第51話 コータスの宣告
昼なのに外は薄暗く、木々からはとうに、暖色が抜けていた。
吹き付ける冷たい風が、木の枝に未だしがみつく枯葉を容赦なく凪ぎ、木枯らしを巻き起こす。
秋は過ぎ去り、季節は冬へ移ろうとしていた。
山に住む者は冬籠りに備え、ある者は僅かでも食べ物を確保しようと勤しみ、ある者は暖を取るための木枝を探す。
皆が慌ただしく奔走するなか――1匹、ぼんやりと窓の外を見つめる者がいた。
街から北にある寺。その窓からは、紅き瞳の火鼠――『迷い火の風来坊』こと、バクフーンが外へと視線を向けていた。
頬杖をつき、何か1点に集中するというわけでもなく、ただ気怠そうに外を眺めている。
秋の気配は去ろうとしているにも関わらず、バクフーンは何か、物思いに耽っているようであった。
「……これ、バクフーン!聞いておるのか!?」
バクフーンの前方で、しわがれた怒鳴り声が響く。
数歩ほど先には、赤い亀のような姿をしたポケモン――コータスが、普段よりも顔をさらに紅くして声を荒げていた。
今は、講義の時間。コータスは、自分の弟子に教えを説いていたのだが、さっきから心ここにあらずのバクフーンに、苛立ちを抑えられずにいた。
「……。」
しかも、怒鳴りつけても焼け石に水である。
バクフーンは顔色を変えず、相変わらず窓の外を見るばかり。眉一つぴくりとも動かさず、コータスを無視するかのように、ぼんやりとしたままであった。
「兄弟子、兄弟子!」
この状況を見かねた、もう1匹の弟子――ブリガロンが、バクフーンの肩を揺する。
そこでようやくバクフーンは、はっと我に返った。急に現実に戻されたかのように、二度、三度と首をきょろきょろさせ、コータスとブリガロンを交互に見やる。
「……んぁ?あぁ、えっと……何だっけ?」
へへっ、と誤魔化すように笑うのが、精一杯。
だが、それでコータスもブリガロンも良い顔をするはずがない。2匹分の白けた視線が、風来坊に冷たく刺さる。
「……兄弟子、最近どうしたっすか?和尚様の講義、全然耳に入ってないみたいっすけど。」
「いや、何でもない……何でも、ないんだ。」
疑うような目で見るブリガロンを、バクフーンは否定する。
だが――彼の返事に、力が籠っていない。
(――?)
これには、さすがのブリガロンも、違和感を覚えた。
いつものバクフーンなら、適当に言い訳でもしながら、清々しいくらいに飄々としているのだが……。
「……バクフーンよ。」
ブリガロンが不思議に思っていると、今度はコータスが呼びかけた。
呼ばれた風来坊の首が、コータスへと向けられる。
「外は冷えておる。そんなに集中できんのなら、街にでも出て頭を冷やしてきたら、どうじゃ?」
「――は?」
コータスの提案に、弟子2匹が同時に驚いた。
普段のコータスなら、散々怒鳴りつけて無理にでも講義を再開しても、おかしくはないのだが――いったい、どうしたのだろうか?
再び、ブリガロンは首をかしげていた。
「……確かに、その方がいいかもしれんな。悪い、ちょっと行ってくる。」
そうこうしているうちに、のそりとバクフーンが席を立つ。
足元が覚束ない。何かに気を取られているかのように、ゆっくりとバクフーンはその場を後にした。
――本当に、放っておいて大丈夫なのだろうか?
「……。」
そんなバクフーンを、ブリガロンは無言で見送っていた。
――いや、何も言えずにいた。
正直なところ、バクフーンがあのようになってしまった理由について、ブリガロンは何となく見当がついていた。
考えられるとすれば、一つだけ――兄弟子の部屋で見た、恋文。付き合っていると思われるコジョンドと、何かあったのだろう。
だが、修験者と踊り子に恋は御法度。和尚のコータスに知られては、ただでは済まないだろう。だからこそあの日、コジョンドは僧堂へ密かに忍び込んだのだ。
そんな状況でブリガロンができることといえば――
「いいんすか、和尚様?兄弟子を街に出して……それにしてもホント、最近の兄弟子、何か変っすよね……。」
何も知らないふりをすることしか、道は無かった。
だが――どうしても、両目が若干泳いでしまう。何故にこうも嘘が下手なのだろう、と自分でも思ってしまうほどであった。
「はぁ……。」
一方、コータスはというと――ブリガロンの様子を知ってか知らずか、ただ目を瞑ったまま、溜息を吐くだけだった。
「あやつのことなぞ、もう良いわい。それよりブリガロン、ちょっとこっちに来てくれんかの。」
「……?」
やや疲れたような声で愚痴を言いながらも、ブリガロンに背を向け、奥の部屋へと進みだす。
不思議に思うブリガロンも、コータスの後を追った。
―――――
「和尚様……?」
突如、ブリガロンが目を丸くして、足を止める。
彼の目の前には、古びた扉が一つ。この先にあるのは――
「ここ、和尚様の部屋っすよね?オイラが、入っていいんすか?」
コータスの部屋。
いや、正確には、住職の部屋と言ったほうが正しいだろう。
普段ならば、弟子が気軽に入ることのできる部屋ではない。ブリガロンとて、それは例外ではなかった。
入る機会があるとすれば、緊急の用事がある時だけ。この寺に入って数ヶ月経つが、ブリガロンも手の指で数えるほどしか立ち入っていないのである。
「何をぼさっと突っ立っておる。さっさと来んか。」
「……わ、わかったっす。」
それにもかかわらず、コータスはブリガロンを部屋に入るよう促した。
(……どうしたっすかねぇ。今日は和尚様も、変なところばかりっす。)
ますます首を捻りながらも、ブリガロンは部屋の扉をくぐる。
無駄な物が無く、質素ながらも整然とされた部屋。
部屋の奥に飾られた掛け軸が、素朴な味を出している。実に居心地の良い部屋、という印象を受けた。
――ただ1点を、除いては。
「お、和尚様……この書物の山は、何っすか?」
ふと目にした机の上には、書物や巻物が山のように積み上げられている。
整頓された部屋の中で、明らかに不自然な光景であった。このような物が置かれては、誰が見ても、嫌でも目についてしまうだろう。
だが、コータスは全く気にすることなく、さらりとブリガロンに言ってのけた。
「今日からお主には、この書物の内容を修得してもらう。この部屋も、お主の勉強部屋として、自由に使って構わん。
――お主には、この寺を継いでもらわねば、ならぬからな。」
「なっ……!?」
寺を継ぐ。突然の宣告に、ブリガロンは横から不意打ちを喰らったような気分であった。
まさか、自分がこんなことになるとは――。
「そんな……寺を継ぐって、オイラがっすか!?」
「さっき、そう言ったじゃろうが。それに、いつかこうなることは、分かりきっていたはずじゃ。
わしとて、ずっとここにいられるわけではない。存続の為に、いずれはこの寺を誰かに継がせなければならん。そしてこの寺を託せるのは……ブリガロン、お主じゃ。」
意外にも、コータスは落ち着き払っていた。表情からは読み取りにくいものの、本気でブリガロンに語り掛けているのが、ひしひしと伝わる。
まるで、最初からそのつもりで覚悟を決めていたかのようであった。
だが、当のブリガロンはというと、心の整理すら出来ていない。未だに、コータスの宣告を受け入れられずにいた。
「ちょっ、ちょっと待つっす!!そりゃ確かに兄弟子は、いっつもフラフラしてるし、何をするにもやる気が無いし、全然頼りないから寺を任せられないかもしれないっすけど……!」
(ブリガロン……お主、思ったより容赦無いのう。)
慌てた顔をしながら、バクフーンの悪口をさらりと言うあたり、普段から潜在的に思う所もあったのだろう。
流石のコータスも、これにはやや引き気味であった。だが、それにも構わず、ブリガロンは必死で主張を続ける。
「でもオイラだって、数か月前に拾われたばっかりだし、兄弟子とは寺にいる期間が全然違うっす!
この寺のことは、兄弟子のほうがよくご存じのはずっす。それならやっぱ、寺を継がせるのは、兄弟子の方が適任では……?」
「無理じゃ!寺を託せるのは、お主しかおらぬ。」
「それって、どういう……?」
一番弟子のバクフーンがいるにも関わらず、寺を託せない?
先程、あれだけ悪口を言っておきながらも、なお首を傾げるブリガロンに、コータスは衝撃の一言を放った。
「わしの予想では、あやつは……バクフーンは近いうちに、この寺を去るじゃろう。」
「まさか、そんな……!?」
信じられないというふうに、ブリガロンが目を見開く。
バクフーンが、寺を去る?何故、そんな結論に至るのだろうか。
動揺するブリガロンを余所に、コータスは遠くを見つめながら、ただ嘆息していた。
「まったく、修験者としては情けないわい。現を抜かして、修行に手もつかんとは……。
それほどまでに、生きる価値を見出せるものを、現世で見つけたということかのう。」
「和尚様……?」
コータスの言い方が、ブリガロンはどうにも引っかかって仕方が無かった。
その言い回しだと、コータスは何か気付いているようにも見えるが……。
(……ひょっとして、兄弟子の秘密、ご存じなんすかねえ??)
その場で考え込み始めるブリガロンに、コータスが再び向き直った。
「そういうことじゃ。まずは、あやつが戻るまで、みっちり勉強に付き合ってもらうぞい。」
「……えっ?い、今からっすか!?」
さっきまで講義していたというのに、さらに個別指導でみっちり勉強ときた。
これにはブリガロンも、あからさまに乗り気でない様子である。しかし、コータスはそんな彼に妥協することは無かった。
「当たり前じゃ!わしとて、そう多く時間は残されておらんわい。
それじゃ、早速始めるぞ。まずは、この書物からじゃ!」
「ひぃ〜〜〜っ……わ、わかったっす……。」
早くも泣き言を言い始める弟子を、コータスは叱咤する。
かくしてブリガロンの、住職になるための特訓が開始されることとなった。