第36話 心の紐は解かれて
裏路地を出たジュカインは、手を顎に当て、考え事をしながら街の大通りを歩いていた。
(ふむ。キュウコンの舞姫集団、か……。)
何でも、この街では知らない者はいないほど、有名らしい。先程聞いた通り、この街には今年の春にやってきた、期待の新人がいるそうだ。
そういえば先刻、案内してもらったな。バクフーンも、似たような話をしていたような……
(そうだ、バクフーンのところに戻らなければ!)
俯いていたジュカインが、思い出したように急に顔を上げる。
彼を待たせていたことを、すっかり忘れていたのである。
「あっ、いたいた!おーい!!」
そう思った矢先。探していた者が、向こうから近付いてきたようだ。
ジュカインが、声のする方を向く。案の定、こちらに走ってくるバクフーンが見えた。
「ったく、遅かったじゃねえかよ。どこふらついていたんだ?」
「……すまん。来たばかりだからか、また、少し迷っていたようだ。」
裏路地での出来事は話せないと思ったのか、ジュカインは言葉を濁していた。
「おいおい、頼むぜ?それにしてもあんた、案外抜けてるんだな。また一から教えてやろうか?」
「茶化すなっ!俺はそこまで馬鹿じゃない!!」
バクフーンにからかわれ、思わずムキになるジュカイン。そんな彼をバクフーンは、にやにやしながら見ていた――そんな時だった。
「あ〜っ!見つけたっすよ、兄弟子!!」
突然2匹の横から、何者かの大声がした。
やや低いながらも、どことなく少年らしさを感じさせるその声は、ジュカインにとっては初めて聞くものであった。とっさに彼は、反射的に声のする方へ、ぐるりと首を向ける。
「げぇっ……。」
しかし、バクフーンはそちらへ目を向けようとしなかった。瞬時にして顔が曇り、気まずそうな様子で背を向けたままである。
ジュカインが見たのは、いが栗のような大柄な装甲を背負ったポケモンであった。
ここに来るまで、走ってきたのだろう。肩で息をしながら、バクフーンの方を見ている。
そういえば、先程こちらに気付くと、「兄弟子」と呼んでいたが……。
「おい、バクフーン。こいつ、お前の知り合いか?」
何を意図するわけでもなく、ジュカインは目の前のポケモンを軽く指差しながら、バクフーンに訊ねた。
「あぁ〜……まぁ……。」
バクフーンにしては珍しく、焦りが顔に現れている。
目の焦点は合わず、冷汗もだらだらと流れており、ぎこちない返事をするのが精いっぱい。明らかに彼の様子がおかしい。ジュカインも思わず、怪訝そうな目つきで彼を見ていた。
(どう考えても、俺を連れ戻す気満々じゃねぇか……あ、そうだ。)
程無くしてバクフーンの目が、きらりと光った。
冷汗の流れが止まったかと思うと、急にくるりとこちらを向き、上機嫌で話し始めた。
「そうなんだよ〜!こいつ、ブリガロンって言ってな。同じ寺での修行仲間なんだ。真面目すぎて堅物なところはあるんだが、良い奴だぜ!」
少しずつブリガロンのもとへ近づき、傍に来ると彼の肩をぽんぽんと叩きながら、バクフーンは弟分を紹介し始めていた。
しかし、あまりにも急な態度の変化に、ジュカインとブリガロンは、面食らわずにはいられなかった。
(何か変なものでも食ったか……?)と言わんばかりの、きょとんとした2匹分の視線がバクフーンに向けられる。
「ほら、ブリガロン。挨拶してやりな。彼はジュカインって言ってな、さっきこの街にきたばかりだから、案内してやってたんだよ。」
間髪入れずに、バクフーンはブリガロンにも絡み始める。調子に乗せられているような感覚を拭いきれず、ブリガロンは思わずムッとした顔をバクフーンに向けていた。
さりとてジュカインを蔑ろにはできない。バクフーンの提案に乗るのは癪だと思ったものの、ブリガロンは気持ちを切り替えることにして、ジュカインに頭を下げた。
「は、初めまして。ブリガロンといいます。兄弟子がご迷惑おかけして、申し訳ありません……。」
「迷惑だと?とんでもない。こいつには窮地を助けてもらった上に、街を案内してもらっている。むしろ、感謝したいほどだ。
……改めて。よろしく頼む。」
「よ、よろしくお願いします!」
どちらからという訳でもなく、ブリガロンとジュカインは自然に手を伸ばし、握手を交わしていた。
その様子を、うんうんと頷きながら、微笑ましく見ていたバクフーン。2匹が仲良くなり始めるのを見届けると、彼は再びブリガロンに声をかけた。
「そうだ!丁度これからメシにするところだったし、ブリガロンも来いよ!」
「いや、でも、オイラは……。」
「せっかくこうしてジュカインとも知り合ったことだし、仲良くなる良い機会じゃねえか!
それに、腹減ってるのはお前も一緒だろ?久しぶりに食いに行こうぜ。ポ・フ・レ♪」
甘い言葉に誘発され、ブリガロンの頭の中で1つのものが浮かび始めていた。
手のひらサイズの、丸い形のお菓子。上にはクリームがたっぷりと乗り、両手で抱えて口に含めば甘い味がいっぱいに広がる……そう、先程バクフーンが言った、ポフレである。
食べることが大好きなブリガロンは、思わず顔を綻ばせ、涎を垂らす始末であった。
「いいっすね!オイラもついて行くっす!」
「よっしゃ、決まりだ!ジュカインも楽しみにしとけよ?俺が一番気に入っている店、教えてやるからな!」
二つ返事で了承したブリガロンも引き連れ、バクフーンは再び街の大通りを、胸を張って歩き始めた。
3匹は仲良く、雑談も交えながら店を目指して……
「……って、そうじゃないっすよ、兄弟子!!」
ある程度歩いたところで、我に返ったブリガロンが、再びバクフーンに大声をあげていた。
「あう……やっぱ、駄目か?」
「ふっ、あははははは!」
がくりと肩を落とすバクフーンを見ると、ジュカインは思わず吹き出し、ついには大笑いしてしまった。
「餌で釣って言いくるめようとしたみたいだが、どうやら失敗したようだな、バクフーン?」
ジュカインは、バクフーンの態度が変わった時から、彼が何か企んでいるのは既に感づいていたのである。案の定、バクフーンはブリガロンに本来の目的を忘れさせようと仕向け、それにも気付いてはいたのだが、あえて空気を読んで静観し、成り行きを見守ることにしたのである。
「危うくまんまと兄弟子のペースに乗せられるところだった……。でも、今日は和尚様の命で来たっす!兄弟子には何としても、今すぐに帰ってもらうっすからね!!」
ブリガロンが、構えの体勢をとり始めた。
どうやら、力づくでも彼を取り押さえるつもりのようである。これ以上の説得も、通用しそうにない。
そんな彼を前にバクフーンは、どうにも参ったという表情で、ふっ、と軽く溜息をついた。
「はぁ〜あ、これだから真面目すぎる奴は困るぜ。……ジュカイン、『こうそくいどう』使えるか?」
「はぁ?使えるが……お前、何を考えている?」
突然、話をジュカインに振り始めたバクフーン。最初、彼の意図を読めず、ジュカインは首を傾げていた。
そんなジュカインにお構いなしに、バクフーンは、にやりと笑いながら――
ジュカインの手を、がしりと握った。
「頼んだぜ?」
「……一時しのぎにしかならんぞ。後で、どうなっても知らないからな?」
バクフーンの眩しすぎる笑顔が、陽光に照らされる。
彼の言葉でようやく意味を悟ったジュカインは、半ば呆れ気味になりながら、友を見ていた。
「兄弟子、覚悟っす!!」
全身を投げ出し、ブリガロンはバクフーンに飛びかかった。
ブリガロンの技の1つ、『のしかかり』である。重い装甲を背負った彼に全体重をかけられれば、もはや逃げることは不可能だろう。
跳躍したブリガロンの体が、下降を始める。
だが――既にバクフーンはその場にいなかった。
「へぶっ!?」
何もない地面に、ブリガロンは思い切り体を叩きつけられる。
彼が着地する前。ジュカインが『こうそくいどう』を発動し、素早さを格段に上げて逃げ始めたのである。彼と手を繋いでいたバクフーンは、その恩恵を受けて、普段よりも早い速度での移動が可能となっていた。
ブリガロンが倒れた体を起こしている間にも、バクフーンたちは、どんどん先へと進んでいた。
「ちょっと待つっす!……は、速いっす……。」
負けじとブリガロンも走って追いかけるが――
それ以上に、バクフーンたちが速すぎる。普通に追いかけているはずなのに、全然追いつけないどころか、離れていく一方であった。
気が付けば、彼らは通りの奥の方にまで逃げており、姿も小さく見えるほどだった。
「な、何で追いつけないっすか……。」
ついにはブリガロンも、がくりと膝をついてしまった。そんな彼をあざ笑うかのように、バクフーンは口元に笑みを浮かべながら、ブリガロンに呼びかける。
「じゃあな〜!じじいには、お前から何とか良いように言っといてくれ〜!」
「あ、兄弟子〜……。これじゃ、オイラまた怒られるじゃないっすか……。」
―――――
「しかし、無事に撒いたのはいいが……本当に良かったのか?」
ブリガロンから上手く逃げ切った2匹は、バクフーンの勧められた店でくつろいでいた。
昼下がりにも関わらず、店内には多く客が訪れ、賑わっていた。各テーブルにはポフレやきのみジュース等、思い思いの食事を乗せた皿が添えられ、様々なポケモンたちがそれを囲みながら、各々雑談に興じている。
そんな中、ジュカインは片手にポフレを持ちつつ、バクフーンに訊ねていた。
「平気、平気!今帰っても、面倒くさいだけだからなー。それよりも飯食って、じじいが昼寝した頃に帰ってやれば丁度いいんだよ。あのじじい、機嫌悪くても寝れば、けろっとしてやがるからな。」
口の周りに食べかすを残しつつ、なおもポフレを頬張りながら、バクフーンは答えた。
こいつは長生きするタイプだな、とジュカインは密かに思いつつ、手に持っていたポフレを頬張る。
ふわりとした食感。同時に、口の中に広がる甘い味と香り。
緑色のクリームは、お茶の味を含ませているのだろうか。後から独特の渋みが広がってくる。それが必要以上に甘くなりすぎるのを抑え、ポフレの味を上手くまとめ上げていた。
「……美味い。」
「だろ?俺の目に狂いはねえだろ?」
ふと漏らした一言で、さらにバクフーンは調子に乗り始める。
内心、ムッとするところもあるが、ジュカインは何故かこのお調子者を憎めなかった。
バクフーンの、気さくに付き合える性格故だろうか。
彼と話していると、気が楽になる。同世代の友達を持つのは、こういうことなのだろうか。
孤独に旅を続け、訪れた街で馬鹿にされたジュカインにとって、バクフーンと話しているだけでも、胸に幾重にも縛られた紐を解かれるような心地がしていた。
「……今日は、ありがとな。」
「んあ?ジュカイン、何か言ったか?」
ぼそりと、ジュカインが呟く。
未だに呑気にポフレを食い続けていたバクフーンは、素っ頓狂な声をあげながらジュカインへと顔を向けた。
2つの無邪気な紅い瞳が、ジュカインの顔を覗きこむ。
「……なっ、何でもない!さっさと食うぞ。」
急に顔を赤らめながら、ジュカインはすぐにバクフーンから目を背ける。
バクフーンは、そんな彼を見ながら、ふっと笑みを浮かべていた。
(まっ、ちゃんと聞こえてたんだけどな。……けど、お互い様なんだぜ?)
バクフーンも、街を出歩くのはいつも1匹だった。そんな彼も、誰かと一緒に街を出歩くのは、純粋に楽しかったのである。
何も気にせずに、忌憚なく話すことができる相手がいて嬉しいのは、バクフーンも同じであった。勿論、それを言葉に出して、相手に言うことはしないのだが。
「へいへい。って、急ぐ必要はないと思うんだが……」
「余計なことは言うなっ!」
2匹の楽しい食事は、この後もしばらく続いた。