想いは篝火となりて








小説トップ
第6章 晩秋 ―禍つ流水、狂乱せり―
第49話 双刃、交わりて 後編
右か……いや、左か。
後ろか?……違う、前か??

至る方向で、風を斬るかのような音が聞こえる。
常人ならば、音に合わせて目を追うことすら、不可能だろう。

鬱蒼と茂る木々の間を、ジュカインは目にも留まらぬ速さで飛び移る。
ここは、密林――まさしく、彼のために用意されたかのような場所である。
地の利を存分に受けた彼と、この場で対峙するのは、まさに自殺行為そのものであった。大抵の者ならば、ジュカインの動きを捉えることすらもままならず、気が付いた時には既に――彼の刃の餌食にされていることだろう。

「……ふふっ。」

だが今回の相手は、この状況をしても動じず、なおも不気味に笑っていた。
忍を彷彿とさせる蒼き蛙のポケモン――ゲッコウガは、いつ襲われてもおかしくないこの状況で、腕を組んだまま身動きもしなかった。

日も沈み、暗闇に包まれた森の中で、虚ろな瞳がぼうっと開かれている。
その瞳は、ただ眼前に広がる暗い虚空を見つめているようだった。無垢な子供のようなその姿は、まるで自分の置かれている状況を、理解していないようにも見える。

……だが、それならば。
彼の口元に現れている、余裕の笑みは何であろうか。

「くらえ!!」

――側方。
気が付くと、高速で飛びかかってきたジュカインが、既に至近距離まで迫っている。
両腕に伸びる鋭い刃を交差させ、あわや寸前で斬りかかる――その時だった。

「何っ!?」

眼前で、ゲッコウガの姿が歪む。
触れたと思いきや、彼の姿は水飛沫とともに視界の横を掠めていき、消えて行った。

(何……だと……!?)

動揺の色を隠せないまま、ジュカインの動きが止まる。
今まで、『こうそくいどう』で惑わせてから『リーフブレード』で斬りつける2段構えの技を、破られたことは無かった。
素早さには誰にも負けない自信があった。それなのに、この蒼い悪魔のような彼は、いとも簡単に自分の攻撃をかわしてみせたのである。

呆然と佇むジュカインに、背後から無邪気な一言が刺さる。

「風は斬れても、水は斬れないんだ。案外、大したことないんだね。」

――ブチッ。
挑発の込められたゲッコウガの発言により、ジュカインの中で、何かが唐突に切れた。

「貴様っ!!」

頭に血を登らせながら、振り向き様に、強烈な一閃。
だが、またしても水飛沫――先程の声の主は、幻影だったようだ。

「どこ見てんのさ。こっちだよ。」

先程と同じ声。左からだ。
怒り狂った目が、反射的にぎろりとそちらへ向けられる。視線の先には、紛うことなく、あのゲッコウガだ。

獲物を捉えたジュカインが、1歩踏み出した直後――

「そっちじゃないよ、僕はここだよ。」

右方からも、同じ声?
その場で体を半回転させる。そこにはやはり、にやにやと笑う影の姿。
いや、1匹だけではない。すぐ後ろにもう1匹。そして少し離れて横にも、もう1匹…。

「ねえ、どうしたの?仕掛けないの?あはははっ。」
「ほらほらぁ、僕はここだよ?かかってきなよ。」
「あれぇ、もしかして戦う気無くした?冗談やめてよー。」

四方。いや、八方。
いつの間に、完全に包囲されている……!

あっはっはっは、と無数の、嘲るような笑い声がジュカインを囲み、頭の中で反響する。
影分身によって作り出された幻影の前に、ジュカインは完全に翻弄されていた。

「くっ…!」

左を向けど右を向けど、視界に入るのは悪魔の如く笑う、憎たらしい青色ばかり。
憤りが昂る一方で、その場から一歩も動けない。

「卑怯だぞ!正々堂々と単騎で勝負しろ!!」

やり場のない怒りを抑えられず、ジュカインは叫ぶ。
だが、無数のゲッコウガの幻影は、揃いも揃って笑みを浮かべるだけだった。

「えー、君に言われたくないなぁ?ボクだって、持っている手札を使わせてもらっただけだし。文句言われる筋合いは、ないんだけど?」

してやられた。
まんまと逆手に取られた。

「……ふっ。」

苛立ち、憎悪…増幅された負の感情は、さらに煽られる。
怒りを通り越して、むしろジュカインは、これ以上ない程に冷静であった。

――いや、冷酷と言ったほうがいいだろうか。
今のジュカインには、ゲッコウガを倒すことしか頭に無い。

「許さん……貴様は、絶対に生きて返さない。」

ジュカインの周囲で、尋常でない程の殺気が渦巻き始めた。
殺気は周囲の気を揺るがし、やがてそれは一陣のつむじ風へと変貌する。
ただならぬ気に、森の木々もざわめき始めていた。

よく見ると、風に紛れて1つ、2つと葉が舞っている。
葉は次第に数を増やし、風が次第に緑色へと染まっていく。
新緑の葉は軽やかに、しかし、鋭利に葉先を尖らせたまま、旋風を覆い始めていた。

カッ、とジュカインの両眼が見開かれた、その時――

「まとめて、消えろっ!!」

力強い号令、一つ。
ジュカインが言い放った直後――ぐい、と風が一方向へ向けられた。
無数の葉が意志を持ったかのように、ゲッコウガのいる方向へ、一直線に襲い掛かってくる。
ジュカインの大技、『リーフストーム』である。一度この風に巻き込まれたら、鋭利な葉で体中ズタズタにされてしまうことだろう。

木々の間を、強風とともに無数の匕首が襲う。
一瞬にして、ジュカインの周囲を水飛沫が舞った。無慈悲な葉の刃により、包囲していたゲッコウガの幻影が、次々と掻き消されていく。

最後の水飛沫が、消えた直後――こちらへ飛んでくるポケモンの影が、1つ。
刃を伴う強風から逃れるかのように、影は天高く飛び上がっていた。

(――ようやく、本物を炙り出せた。)

ジュカインの目が、細まる。既に両腕には、再び『リーフブレード』が装備されていた。

翼を持たない影は、重力に従い地へと落ちる。
影は次第に高度を下げ――ついに、着地。
その瞬間を、ジュカインは逃さなかった。何もできないこの時こそ、奴にとっての最大の隙――!

「もらった!」

ここぞとばかりに、彼は『リーフブレード』を振りかざした。
葉の刃が一直線に向かう。声をあげる間もなく、翡翠の刃は今にも首を捕えようとしていた。

「!」

だが、その直前。ゲッコウガが目を見開き、手で印を結ぶ。
それは、並の者が認識できるほどの動きではなかった。ジュカインですらも、気付く余裕はなかったであろう。

「な……!?」

刹那、ジュカインの目の前で、ボワリと白煙が立ち上る。
思わずジュカインは怯んでしまった。標的を狩ることも叶わず、反射的に目の前で腕をかざす。

数秒程して――ようやく、煙が晴れ始める。
そこにあったのは、ゲッコウガ――ではなく、愛らしい顔つきをした、2頭身の怪獣のぬいぐるみが転がっていた。

「……ちっ。『みがわり』か……。」

またしても、やられた。
腹が立つ。斬り伏せてやりたい。だが、どれだけ憎らしくとも、一太刀も浴びせられない。それどころか、良いように弄ばれているようにも感じる。

(くそっ……!!)

やり場を無くした苛立ちが、今にも爆発してしまいそうだ。それを必死に抑えるかのように、ジュカインの拳が、ぐっと力強く握られる。
口元でぎりぎりと、ジュカインの歯が軋み始めていた。

(……まだ、近くにいるはず。どこだ……どこに消えた!?)

目を血走らせながら、2度、3度と体の方向を変え、ゲッコウガを探す。
しかし、それらしき影は見当たらない。

――いや、本当に「影」は潜んでいるのだろうか。
それすらも疑わしくなるほど、恐ろしいくらい静かであった。

(……。)

苛立ちはやがて、焦りと不安に変わっていく。
そしてそれは、精神を落ち着かせる余裕もないジュカインの心を、容赦なく蝕んでいった。

すうっと、ジュカインの頬を、冷汗が一筋流れる。
本能的に、全身で危機を覚える感覚がする。思わず両腕の『リーフブレード』を前方に突き出し、左へ、右へと首を向けるのが精一杯だ。

(何なんだ、この不吉な感じは……!?)

ぶれる視界の中、いつまで経っても彼が現れる気配がない。
それがジュカインの不安を、余計に掻き立てていった。
そして、不安が絶頂に達し始めた――その時。


「後ろの正面、だ〜あ〜れ??」


無邪気な声と共に、ぴたり、と首筋に何かがあたるのを感じた。




■筆者メッセージ
どうもこんにちは、ミュートでございます。
本格的に暑い日が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか。

最後が若干ホラー的な感じになった気もしますが…涼しい感覚を味わっていただければ、これ幸いということで(笑)

憔悴させられるくらいに、精神的に追い詰めることができるのは、悪役の特権だと思っています。
特にヒーローものだったら、これを如何に跳ね返すか、ということも問われますが…さて、このジュカインは、どうなることやら。
ミュート ( 2016/07/24(日) 23:10 )