想いは篝火となりて








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第6章 晩秋 ―禍つ流水、狂乱せり―
第45話 波乱の予兆
「『影抜きの流水』だと?はん、上等じゃねえか。」

日が、高く昇る頃。
穏やかな秋風が吹く中、閑静な寺の境内で、鼻で嗤う声が響く。

御堂の向かいにある、やや粗末な建屋。
この寺の僧堂であり、そこで2匹のポケモンが座して話をしていた。

まず1匹、奥で余裕綽々の笑みを浮かべるのは、紅き瞳の火鼠――この世界で『迷い火の風来坊』と呼ばれる、バクフーンである。
彼の目の前に座っているのは、背に大きな装甲を纏うポケモン――ブリガロンであった。

ブリガロンの片手には、新聞が握られている。
それは、レディアンが売っていたものと同じであった。ブリガロンも新聞を街で入手して、その内容をバクフーンに伝えていたのだろう。

(いやいや、呑気に構えている場合じゃないっすよ、兄弟子……。)

今や、街に現れた新たな脅威として恐れられる『影抜きの流水』。
だが、その噂を聞いてもなお飄々としているバクフーンを見て、ブリガロンはますます心配になってきた。

「兄弟子、相手を分かって言ってるっすか?噂じゃ、傷一つ与えた者はいないって言われるほど、すさまじい奴らしいっすよ!?」
「そうらしいな。俺も実際に逢ったことは無いから、何とも言えねえが。だが、それほどの御仁だからこそ、戦ってみたいとは思わねぇか、ブリガロン?
 影抜きだか骨抜きだか知らねえが、いつかそいつと手合せしてみたいもんだ。」
「はあ……。」

バクフーンのことだ。『影抜きの流水』のことを、全く知らない訳ではないだろう。
だが、恐れるどころか、何故にこうも意気揚々としているのだろうか。

(そりゃ、兄弟子も強いのは、知っているっすが……。そんな生易しい相手とは、思えないっすけどねぇ。
兄弟子に災いが降りかかったら、どうするっすか……。)

考えれば考えるほど、ブリガロンの顔は曇っていく。
だが一方で、バクフーンは新たな相手の登場に、むしろ晴れ晴れとした表情になっていた。

「さてと。気分も良いし、街に出かけるか!ってことで、留守番頼んだぜ。」

あまつさえ、こんなことを言う始末である。
バクフーンはいつものように、軽い足取りで僧堂をふらっと出ようとした。だが……

 突如、後ろからぐいっと、右手を強く引っ張られる感触を覚える。
 重心を無理に動かされ、体をぐらつかせたバクフーンであったが、すぐに体勢を立て直し、後方を向き直った。

「……えっと、ブリガロン?なんで、俺の手を引っ張っているんだ?」

気まずそうに、バクフーンが体を後ろに向ける。
光の無い目で笑うブリガロンが、こちらを向きながら、自分の右手を掴んでいた。
にっこりと微笑んではいるものの、黒いオーラが感じられる。ただただ、不気味でたまらず、さすがのバクフーンも腰が引けていた。

「……兄弟子。忘れたとは言わせないっすよ。この前、誰かさんがジュカインさんと逃げた時、オイラがどんな目に遭ったと思っているっすかねぇ〜?」
「あ、あぁ、そんなこともあったっけな、あはははは……。」

――1ヶ月ほど前。
この寺の住職である、コータスの命でバクフーンを連れ戻しに行ったブリガロンは、結局その任を果たせないまま寺へ戻る破目になった。
もちろん、それでコータスが許してくれるはずもなく、再度長説教をされるのみならず、罰としてその日の夕食も抜きにされる始末となったのである。
食事が好きなブリガロンにとって、夕食抜きは拷問に等しいほどつらいものであった。

「な、なぁ。あの後、お前の分のポフレ買ってきてやっただろ?それでチャラにするって約束じゃ、なかったのかよ!?」
「それはそれ、これはこれっすよ!!また同じこと繰り返して、どうするっすか!?もう、兄弟子の放浪癖のせいで、代わりに和尚様から罰を受けるのは、勘弁っすからね!!」

部屋中に、ブリガロンの怒鳴り声が響く。普段穏やかなブリガロンも、堪忍袋の緒が切れてしまったようである。
今まで散々、気ままなバクフーンに振り回され続けていたが、我慢し続けてきた不満が一気に爆発させた。

「そう、兄弟子には一度、はっきり言っておかなきゃって、思っていたっすよ!
仮にもこの寺の一番弟子だってのに、いつまでそんな、フラフラしていれば気が済むっすか!少しは修行に勤しんでいる自覚ってものを……。」

(『仮にも』って何だよ、『仮にも』って。
 ったく、ブリガロンまですっかり、じじいみたいに面倒くさくなってきちまったな……。)
さりげなく毒を吐かれ、バクフーンの頬が、ピクピクと引き攣る。
だが、ブリガロンの文句は止まらない。延々と続くブリガロンの説教に、さすがのバクフーンもうんざりとしながら、目を逸らしていた。

「……まったく兄弟子からは、まともな教えをもらえないばかりか、兄弟子のせいでオイラが、とばっちりを受けてばっかりで……。
オイラ、情けないばかりっすよ!命の恩人だからって今まで我慢してきたっすけど、もういい加減にしてほしいっすよ!!
和尚様も兄弟子のせいで、心休まる時ないって嘆いてたってのに……どんだけ迷惑かけりゃ気が済むっすか!頼むからもっと真面目に……って、聞いてるっすか、兄弟子!?」

感情に任せて文句を言い続けていたブリガロンが、気付いた時――

いない。何処にもいない。
既に、バクフーンの姿は無かった。ブリガロンが散々言っていた最中に、こっそりと抜け出していたのだろう。

ギリギリ、と歯ぎしりする音が鳴る。
やり場のない怒りで、低く唸ったかと思うと、ブリガロンが大きく息を吸い込んだ。

「〜〜〜〜っ!!兄弟子!!もう、どうなっても知らないっすよ!!」

怒鳴り声が、僧堂を震わせる。
しかし、それは虚しく響き、あっという間に消えて行った。
――その、直後。

「バクフーン、いるか?」

突然の声に、ブリガロンはびくりと体を震わせた。
先程まで赤くなっていた顔が、瞬時にして青ざめる。

「げっ。ま、まさか……。」

和尚のコータスではなかろうか。もしそうなら、最悪のタイミングである。

(何でこう、兄弟子が出て行った時に限って!?あぁもうオイラ、いつまで怒られ続ければいいのさ……もう、嫌っすよ〜……。)

さりとて、無視するわけにもいかない。
半べそをかきながらも、やむなくブリガロンは部屋の戸に手をかけた。
思わず、怖さから目を瞑る。しばらく手が震えていたが、覚悟を決めて、さっと扉を開けた。

恐る恐る目を開け、覗き込むようにして前を見る。そこには……

「おや、ブリガロンじゃないか。
……そんな顔して、どうした?何か、俺に変なものでも付いているか?」

新緑の蜥蜴のポケモン――ジュカインだった。こちらを、不思議そうに眺めている。
ブリガロンの足が、かくんと折れる。そのまま身の重さに任せ、へなへなと崩れ落ちてしまった。
コータスではなかったことに安心して、力が抜けてしまったのだろう。そんなブリガロンに、ジュカインは慌てて手を伸ばし、肩を支えた。

「お、おい、どうしたんだ!?」
「よかったぁ、ジュカインさんで……。和尚様だったら、どうなることかと……。」
「は、はぁ??」

ほっと胸を撫で下ろすブリガロンだが――
ジュカインにしてみれば、訪ねてきただけなのに自分の姿を見るや否や、急に安堵されたのである。首を傾げずには、いられなかった。
ジュカインが呆気に取られていると、ブリガロンがはっと気付いたかのように姿勢を正す。大きな体が、ぐいっとこちらに向けられた。

「ああっ、そうだ!兄弟子っすね。生憎たった今、外出したばっかりなんすよ。」
「そうか……間が悪いときに来てしまったな。街で妙な噂を聞いたから、バクフーンなら何か知っているかと思ったんだが。」

残念そうにするジュカインの手には、よく見ると新聞が握られている。
『東の森にて襲撃事件』――その見出しに、ブリガロンは見覚えがあった。
間違いなく、自分が手に入れたのと、同じ新聞だ。

「あー、ジュカインさんも聞いたっすね、『影抜きの流水』の噂。何か、相当やばい奴らしいっすよ。」
「只者では、ないんだろうな……ま、出会わないことを祈るしかないか。
 それじゃ、また来る。バクフーンにもよろしく言っといてくれ。」

ふっと笑いながら、ジュカインは手を振って去ろうとした。

「まぁまぁ、待ってくださいっすよ。せっかく来てくれたことだし、ゆっくりしていっても、いいじゃないすか!」

だが、一歩踏み出したところで、ジュカインは手を掴まれた。
ブリガロンが上機嫌な顔で、呼び止めてきたのである。先程まで怒り心頭だったのが嘘と思えるほど、彼の顔は明るかった。

「いや、しかし……俺だって、急に押しかけてきたようなもんだ。気を遣わせるのも、申し訳ないからな。」
「そんなこと、気にしちゃ駄目っすよ!こっちだって、手ぶらで返す方が申し訳ないぐらいっす。ここは、オイラの顔を立てるって意味でも、素直に受けてくださいよ〜。今、お茶淹れるっすから!」
「む……そうか?なら、お言葉に甘えるとしようか。」

半ばされるがままに、ジュカインは部屋へと通される。やや戸惑う彼を余所に、ブリガロンはニコニコと笑いながら、去っていった。
ぽつんと、1匹残されたジュカイン。改めて彼は、部屋の中をぐるりと見渡した。

(そう言えばここ、バクフーンの部屋だよな。この寺には何度か足を運んだが、奴の部屋をじっくり見るのは、初めてだな……。)

しばらく、ぼうっと眺めていたが――
やがて、ジュカインの口元が、にやりと吊り上がる。良からぬことでも、考えたのだろうか。

(――奴のことだ。叩けば埃の1つや2つ、出てくるかもしれんな。
どれ、あの風来坊を笑いものにできるネタがないか、探してみるか。)

そう思い、ジュカインは部屋にある家具を漁り始めた。
まず目についたのは、机の引き出しの中である。ジュカインが開けてみると、雑然とした小物の中から、1つの巻物が目に付いた。
封を解き、さらさらと開けてみる。

(『れんごく』の技の指南書か……所々擦り切れているし、何度も読んだのだろう。
 あいつ、技の勉強は、割と真面目にやっているのか?フラフラしたあの風来坊が、真面目に……ううむ、何か癪だな。)

物足りなさそうな顔をしつつ、ジュカインは巻物を戻し、引き出しを閉じた。
次にジュカインが目を付けたのは、壁に沿って置かれた棚である。上半分が引き戸になっており、右へ滑らせれば開きそうだ。
取っ手に指をかけ、静かに引き戸を開ける。中には、一冊の本が置かれていた。
ジュカインはそれを躊躇もせずに手を取り、ぱらぱらとページをめくる。ざっと見る限り、バクフーンの旅行記であろうか。
だが、真ん中あたりで、ふとジュカインの手が止まった。

(『メスを口説く絶好の場所一覧』……くくっ、こんな事だろうと思ったぜ。やっぱ煩悩まみれじゃねえかよ。あんな風来坊が、清純な修験者であってたまるかってんだ。
 それにしても、割と真剣に厳選してやがる。お前、力の入れる方向が違うだろうに……。)

半ば呆れながらも、半ばしてやったりの表情で、ニヤニヤしながら本を眺めていた。
満足したジュカインは、本を棚の中に戻す。引き戸を閉めようと、取っ手に再び手をかけた――その時であった。

「んっ?何だ、これは??」

最初は気付かなかったが、よく見ると、棚の奥に小奇麗な箱が置かれている。
不思議に思い、ジュカインはそっと箱を取り出した。

やや高価そうな、漆塗りの箱であった。所々彫られた紋様が、上品さを醸し出す。
粗雑に置かれた日用品とは違い、この箱だけは、明らかに丁寧に扱われているようだ。
高価なものでも、保管しているのだろうか。そう思いながらも、ジュカインは箱の蓋を開ける。

箱の中身は、しわ一つなく綺麗に重ねられた、紙の山であった。

(……紙、か?だが、やけに綺麗だな。何故こんなものを大切にしまっているんだ??
何か書いてあるようだが……。)

怪訝そうに、ジュカインは紙を1枚、手に取った。
しばらくは、文字を目で追っていたが――

「おい……これって、まさか……。」

読み進めるに従い、ジュカインの目の色が、段々と変わっていった。


■筆者メッセージ
どうもこんにちは。ミュートです。

良い子の皆様は、人様の部屋を勝手に物色しないように。
……まぁ、探りたくなる気持ちは、非常によくわかるんですがね。

ぼちぼち、物語に大きな動きを出せそうです。
ミュート ( 2016/04/16(土) 23:11 )