第34話 その名は“風斬り”
その場の空気が、一瞬にして張り詰めたものとなった。
サイドンとコノハナもそれを感じ取り、2匹の表情は先程とは違った意味で真剣なものとなる。ズルズキンですら、気怠そうな目つきが変わっているほどであった。
「そのコジョンドとかいう奴――先程この付近を歩いていた、2匹のメスの片方か?」
3匹と相対しているポケモン――ジュカインが、コノハナを見下ろしながら訊ねた。
彼は、コノハナが少し前から建物の影に隠れ、コジョンドをじっと見つめていたのを、知っていたのである。
訊ねた、といっても、友人に話しかけるような気軽なものではない。鋭い目つきでコノハナに質問する様は、どちらかというと、尋問に近い雰囲気であった。
ただならぬジュカインの威圧感に、コノハナの額から、冷汗が一筋流れる。威圧に呑まれまいと、コノハナは言葉を絞り出す。
「……だったら、何だっていうんですか?」
瞬間、ジュカインの目が、さらに険しくなった。
腕から伸びる葉を翡翠の刃に変え、コノハナの方へ突き付ける。
「っ!?」
首筋に迫られる刃に、コノハナの顔から余裕の色が完全に消える。
ジュカインは、自身の技の一つ、『リーフブレード』を向けながら、さらにコノハナに質問を浴びせた。
「そいつは普段、どこにいる?さっさと、居場所を吐いてもらおうか。」
その時、コノハナは何かを思い出したように、はっと目を見開いた。
(この方、まさか……噂で聞いた、あの方では!?)
流浪の旅を続ける、1匹のポケモンあり。
両腕から振るわれる『リーフブレード』、その速さは雷光の如し。彼の斬撃を見抜ける者はいないと言われている。
本人が語らないため、素性は謎のままであるが、探し人を求めて孤独に旅をしているという。
その剣技から、いつしか彼には通り名がつけられていた。その名は――
「おうおう。黙って聞いてりゃ、お前も俺のコジョンドちゃんに手を出す奴か?」
コノハナがしばらく何も動けず、硬直していた頃。横から、別の者の声が割り込んできた。
ジュカインが軽く舌打ちした後、刃を納めて面倒くさそうに、コノハナから視線を逸らす。
そこには、腕組みをしたサイドンが、ジュカインを睨んでいた。
「俺らの恋路を邪魔はさせねえぜ。誰だか知らねえが、痛い目見たくなけりゃ、とっとと諦めな?」
ジュカインは、横槍を入れてきたサイドンを、あからさまに不快な様子で暫く見つめていたが――
しばらくすると、ふんと鼻で嗤い、一度サイドンから目を逸らした。
「あいつが貴様なんぞに心を寄せるとは、到底思えんな。貴様こそ命が惜しければ、余計な真似はしないことだ。」
「てめえ……!」
不遜なジュカインの物言いに、頭に血がカッと昇る。
見開いた目は血走り、サイドンは怒り心頭となっていた。ジュカインに指を差し、大声を荒げ始める。
「上等じゃねえか!ならどっちがふさわしいか――漢同士の一本勝負、サシのバトルで決めて……どわぁっ!?」
「いやいや、ちょいと待てっつーの。」
勝負を申し込もうとした矢先。突如サイドンは、右腕をぐいっと引っ張られた。
無理やり体の向きを変えられた先には――いつの間にかサイドンの背後にいた、ズルズキンがいた。
いいところを邪魔されて、サイドンの怒りの矛先がズルズキンに向けられる。
「何だよてめえ、喧嘩の邪魔すんじゃねえ!!」
だが、サイドンの怒りに慣れていたズルズキンは、なおも冷静なままだった。
やれやれと言わんばかりに溜息をついた後、未だに怒りが収まらない相方を諫め始めた。
「……あのな。もうちょいと相手を考えろっつーの。今あいつが『リーフブレード』使ってたの、あんたも見てたろ?くさタイプの技持ってる奴に勝負挑むとか、何考えてんだ?
しかも見たところ、相手は格段に素早い。これで先手を一発取られれば、即終了だ。どう見ても不利な勝負に自ら首突っ込むとか、馬鹿かっつーの。」
ズルズキンの話にも、理はあった。
サイドンはじめん・いわタイプ。つまり、『リーフブレード』のような、くさタイプの攻撃を喰らえば、ダメージは4倍。一撃でも致命傷となりかねないのである。
「だからって指咥えて、黙って奴の言いなりになれってか?――ふざけんじゃねえ!」
しかし、その程度で素直に引き下がる、サイドンではなかった。
「不利だとか、そんなもの関係ねえ。漢は譲れねえモンがあるなら、体張って戦うもんだろうが!
おい、そこの緑のやつ!改めて、サシの勝負だ!」
「ふん、くだらんな。だが、そこまで言うなら、付き合ってやる。」
なおも意気盛んに勝負を求めるサイドン。もはやここまでくると、誰にも止めることはできなかった。
一方で、勝算の立たない勝負を仕掛けるサイドンに、ジュカインは再び鼻で嗤いながら、誘いに乗ることにした。
「……これだから、根っからの馬鹿には、ついていけねえっつーの。」
自ら危険に飛び込む頑固な友を、ズルズキンはただ、呆れながら見つめるしかできなかった。
―――――
裏路地に吹き荒れる、一陣の風。
その中に立つ、2匹の勇姿。サイドンとジュカインは、互いの意地を賭けた勝負を前に、互いに睨みをきかせていた。
「見れば見るほど、ムカつく目つきしてやがんな?情けねえ泣きっ面拝めるのが、楽しみだぜ。」
風が一瞬止むと同時に、サイドンが口角を吊り上げながら、軽く挑発をしかけてきた。
だが、その程度でジュカインの理性を揺さぶるには及ばなかったようだ。意気揚々なサイドンを見下しながら、容赦なく冷徹な言葉を浴びせる。
「万が一にも、それは有り得んな。鈍足の貴様に、力技で俺を捻じ伏せるなど、できるはずもない。」
「偉そうにほざきやがって……今すぐ黙らせてやるぜ!」
触発されたサイドンが、一歩引いて構える。しかと前を見据え、早くも戦闘態勢となっていた。
一方、ジュカインはそんなサイドンを前にしても、腕組みをして棒立ちの状態のままだった。まるで、『本気を出すまでもない』といった素振りである。
「なぁ、あんた。この勝負、本当に勝てると思うか?」
所変わって、勝負中の2匹からやや離れた建物の壁。
外野にいたズルズキンは、相変わらずやる気を感じさせない目つきで、隣にいたコノハナに話しかけた。
コノハナは、ズルズキンに話しかけられても前を向いたままであった。しかし、ズルズキンの質問には、1秒ともかからず、すぐに答えを返す。
「無理です。」
「即答かよ……いや、あながち否定はできんけどさ。」
これにはさすがのズルズキンも、頭をぼりぼり掻く始末であった。
だが、一方でズルズキンは、コノハナの様子が気になっていた。先程尋問された時、コノハナには何か心当たりがある素振りをしていた。それが、ズルズキンには引っかかっていたのである。
「それにしても、随分と奴を買っているんだな。あんた、あのポケモンを知っているのか?」
対峙中の2匹へと視線を戻しながら、ズルズキンは再びコノハナに訊ねる。
コノハナの視線は、相変わらず前を向いたまま――特に、ジュカインのほうへ、意識が向いているようであった。
実力を見定めるような目つきのまま、コノハナは答える。
「……聞いた噂通りなら、あの姿は、間違いないと思います。」
「うおおおお!!」
サイドンがジュカインに、一目散に突っ込んできた。
見る間に、距離が縮まっていく。数秒後には、互いの間合いに入る寸前まで迫っていた。
サイドンが首を前方に傾ける。ドリルのように伸びた頭部の角が、ジュカインの胸部へと向けられた。
「覚悟しやがれ!!『つのドリル』!!」
サイドン渾身の、一撃必殺の技。これが決まれば、ジュカインを仕留めることも、不可能ではない。
長期戦は不利と踏んだサイドンは、一度の攻撃で決めようとしたのだろう。
だが、サイドンが叫んだ瞬間、ジュカインの目が光る。
瞬時に半歩下がり、両腕を横に振るう。刹那、両腕から翡翠色の刃が露わとなった。
「彼の斬撃は疾風迅雷。風を斬るほど素早い彼の斬撃を、見抜ける者はいないと言われています。」
外野にいたコノハナが、独り言のように呟く。
その直後、ジュカインの姿が、ふっと消えた。
「――っ!?」
目の前にいたサイドンと、外野にいたズルズキンが、同時に目を丸くする。
乾いた風が凪ぐ中、コノハナは言葉を続けた。
彼の通り名は――『風斬りの翠刃』。
一筋の、翡翠色の閃光。
同時に、裏路地を吹き抜ける風が、ぴたりと止んだ。
―――――
「お〜い、ジュカイン〜!どこ行っちまったんだ〜?」
街の大通りに、気の抜けた声が響き渡る。
声の主は、紅き瞳の火鼠――『迷い火の風来坊』こと、バクフーンであった。
先刻までジュカインと共に街を歩いていたものの、突如ジュカインが「すぐ戻るから少し待て」と言い出し、離れ離れになってしまったのである。
「少し」と言うにはあまりに遅いと感じたバクフーンは、心配になって街中を探し回っていた。
「ったく、ちょっと目を離したらこれだぜ。また、変なことに巻き込まれていなきゃいいけどよ……。」
やれやれと言わんばかりに、バクフーンは肩をすくめる。
この時のバクフーンには、同刻に裏路地で起きている出来事など、想像できるはずもなかった。