即興小説
8、光沢体の心情
 彼の傍に居られるのは、後どれくらいだろうか。
 それについて思考を巡らす度に、胸の奥がぎゅっと締め付けられる。ような感じがする。だから出来るだけ、思考を止めるようにしている。それでもやっぱりたまに、思考が疼いてしまう。暴れてしまう。
 もうすぐ私は捨てられる。そう予想している。たぶんその予想は的中する。捨てられるのは嫌だ。私はあの人と、ずっと一緒にいたい。もっとあの人を見ていたい。
 あの人は、とっても優しかった。私の丸い体を、汗を拭いながら磨いてくれた。ピカピカにしてくれた。私が壊れてしまわぬよう、大切に扱ってくれた。あの人はもうおじさんだけれど、私はあの人のことが大好き。
 あの人は、近所の人から嫌われている。彼が出かけると同時に、数個の笑い声が聞こえてくるのだ。何故近所の人は嫌うのか、分からない。あんなにいい人なのに。恐らく、嫌っている方がおかしいのだろう。狂っているのだろう。 
 あの人は、いつも朝早くに起きて出かける。そして、夜遅くまで帰ってこない。いったい何をしているのだろう。仕事だろうか。だとしたら、どんな仕事をやっているのだろう。全く情報が入ってこない。彼は帰ってくると、すごく疲れ切っている。すぐに蒲団に入ってしまう。私のことなんか、見る暇もなく。私はあの人のことが大好きなのに、ほとんど一緒の時間を過ごせない。
彼と話せるようになりたい。私はそう考えて、一生懸命話す練習をした。彼の話している言葉を聞いて、それを真似することから始めた。けれどもなかなか声が出なかった。やっとの思いであるとき、声を出すことができた。しかし、彼は気が付かなかった。一瞬振り返っただけだった。声が小さすぎるのだと知った。大きい声を出そうとしたけれど、これ以上無理だった。
私には、私と同じような状況になっている仲間がいた。私達は玄関に並べられていた。仲間はたくさんいたけれど、徐々に減っていってしまった。あの人は出かけるときに、仲間を持ち出していくのだ。そして持ち出された仲間は、二度と帰ってこない。 
 あの優しかった彼が、仲間を捨てるなんて。最初は信じられなかった。けれども、その悲劇は幾度となく繰り返されるから、結局信じるしかなかった。
 次に捨てられるのは自分じゃないかと、毎朝怯えていた。あの人が、私意外を持ち出すのを見て、正直毎回ほっとしていた。しかしどの道、いつか捨てられる日はやってくる。
 私は必死に叫んだ。彼は振り向いて、何やらびくびくした。彼は私が話しているとどうしても気が付かない。
 どうしたら捨てられないか、必死に考えた。あの人に好かれればいいんだと結論を出した。私がもっと輝けばいい。しかし、輝ける方法は分からない。自分で自分の体を磨くことは、出来なかった。私は無力であることを悟った。
 気がつけば、仲間はみんないなくなっていた。私独りになっていた。最後に残されたということは、一番あの人に好かれていたのだろう。それはうれしかった。けれども、これから起こる悲劇を考えると、とても喜ぶことは出来なかった。
 今日はあの人が、早めに帰ってきた。あの人が私の前に来た。磨いてくれることを期待した。けれどしてくれなかった。変わりに彼は話してきた。「ようやくこれで最後か」。やはり私は捨てられるのだ。特別扱いなんてなかった。
 次の日、彼は私を連れて出かけた。胸が苦しくなった。ような感じがした。泣きたかった。けれども、涙は出なかった。一滴も零れることはなかった。
 終わる。終わるのだ、彼との時間が。
 少し経って、私が取り出された。「ふう。あと一つか。最近変な声がこいつらからたくさん聞こえて来たし、幽霊にでも憑りつかれているのだろう。まったく恐ろしい。捨てたら余計呪われそうだし、はやく誰かにあげなくては」。小さな声で呟いた。
 やがて彼の近くに、十才くらいの男の子がやってきた。彼はその男の子に向かって、私を差し出しながら、にっこり笑い、良く分からないことを説明した後、大きな声でこう言った。



「これはおじさんのきんのたまだからね!」
 

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逆行 ( 2013/10/11(金) 21:51 )