想いは篝火となりて








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第6章 晩秋 ―禍つ流水、狂乱せり―
第46話 禁断の真実
「ふん、ふん、ふ〜ん♪」

上機嫌で、鼻歌交じりにお茶を用意するブリガロン。
ジュカインが寺に遊びに来てくれた。それだけで、ブリガロンはとても嬉しかった。

「ジュカインさん、このお茶好きだったっすね。あとは、お菓子も用意しないと……。」

ひょんなことで、街中で出会った彼。その後もジュカインは何度か寺へ足を運んでくれて、徐々に話をするようになっていた。
その中でブリガロンは、彼のことをちょっと怖いと思う局面もあるものの、生真面目で律儀な性格を気に入っており、今では彼の来訪を楽しみにするほどになったのである。

「あーあ、いっそのこと、ジュカインさんがこの寺に来てくれないっすかねぇ。
 強くてカッコいいし、どっかの誰かさんと違って本当に頼りになるし……取り換えっことか、できたらいいのに。」

茶葉を淹れた急須に、湯をついでいく。
ジュカインの顔を思い浮かべる一方で……それと比較するかのように浮かぶ、もう1つの見飽きた顔。

「それに引き換え……はぁ。
うちの兄弟子ときたら、何をするにも適当だし、いっつもフラフラしてるし……。それだけならまだしも、兄弟子のせいで泣き目を見るのは毎回オイラ。何でまた、先輩の尻拭いをオイラがしなきゃなんないっすか。
 あぁ、思い出しただけで、またイライラしてきたっす……。」

沸騰し始めた薬缶のように、ブリガロンの顔が赤くなり始める。
怒りが沸々と湧き上がり、顔から湯気が出そうな勢いであった。

「もう、兄弟子に振り回されるのは、ホントにこりごりっす!こうなったら、ジュカインさんと和尚様を説得して、ジュカインさんもこの寺に迎えるように……んっ?」

ふと、思い出したかのように、ブリガロンが視線を手元にやる。
既に急須から、湯がなみなみと溢れ始めていた。急須を置いた机も、既に湯がたくさん零れている。
さらに溢れた熱湯は重力に従い、机を離れ、ブリガロンの足めがけて真っ逆さま……。

「あっちぃ〜〜〜!!」

熱湯の熱さに耐えきれず、ブリガロンは悲鳴をあげていた。

―――――

「うぅ……今日は厄日っす。何でこんなことに……。」

熱いお茶を零して、未だに火傷でヒリヒリ痛む足を引きずりながら、ブリガロンはジュカインのもとへ向かっていた。
ぎこちない歩き方で、両手にはお盆を持っている。そこには、どうにか用意できたお茶の入った、急須と湯飲みが載っていた。

「でも、へこたれている場合じゃないっす。せっかく遊びに来てくれたジュカインさんに、精一杯おもてなししなきゃっすね。」

災難に遭い、くしゃくしゃになっていた顔を振り払うかのように、ブリガロンは首を何度か強く横に振った。
気を取り直して、部屋の戸の前に待つ。大切な客が、待っているはずだ。

「ジュカインさん、お待たせっす!お茶、淹れてきたっすよ〜!」

元気よく声をかけながら、ブリガロンはジュカインの待つ部屋の戸を開けた。

細身でありながらも、頼りがいのある翡翠色の背。宝玉のように光を宿す黄色いタネに、視線を吸い寄せられる。
今ではすっかり顔なじみになった、ジュカインである。

「……うん?」

だがこの時、ブリガロンは何となくではあるが、違和感を覚えていた。
声をかけたにも関わらず、ジュカインはこちらに背を向けて立ったまま、びくともしない。

聞こえなかったのだろうか?
――いや、数歩歩けば届く距離だ。そんなはずは無い。

声をかけてから暫く経ったが、ジュカインは依然として棚の前に立ち尽くし、壁の方をぼうっと見つめている。
何かに気を取られているのだろうか。それとも、考え事でもしているのだろうか。

(前からジュカインさん、こんなふうにぼうっとしていることは何度かあったっすけどねぇ。でも、それにしても、何かいつもと違うような……本当に、どうしたっすかねぇ?)

――1歩。また、1歩。
ゆっくりと、ブリガロンはお盆を持ったまま、ジュカインに近づいていった。

ただ、友に声をかけるだけなのに。
――背中に嫌な汗が伝うのは、何故だろうか。

妙な緊張感を覚えながらも、ジュカインのすぐ隣まで、ブリガロンは近づいた。

「ジ、ジュカインさん……?」

おずおずと覗き込むようにして、顔を近づけながらブリガロンがそっと声をかけた――瞬間。

(――っ!?)

ギロリ。
赤黒い光を宿した両目が、突如こちらに向けられる。その恐ろしさに、ブリガロンは血の気がサッと引く感覚を覚えた。
鋭い殺気の籠った視線が、ブリガロンの胸を貫き、恐怖を植え付ける。

(えっ……ジュカイン、さん……??)

手の震えが、止まらない。
何も、喋ることができない。

先程、訪ねてきた直後の彼とは別者としか思えないほど、ジュカインは変わり果ててしまっていた。
植え付けられた恐怖が芽吹き、伸びた蔓が絡みついて、胸を締め付けられるような心地がする。

ブリガロンが怯えながら立ち尽くしていた時、ようやくジュカインが口を開いた。

「急用を思い出した。悪いが、帰らせてもらう。」

驚くほどジュカインの声は低かった。その声には、何か明確な意思を宿したようにも感じられる。
一触即発。今の彼を表現するならば、それが適切であろう。

一言だけ言い捨てると、ジュカインはゆっくりと身を翻し、入口のほうへと歩いていった。

「わ、わかった、っす……。」

間近で、ジュカインが通り過ぎていく。ブリガロンは声を捻り出して一礼するのが、精一杯であった。

去り行くジュカインの足取りは、覚束ないものだった。ふらふらと体を揺らしながら歩いている。手もだらりと垂れ下げ、まるで力が入っていないようだ。
しかし両目から感じる、鋭い光は消えない。それどころか、段々増していくようである。

「……。」

出口の前で、ジュカインがピタリと止まる。
それに合わせるかのように、ブリガロンもまた、ビクリと体を震わせた。

「奴だけは……」

低い声が、微かに発せられる。
耳を澄まさなければ聞こえないような声だったが、ブリガロンにとっては、頭の中で響きわたるほど大きく感じた。
ブリガロンにとっては、ただただ恐ろしいばかりであった。泣きだすのを堪えるのもやっとである。

植え付けられた恐怖が、絶頂に達した時――
ジュカインの次の一言が、ブリガロンの脳内を抉った。

「奴だけは、絶対に許さん。」

――ガシャン!!
蒼ざめたブリガロンの手から、お盆が滑り落ちた。
載せられていた茶器が音をたてて壊れ、中に入っていたお茶が溢れ出す。心をも砕かれたブリガロンも、その場に崩れ落ちてしまった。

ジュカインはそれを知ってか知らずか、乱暴に扉を開けた後、そのまま去っていった。
冷え切った晩秋の風が、部屋へと吹き荒れる。

(な……なんで?なんでジュカインさん、あんなに怒ってるの?何かマズいことした?)

訳がわからず、ブリガロンはただただ、混乱するばかりであった。
鋭くこちらを睨んだジュカインの顔が、頭から離れない。トラウマのように脳裏に焼き付けられ、未だに足の震えも止まらない――かに見えた、数秒後。

「あっつ!?」

再び、足元に熱を感じ、ブリガロンは飛び上がった。
我に返って見ると、淹れたばかりの零れたお茶が、自分の周囲に広がっている。そこでブリガロンは、お盆を落としてしまったことに、ようやく気付いた。

「うわー、やっちゃったっす……。とにかく、片付けないと。」

うんざりした様子で、重い体を動かしながら、倒れた湯のみや急須を拾い始めた。
落ちて割れた茶器を拾い上げ、とりあえずお盆の上に集め始める。あとは、床に零れたお茶を拭き取る必要があった。

「えーと、何か拭くものは……んっ?何だろう、これ。」

ふと顔を上げたブリガロンが、何かに気付く。
棚の上に、無造作に開けられた漆塗りの箱が1つ。見るからに上品そうだが、ブリガロンには見覚えの無いものであった。

「兄弟子のものっすかね?でもオイラ、こんなの見たことないっすよ……。」

首を傾げながら、ブリガロンが箱の中を覗きこむ。そこには、紙が何枚も重ねてあった。
いや、ただの紙ではない。誰かに宛てたかのように、文字が書かれている。これは、手紙の山のようだ。

こういうのを勝手に見るのは気が引けるが――先程ジュカインは、この箱の前に立っていた。何か、関係があるのかもしれない。
少し背徳感を抱きつつも、ブリガロンは紙を1枚手に取り、目を通し始めた。

『何かのお導きでしょうか。火事で災難にあったとはいえ、このコジョンド、バクフーン様の許で過ごすことが叶い、嬉しく思います。
ですが、周囲の目に阻まれ、貴方と逢うのもままならぬ日々――同じ屋根の下にいながら、寂しくてなりません。』

「……!?」
思わず、ブリガロンは手紙を伏せた。あまりの衝撃に、驚きの言葉も出ない。

(ち、ちょ、ちょっと待って、どういうこと!?
これってどう見ても、恋文……しかもコジョンドさんが兄弟子に宛てた!?
ってことは、兄弟子とコジョンドさんは……いや、まさか……。)

だが、それと同時にブリガロンは、ある光景が蘇っていた。

数ヶ月前、火事を逃れてキュウコンの舞姫集団が寺に来た日。ある夜、僧堂に忍び込んだコジョンドとばったり出くわした時のこと。
コジョンドは、バクフーンの部屋の場所を教えるよう、懇願していた。

『お願いです!どうかこのまま、何も聞かずにバクフーンさんの居場所を教えてください!
今夜。今夜じゃないと、駄目なんです!どうか、お願いします!』

「……。」
もはや、浮かんだ仮説は、揺るぎないものとなった。
どう考えても、この2匹が内密に付き合っているとしか、思えない。何の前触れもなく、横から殴打されたかのような衝撃に、ブリガロンはただただ、打ちひしがれていた。

今なら、あの言葉の意味も、理解できる。
コジョンドが他者の目を忍んでまで、バクフーンと逢おうとするのも、納得がいく。

(でも……1つだけ、分からないっす。
 箱の前に立っていたジュカインさんも、間違いなくこれを見たと思うっすけど……だとしても、何であんなに、怒らなきゃならないっすかねぇ??)

コジョンドとジュカインの関係を知らないブリガロンは、首を傾げずにはいられなかった。

(何か、手掛かりになるものでも、書いていないっすかね?他の手紙も、見てみようかな……。)

気が付くと、ブリガロンはもう1枚、手紙を手に取っていた。

■筆者メッセージ
どうもこんにちは。ミュートです。

知ってはいけなかった、禁断の真実。そして、修羅場の開幕です。
何てことない出来事で、友人関係に亀裂が入ることあるから、恐ろしいものですね。
さて、狂い始めた歯車を、どう回していきますかね。
ミュート ( 2016/04/24(日) 22:36 )