはという思いを胸に、一浪することを決めた。一年間他人より多く勉強すれば、絶対に受かると思っていた。けれど、また駄目だった。そしてもう諦めようと思った。自分が受けた学校は、そんなにレベルは高くない。そこが受からないのなら、もう自分は才能がない。気持ちを切り替えようと思った。勉強が無理なら、トレーナーの道に進めばいい。
 しかし、トレーナーになっても、結局一緒だった。
 


 道路に立っているトレーナーと戦う。何時の間にか追い詰められ、何時の間にか負けている。あるいは本当に危ういギリギリのところで勝つ。そんなことを繰り返す日々から抜け出すには、ポケモンを強くするしかない。それは至って普通のことであり、やらなければいけないことだろう。当たり前のことだから、僕はそれを更にやらなくてはいけない。
 ヒワダに続く洞窟を抜けると、近くに小さな草むらがあり、そこにいる野生のポケモンと戦わせる。安直な方法だが、レベル上げには一番効率がよかった。
 僕は当時手持ちのポケモンを、何時でも必ず六匹になるようにしていた。数は多い方が有利だと思ったから。それに、いろいろなタイプの相性をつける。学校でも、手持ちは増やした方がいいと教わった。一匹だけ育てるのは初心者にありがちで、それはやってはいけないと言われた。しかし僕と戦ったトレーナーのほとんどは、手持ちが三匹くらいしかいなかった。なぜ六匹全てを、均等に育てないのか疑問だった。
 数時間が経過した。手持ちのマグマラシは息を切らし始め、背中の炎が小さくなっていった。火の粉のPPはとうに尽きており、野生のコラッタに体当たりで止めを刺した。
 もっと自分は、頑張らなくてはいけない。普通の人の二倍やって天才の十倍やらなくてはいけない。自分には才というものがないのだから、それぐらいしないといけない。バトルの知識とかも、これから更に増やしていく。 
 倒れそうになっているマグマラシを見て、慌ててバックから傷薬を取り出して使った。ボロボロになったパートナーを見て可哀そうだと思ったが、同時に少し羨ましくも思った。努力した証拠を自らの身体に刻めるなんて、結構いいじゃないか。何馬鹿なこと考えているんだろう。
「ごめんね、無理させちゃって。僕に才能がないせいで」
 夕日に照らされた疲労困憊のマグマラシの姿は、今度は申し訳なさと情けなさの感情を過らせた。何か自分も傷つかないといけないような気持ちになった。リストカットをしたくなる心理が分かったような気がした。何阿呆なこと言っているんだろう。
 黄昏時の空はすっかり暗くなった。ヒワダのポケセンへと戻る。部屋で数本のバトルビデオを見た。ポケモンが技を繰り出すたびに、解説のテロップが下に出てくる。ここはこうするのが最善手だと書かれているが、本当にそれが正しいのか、信じていいのか、僕には分からない。



 ヒワダタウンの先にある、薄暗いウバメの森を抜けるのに、多大な時間と労力を費やしてしまった。やっとの思いで脱出できたときには、達成感よりも焦りの気持ちの方が遥かに勝っていた。方々の木々の、緋色の衣替えの速度は僕に危機感をひしひしと感じさせた、などと詩人チックな言葉を放っても全く格好がつかないほど焦っていた。
 旅立ってからすでに二年が経過していた。この時点でバッチが二個で手持ちの平均レベル十五が普通でないことは、他人と比較することでより明確度が上がった。少し面識のあった友達の兄は、「本格的にトレーナーを始めたのは二年前」とか言って、その時点で既にバッチを七つも集めていた。恐らくあの人は、嘘をついていた。実際はもっと、長くトレーナーをやっている。頭に「本格的に」とかつけて、トレーナー歴を誤魔化している。そう思わないと、やっていられない。
 かつてない不安が、自分を襲っていた。諦めるのは早い可能性が、まだ少しあるのが怖かった。ここで止めればいいのか、旅を続ければいいのか、分からないのが怖かった。
 お前には才能が無いから諦めろと、誰か刺すように自分に言って欲しい。
 そんなことを考えながら懊悩としていると、川のほとりにいる数人の男が目に留まった。彼らはホームレスだった。所々破けている服を着てダンボールの上に座り、ぐちゃぐちゃになった髪を整えもせず飯を作っている。ここからは遠くて見えないが、悲壮感溢れるその姿と行動から彼らの表情が十分に読みとれる。
 負け組の生活をしている彼らは、いったい努力してきたのだろうか。してきたと仮定とすると、この有様は何事であるか。理不尽だ。だったらそれなら、自分が報われなくても、何もおかしいことはない。 
そうやってこじつけることで、微かな安心を得ることができた。
 自分は理不尽な話が好きだ。誰も報われない、救いようのない話が好きだ。主人公がもがいてもがいて、結局何も残せないバッドエンドが好きだ。頑張っても報われないのは自分だけじゃないと安心できるから好きだ。
 そのような理由で好きになるのは、所謂「甘え」や「逃げ」に映るかもしれない。負け組の言い訳であると嘲笑されるかもしれない。しかし、僕はそこに一筋の希望を抱いていた。それの何が悪いと開き直れるほどの、ひたむきな希望を抱いていた。

 

 なんとかコガネシティまで辿り着く。
 この町にあるジムで苦戦する人がたくさんいる。そんな噂を旅立つ前から聞いていた。
 ジムに入ると、不都合な感覚が身体を襲ってきた。それは前回のジムに挑戦したときと、なんら変わらない緊張感だった。受け付けを済ませた。指定の位置に立った。審判が旗を上げた。最初に出すポケモンが入ったボールを投げた。恐らくまた駄目だろう、まあ最初だし仕方がないか、既に諦めの気持ちが心に影を落としていた。諦め方が中途半端だから緊張感も無くならず、バトルする前の状態としては最悪だと思った。
 しかし意外にも、始まってから数分後、僕の方が優勢になるという謎の事態が起きた。相手の最初のポケモンを開始早々気絶させた。続けざまに二体目も倒し、ジムリーダーの人が苦笑いを浮かべ始めた。これは勝てるのではという自信が芽生え始めた。徐々に視界の照度が上がっていく感覚を覚えた。
 ジムリーダの最後の手持ちの、普段は大人しい性格らしいミルタンクに、自分の一体目を巨体の足で押し潰して倒される。労いの言葉をかけながらボールに戻し、大丈夫、まだいけると自分に言い聞かせる。
 ここまでの時間が、あっという間に感じられた。マグマラシと相手のミルタンクの体力は、残りわずかになった。次の一撃で決まるという空気が漂い、ポケモン達の士気が最高潮に達していた。
 自分のやや振動している不自然な声と、対戦相手の平静を装いながら放つ支持が交錯する中、肩で息をしながら震える二つの足でしっかりと立ち、燃え盛る炎を全身に纏って走る豪猪と、片や咆哮を上げるが如く土煙を撒き散らしつつ、さっきよりも遥かに速さを増して回転する牛車が勢いよく衝突した。甲高い悲鳴が建物内に響き渡り、やがて土煙が消えてなくなり、亀裂が入り少しへこんだ地面の上に、衝突終了後の二体の姿が見えた。一方は眼を回して倒れていて、もう一方は未だ震える二つの足でしっかりと地面を踏んでいた。
 果たして謎の事態は最後まで続き、謎の結果へと変貌を遂げることとなった。三体中二体残せるという、圧勝に近いことが出来てしまった。
 ここでついに実がなったと感じた。確固たる自信を得ることが出来た、と思った。
 なんだ。頑張ればちゃんと報われるんじゃないか。世の中はそういうふうに、ちゃんとなっている。
 ジムリーダーが苦笑いから笑顔に変わった。このジムリーダーは負けると泣くと聞いていたけれど、「気持ちい負け方したから泣く気も起らない」とか言って、祝いの言葉を述べながら僕にバッチを手渡した。
 笑うつもりだったのに、どうしてだか頬を涙が伝っていった。右手に持ったバッチが、抱き続けた不安感を消し去っていく。
 これまで辛いことがたくさんあった。なかなか先に進めなくて、不安で不安で仕方がなかった。それでも、なんとかここまで来た。そしてたった今、ようやく報われた。
 ジムリーダーに頭を下げた。そして僕は駆け出した。建物から出たとき、気持ちの良い風が、僕の頬を撫でた。追い風を受けながら、僕は軽快に走っていった。


 長い長い旅路。
 長い長い人生。

 辛いこともある。
 苦しいこともある。
 僕もみんなも。
 



 それでもいつか報われる。
 そのときがきっと来るから。

 これからも僕は、旅を続けていこう。

 真の栄光を手に入れるため――。





 ……………………。

 ………………。

 …………。

 ……。

 …。


 と、ここで終わるわけがない。ハッピーエンドで終わらない。前述した通り、僕はこの後更にスランプになっていった。
 ゆっくりと太陽がシロガネ山に近づき、空は赤みがかかったオレンジ色に染まり始めた。その太陽は、自分の正面に大きく存在していた。不安が消え去ったことを喜びつつ走っていた。沈んでいく太陽を見ても何も感じなかったが、しかし今思い出してみるとこれは、自分が沈んでいく予兆のようにも思えた、なんて詩人チックな言葉が、もはや笑えるものになっていた。



 沈んでいく太陽の動きを止めることは誰にもできない。何をしようとも、どんな幸福が来ようとも、必ずやがて日は落ちていく。バッドエンドへと堕ちていく。
 コガネジムに勝利してから、今までよりさらに頑張り続けた。決して、自惚れたりはしなかった。今までの育成方法を改良したりもした。六匹均等に育てるのは効率が悪い。四匹くらいの方が成長させやすいし、別に相性の悪いタイプと当たっても、割と力押しでなんとかなることが分かったのだ。他の二匹は秘伝技専用になってもらった。教科書の教えを真っ正直に信じていた自分を呪った。
 そうやっていろいろ考え努力しているのに、どうして普通のトレーナーにすらなかなか勝つことができないのだろう。自分でそう思っているだけで、本当は努力していないから? じゃあなぜあのときは。ただの偶然? 偶然なんかに人生が左右されちゃっていいの?
 努力は必ず報われる。格言めいたこの言葉が、確かな重みと説得力を持って僕の胸に響いてくる。努力しているという主張はこの言葉に打ちのめされ、言い訳という名の極悪用語へと変貌を遂げる。それでも負けずに反論して、やがて聞こえてくるものは、自分で努力しているとか言うなんて、どんなナルシストだよ! という正義の恐喝。
 本当に、自分で努力してるなんて何回もねちっこく繰り返しちゃって、恥ずかしくないの。努力とか頑張っているとかいう言葉を使う度に、惨めな気持ちになるんでしょ。
 ボールを中空に投げ中からマグマラシを出す。状況が飲み込めていない火山ポケモンに問う。教えて欲しい。僕はいったい、努力しているの? していないの?
 身近な誰かに聞かないと、不安でしょうがないんだ。夜も眠れないほどの強い悩みじゃないけれど、ずっと続いているものだから。そしてこれからも、永久に続きそうで怖いから。今すぐ答えて欲しい。自分の主人は全く努力していない、報われないと不平不満も言っているだけだと感じるなら、適当に見捨てて逃げればいい。そんな思い切ったことできないなら、少しだけ、不満そうな顔をして。
 自分が頑張っていないなら、そして努力が足りないなら、誰か正直にそう言ってほしい。激しく僕を揺さぶってほしい。そうしたら、もっともっと頑張るから。もしくは、自分はこれ以上ないというほど頑張っているというのなら、近いうちに報われてほしい。大器晩成とか、そういうのいらない。
 どちらかでないと駄目なんだ。安定しないと先に進まない。ぐらぐらと揺れる心には、十分な安心が必要不可欠なんだ。
 結局、分からなかった。なんとなく気まずくなって、その後少し若気けてしまった。怪訝そうな顔のマグマラシを見ると、馬鹿なことをしたという後悔が湧き上がる。切羽詰まったからといって、いくらなんでも見捨てて逃げろはないだろう。勢い交じりになんてことを言ってしまったのか。
 ありがとうと一言だけ言って、マグマラシをボールに戻そうとした。そのとき、一瞬だけマグマラシと目が合い、ボールを持つ手を止めた。寂しげな、それでいて燃えているような目。気が付けば、もう一度回想をしていた。
 
 そしてこのとき、
 自分はあることに気がついた。
 頭の中に、
 全く新しい思わぬ考えが浮かんできた。

 ここにいるマグマラシもまた、自分と同じで報われていないのでは。

 自分が前に進まない限り、自分のポケモンも前に進めない。自分が報われない限り、自分のポケモンも報われない。
 決して、自分だけではなかった。自分だけだと思っていた。焦る気持ちが先行して、視野が狭くなっていた。一緒に戦ってくれる存在をすっかり忘れていた。自分のポケモン達だって、同じく頑張っているじゃないか。そして、頑張っているのに報われていないじゃないか。
 自分は報われたかった。自分は頑張っていると認められたかった。ここに尽きる。そしてそのためには、頑張っていても報われないこともあるということを、決定的に証拠ずけなくてはいけなかった。  
たった今自分は、動かぬ証拠を掴んだ。頑張っても報われていないのは自分だけじゃない、確固たる証拠を手に入れたのだ。
 心の中で引っ掛かりっていた糸が、少しずつほどけていくのを感じた。視界の霧が煩わしい懊悩を巻き込みつつ薄くなっていった。溜まり積もった鬱屈が、徐々に少しずつ減っていった。そして自分は、あることを決心した。どうせ報われないのなら、あることを目指していこう、と思った。
 


 自然公園とその先の道路を堂々巡りしていた自分は、安定するために十分な安心を持ち合わせていた。今までは、負けると自分がしてきた努力を全否定されるような気がして、まるで自分が反論の余地のない悪人にされるような、そんな恐怖に襲われていた。それは決して誇張表現ではなく、本当にそう感じていた。今はもう、たとえ結果が残せなくても、自分は何も悪くないというはっきりとした確信があった。
 日が暮れたので、コガネシティに戻った。何も得るものが無かった。何も進展が無かった。戦績は黒星の方が遥かに多かった。そして、

 僕は無罪だ。

 努力は必ずしも報われるわけではない。これは不変の事実である。
 普通だったら、パートナーが頑張っているのだから、自分はもっと頑張らなきゃと思って、自分のトレーナーとしての実力不足に責任を感じつつ、たとえ報われなくても頑張ることが大切だなどと言って、考えを改め自分に喝を入れるのだろうけれど、僕はどうも素直じゃないらしく、勝手に都合の良いように解釈して、自分をむりやり正当化してしまった。これははたから見れば非常に滑稽である。見聞した人の呆れ返る顔が容易いに思い浮かぶ。   
 それでもこの世界は、頑張った人が報われない、とても理不尽な世界なのだ。
 だから自分はこの事実をさらに強固なものとするために、これからも旅を続けていこう。報わなくて自己責任を感じている自他を安心させるため僕はもっと理不尽になろう、とでも言えば多少正論じみた響きをもって謹厳な人の耳にも届くのだろうか。この開き直りは決して美徳ではなくて、綺麗事を言う人よりはよっぽどいい、なんていうささやかな称賛すらない。しかしそれでも、そう考えることで一応前向きになれるのなら、取り立てて文句を言われる筋合いはないはずだ。別に自分が、これから幸福になるわけでもないし。
 スランプから抜け出せないのなら、永遠にスランプのままでいればいい。
 たとえ報われなくても、理不尽であることを証明できれば、それで自分の目標は達成される。理不尽であることの証明は、そのまま僕が無罪であることの証明に変わる。
 そして、いつか来るであろうバッドエンドに向かって、着実に歩みを進めていけばいい。救いようのない話を、いつまでも描いていればいい。それは哀しいことではあるが虚しいことではない。なぜならバッドエンドに辿り着いたそのとき、頑張った人が報われるという常識を覆す大発見ができるのだから。
 何もキャタピーがピジョンに喰われることを望む必要はない。理不尽でバッドエンドなストーリーは、自分自身の手で創り出していけばいいのだ。
 やんわりとした風が自然公園に吹き、木々が静かに木の葉を揺らす。心地良い背徳感と歪んだ高揚感に包まれつつ僕は、ずっと座り続けていたベンチから立ち上がる。途中までしか印の付いていないタウンマップを持ちながら、背筋をまっすぐ伸ばしてゆっくりと前を見た。
 オレンジ色の光が最後の力を振り絞るものの、しかしそびえ立つ山の背にじわじわと呑みこまれていった。煌々と輝きを放つそれは意識を失い、漆黒の闇が徐々に空間を支配していき、黄昏時の空は自らの消滅を静かに悟っていた。
 ぼくは めのまえが まっくらに なった

 ――沈んでいく太陽の動きを止めることは誰にもできない。何をしようとも、どんな幸福が来ようとも、必ず日は落ちていく。バッドエンドへと堕ちていく。 


逆行 ( 2014/04/02(水) 22:25 )