想いは篝火となりて








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第5章 中秋 ―波乱を呼びし風斬り―
第30話 秋風と共に去りぬ
いつの間にか暑さは和らぎ、風が涼しくなっていた。
木々の葉は徐々に秋の色を深めていき、少し肌寒く感じる秋風が、物想いに耽りたくなる気分を誘う。

街の大火を逃れ、コジョンドたちが寺に来てから、1ヶ月程経った頃。
夏はとうに過ぎ去り、季節は本格的に秋を迎え始めていた。

1枚、2枚と、黄色く色づいた葉が落ちる中。
キュウコンは、僧堂の前で門下生をずらりと整列させていた。

――ガタン。
僧堂の扉がゆっくりと開かれる。程無くして、この寺の住職であるコータスが、奥からこちらへと近づいてきた。
コータスの後ろには、彼の弟子である、バクフーンとブリガロンも控えていた。

「おや、これはこれは!改まって、どうなさいましたかな?」

コータスにしてみれば、境内の寺に顔貌整ったメスたちが何の前触れもなく、勢ぞろいしているのである。驚くのも、無理からぬ話であった。
先頭に控えたキュウコンが、一歩前に歩み寄り、深々と頭を下げる。

「はい。このたび、仮の住まいが完成したと、報が入りました。もうこれからは、自分たちの足で立って行けますゆえ、私たちはそちらに戻ろうと思います。」
「おぉ、それは良かったのう!」

キュウコンは、今回の火事のような万が一の事態に備え、街一番の大工であるローブシンと契約を交わし、有事の際には直ちに再建を行うよう、手筈を整えていたのである。
特に今回は、取り急ぎ自分たちが住むことのできる仮住まいを早めに建てるように頼んでおり、ローブシンの熟練の技量も相まって、短期間にして自立が可能となったのである。

「しかし、思いのほか早く建てたもんじゃのう。わしらに気など遣わず、もっとここでゆっくり過ごされても構わんぞ?」
「いえ、もう十分お世話になりました。これ以上住職殿に、ご迷惑をおかけするわけにも参りません。」

キュウコンの門下生たちは、恭しく頭を下げながらも、心なしか顔を綻ばせていた。寺を離れるのは寂しくもあるが、また住み慣れた街に戻れる喜びのほうが強いようである。
……ただ、1匹だけを除いては。

(バクフーン様……。)

コジョンドは、悲しげな表情を浮かべながら、視線を僧堂の奥に向けていた。その先には――

「……。」

僧堂で黙して佇む、バクフーンがいた。
彼は、顔に寂しさや辛さを見せることなく、ただ真摯に頭を下げ、キュウコンの一行を見送ろうとしていた。

「皆。これまで世話になった住職殿に、ご挨拶を。」
「お世話になりました、コータス様。」

キュウコンの合図で、門下生たちが一堂に挨拶をする。
訓練されたように、皆は同じタイミングで一礼し、感謝の礼を述べた。
……もっとも、バクフーンを見つめていたコジョンドは、少し遅れ気味になってしまったが。

「はっはっは。また気軽に、我が寺に立ち寄ってくだされ。キュウコン殿とその門下の方々なら、いつでも歓迎ですぞ。」
「重ね重ね、感謝します。では、我々はこれで失礼いたします。」

上機嫌で笑い声をあげるコータスに、キュウコンは再度頭を深々と下げた。
キュウコンが、くるりとコータスに背を向ける。その瞬間、整列していた門下生たちがさっと2つに分かれて、師匠の通る道を作った。
キュウコンはその間を、優雅に歩いていった。彼女の艶やかな毛並みの間を、秋風が優しく通り抜けていく。九つに分かれた尾は秋の陽光を受けて、煌めきながら揺れ、キュウコンの上品さをより一層際立たせていた。
師匠が通り切ったのを見計らい、門下生はぞろぞろと、その後についていった。

コジョンドも、他の門下生とともに山を下りていくが……
ふと、足を止めて、寺の方へと振り向いた。
顔を上げたバクフーンと、視線が重なる。2匹は、その場でしばらく、見つめ合っていた。

―――――

――バクフーン様。
この日が来ることは、わかっておりました。
でも……せっかくこうしてお逢いできたというのに、こんな形でお別れなんて辛うございます。

あの夜を、覚えていますか?
お師匠様の目を忍んで、貴方の部屋に参った日のことを。

あの日から、私の心は定まったというのに……
お慕いする方と共にいることですら、もはやこの世では叶わぬことなのでしょうか?

―――――

「ほら、何ぼうっとつっ立ってんのよ。行くわよ!」

何者かに腕を掴まれ、コジョンドは、はっと我に返る。
横を向くと、そこには親友のチャーレムが立っていた。寺の方を見つめるコジョンドを、訝しがるように見ている。
これ以上、皆に遅れをとるわけにもいかない。チャーレムに言われるがまま、コジョンドは再び歩き始めた。

歩きながら、コジョンドはしばらく、目を閉じた。
脳裏に浮かぶのは、この寺で過ごした、彼との思い出。今しがた目に焼き付けた彼の姿を浮かべながら、彼女は心の中で呟いた。

(さようなら、バクフーン様。)

―――――

「この寺も、寂しくなるっすね。」

気の抜けた声で、ブリガロンが言った。
コジョンドたちの姿はとうに見えなくなり、それを見届けたコータスは、既に僧堂の奥へと引っ込んでいた。
後に残されたブリガロンとバクフーンは、余韻に浸るかのように、静かになった秋色の庭を眺めていた。

「……あぁ、そうだな。」

魂の抜けたような声で、バクフーンは返事をする。
いつもと明らかに違う声のトーンに、ブリガロンは思わず、バクフーンのほうを向いた。

「ん、兄弟子?どうしたんすか??」

ブリガロンが気にして声をかけるも、バクフーンはしばらく黙ったままだった。

バクフーンの様子を簡潔に言えば、心ここにあらず、といったところであった。
目に憂いの色が見える。秋の風景は物悲しくなるとよく言われるが、ここまでなるものだろうか。
いつものように自信に溢れ、飄々としていた様子が、今の彼には無い。何か、心の中にぽっかりと穴が空いたかのように、茫然としてしまっている。

しばらく何か考え事に耽っていたようだが……
突然、バクフーンは虚ろな目のまま、すっとその場に立った。

「ちょっと、気晴らしに街に行ってくる。」
「……えっ?」

あまりに唐突すぎて、ブリガロンが素っ頓狂な声をあげた矢先。
そのままバクフーンは寺を飛び出し、街へと駈け出していった。

「ちょっ、ちょっと兄弟子!?待ってくださいっすよ!!」
「ブリガロン、何の騒ぎじゃ?」

ブリガロンは大声で引き留めようとしたが、それと同時に後ろから別の声がかかる。

「お、和尚様!えーと……これは、その……。」

背後を振り向くと、そこには奥にいたはずのコータスが戻っていた。
ブリガロンの体から、滝のように汗が流れ始める。修行を放り投げて、バクフーンが寺を飛び出したと聞けば、コータスは立ちどころに不機嫌になるだろう。

(うぅ……和尚様、怒ったらおっかないんだよなぁ。けど、どう言い訳すりゃ良いっていうのさ……。)

気まずく黙りこくるブリガロンの前で、コータスが鼻から煙を噴き出してくる。
逃げ場のない場所に追い詰められたかのように、ブリガロンは半泣きになりながら、コータスと相対していた。

―――――

街は、以前ほどではないものの、活気を取り戻しはじめていた。
未だに焼け落ちた瓦礫が目立つところもあるが、簡素ながらも体裁を整えたところは、既に店を開いている者もいた。

「いらっしゃ〜い!新鮮なリンゴ仕入れてますよ〜、是非お買い上げを!」

商店を開くカクレオンの甲高い声が、街に響く。
少しでも街に活気を取り戻そうと、店を開く者を中心に、威勢の良い声が飛び交い始めていた。

――だがそれも、今のバクフーンには、まともに耳に入ってこなかった。

(何だってんだ、この空しい感じは……。)

目に映る物全てに、心を動かされない。
街を彩る全ての要素が、バクフーンにはただの無機物のようにしか、見えなかった。

思い浮かぶのは、コータスが留守の時に、コジョンドが自ら部屋に訊ねてきた日のこと。
戒律により、恋仲であることを知られてはならないという危険を秘めながらも、初めて2匹だけで過ごした夜。

あの控えめだったコジョンドが、まさかあんな大胆な行動に出るとは……。
思いもよらぬ行動力に驚きつつ、好きだという想いが確信に変わった瞬間でもあった。

(あの日から、コジョンドのことを側で守ってやりたいと思った。たとえ、あいつと俺は立場が違うとしても……かたや恋を禁じられた踊り子、かたや現を抜かすことも許されない修行の身で、御法度の仲だとしても、だな。)

2匹で過ごしたあの一夜は夢のように過ぎ、こうして別れの日を迎えてしまった。バクフーンは、離れていくコジョンドに何もできない自分に、歯がゆさを感じていた。

(あの笑顔を護ってやりたい。そう思った矢先だというに、もう逢うことも叶わないのか……。くそっ、何て俺は無力なんだ!!)

悔しさにバクフーンが拳を震わせていた、その時だった。

「いい加減にしろ、貴様ら!」

裏路地の方から、何者かの怒号が聞こえる。
ふとそちらの方を向くと、何匹か野次馬が集まっていた。どうやら、その中心で何かあったらしい。

「なんだ、喧嘩か?ちょっくら、見物でもしてみるか。」

バクフーンは、吸い寄せられるように、野次馬たちの許へと足を運んだ。


■筆者メッセージ
こんにちは、ミュートです。

いよいよ第5章。投稿時点も中秋の時期、と呼んでいいものでしょうか。
ようやく涼しい風が吹いてきたという気もしますね。むしろ、朝夕は寒いくらいです。

さて、のっけから別れで失意に浸るという、なんとも重い話ではありますが……
裏路地で何があったでしょう?それは、次の話で。
ミュート ( 2015/10/25(日) 10:27 )