想いは篝火となりて








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第6章 晩秋 ―禍つ流水、狂乱せり―
第47話 翠刃、影と相見えて
『初めてお逢いした時から、片時も貴方のことを想わぬ日はありませんでした。』

――痛い。
頭が、ズキズキと痛む。

いや、頭痛だけではない。
苦しい。胸元を強固な縄で縛りつけられたような、苦しさを感じる。

……目も開けられない程、苦しい。
何も、見えない。何も、視界に入らない。あるのはただ、深い闇だ。

『貴方の顔が浮かんでは消え、そして貴方が側にいない現実に気付く……これが、どれほど辛いものか、お分かりですか?』

……あぁ、痛い程わかる。
今まさに俺は、その苦しみを味わっている。

だが俺は、そんなことには、とっくに慣れていたはずだった。
失踪したお前を探してから今日に至るまで、何度もその苦しみに耐えてきたはずだった。
お前に逢う日を信じ、それを糧として、今日まで旅を続けていた。

――なのに。

『未だにあの夜を、忘れることができません。
 お側にいられるだけでも、私は嬉しかった。でも貴方は、共に歩むと仰って下さった。
 私はそれだけで、この上なく幸せでございます。』

何故なんだ。
何故、お前は俺を選ばなかったんだ。

何故、よりによって……あいつなんだ。

『――お慕い申し上げます。バクフーン様。』

「何故だっ!!」

宙に舞う、一筋の翡翠の光。
しなやかに弧を描いた光が、消えた直後――風が、止んだ。

――ドーン!!
轟音を立てて、目の前にあった木がゆっくりと、倒れ始める。
自分の身長よりも悠に高く、太い幹でそびえ立つ大木。それが根元で斬撃を受け、ゆっくりと傾いていったかと思うと、大地を震わせた。
頭上で、バサバサと音が聞こえる。森で羽を休めていた、鳥ポケモンたちであろう。
突如鳴り響く不穏な轟音に驚き、ポッポやマメパト、ヤヤコマといった小鳥のポケモンたちが、一斉に羽ばたいていった。

「はぁ、はぁ、はぁ……。」

斬撃を繰り出したポケモンは目を見開き、息を荒げながら焦点の合わない目で、新しくできた切り株のあたりを見つめていた。
先程放たれた閃光と同じ色の、翡翠色をした蜥蜴のポケモン――ジュカインである。

閉ざされた視界は開け、外界の光が目へ入り込む。
周囲には、鬱蒼と茂る木々。辺り一面は、無造作に生えた雑草。
気が付くと、ジュカインは森の中まで来てしまったようだ。

だが、自分の置かれた状況を冷静に判断できるほど、今のジュカインは落ち着いていなかった。
原因は、バクフーンの部屋で偶然見つけてしまった、手紙であった。それはコジョンドが、愛する者に宛てた恋文である。
手紙の一節が、ジュカインの頭の中で反響する。それは何度もジュカインの心を抉り、怒りと悲しみを呼び起こすには、十分すぎるほどであった。

「何故あいつを選んだ!?俺だってずっと、想い続けていたんだぞ!なのに……よりによって、何故あいつなんだ!!」

誰にあてたわけでもない、大きくも空しい叫び。それがジュカインに、虚無感をより一層強く感じさせた。
進化する前から同郷で過ごし、密かに想い続けてどれほど経っただろうか。今こうして巡り合えたのも束の間、虚しくもその想いは、友によって奪われてしまったのである。

打ちひしがれて、ジュカインは身を屈めていた。膝と手を地に付けて、体を震わせながらその場にうずくまる。
無念、悔しさ……溢れ出す様々な感情を整理することもできず、ジュカインの目からは涙が溢れ始めていた。

一筋の涙が頬を流れ、地に生える草に落ちて弾けた――その矢先。

(……っ!)

殺気。
放たれた矢のように、背後から何かが勢いよく、こちらへ向かってくる。

ジュカインはとっさに、その場で跳躍した。
瞬間、先ほどまで彼がいた場所に、何かが刺さる。

(水、か……?)

だが、ただの水ではない。それは弾けることなく、地面に深く刺さっていた。
よく見ると、水でありながら、四方に棘が伸びたような形をしている。広げた掌ほどの大きさで、暗器の一種のようにも見えた。
殺気の正体を認め、着地を始めるジュカインの目が細くなる。彼はこの技を、知っているようだ。

(『みずしゅりけん』か。ならば、その主は……)

新緑色の逞しい脚を曲げ、ジュカインが着地した、その直後。
パンパン、と背後から拍手をする音が聞こえた。反射的にジュカインは、そちらの方へ首を向ける。

「へぇ〜、なかなかやるじゃん!ボクの奇襲を避けるなんて、『風斬りの翠刃』の名も、ただの飾りではないみたいだねぇ。」

満足そうに、こちらに向けて発せられる、明るい声。
その声の主は、一本の木の上にいた。立ってこちらを見下ろしているようだが、太陽を背にしているため、逆光でその姿がよく見えない。
だがジュカインは、その者について、何となく察しがついていた。恐らくこの者こそ、昨晩に森で起きた事件の、容疑者であろう。

「貴様が、『影抜きの流水』か。」

ジュカインが訊ねた直後、声の主は木から飛び降りた。
優れた脚力と、跳躍力を持っているのだろう。その体は軽やかに宙を舞い、鮮やかな流線を描きながら、下降を始めた。
ふわり、と影が地面に降り立つ。両足と片手を地に付けて、顔をジュカインの方へ向けてきた。傾き始めた陽の光に晒され、その者の姿が露わとなる。

その正体は、青い蛙のようなポケモンであった。屈む姿や佇まいは忍者を彷彿とさせるものであり、腿には十字の傷が浮かび上がっていた。
何よりも目を引くのは、首に巻き付けられた長い舌である。首を一周巻いてもなお余るほど長く、マフラーのようにも見えた。
ふっと溜息をつき、やる気を感じさせない糸目のまま、『影抜きの流水』は口を開く。

「世間じゃそう呼ばれているのかなぁ。もっとも、世間の評判なんて興味ないけどさ。
 それに、ボクにだって、ちゃんと名前はあるんだよ。……ゲッコウガっていう、名がね。」

くすくす笑ってはいるものの、ゲッコウガと名乗るそのポケモンからは、一分の隙も感じられない。
こちらが気を抜けば、逆にやられてしまうだろう。ジュカインは彼のように、余裕の表情ではいられなかった。

「ほう。自ら名乗る殺人鬼とは、珍しいな。」
「やだなぁ、殺人鬼だなんて。人聞き悪いね。ボクはただ、皆と一緒に遊びたいだけだよ。
 でもさぁ、ここの奴らってすぐ壊れちゃうから、暇つぶしにもならないんだよね。ホント、つまんないったらありゃしない。」

さらりと、恐ろしいことを言ってのけるゲッコウガを前に、冷汗が一筋流れ始める。そんなジュカインを余所に、ゲッコウガはゆっくりとこちらに歩み寄り始めた。
正直、ジュカインとしては、その場で遁走したいほどであった。だが、この者が見逃すとは思えない。その場に硬直することしか、できなかった。

「でも君となら、少しは楽しめそうかな?音に聞く『風斬りの翠刃』の異名を持つ君なら、期待したいところなんだけどなぁ、ジュカイン?」
「俺の名まで知っていやがるとは……最初から、目をつけられていたってことか。まったく、素直に喜べるものじゃねえな。」

吸盤のついた蒼い右手が、ぴたりとジュカインの顎に触れる。
その感触を、気持ち悪いとしか思えなかった。底無しの沼へ引きずり込むかの如く絡む青い手に、これ以上触れてほしいとは思えなかった。

ジュカインは、これ以上の接触を拒むように、片手でゲッコウガの腕を抑えた。

「……で?俺に何の用だ?」

視線を逸らさないまま、目の前で微笑むゲッコウガに訊ねる。
直後、蒼き悪魔の口元が、にやりと吊り上がった。

「さっきも言ったけどね。ボク、退屈でしょうがないんだ。だから――」

瞬間、ゲッコウガの顔から、おどけた様子が消えた。
糸目だった両目は瞬時にして開き、光の無い瞳がこちらを覗きこむ。
いつの間に仕込んだのだろうか。既に左手には、先程放たれた『みずしゅりけん』が装備されていた。
ただならぬ気を感じたジュカインも、再び目を見開く。それとともに、ゲッコウガも口を開いた。

「ちょっと、付き合ってよ。」

2匹の間を通り抜けた風が、止んだ瞬間――
目にも留まらぬ速さで、ジュカインとゲッコウガの左手が、ほぼ同時に動いた。

―――――

「あーもう……わかったから機嫌直してくれよ、ブリガロン。ほら、ポフレ買ってきてやったことだしさ。
それより、ジュカインが遊びに来ただって?」

一方、こちらは寺の僧堂。
先程まで出かけていたバクフーンが帰還し、ブリガロンから話を聞いていた。
といっても、あまり和やかな空気とは、言い難い。説教中に勝手に抜け出したバクフーンのことをまだ快くは思えず、ブリガロンはそっぽを向いて、目を合わせようともしない始末であった。
ただ、差し出されたポフレだけは乱暴に受け取りつつ、頬張り始めていた。

「そうなんっすよ。ただ、急用を思い出したとか言って、帰っちゃったっすけど……何か、めちゃくちゃヤバイ感じだったっす。兄弟子、何か心当たりないっすか?」

ポフレを口にしながらも、ブリガロンはぶっきらぼうに訊ねる。
正直、ブリガロンにとっては、今やバクフーンと話すのも億劫だった。しかし、気になるところもあったため、聞かずにはいられなかったのである。

「んなこと言われてもよ。別に、あいつに何かした覚え、ねえんだけどな。」

頭をぼりぼり掻きながら、バクフーンは答える。本当に何も、心当たりは無いという様子であった。
だが、それでブリガロンの顔が晴れることはなかった。それどころか、怪訝そうにバクフーンのことを睨み始める始末である。
今までブリガロンからそんな目線を向けられることは無かった。ただならぬ様子に、バクフーンも不思議に思わずにはいられなかった。

「何だよ、ブリガロン?そんな、湿気た目してさ。」
「……兄弟子。オイラに隠し事とか、していないっすよね?」

ブリガロンがそう訊ねた時。
今度は、バクフーンの目の色が変わった。いつも通りの飄々とした様子は消え、目つきが真剣そのものと化す。

「……何で、そう思うんだよ?」

訊き返す彼の言葉にも、どことなく重みを感じた。その様子にブリガロンも圧され、思わず口ごもってしまう。

「何でって、それは……!」

負けじと言葉を返そうとするが、そこでブリガロンは、完全に答えに詰まってしまった。
バクフーンのどことなく感じる威圧に怯んだのもあるが、それ以上にブリガロンは、別の考えも過ってしまったのである。

(よく考えたら、不義の恋を兄弟子の口から吐かせたところで、何の得にもならないっす。
 そりゃ、最近の兄弟子には、言いたいこと山ほどあるっすけど……秘密を無理やり荒立てて、わざわざ険悪にする意味も、無いっすね。
 もう手紙は、元の場所に戻してあるし、黙っていてもオイラが見たことはバレないと思うっす。今は、いっそこれ以上突っ込まない方が……。)

「それは……何だよ?」

口を止めたブリガロンの様子を不審に思ったのか、沈黙に耐えきれずバクフーンが訊ねた。
なおも、ブリガロンは暫く、答えに窮していたが――

「……いや。やっぱ、何でもないっす。オイラ、ちょっと外の掃除してくるっす。」

結局この時、ブリガロンがバクフーンの秘密にこれ以上迫ることは無かった。気まずくなったのもあり、そのままブリガロンは僧堂を出てしまったのである。

「……。」

そんなブリガロンを引き留めもせず、バクフーンはただ、何か考えながらブリガロンの出ていった方角を見つめていた。


■筆者メッセージ
どうもこんにちは、ミュートです。
黄金週間、いかがお過ごしでしょうか。

さてさて、前から存在だけチラ見せしておりましたが、ゲッコウガご登場でございます。
主人公ポジションで扱われることが多い中で、実は「あく」タイプ持ちなんですよね。なので今作では、その「あく」な部分も出していきたいなと思っています。
ミュート ( 2016/05/05(木) 14:23 )