想いは篝火となりて








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第5章 中秋 ―波乱を呼びし風斬り―
第37話 友と商売人と
楽しい時間は、あっという間に過ぎていくものである。
気が付けば、日は傾き始め、空にも朱の色がかかり始める頃合いとなった。

街の大通りを歩くポケモンたちも、徐々に少なくなりつつある時。
バクフーンとジュカインは、ポフレを食べた店の前に、向かい合わせで立っていた。

「いいのか?別に、俺の寺で泊まっていってもいいんだぞ?」
「いや、これ以上世話になるのも申し訳ないからな。それに、俺の方でもまだ、やることがある。」

バクフーンは、この日の宿に自分の寺を使うことをジュカインに勧めていたが、ジュカインは首を横に振っていた。

「今日は、本当に色々と助けられたな。改めて、礼を言う。」
「今更そんな、堅苦しいこと言うなって!」

バクフーンが、ジュカインの肩をバンバンと叩く。
義理を重んじようとするジュカインではあるが、バクフーンとしては、もっと気楽に構えてほしかった。

「俺は、ここから北にある寺にいるから、何かあったらいつでも来な。あんたなら、歓迎するぜ。」
「そうか?なら、手が空いた時にでも、遊びに行かせてもらうとするか。」

ジュカインの顔に、ふっと笑みが零れる。
この一日で、バクフーンとジュカインは、すっかり仲良くなった。ジュカインはバクフーンに気を許し、今では彼を、数少ない「友」と思えるほどになっていたのである。

「またな、ジュカイン。」
「じゃあな、バクフーン。」

2匹の手が、顔の前で交差する。
手と手が触れた瞬間――パン、と小気味いい音をたてた。

何気ない1つの行動で、自然と可笑しくなってしまうのは、何故だろう。

どちらからともなく、微かな笑みが零れる。それにつられて、もう片方の口元も、にっと吊り上がった。

不意に出た笑顔を隠すかのように、バクフーンはくるりと後ろを向き、寺の方へと歩き出した。
彼が去るのを見届けて、ジュカインもくるりと踵を返す。

「そう――俺にはまだ、やることがある。」

後ろを向いたジュカイン。その顔からは、既に笑みが消えていた。
両目には、鋭い光を宿している。その手には、バクフーンに取り返してもらった、赤い巾着を強く握りしめていた。

まるで何か使命を抱えているかのように、重い足取りでどこかへと歩き出す。
ジュカインが歩む先の空――そこでは一面に、黒い雨雲が漂い、空を覆い始めていた。

―――――

「いやー、面白そうな奴に出会えたな。今日は何だかんだで、収穫あったぜ。」

寺へと帰る道中。バクフーンは、山の小高い丘から街を眺めていた。
いつも何気なく眺め、何度となく足を運んでいた街。だが今日は、珍しい者と逢うことができた。
その者とはいつしか意気投合し、友と呼べる存在となっていた。

ふっと、微笑を浮かべるジュカインの顔が、バクフーンの頭に浮かぶ。
それに合わせ、バクフーンの口元が再度、軽く緩んだ。ふっと軽く息をついたあと、視線をやや上げて、空を仰いだ。

「さて、ぼちぼち寺に帰るとするか。今ならじじいも、ほとぼりが冷めた頃だし、大丈夫だろ。」

そう言って、バクフーンがくるりと背を向けた――その矢先だった。

「……?」

違和感に気付き、バクフーンの動きが止まった。
普通なら、山の景色が見えるはずなのに、何故か自分の視界は桔梗色に染まっている。
いや、よく見ると、紫の視界に凹凸が見られる。ただの景色とは、何かが違うようだ。
未だに状況が飲み込めないまま、バクフーンが佇んでいると、頭上から何者かの声が聞こえてきた。

「あぁ〜ら、いい男ねぇ。そんなにじろじろアタシの体を見つめられたら、恥ずかしいわよ?」

低く、しかしどこか艶めかしい声に釣られて上を見上げると、蝙蝠のような顔立ちの者がバクフーンを見下ろしていた。

「ぶふっ!?な、な、何なんだ、あんたは!?」

これにはさすがの風来坊も、思わず吹いてしまった。
紫に見えた視界は、いつの間にかバクフーンの至近距離で立ちはだかっていた、ポケモンの腹部だったのである。

「やぁねぇ、そんな目しないでくれるかしら?せっかくの美男が台無しよ?
安心して、アタシはそんな妖しい者なんかじゃないわ。」

突然現れたポケモンはバクフーンを宥めたものの、それで納得させられるはずもなかった。
音も立てず、気配も全く感じさせないまま急に現れた上に、明らかにオスでありながらメスの口調。バクフーンにしてみれば、怪しむなという方が無理な話である。
風来坊は胡散臭さを拭いきれず、相変わらず白けた視線を目の前のポケモンに向けていた。

「んもう、わかったわよ。ちょっとした悪戯のつもりだったんだけど、確かに名乗りもせずに急に現れたのは、アタシが悪かったわねぇ。」

蝙蝠のような姿をしたポケモンは、観念したかのように頭を掻きながら、軽く溜息をついた。
そして再びバクフーンの目を見つめながら、話し始める。

「アタシの名前はオンバーン。『華麗なる何でも屋』と呼ばれているわ。『迷い火の風来坊』ってのを探しているんだけど、貴方のことかしら?」

バクフーンの眉が、ぴくりと動いた。この世界で風来坊の二つ名を冠する者は、自分ただ1匹である。

「……さてねぇ。そんな名前、身に覚えは無いが?」

しかし、バクフーンは素直に認めなかった。
名乗りはしたものの、それでもオンバーンを信用しきれずにいたのと、困らせてみたいという悪戯心が働いたのである。
だが、オンバーンは動じるどころか、ふっと微笑を浮かべる余裕さえ感じられた。

「あら、それは残念だわ。コジョンドさんから伝言を預かっているんだけど、誰に言ったらいいのかしらねえ。」
「いま、何と?」

オンバーンから告げられたコジョンドの名に、今度はバクフーンの目の色が変わった。
直後、バクフーンの顔に後悔の色が現れる。

相手の出方を伺うつもりが、まさか自分が釣られてしまうとは。コジョンドの名を出されると弱い、と思い知らされた瞬間であった。

「うふふ。好きなお方の名前を出されると尻尾を出すなんて、『迷い火の風来坊』の名も形無しねぇ?」
「……それで、コジョンドは何と言っていた?」

もはや無意味な、形だけの強がり。それしかできないのが、歯がゆくてならない。
そんなバクフーンをくすくす笑いつつ、オンバーンは伝言を話し始めた。

―――――

突然の別れ、お許しください。ですが、離れていても貴方への想いは募るばかり……私とて、このまま終わらせたくありません。
以後は、このオンバーンさんにお願いして、手紙を送ります。これから寒くなってまいりますが、どうかご自愛ください。
簡素ではありますが、今はこれまで。

―――――

「……。」

バクフーンは、コジョンドからの伝言を、黙って聞いていた。
彼の目は、真剣そのものであった。あごに手を当て、何か考え事をしている様子である。

「貴方、相当あの子に気に入られているみたいね。羨ましいわ。」

一方で、伝言の任務を終えたオンバーンが、口元に微笑を浮かべながらバクフーンに声をかけた。
やがて、バクフーンは顔を崩さないまま、口を開いた。

「オンバーンと言ったな。1つ訊く。あんた、何でも屋ってことは、俺の要望も聞いてくれるのか?」
「勿論よ。見合う報酬さえ貰えるなら、基本的に何でも受け付けるわ。」

2つの紅き瞳が、輝きを灯す。
オンバーンを真剣な顔で見据えたまま、バクフーンは言った。

「それなら、明日の夜中に、俺の寺に来てほしい。」
「……!」

バクフーンの依頼を聞いた瞬間、何故かオンバーンは、リンゴのように顔を赤くし始めた。口を両手で押さえ、頬は恥じらいの色を帯びている。
――普通の仕事の依頼で、ここまで反応するものだろうか?

「あらぁん、貴方も随分大胆ねぇ?神聖なる寺でこっそりと、夜のお相手にアタシをご指名だなんて……」
「断じて違う。悪いが、野郎を抱く趣味は、俺には無いんでね。」

どうやら、オンバーンの態度は、昂りすぎた想像力の成れの果てだったらしい。
いち早くそれを見抜いたバクフーンは、誘うような目でにじり寄ろうとするオンバーンの頭を、手で抑えていた。
バクフーンの一言で、オンバーンは不満げに頬を膨らませる。

「まっ!『野郎』だなんて失礼しちゃうわね。せめて『オネエ』と言って頂戴?」
「……はは、参ったな。俺もよく変わり者と言われるが、あんたはそれ以上だな。」

流石のバクフーンも、オンバーンの変人ぶりに、苦笑いを浮かべるのが精一杯であった。
気を取り直して、こほん、と咳ばらいをする。再び、バクフーンはオンバーンに向き直った。

「で、本題だ。明日の夜までに、俺がコジョンドに手紙を書いておく。あんたは夜中に、僧堂にある俺の部屋に来てくれないか?
そしたら俺が手紙を預けるから、コジョンドに届けてもらいたい。くれぐれも、誰にも見つからないように頼むぜ。」

依頼は基本的に何でも受ける、それが何でも屋の掟である。
しかし、オンバーンは意地悪そうに笑って見せた後、バクフーンに手を差し出した。

「お安い御用だけど、貴方、それに見合う報酬を払えるのかしら?見たところ、そこまでお金持ちってほどでもなさそうだけど……。」
「あんた、報酬はお金で支払うべきだと、一言も言ってねえよな?依頼に見合うものなら、何でもいいんじゃねえのか?」

オンバーンの口から言葉が途切れ、余裕の笑みが消えた。
まさに、風来坊の指摘どおりである。口角を吊り上げながら、バクフーンはさらにたたみかけた。

「俺が支払える報酬は、『お話』だ。これでも俺は、諸国を渡り歩いていたことがあるんでね。珍しい話のネタなら、いくらでもあるぜ。例えば……そうだな、『孤島に住む兄妹』の話とか、どうだ?」

『孤島に住む兄妹』。それは、この世界のどこかにいるとされる伝説のポケモン、ラティオスとラティアスの兄妹のことであった。
だが、その噂の子細を知る者は少なかった。オンバーンにも、心当たりは無いようである。

「うーん、あまり聞かないけど、興味深いわね。でも、つまんない話だったら、嫌よ?」
「勿論だ。飽きさせはしないぜ。俺の情報を舐めてもらっちゃ困る。」

お手並み、拝見してみたいものだ。
オンバーンは、自信に溢れるバクフーンを、試してみたいと思うようになった。

(この程度のことなら高く吹っ掛ける必要もないし、ぶっちゃけ30ポケもらえれば十分なんだけど……せっかくだし、風来坊の見識がいかほどか、見せてもらおうかしらね。)

数秒程考える仕草をした後に、オンバーンは品定めをするような視線を、バクフーンに投げかけた。

「いいわ、聞かせて頂戴。報酬に値するかどうか、判断させてもらうわ。」

―――――

いつしか、日は沈み……
西から流れる黒雲は、月を隠し、空を覆う。

宵闇は一層影の色を増し、嵐が訪れようとしていた。


■筆者メッセージ
遅ればせながら、あけましておめでとうございます。ミュートでございます。
本年も何卒、よろしくお願いします。

ほのぼの(?)なやり取りが続いていますが、そろそろこの章の核心に迫ることができそうです。
ミュート ( 2016/01/07(木) 23:32 )