想いは篝火となりて








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第5章 中秋 ―波乱を呼びし風斬り―
第35話 刻まれし刃
正直、何が起こったのか、全く分からなかった。
俺が飛びかかる直前まで、あの緑の奴は、余裕綽々で目の前に立ちはだかっていた。
あと1歩で……あと1歩で、俺の渾身の一撃『つのドリル』が決まるはずだった。だが――

「なにっ!?」

直後、俺は目の前の光景を疑った。
奴がいない。気付いた時には、あいつは俺の視界から消えていた。

(……何故だ!?確かにあいつは、さっきまでそこにいた。俺にも姿は、ハッキリ見えていたってのに……!)

そこから先は――もう、何が何だかわからねえ。
目の前で有り得ねえことをされて、混乱して思わず足を止めた――その直後だった。

次に俺が目にしたのは、視界を真っ二つに切る、翠色の光だった。

「がっ……!!」

光が消えた瞬間、俺は激痛に襲われた。腹部からの傷の痛みが、頭を貫く。
何も考えられない。ただ、直感でわかったのは、今の一瞬で俺は斬られたってことだけだ。
体が、思うように動かない。視界が、ぐらりと傾く。……だめだ、意識も、もたねえ。

俺は、何もできずに、こんな奴に負けるってのか……ちくしょう……。

―――――

風が、ぴたりと止む。
『リーフブレード』をまともに喰らったサイドンは、その場で気絶して動きを止めた。

「ふん、他愛も無いな。」

倒れ込んだサイドンの奥には、1匹の翡翠の影。
この世界で『風斬りの翠刃』の二つ名を轟かせる、ジュカインである。
冷めた目付きで、気怠そうに右腕を掃う。リーフブレードを納めつつ、ジュカインはサイドンを見下ろしていた。

「安心しろ。これでも、命に関わらない程度には加減してある。……貴様ごときに本気を出すのも、馬鹿馬鹿しいからな。さて――」

ジュカインの目が、サイドンから離れる。彼の目は、新たな獲物を見据えていた。
視線の先には、2匹のポケモンが立ちすくんでいた。ジュカインとサイドンの戦いを外野で見ていた、コノハナとズルズキンである。

(このお方、本物だ……!しかも、今ので本気じゃないなんて、恐ろしすぎる!!)

足の震えが、止まらない。
手を抜いてこの実力ならば、本気だったらどうなるのだろう。

コノハナは、すっかり腰が抜けてしまった。目にも留まらぬ速さで相手を斬りつけるジュカインに恐怖を覚え、全身が震え上がっていたのである。

(まぁぶっちゃけ、こうなることは予想していたが……奴の実力は、想像以上だな。こいつにまともに刃向かおうものなら、命がいくつあっても足りないっつーの。)

一方でズルズキンも、ジュカインの実力に圧倒され、こめかみには汗が滲み出ている。
相方にさらりと毒を吐くところは健在であるものの、顔に余裕は全くなかった。

そんな2匹に、翡翠の刃が距離を詰める。
一歩ずつ、こちらのほうへ確実に歩み寄ってくる。ただそれだけのことなのに、コノハナとズルズキンは、何か重い物が全身にのしかかってくるような感覚を覚えた。

数歩くらい距離をおいて、ジュカインが立ち止まる。
彼は、2匹を見据えたまま、低い声で言い放った。

「貴様らに、選ぶ権利をやる。素直に俺の要求を呑むか、あくまで俺に刃向かうか……さあ、どうする?」

ジュカインの要求。それは、街を歩いていた舞姫、コジョンドの居場所を教えることであった。
彼は、大通りで彼女の姿を見かけて以来、コジョンドの後を追っていたのである。そんな彼にとって、ズルズキンとコノハナは重要な情報源であり、何としてでも彼らから、情報を聞き出したかったのである。
しかしコノハナは、この選択に頭を悩ませていた。

(うぅ……逆らうのは怖いけど、コジョンドさんの居場所教えたら、絶対奪いにくる気がする。
 それは……僕には、できない!)

一度はためらいを見せたコノハナだが、やがて意を決して、ジュカインの方を向いた。

「ぼ、僕は……」
「わかった。教えてやる。」

だが、コノハナが答えようとした時――間をおかず、ズルズキンが降伏宣言をした。
驚いたコノハナは目を見開き、首をズルズキンの方へ向ける。

「なっ!?何言ってんですか!そんなことしたら……」
「じゃ、むざむざ突っ込んで、あいつの刀の錆になるか?まっ、ぶっちゃけあんたがどうなっても俺には関係ねえが、俺まで巻き込まれるのは御免だっつーの。」
「ぐっ……そんな言い方って……!」

自分に火の粉がかかりたくないからって、そんな言い方あるか!?
コノハナの目は、そう言いたげな様子で、怒りが籠っていた。やり場のない怒りから、衝動的にジュカインの方を睨みつけたが……

「別に、抵抗しても俺は構わんが?」

ジュカインの両腕から、再び翡翠の刃が露わとなる。彼自身は素っ気ない言い方をするが、目には殺気が籠っていた。
彼の殺気に、再びコノハナの背筋が凍り付く。コノハナは観念したように、項垂れるしかできなかった。

「うぅ……わかりましたよ。従います……。」

コノハナが諦めたのを見届けてから、ズルズキンは口を開いた。

「大通りを歩いていたあの2匹は、キュウコンの舞姫集団に所属する、門下生だ。そのうちの1匹、コジョンドは、将来有望と期待される舞姫でな。噂じゃ、幼い頃――進化する前に、どっかから流れ着いたところを、師匠のキュウコンに拾われたと聞いた。
 門下生は皆、キュウコンの稽古場で寝泊まりしているからな。街にいなけりゃ、稽古場で修練しているだろうよ。
俺が知っているのは、ここまでだ。これで満足か?」

ズルズキンの話を一通り聞いた後、ジュカインは暫く目を閉じる。
どうやら彼は、何か物想いにふけっているようだ。

やがて、ジュカインの目がゆっくりと開く。
彼の目は依然として鋭いものの、先程見せた殺気は籠っていなかった。彼は、ズルズキンの方を見ながら、丁寧に答えた。

「……ああ。賢明な判断と貴重な情報、痛み入る。」

そう言ったかと思うと、ジュカインは持っていた荷物から、ある物を差し出した。
黄色い大きな木の実で、先端には緑色のヘタがついている。体力回復の効果がある、オボンの実であった。

「僅かばかりだが、礼だ。手負いの相方にでも、食わせてやれ。……じゃあな。」

オボンの実をズルズキンに握らせながら、ジュカインは彼の横を通り、去っていく。
ジュカインが去った後も、ズルズキンは暫く彼の背中から、目を離さなかった。

「はぁ〜、怖かった……。」

緊張の糸が、解けたらしい。コノハナはその場に、へたり込んでしまった。
だがズルズキンは、ジュカインが視界から消えても、表情は穏やかでなかった。

(とりあえず、危機は去ったが……できれば、二度とお目にかかりたくねえな。)

ズルズキンとコノハナは、ジュカインの斬撃を直接受けた訳ではないが……
2匹は『風斬りの翠刃』の恐ろしさを、胸に深く刻むこととなった。

―――――

「さて、どうしたもんかね……。」

ジュカインが去り、コノハナともその場で別れた後。ズルズキンは別のことで頭を悩ませていた。
目の前には、気絶したサイドン。倒れた彼をどうするか、という問題が残っていたのである。
放置するわけにはいかないが、ただでさえ体躯の大きな彼を、ズルズキン1匹だけでどうにかすることは難しい。

(面倒くさいんだよな。ただ何度も叩くだけじゃ起きねえし……となると、こいつの出番か。)

そう考えた矢先、ズルズキンはあるものを取り出す。それは、ペットボトルのような透明な容器だった。
容器に、太陽の光が差し込む。中には透明な液体が入っており、差し込む陽光が様々な方向に反射していた。

(こういうところで『おいしい水』を使うのは、ちと勿体ない気もするが……この馬鹿を起こすには、十分なんだよな。)

『おいしい水』とは、名前の通り清らかな味のする澄んだ飲料水で、気力を回復させる効果がある。ズルズキンが言うには、これでサイドンを『起こす』というのである。
ためらいもなく、ズルズキンは容器の蓋を器用に開けていく。
そして、倒れたサイドンの顔を上に向けたかと思うと……

突如、サイドンの顔の真上で、ズルズキンは水の入った容器を逆さまにした。
重力に従い、勢いよく水がサイドンの顔に降りかかる。

「……んぐっ!?げほっ、ごほっ!!」

急に水を浴びせられ、さらには口からも水が入り、サイドンは思わず、むせ返る。
そんなサイドンの様子を見ても表情一つ変えず、ズルズキンはぶっきらぼうに、相方に話しかけた。

「よう。やっとお目覚めかい。」
「『よう』じゃねえ!!てめえ、怪我人に鞭打つ気か!?」

涙目になりながら、サイドンはズルズキンに怒鳴り込む。
サイドンはタイプの相性から、草と同様、水も最大の弱点なのである。普通に水を飲む分には問題ないが、勢いよく水をかけられるのは苦手であった。
ズルズキンのやり方は、水を真正面から浴びせて意識を取り戻させるという、よくある手法ではあるが、サイドンにとっては荒療治どころじゃ済まない。言うなれば、やや威力は弱いものの、『みずでっぽう』をまともに喰らうようなものである。

「何だよ、せっかく回復アイテム使ってやったのに。ちったぁ感謝しろっつーの。」
「普通のやり方で助けろって……うっ、いてててて……。」

サイドンが腹部を抱え、うずくまり始める。意識を取り戻した途端に、先程ジュカインにやられた傷の痛みが、再発したようだ。

「ぐぬぬ……くそっ、あの野郎……。」
「ったく、怪我人なら怪我人らしく、おとなしくしろっつーの。」

手加減したとはいえ、サイドンにとっては痛恨の一撃。膝をつくのがやっとである。

「ほれ、これでも食いな。あの緑の奴からもらった、オボンの実だ。」

そう言ってズルズキンは、サイドンに木の実を差し出す。
だが、サイドンはズルズキンの話を聞くと、瞬時に目の色が変わった。表情には、あからさまに不快の色が現れている。

「あいつが……?ふざけるな!こんなもの、食えるか!!」

機嫌を損ねたサイドンが、オボンの実を手で思いっきり払いのける。
オボンの実は軌道を描きながら勢いよく飛ばされ、建物の壁で、ぐしゃりと音を立てて潰れた。

「あーあ、勿体ねぇ……。何も、そこまでするか?」

無残に崩れたオボンの実を、ズルズキンは白けた目で見ていた。
やがて、横から熱気を感じ、ズルズキンの視線がそちらへと動く。見ると、サイドンが右手の拳を強く握り、闘志の炎を燃やしていた。

「俺は絶対、あいつなんかに屈しねえからな!見てろ……次会った時は、必ず奴の鼻をへし折ってや……ぐはっ!」

熱く燃えるサイドンの体に、再び激痛が走る。
サイドンの暑苦しさにうんざりしたズルズキンが、腹部に軽く拳をお見舞いしたのである。
再びサイドンは、その場でうずくまり、痛みに悶絶する羽目になった。余程苦しいのか、全身から汗が出ている。

静かになった裏路地で、ズルズキンは腕を組みながら、うずくまったサイドンにとどめのツッコミを浴びせていた。

「わかったから、まずはその傷を治せっつーの。」
「うぅ……今日のお前、血も涙もねえだろ……。」


■筆者メッセージ
こんにちは。ミュートでございます。

今回は、半分シリアス、半分ネタという感じでしたね。
ジュカインの格好良さも書きたいけど、久しぶりにサイドンとズルズキンのお馬鹿なやり取りも書きたい!
…という、作者の欲張りの、成れの果てです。
ミュート ( 2015/12/14(月) 23:48 )