第31話 翡翠の受難
街の大通りからは外れ、無造作に置かれた瓦礫が多く残る、裏路地。
その入口には、野次馬が何匹か集まっていた。先程聞こえてきた騒ぎを確かめようと、偶々通りかかったバクフーンは、野次馬をかき分けて身を乗り出していた。
「だーかーらー、ちょっとぶつかっただけじゃねえかよ?盗んだなんて、言いがかりも大概にしろってんだ。」
「そうだぜ〜?俺たちがいつ、何を盗ったって言うんですかね〜??意味わかんないんですけど〜?」
こちら側からは、2匹のポケモンの背が見えた。彼らの意地悪そうな声が、聞こえてくる。
1匹は、黒い蛇のような姿をしており、螺旋状に体を巻き付けていた。口元に伸びた2本の赤い牙と、刀のように鋭く尖った尾が目に付く。己の危険性を示すかのように黄色や紫の模様が散りばめられ、見るからに猛毒を持っていそうなキバへびポケモン――ハブネークであった。
もう1匹は、すらりと背の高い緑のポケモンで、サボテンを思わせる棘が体のあちこちに生えている。案山子の帽子を頭に被ったような姿をしたポケモン――ノクタスである。
彼らは、けたけたと不気味な笑い声をあげながら、奥の方を向いて嘲笑っていた。
まだ、誰かいるのだろうか。バクフーンは、少し体の向きを変えて、2匹の視線の先を覗きこんでみた。
「とぼけるな!さっき、ぶつかってきた時に、俺の持ち物を盗んだだろ!!掌に収まるほどの、赤色の巾着だ。さっさと、返せ!!」
ハブネークとノクタスから数歩離れた先で、1匹のポケモンが、怒り心頭で鋭く彼らを睨みつけていた。
この街では、見かけないポケモンであった。鮮やかな新緑の色をした蜥蜴の姿で、両腕には鋭利な刃物のような葉が突き出ている。背中には黄金色の宝玉のような種が複数個付いており、密林の葉のような太い尾が、目を引き付ける。
彼の主張では、ノクタスたちが、ぶつかりざまに持ち物を盗んだという。しかし、当のノクタスにはどこ吹く風。はん、と鼻で嗤い飛ばしていた。
「巾着ぅ〜?知らねえなぁ。んなもん、持ってないんですけど〜。ほれ?」
そう言いながら、ノクタスが両手を突き出し、ぱっとその手を開いた。
確かに、ノクタスの掌には、何もなかった。だが、その程度で相手が納得するはずもない。
「信用できんな。検分させてもらうぞ。」
言うや否や、蜥蜴のポケモンがノクタスの腕を、無造作に掴んだ。
瞬間、ノクタスの口元がさらに吊り上がる。
「キャー、変態!触らないでー!!」
ノクタスが笑みを浮かべながら、お道化た声で周囲の群衆に聞こえるように叫ぶ。
野次馬たちが、ひそひそと小声で話をしている。
「おい、見たか?結局そういう目的かよ、あいつ。」
「やらしいなー、これだから余所者はおっかねえよなぁ。」
ノクタスの腕を掴んだポケモンは、野次馬とノクタスを交互に見やった。
周囲からは冷ややかな視線と、根も葉もないひそひそ話が突き刺さる。そこにトドメを刺すかのように、ノクタスは目の前で、「ぐひひひ……。」と腹が立つほど憎らしい笑みを自分に向けていた。
「ちっ……。」
彼は、舌打ちをしながらも、渋々手を引いた。
結局、余計恥をかくハメになった彼を、ノクタスは大笑いしながら見下ろしていた。
「まっ、そんなに調べたければいくらでもどうぞ、変態蜥蜴さん〜?見ての通りホントに持ってないから、どうせ無駄なんですけどね〜。ギャハハハハ!!」
「貴様……どこまでも、コケにしやがって……!」
ノクタスの大笑いする声が、裏路地に響く。
そんなノクタスの前で、何もできないポケモンが拳を握りしめていた――その、瞬間だった。
「つまり、あんたはこの蛇とグルで、巾着を盗った直後に相方に渡して、体に挟んで隠させた……ってところか?」
それはノクタスの声でも、その目の前にいる蜥蜴のポケモンの声でもなかった。
「……あ?」
水を差されたかのように響く謎の声に、ノクタスは高笑いを止め、そちらを振り向いた。
「安い浅知恵だな。まるで三下――いや、それ未満だな。」
またもや同じ、謎の声。ノクタスの前にいたポケモンも、そちらを振り向いた。
そこにいたのは――野次馬を背にして挑発的な視線をこちらに投げかける、紅き瞳の火鼠だった。彼は、片手に何かを持ちながら、にやにやと笑っている。
「お、お前は『迷い火の風来坊』……って、ハブネーク!?」
ノクタスが彼の姿を見て、そして、風来坊の片手にある物を見て、思わず叫んだ。
彼の手にあったのは、目の焦点が合っていないハブネークだった。いつの間に技を喰らっていたのだろうか、ハブネークは気絶して脱力しきっていた。
ふっと軽く笑ったかと思うと。風来坊がハブネークの体を軽く揺すった。直後、風来坊とハブネークを除く、その場にいた者全員が、目を丸くすることとなるのである。
するりと、ハブネークの体から、何か小さなものが滑り落ちる。
それは、小気味いい音を立てて、地面にぶつかった。
「……!」
ノクタスの隣にいたポケモンの目が一瞬開く。風来坊は、ハブネークから落ちた物をゆっくりと拾い上げた。
それは――掌に収まるほどの大きさをした、赤色の巾着だった。風来坊は、巾着を蜥蜴のポケモンに差し出した。
「あんたので、間違いないな?」
「……あぁ。まさしく、俺のものだ。」
突然現れた風来坊に、思いがけない形で助けてもらい、彼は目をぱちくりさせていた。
まだ思考回路が追いつかない頭の中、風来坊は彼の手に、巾着をそっと乗せた。
「おい、どうした?いつにも増して、顔真っ青だぞ??さっきまでの余裕の笑みは、どこいったんだ。なぁ?」
不意に、風来坊がにやりと笑いながら、顔を横へと向ける。そこには……
「あ……ああ……あぁ。」
顔面蒼白で茫然自失となっていた、情けない姿のノクタスがいた。
もはや、周囲が注目する中でここまで鮮やかに手口を晒されては、言い逃れすることもできない。
――ぞくり。
追い討ちをかけるように、とてつもない殺気が、突如ノクタスの首筋を伝う。
「貴様……覚悟は、できているんだろうな?」
びくり、と体を震わせながら、ノクタスは視線を肩の方へ、恐る恐る降ろした。
見ると……首の付け根あたりに、鋭利な翡翠の刃。あと数センチでも刃が内側に動けば、命はないだろう。
振り向かずとも、誰が刃を突き付けているかは明々白々。いや、分かるからこそ、振り向きたくなかった。
「ひっ……ひいぃ〜っ!!お許しをーー!!」
涙ながらに情けない声をあげながら、ノクタスはハブネークを脇に抱え、全力で走り去って行った。
「逃がすか!」
「はいはい、そこまで!」
翡翠の刃をむき出しにしたポケモンがノクタスを追おうと、一歩踏み出した瞬間――
目の前に、何者かが立ちはだかる。先程、巾着を返してもらった、風来坊であった。
「何も、暴力まで奮ってやることはないだろう。あんたの持ち物も、無事に取り返せたことだし、もう十分じゃないか?」
バクフーンはそう言うと、にっと口元を吊り上げ、白い歯を見せた。
ノクタスを追おうとしたポケモンは、やや不服そうに口を噤んでいたが――
やがて、腕の刃を元に戻した。
「奴らを討てないのは不本意だが……お前には、礼を言わねばならんな。ええと……。」
普段から風来坊を目撃している街の者とは違い、彼は初対面である。
このポケモンは、風来坊の名を知らずにいた。それを察してか、風来坊はこちらから話しかけることにした。
「俺の名は、バクフーン。あんたは?」
「……ジュカインだ。助太刀、感謝する。」
一瞬、名乗るのを逡巡した様子ではあったが、その翡翠色のポケモンはジュカインと名乗った。
ジュカインは、バクフーンの方を真っ直ぐ見ながら、礼を言った。
「なぁ、ジュカイン。あんた、この街じゃ見かけない顔だな。もしかして、ここに来るのは初めてか?」
「あぁ、そうだ。ちょうど先刻、ここに流れ着いてな。」
「そうか!なら、俺がこの街を案内してやるよ。……といっても、1ヶ月ほど前に火事があったばかりだから、見て回れる場所は限られるかもしれねえけどな。」
ははっ、とバクフーンは笑いながら、ジュカインを誘っていた。
それを見てジュカインは、少し考える仕草をしていた。盗みにあったばかりで、彼はこの街の者を簡単に信じられずにいたようだ。しかし――
(先程のこともあるし、こいつなら頼りになるかもしれん。ここは、乗るとするか。)
バクフーンならば信用できると思ったようである。ジュカインは、バクフーンの誘いに頷いてみせた。
「すまないな。お言葉に甘えさせてもらおうか。」
「よし、決まりだな!じゃ、まずはこっちだ。」
快諾したジュカインを連れ、バクフーンは再び、上機嫌で街を歩き始めた。
―――――
所変わって、キュウコンの稽古場では。
「ここもしばらくぶりねぇ。寺の生活も悪くなかったけど、やっぱりここが落ち着くわ。」
「ねぇねぇ、前よりあたしたちの部屋、広くなったんじゃない?」
無事、街に戻ったキュウコンの一行は、ローブシンが建ててくれた仮住まいで一息ついていた。
門下生は口々に、以前の生活に戻れることを喜びつつ、新しい住まいに目を輝かせている。
――だが。
ただ1匹、浮かない表情で、窓の外を眺めている者がいた。
(ここに戻られたのは嬉しいけど……やはりもう、バクフーン様は遠い存在になってしまったのですね……。)
稽古場に戻ったということは、もうバクフーンに、まともに逢うことができないことを意味する。その現実が、コジョンドに重くのしかかっていた。
「はぁ……。」
コジョンドが感傷に浸りながら、溜息をついた時だった。
――バシッ!
「きゃっ!?」
突如、後ろから背中を叩かれ、驚きのあまりコジョンドは飛び上がった。
すかさず、背後から声がかかる。
「一体どうしたってのよ、コジョンド?せっかく帰ってこられたってのに、溜息ばかりついて。」
振り向くと、腰に両手を当てている、チャーレムがいた。浮かない表情をするコジョンドを、疑問に思う目で見ている。
「えっと……その……」
「あ〜、わかった!」
口ごもるコジョンドに、チャーレムがにやにやしながら顔を近づけてくる。
それと同時に、コジョンドの顔がさらに曇った。
(まさか、バクフーン様をお慕いしていることが、バレて……?)
一抹の不安がよぎる。それにお構いなしに、チャーレムは指を差し出しながら答えた。
「秋も深まったからって、意味もなく憂鬱な気分に浸っているんでしょ!まったく、コジョンドったら、時々変にロマンチストだったりするのよね〜。」
(え、えぇ〜……??)
チャーレムの、あまりにとんちんかんな発言に、コジョンドは唖然として二の句が継げられずにいた。
(……でも、とりあえずはバレていない、のかな?)
コジョンドが、心の中でホッと一息ついた――のも束の間。
突然彼女の手を、チャーレムが、がしりと掴んだ。
「そういう時は、街に出て気晴らしするに限るわよ。ちょうど街がどんな様子か、じっくり見たかったし。
ほら、コジョンドも行くわよ!」
「えぇっ、ちょっと!?待ってよ、私まだ何の支度もしていないのに……!」
こうして、チャーレムに手を引っ張られながら、コジョンドは街へ出かけることとなった。