想いは篝火となりて








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第6章 晩秋 ―禍つ流水、狂乱せり―
第42話 何でも屋の秘密
アタシの名前は、オンバーン。
皆からは、『華麗なる何でも屋』と呼ばれているわ。

今アタシは、街から北へ向かったところにある、お寺で羽休めしているの。
山の中で、ひっそりとしたところだけど、木の葉が赤に、黄色に色づいて、油絵でも眺めている気分だわ。
こういうのを、風流って言うのかしらね。

そして、アタシの目の前には――
愛する者のために筆をとる、美男の火鼠。

あぁ、見れば見るほど、罪な男よねぇ。
触り心地の良さそうな、ふさふさとした深緑の毛。一度でいいから、思う存分撫でまわしてみたいわぁ。
このまま背中から抱き付くのも悪くないけど、お腹の黄色いところを撫でたら、どんな顔するかしら。
可愛く伸びた耳から顔をなぞれば、くりっとした2つの紅い瞳。柘榴石のように輝く、彼の瞳を見ていると、そのまま吸い込まれてしまいそうで。

見つめているだけで幸せっていうのは、こういうことを言うのね。
貴方のおかげで、落葉が霞んで見えるくらいだわ……!

―――――

「……あのさ。」

カタン、と音をたてて、筆が降ろされる。
疲れ切ったような声を漏らし、風来坊はくるりと後ろを向いた。

「悪いけど、あんたのせいで、全然集中できねえんだよな。」

視界に入るのは、こちらに向き直ってもなお、うっとりとしたような視線を投げ続ける、オンバーン。
バクフーンがうんざりした表情を露わにしているにも関わらず、彼はくすくすと笑っていた。

「んもう。アタシのことは気にしないでって、言ってるでしょ?」
「野郎からそんな熱烈な視線を浴びせられて、気にするなというのは無理があるんだが?」

このオンバーンは、口調や仕草こそメスであるものの、声の高さは明らかに低い。彼はれっきとした、オスのポケモンである。
異性ならともかく、同性から熱い視線を投げられるのは、想像するのも難しい感覚なのだろう。すっかり参ってしまったバクフーンは、あえてオンバーンが嫌いな言葉を使ってみることにした。
案の定、『野郎』という言葉につられ、オンバーンの眉がぴくりと動く。腕組みしながら、オンバーンは口をとがらせていた。

「だ・か・ら、アタシは『野郎』じゃなくて『オネエ』だって、言ってるでしょ。」
「はぁ……。あんたの、その謎のこだわりは、一体何なんだ?」

ここまで清々しく言われると、もはや返す言葉も見つからない。バクフーンは、ただただ溜息をつくことしかできなかった。

「大体さ。今日は俺、あんたを呼んでいないだろ。なんで頼んでもねえのに、毎日やってくるんだ?」

遡ること、約1ヶ月。
バクフーンの話術に惹かれたオンバーンは、噂話を報酬に、コジョンドとの手紙のやり取りを請け負っていた。
それ以来、手紙を書いた時はオンバーンを呼び、コジョンドに渡してもらう手筈となっていた。しかし、ここ最近は何故か、バクフーンの呼び出しの有無に関わらず、オンバーンの方から毎日バクフーンを訪れるようになったのである。
今日とて、それは例外ではない。オンバーンに見守られながら、バクフーンが手紙を書く破目になるのも、もはや珍しいことではなかった。

「水臭いわねぇ。どうだっていいじゃない、そんなの。貴方とアタシの仲でしょ?」
「……あんたに仕事を頼んでいるだけで、深い仲になった訳でも、ねえんだけどな。」

魅惑を込めた視線まで投げかけて、色仕掛けでもするつもりなのだろうか?
バクフーンの返事も、うんざりとした態度があからさまに伝わるほど、雑になっていた。

「つーか頼むから、事あるごとに色目を使うのは、やめてくれねえか?なんていうか、気持ち悪……。」

唐突に、バクフーンの口が止まる。
いや、口を開けることすら、ままならなかった。

(えっ……?)

いつの間に、移動したのだろう。
気が付くと、オンバーンが背後から自分の至近距離に迫り、口を塞いでいたのである。
これにはバクフーンも、目を丸くせずにはいられなかった。

「貴方、思っていたよりも口悪いわねぇ。お仕置きが必要かしら?」

紅く鋭い爪が、バクフーンの頬を、そして首筋をなぞる。それに合わせて、冷汗がバクフーンの顔の輪郭を、さっと流れて行った。
体中でぞくりとするものを感じる中、辛うじて動くのは視線だけであった。

視線を後ろへ向けると、こちらを覗きこむオンバーンと、目が合う。
妖しい光を宿しながら、じいっと見つめてくる様は、まるで死神が背中に張り付いているようであった。

「……すまん、言い過ぎた。」

どうやらこいつは、怒らせたら相当まずいようだ。
余裕の無い目でバクフーンが軽く詫びると、ようやくオンバーンが手を離してくれた。代わりに、何事も無かったかのように、またくすくすと笑い始める。

「わかればいいのよ、わ・か・れ・ば。
……それより貴方、前から気になっていたんだけど、どんな手紙書いているの?ちょっと、見せて頂戴。」

そう言いながらも、バクフーンの返事を待たずに、書きかけの手紙へ翼を伸ばす。
不意な出来事だったため、バクフーンも反応する間が無い。気が付いた時には、オンバーンは翼の先にある爪で器用に手紙を掴み、目を通し始めていた。

「わっ、馬鹿!返せ!読むんじゃねえ!!」

すかさずバクフーンが、顔を真っ赤にして手を伸ばすが、オンバーンは翼をさっと上げて、鮮やかにかわす。
2度、3度と取り返そうとするが、そのたびにバクフーンの手は虚しく空を切るだけだった。

「このっ、このっ……!返せっつってんだろ!!」

何度もバクフーンは掴みにかかるが、その度にオンバーンは翼だけ動かして避けた。
首は全く動かさず、翼だけ素早く動かす。そしてその直後に視線を動かし、姿勢は全く崩さないままで、手紙にはじっくりと目を通し続けていたのである。

「……ふっ。」

滅多に怒らないバクフーンではあるが、流石にこの時は苛立ちを見せた。
未だにじっくりと手紙を読むオンバーンを見据え――バクフーンは、地を蹴った。

「いい加減にしやがれ!!」

オンバーンの胴体めがけて、バクフーンが身を投げ出した。
あっという間に、2匹の距離は僅か。あわや、オンバーンが突き飛ばされそうになる――その瞬間だった。

――バチン!
突如、バクフーンの顔で、大きな音が鳴る。
静かな秋の風景に響くその音で、木の上で止まって休んでいたヤヤコマたちも、飛び起きるほどであった。

「ごふっ!?」
「貴方らしくないわよ?いつもの飄々とした風来坊は、どこいっちゃったのかしら?」

たまらず、バクフーンもつい声をあげてしまった。
バクフーンの顔には、先程奪われた手紙があった。オンバーンが器用に翼を動かし、手紙と翼の先をバクフーンの頭に押し付けて、動きを止めていたのである。

「……まぁ、文面は決して悪くはないし、愛している気持ちも滲み出ているわ。恋文自体は及第点ってとこね。」

バクフーンが大人しくなったのを見届けてから、オンバーンが口を開く。
バクフーンを見つめる彼の目は、真剣なものだった。オンバーンにしては珍しく、言動にふざけた様子は見受けられない。

「でもね、厳しいことを言うようだけど、このままじゃいつまでも現状維持よ。そりゃ、アタシとしては商売繁盛で嬉しいけど……貴方、いつまでこんなことを続けるつもり?」

バクフーンの手が、顔に押し付けられた手紙に伸びる。
手紙を避けて露わになった表情に、風来坊らしき飄々とした様子は無かった。目にはどこか憂いを帯び、独り言のように、ぼそりと呟く。

「逢えるなら、とっくに逢いに行っているさ。こんな立場じゃなければな。」

憂いを帯びた目に、オンバーンも黙りこくる。
オンバーンにも、心はある。バクフーンがどれだけ感情を抑えながら話しているかは、顔を見れば明らかであった。それだけに、胸の奥で何かが刺すような感覚を覚える。

「……あら、いけない。アタシったら、次の仕事があるのをすっかり忘れていたわ。」

気まずい空気を破るかのように、いつも以上にお道化た声でオンバーンが独り言を漏らした。
埃を払うかのように、体を軽くパンパンとはたき、大きな両翼を広げて今にも飛び立とうとする。

「それじゃ、また来るからよろしく……。」
「待ちな。あんた、仕事って何やってんだ?俺だって内緒にしたい恋文の中身を見せたんだ。あんたも秘密の1つくらい、教えてくれたっていいだろう?」

ぴたりと、オンバーンの動きが止まる。
一瞬、表情も固まっていたが、すぐにまた、いつものように微笑を見せた。

「今更、聞くまでもないでしょ?ただ、依頼人に頼まれたことをやっているだけよ。何たってアタシは、『華麗なる何でも屋』……」
「表の世界では、そうだろうなぁ?」

わざとらしく、大げさに声を張り上げて話すバクフーンの言いぶりは、挑発も込められていた。
秋の冷たい風が、2匹の間を通り抜ける。一瞬にして、場の空気は様変わりした。

「……何が、言いたいのかしら?」

ふっと、オンバーンの顔から、笑顔が消える。彼の声に、いつもの穏やかさは完全に消え失せていた。
流れる風が凍り付くように感じるのは、晩秋の寒さのせいだけでは、ないだろう。だがそんな中でもバクフーンは、にやりと口元を吊り上げていた。

「おかしいとは、思っていたんだ。その依頼でメシ食っているってのに、金ももらわず噂話だけで、手紙の運び屋を何度もやっていられるなんてな。
それに、あんたのその身のこなし、只者じゃねえな。あんた、相当の手練れじゃねえのか?それこそ、裏社会でもやっていけるぐらいに……。」
「貴方に、1つだけ教えてあげるわ。」

自慢の推理を並べるバクフーンを、オンバーンは一言で冷酷に遮る。
外の景色を見ているためか、表情が良く見えない。しかし、一つ発言を間違えれば命を奪われかねないほど、今の彼は一触即発であった。

「乙女にはね、『絶対に触れてはならない領域』ってものがあるの。許可なく無暗にその領域を犯そうってものなら……たとえ貴方でも、容赦しないわよ?」

ちらり、とオンバーンがこちらに顔を向ける。
僅かに口元を引き、妖しく微かに笑いを浮かべながらも、獲物を狙う蛇のような鋭さを持つその目からは、殺気すら感じられるほどであった。
並の相手ならば、この睨みで釘づけにされ、茫然となっているところで首を狙われているところであろう。

「……おぉ、怖い怖い。」

さすがのバクフーンも、余裕の笑みを浮かべようとするが、口元が引きつるのを隠すことはできなかった。
再び、顔や背中を冷汗が伝う。直感で覚える身の危険に、震えずにはいられなかった。

「それじゃ、アタシはもう行くから。」

ばさり、と大きな翼が宙を舞う。
一陣の風が舞い上がったかと思うと、気が付けば既に、オンバーンの姿は無かった。

「……こいつは、敵に回したら、ヤバイかもな。」

脅威は去り、ただ1匹残された、自室の中。
未だに震えの止まらない体で、バクフーンは、ぼそりとそう呟いた。


■筆者メッセージ
1ヶ月ぶりくらいですね。どうもこんにちは、ミュートでございます。

気が付けば、本作を連載して1年経ってしまったようで。早い物です。
まだまだ、技術面では未熟な部分も多いですが、お付き合いいただければ有難いです。

さてさて、何でも屋さんは只者じゃなかったということで。
「何でも出来ます」って言うのは、割と気軽に言える発言じゃないと思っています。
それだけ豪語するってことは、何を押し付けられても、「できない」なんて言えませんものね。
ミュート ( 2016/03/19(土) 01:28 )