第44話 巷談、流布せり
「号外〜!号外だよ〜!」
休日の午前。早くも雑踏で溢れ始める街に、快活な声が響く。
周囲の者に呼びかけながら、1匹のポケモンが羽を震わせ、街の大通りを低空飛行していた。
テントウムシのような体に、くりっとした青い目――レディアンである。彼は、折りたたまれた紙を道行く者に差し出しながら、元気よく声をかけていた。もっとも、通りゆく者は一瞥をくれるだけで通り過ぎるのが、ほとんどではあるのだが。
「ん……?」
そんなレディアンに気付き、別のポケモンが足を止める。
秋も深まり、暖色へと変わる落葉とは対照的なほどに、新緑に色付いた蜥蜴のポケモン――ジュカインである。
この日、ジュカインは偶々出かけており、気晴らしも兼ねて街を散策していたのである。
「おい、そこのお前。何か、あったのか?」
レディアンに気付いたジュカインは、肩を掴んで問いただした。
手荒に引き留められたにも関わらず、レディアンは嫌な顔一つせず、営業職人顔負けの明るい笑顔を向けてくる。
「おや、お客さん。見ない顔ですねぇ?最近引っ越してきたんですかぁ?だったら是非読んでくださいよ〜、うちの新聞。」
ほう、とジュカインの口から軽い相槌が漏れる。どうやらこのレディアンは、新聞売りをやっていたらしい。
暫くジュカインが眺めていると――レディアンの目がきらりと光った。
新しい客に目を付けたのだろうか。ずいっと顔を近づけて、早口でしゃべり始める。
「うちじゃ、いつも毎朝こうして皆さんに配達しているんですけど〜、今日はそれに加えて号外ですよ、号外!!
なんてったって、事件が起こったんですから!それも、とりわけ物騒な、ね。ほらほら〜貴方も気になりませんか〜、ねぇねぇ??」
(な、何だコイツは……。)
熱を込めながら宣伝しつつ、急接近するレディアンに、ジュカインの顔にも困惑と嫌悪の色が出始める。このジュカインは、初対面で馴れ馴れしく話しかけてくる者が、苦手であった。
さりとて、身近で事件が起きたのなら、一応知っておいたほうが良い気もする。もっとも、このレディアンから情報を得る気分にはあまりなれないが……。
「まぁ、一応もらっておこう。」
情報は、手元にある分には困らないだろう。
そう考えたジュカインは、レディアンから新聞を片手で、ぱしりと受け取り、さっさとその場を後にしようとした。だが――
「あっ、ちょっとちょっと、お客さん!」
「あ?まだ何か用か?」
去ろうとするジュカインを、レディアンが慌てて呼び止めてくる。レディアンを鬱陶しく感じていたジュカインは、これ以上関わりたくもなかったが、やむなく足を止めた。
振り返ると、レディアンが不満そうに口を結んでいる。こちらに手を差し出して、何を求めているのだろうか。
「誰がタダであげるって、言いました?こっちは商売でやってるんですよ〜?
商品もらうなら、お代もちゃんと払う。これくらい、常識ですよねぇ?1部たったの50ポケですから、きっちり払ってくださいね?」
(……うっぜぇ。)
可愛らしさのある顔と声で発せられるレディアンの不遜な言い方に、ジュカインの表情が一変する。眉間にしわを寄せ、不快極まりないといった様子であった。
さらに言えば、新聞の価格にも納得できるものではなかった。
この世界での値段を考える基準として言えば、リンゴが1個20ポケで販売されている。つまり、リンゴ2個よりも高い値段で新聞を売りつけるというのである。
「何だその、上から目線な物言いは?しかも、新聞1部で50ポケだと!?
ぼったくりに払うものは無い。さっさと失せろ。」
機嫌を損ねたジュカインは、新聞をレディアンに、乱暴に投げ捨てた。
「わ〜ん!!待ってくださいよ〜〜!お安くしますから〜〜!!」
だが、それで引き下がるレディアンではなかった。
今度は目に涙を溜めて、両手でジュカインの肩を掴んでくる始末である。傍から見れば、おんぶされた子供が、親の背中で駄々をこねているような絵図、といったところであろうか。
もはや振り向く気も失せたジュカインは、顔を向こうに向けたまま、盛大に溜息をついていた。そんなこともお構いなしに、レディアンは涙声でジュカインに迫る。
「50ポケが高いっていうなら、40ポケで……いやいや、ご新規様特別大サービスで、30ポケで売ってあげますから〜!お願いだからそんな、見捨てるようなこと言わないでくださいよ〜、ねっ、ねっ??」
「結局、金は取るのか……重いから、さっさと離れろ。そして斬られたくなかったら、その上目遣いをやめろ。本気でうざい。」
横目でレディアンを睨みながらも、ジュカインは手荷物を探り、お金を探り始める。
一通り、ジュカインは手に持った硬貨の数を確認していた。それを見届けてから、レディアンがようやく、ジュカインの背中から離れる。
「ったく……ほらよ。」
「は〜い!今、確認しますね〜!」
無造作に差し出された硬貨の山を受け取り、レディアンは再び笑顔になった。
こちらに背を向けて、硬貨を数えはじめる。
(お金見せた途端、けろりとしやがって。あの満面の笑み、ぶん殴りたくなるな。
しかも何だ?ブツブツ言っているようだが……)
お金を渡してから、レディアンが何か独り言を言っている。気になったジュカインは、もう少し顔を近づけてみた。
「ホントは、最初から定価が30ポケなんだけど……あえて高く吹っ掛けてから落とすってテク、けっこう使えるね〜。実質変わらないけど、安く錯覚しちゃうってやつ?これで騙される奴の、多いこと多いこと。
それにしてもあの兄ちゃん、おっかない顔して案外ちょろいな。まさか、泣き落としで手を打ってくれるなんて、ウケる〜♪」
「何か言ったか、小僧?」
背後から至近距離で聞こえる低い声に、レディアンがびくりと体を震わせる。
気が付くと、再び顔をしかめたジュカインが間近に迫っていた。両腕には『リーフブレード』を露わにし、いつ斬りかかってきてもおかしくない状況である。
「へっ!?あ、あぁいや、何でもありませんよ〜!それより、お代の30ポケ、確かに受け取りましたから!!」
ジュカインの、尋常ではない雰囲気に慌てたレディアンは、手に持っていた新聞をジュカインに押し付けた。
かと思えば、赤い羽根をバサッと広げ、今にも飛び出そうとしている。
「毎度あり〜!今後とも、うちの新聞をよろしくお願いしますね〜!!」
営業スマイルを向けながら、レディアンは逃げるように去っていった。
その姿を、ジュカインはただ呆然と見送っていた。だが、やがて我にかえると――
――グシャリ。
手にした新聞が、翡翠の手で強く握られる。
「……誰が二度と買うか。あの、腹黒商人め。」
舌打ちをしつつジュカインは新聞を開き、目を通した。
「えー、なになに……東の森にて襲撃事件、か。」
この街を出て東に進むと、深い森がある。何かと事件の起こることが多い危険な場所であるため、街のポケモンはこの森に近づかずにいるという。
そこで昨晩、1匹のゴルダックが何者かに襲われ、命を奪われたとのことだ。今朝になって、荷物を全て剥ぎ取られた状態で倒れているゴルダックを、街の者が目撃したという。
体中の至る所にも傷が見受けられたが、胸に刻まれた大きな刺し傷が致命傷と考えられている、とのことだ。
だが専門家によれば、単に刃物を滑らせたような傷の付き方ではないという。犯行の手口は現在調査中であるが、その過程で、この手の筋に詳しい者と接触に成功した。その者によれば――
「犯人は『影抜きの流水』の可能性が高い。……って、誰だそれは?初めて聞く名だな。」
今回の事件の容疑者として挙げられていた『影抜きの流水』だが、ジュカインには聞き覚えが無かった。
だが、記事を読む限り、その実力は相当のものだろう。そんな奴が身近にいるとなれば、身の安全は保障できない。
「ううむ、誰かこの手の話に詳しそうな奴は……
――そうだ!バクフーンなら、何か知っているだろう。今日は、寺にでも遊びに行くとするか。」
ジュカインの足は自然と、北へ――バクフーンの住む、寺へと向かっていた。
―――――
「貴方たちに、重要な話があります。」
一方こちらは、コジョンドたちのいる稽古場。
広間の奥には師範であるキュウコン。その前には、ずらりと門下生たちが勢ぞろいして、師範の前で頭を下げながら座していた。
コホン、と咳払いした後に、キュウコンが声を張り上げて告知する。
「皆もご存じかもしれませんが、街近辺に『影抜きの流水』が現れたと、報せが入りました。
よって、皆の安全を確保するため、騒ぎが収束するまで当分の間、私の許可なく外出を禁じます。」
稽古場内が、にわかに騒然となった。
突然の外出禁止令に、キュウコンの前に座していた門下生たちは互いに顔を合わせ、口々に不満や不安の声を漏らす。
「えぇ〜っ、今度飾り物を買う予定だったのにぃ!」
「馬鹿言ってんじゃないわよ!彼の姿を見た者は体中に暗器を刺されて、一瞬にして喉を切られてるって噂よ。あんたも知ってるでしょ?」
「あたしも聞いたことあるわ。何で『影抜き』って呼ばれているか知ってる?彼に目を付けられたら、影も抜き取られるほど跡形もなく消されるんですって!」
「やだ〜、怖いわぁ。」
門下生の皆が、恐怖で動揺していた。
それはコジョンドも例外ではない。彼女も、不安で青くなった顔をしながら、チャーレムの手を握っていた。
「恐ろしいわ。近くにそんな怖い方がいるなんて……どうしよう、チャーレム?」
「……お師匠様に同調するってのは癪だけど、確かに外を不用意に出歩かない方が、いいかもしれないわね。」
チャーレムも、内心は気が気でないのだろう。
その様子は冷静とは言い難く、険しい表情のまま唸っていた。
「でも、だからって外出禁止って……ちょっと、やり過ぎじゃない?あたしたちが気をつければ良い話だとも思うんだけど。」
不安を紛らすためか、チャーレムはいつもの如く、キュウコンへの愚痴を吐き出していた。
そんな中、コジョンドの頭に、さらなる懸念が浮かび上がる。
(あっ……そう言えば、これからバクフーン様への文通は、どうしたらいいのかしら。)
今までコジョンドは、バクフーンへ手紙を渡す際に、稽古場の外に出てオンバーンを呼んでいた。人目を避けるために外の裏路地に入り、そこでオンバーンと逢って、手紙を託したのである。
だが、外出禁止令が出た以上、今後はそれもままならないだろう。
(かといって、この稽古場は男子禁制。ここにオンバーンさんを呼びつけるわけにもいかないし、無理に呼んだら、トラブルの元にもなりかねないわ。
そうなると、オンバーンさんに接触するのは厳しいわね……。)
コジョンドの顔は、ますます曇る一方であった。
どう捻り出そうとしても、手紙を届ける術が浮かばない。
(どうしよう。これじゃバクフーン様に、手紙を出して差し上げられない……。)