第38話 望まぬ再会
ピカッ、ゴロゴロゴロ。
「はっ!?」
突然の光と轟音に、コジョンドは飛び起きた。反射的に周囲を見渡し、何が起こったのかを探る。
辺り一面の暗闇。星明かりすらも、見えない。
四方八方で、ノイズのような音とともに、激しく家を打ち付けるような音が聞こえる。どうやら、大粒の雨が降っているようだ。
時折、窓の方から一瞬だけ光が見え、その直後にゴロゴロと音が聞こえてくる。雷も落ちるほどの荒れ模様らしい。
「いつの間に、こんなひどい天気になっていたのかしら。」
先刻まで、心地よい夜風にあたるため窓を開けていた。だが、こんなにも激しく雨が降っていては、部屋の中にまで雨が入ってしまう。
窓を閉めようとして、コジョンドが手を伸ばした――その、直後だった。
ピカッ、ドカーン!
「……っ!」
再び、目の前に雷が落ちた。一瞬だけ、強い光が現れ、轟音が鳴り響く。
思わずコジョンドは怯み、再度耳を塞ぎながら、目を閉じた。
程無くして音は止み、ようやく冷静さを取り戻し始めた頃。コジョンドは、先程の落雷で、ある違和感を覚えていた。
(誰か、いた……?)
先程の雷で光った直後。一瞬ではあったが、窓付近の光が一部切り取られていた。
その影は、誰かの立ち姿にも見えた。そういえば確かに、窓の近くで何者かの気配も感じる。
「誰か、いるのですか?」
コジョンドは意を決して、窓のほうへ向かって呼びかけた。
だが、雷に怯えていたこともあり、声は震え、擦れてしまう。降りしきる大雨に掻き消されたのだろうか、窓の影が動く様子はなかった。
しかし、先程から感じる何者かの気配は消えない。不気味に思いつつも、コジョンドは勇気を振り絞り、もう1度叫んでみることにした。
「誰か……誰か、いるのですか!?」
コジョンドが声を張り上げた瞬間。ゆらり、と窓の方で影が動いた。
「!!」
宵闇に目が慣れ始めていたこともあり、僅かな視界の中でも、影の動きを感じ取ることができた。
背は自分よりも、やや高いようだ。まだ顔をはっきりと見えずにいたが、それは部屋の中へと入り込み、段々と自分の方へ歩みを進めてきた。大雨の中、ここまできたせいだろうか、影が歩く場所をなぞるように、床が濡れていく。
濡れた影は自分の目の前で立ち止まり、ゆっくりと低い声で喋り始めた。
「コジョンド、お前なんだな?この日を、どれほど待ったことか……。
ようやく、見つけ出すことができた。ずっと待たせて、すまなかったな。」
何のことを、言っているんだろう?
いや、そもそも、何故自分のことを知っているのだろう?
コジョンドは、ただ混乱するばかりであった。
誰かも分からない者から、自分を知っているようなことを急に言われ、むしろ不気味でしかなかった。
「……あなたは、誰ですか?」
思い切って、コジョンドはそう尋ねた。
一瞬、影の動きが固まる。コジョンドの発言に動揺したのだろう。表情までは読み取れないが、コジョンドは何となくそう感じていた。
場違いなことを言ってしまっただろうか――そう、コジョンドが思った直後であった。
「!?」
突如、その影はコジョンドの肩を、がしりと両手で強くつかんできた。
思わずコジョンドは目を瞑り、体を強張らせる。その影は怒りからか、体を震わせていた。
「何故だ。俺はずっと覚えていたのに――お前のことを、片時も忘れずにいたというのに!
お前は俺のことまで、綺麗さっぱり忘れたというのか!?」
怒りの籠った声で、影はコジョンドに詰め寄ってくる。
こちらを、鋭く睨んでいるのだろう。影から、苛立つような強い視線を感じる。
コジョンドは、恐怖でまともに影と視線を合わせられずにいたが……
程無くして、影の両手が肩を離れる。その代わり、どこからか小物のような何かを取り出して、コジョンドの前に見せた。
影が、袋を開けるような動作をする。恐らくは、小さな巾着であろう。
「これを見ても、まだ分からないか?」
そう言って、影が巾着から取り出したもの――それは光を宿した、小さな石であった。
その石は、火のような橙色の輝きを宿し、中心には炎を象る模様が刻まれていた。
宵闇の中で、一際強く石が光を放つ。
石から放たれた光が、コジョンドと、目の前にいる影の顔を照らしていた。
「……!」
新緑の体、鋭い黄色の眼――それを見たコジョンドの表情が、固まった。
「……お義兄様?」
三たび、轟音を立てて、雷が落ちた。
―――――
かつて、ここから遠く離れた、辺境の村で暮らしていた頃。
養父のバシャーモとともに暮らす傍らで、近所に、よく遊び相手になっていたジュプトルが住んでいた。自分は彼のことを『お義兄様』と呼んでいた。
バシャーモが病で床に臥せていた時、お義兄様は『ふっかつそう』を採りに旅へ出ると言い出した。
『俺は『ふっかつそう』を手に入れて、必ずここに帰ってくる。だからお前も、おじさんと一緒に、俺を信じて待っていてくれ。』
その時自分は、涙ながらに彼を引き留めようとしたが、断られてしまった。代わりに、自分は、養父からもらった大切なお守りを託した。それが、自分の目の前にいる影が差し出した石――『ほのおのいし』だった。
『だから、『ふっかつそう』と一緒にこれも返しに来て。約束よ?』
『ああ、約束だ。』
しかし、その約束が果たされないまま、バシャーモは帰らぬ者となった。また、その直後に村を襲われ、生き延びるために村を離れなければならなかった。
あれ以来、石を託した義兄の行方は知れず、生死すらもわからなかった。
月日は流れ、進化を果たしたコジョンドも、辛い思い出とともに忘れかけていた――その、矢先だった。
―――――
「嘘、でしょ……?本当に、お義兄様なの……?」
「……あれから、俺も進化して、名もジュカインと改めた。必ず、お前を探し出す――その一心で、ここまで来た。」
望んでいたはずの、再会なのに。
かつての自分だったら、迷わずお義兄様の胸に飛び込んでいくはずなのに。
何故、心から嬉しいと思わないのだろう。
何故、体が動かないのだろう。
コジョンドは、腰を抜かしたまま、茫然とジュカインを見上げるしかできなかった。
彼女にとっては、彼に再会できた嬉しさよりも、未だに目の前にいるジュカインが現れたことを、信じられずにいる気持ちのほうが勝っていた。
「昔語りをしたいところだが、今は時間が惜しい。コジョフー……いや、お前も今はコジョンドと名を改めているんだったな。」
動揺したままのコジョンドに構わず、ジュカインは『ほのおのいし』を持った右手を目の前に差し出した。
「俺と、一緒に来い。ここを出て、俺と共に安全な場所で暮らすんだ。もう二度と、お前を離しはしない。俺がずっと、側にいてやる。
……さぁ、この石を持って、俺について来い。」
ジュカインの後ろでは、未だに大粒の雨が降り続け、鳴り止まない雷で荒れた世界が広がっていた。
目の前にいる彼が、かつて義兄と呼び、親しんだ者であることに間違いはない。だが、それなのに、何故手が思うように動かないのだろうか。
(私が、こうして生き延びようと頑張ることができたのも、どこかでお義兄様に逢えると信じていたはずだから……。それが叶って、お義兄様と共にいられるのなら、これより幸せな道は無いはず。
だけど……私、本当にこれで、いいのかな……。)
震えながらもゆっくりと、ゆっくりと、コジョンドの手が『ほのおのいし』に近づく。
己の心が、動く手に錘(おもり)を乗せる。だが、コジョンドの手は、今にも『ほのおのいし』に触れようとしていた。
その時。何気なく、ジュカインの手が僅かに動いた。
それに合わせて、石が光を反射する向きを変える。紅く輝くその光は、コジョンドの目へと吸い込まれていった。
「……!」
コジョンドが、思わず息を呑む。
彼女の脳裏には、石と同じ色の光を瞳に宿す、風来坊の姿が浮かんでいた。
『俺たちは、共犯者だ。だが、あんただけに危険な道を渡らせはしない。たとえ行き先が地獄だとしても、悔いはない。
俺も、共に行かせてもらう。いいな?』
「……だめ。やっぱり、私は行けない。」
「何故だ、コジョンド。迷う理由は無いはずだ!何を躊躇っているというんだ!?」
コジョンドは静かに目を閉じ、手を引っ込める。彼女の手が石に触れることは、なかった。
一方でジュカインは、驚いたような顔で彼女を見ていた。持っていた『ほのおのいし』を手に収め、目を見開きながら再び彼女の両肩を掴み、揺さぶりながらコジョンドを問い詰める。
「コジョンド、どうしたの〜?騒がしいけど、何かあったの〜??」
突如、部屋の外から、誰かの声と足音が聞こえる。
コジョンドには、聞き覚えのある声――親友の、チャーレムの声であった。騒ぎを聞きつけて、気になったのだろう。
この稽古場は、オスの立ち入りは禁じられている。万が一見つかれば、面倒なことになりかねない。
ジュカインは、忌々しく舌打ちした後、コジョンドの方をしかと見据えながら言い捨てた。
「少しだけ、時間をやる。それまでに心の準備をしておけ。俺は必ず、お前を迎えに来る。」
ピカッ、ガシャーン!!
「きゃっ!!」
ジュカインが言い終えた直後、目の前で雷が落ち、轟音と光にコジョンドは思わず耳を塞ぎ、目を瞑った。
恐る恐る目を開けると、既にジュカインの姿はなかった。代わりに後方から、すっと部屋の戸を開ける音が聞こえてくる。
「コジョンド、どうかしたの?あんた、尋常じゃないくらい、震えてるわよ?」
聞き馴染みのある、友の声。
振り返ると、そこにはチャーレムが立っていた。心配そうに、自分の顔を覗きこんでいる。
「うっ……ううっ……チャーレム、怖かった……。」
「うえっ!?ちょっ、本当にどうしたのよ?あんた、そんなに雷、苦手だったっけ??」
一気に安心したためだろうか。コジョンドは目に涙を溜め、チャーレムに抱き付いて泣きじゃくっていた。
子供のように泣きつくコジョンドを、チャーレムはただ、きょとんとして見つめることしか、できなかった。
―――――
止む気配もなく、激しく雨が降り続く夜。
先程までいた稽古場の前で、雨に打たれながら佇む者がいた。
「何故だ。何故、俺の手を拒んだ……?だが、俺は諦めるわけにはいかない。」
ジュカインは、閉められた稽古場の門前で、雨に打たれながらその場に立ち尽くしていた。
険しい顔で、ゆっくりと目を閉じる。彼は、昔の出来事を思い出しているようである。
「俺はあの日、誓った。必ずあいつを見つけ出し、俺の手で護ってやる、と……。」