想いは篝火となりて








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第4章 立秋 ―災禍の炎、転じて―
第25話 近くて遠い月
火事で街から避難してきた者の世話をするため、バクフーンは寺の住職であるコータスから呼ばれ、新入りとなったブリガロンとともに、コジョンドに背を向けて去っていく。

しかし、コータスとブリガロンが寺の角を曲がり、見えなくなった時だった。

「あ、そうだ。あんた、ちょっといいか?」

急に、バクフーンがくるりと後ろを向き、コジョンドに声をかけてきた。

「私に、用ですか?」
「あぁ。あそこに、石灯籠があるだろ?」

バクフーンが横の方を指さし、それに合わせてコジョンドも同じ方向を向く。
そこには、彼の言う通り、自分の背の高さくらいの、石でできた燈籠があった。普段はこれに火のついた蝋燭を置き、明かりとして使うものである。

「夜が更けて、皆が寝静まったら、あの中を探ってほしい。あんたに、渡したいものがある。」

(私に?……一体、何かしら?)
コジョンドは思わず、首をかしげた。

そもそも、渡したいものがあるなら、こうして直接会っている今、渡せば済む話である。
何故、こうも勿体ぶるのだろう。バクフーンの真意がわからない。

「まっ、見りゃわかるさ。くれぐれも、誰かに見つからないように頼むぜ?……じゃあな。」

そう言ってバクフーンはこちらに背を向け、手を振りながら悠然と去っていった。

―――――

日が傾き、空が藍色へと変わっていく。
この日の夜は、いつになく静かに感じられた。夜空は上弦の月が穏やかに輝き、その周囲には小さな星が淡く瞬いていた。
稽古場の者たちは、銅像が奉られる御堂を寝床として、コータスより借り受けていた。昼間の避難で疲れていたこともあり、皆早めに眠りへと落ちていった。

静かになった境内を、ただ1匹のポケモンの影が動く。
月明かりに、儚げで小さな瞳が照らされる。コジョンドは、わずかな光を頼りに、石灯籠を探していた。
程無くして、手にざらざらと石の感触を覚える。そのままコジョンドの手は触れた物体をなぞり、物の正体を確かめた。

「間違いない。これだわ。」

コジョンドは早速、灯籠の中に手を突っ込んでみた。すると、カサリと音がして、何かに手が触れる。
掴んで取り出してみると、それは折りたたまれた紙だった。月に紙をかざすと、文字が見える。何かが書かれてあるようだ。

「手紙、かしら……?でも、何でこれが??」

不思議に思ったものの、このまま境内にいたままでは、誰かに見つかる可能性がある。
足早にコジョンドは御堂に戻り、月の光が差し込む窓際で、その手紙を読むことにした。

丁寧に折りたたまれた紙を、コジョンドはゆっくりと広げていった。

『突然、こんなことして、悪いな。
 けど、こうでもしなきゃ、あんたとまともに話すことができないと思った。皆が起きている昼間じゃ、こんな場所で堂々と話して変な噂を立てられたら、あんたも困るだろ?

 妙な廻り合わせもあるもんだな。まさか、あんたに三度も逢うことになるなんて、思いもしなかったぜ。こんな機会、そうそうあるもんじゃないぞ?

俺は、あんたのことを、もっとよく知りたい。だから俺は、この手紙をあんたに書いた。
 もし、その気があるならば、俺が手紙を置いた石灯籠に、返事をくれないか。
 もちろん、気に入らなければ破り捨てて、見なかったことにしてくれて構わない。

身勝手だとは思うが、せめて思いの丈だけは伝えたかった。我儘を許してほしい。』

手紙の最後には、バクフーンの名が書かれてあった。
彼の字は驚くほど綺麗だった。時々、ガサツな面を見せる彼には似つかわしくないほど丁寧に書かれ、それがコジョンドには意外に思えた。

――この方ほど、真摯に向き合ってくれる方って、いるだろうか。
私も、バクフーン様のことを、もっと知りたい。直接逢うことは難しくても、手紙ならお話できるかもしれない。

バクフーンの手紙で心を動かされたコジョンドは、早速筆をとり、バクフーンへの返事を書き始めた。

この日から、2匹の文通が始まった。
コジョンドは寺でも舞の修業を続け、バクフーンは避難した者たちを助けながら、空いた時間を使って互いに手紙をやり取りしていた。

最初の頃は、不自由はないかだの、疲れていないかなどと、他愛のない会話が多かった。だが、手紙を重ねるうちに、話題はお互いの考え方、胸中の想いへと掘り下げていく。舞で目指すものは何か、何に心を動かされるのか、といったことも、互いに聞き始めていた。

何よりも2匹にとっては、返事をもらえるだけでも、とても嬉しかった。
石灯籠に手を伸ばし、手紙が入っているだけで思わず顔が綻ぶ。そして月明かりにかざして手紙を読んでいるだけでも、胸の内が満ち足りる感覚を覚えるのだった。

―――――

気が付くと、文通を始めて1週間が過ぎていた。
宵闇に覆われ、皆が寝静まった頃。この日もコジョンドは机に向かい、バクフーンへの手紙を書いている。

『今日から、新しい舞を1つ学ぶことになりました。これから、お客様に見せられるくらい踊れるように、修練を積まなければなりません。
でも、上達できたら、まずは貴方にお見せしたいです。早く自分のものにして、貴方にお逢いして……』

そこまで書いた時、コジョンドの手が、ふと止まった。

「……逢う?」

無意識に書き綴った言葉に、コジョンドは首を横に振る。

(何考えてんのよ、私。そんなの、無理に決まっているわ……。)

特定の者に心を寄せるのは、踊り子の戒律を破るも同じ。
そうでなくとも、バクフーンも寺で修行を積む身。現を抜かして異性に逢うなど、以ての外である。
ただでさえ2匹で頻繁に逢えば、変な噂が立ちかねない上に、これがキュウコンやコータスの知ることになれば、お互いの立場が危うくなるのは明白だった。

――そういえば。
バクフーンとは何度か手紙を交わしていたが、彼の文面には一言も「逢いたい」などという言葉は書かれていなかった。
彼も自分の立場を理解した上で、あえて書かずにいるのだろうか。……いや、もしかしたら、自分は逢いたいと思えるほど、興味を持たれていないのだろうか。

「……はぁ。」

考えれば考えるほど、頭の中は余計な考えで堂々巡りするばかり。自然と溜息が零れ、ますます落ち着いていられなかった。
コジョンドは気晴らしも兼ねて、外に出ることにした。

涼しい夜の風が、頬をなでる。ようやく、秋が訪れ始めたという気配を感じた。
上空では、満月が輝いている。山の上から見る満月は、近くにいるかのように大きく見えた。
コジョンドは、頭上に見える満月を見上げながら、物思いにふけっていた。

―――――

バクフーン様。
あの時、貴方は月となって、私を見守りたいと仰いました。

でも、何故なのでしょう。
見守られるだけというのも、最近は心細くて、仕方ないのです。

あの月に、もし手が届くのであれば――
私は今すぐにでも、手を伸ばして貴方のもとに行きたいのに。

こんなにも近くにいるかのように、見えるというのに――
どうして貴方は、触れることすらできないほど、遠くにいるのでしょうか。
私には、静かに貴方を想うことしか、許されないのでしょうか。


―――――

「……?……でし……け?」
「もう忘……のか。昨…、……言っ…ばかり……ろう!」

御堂の外で、声が聞こえる。コジョンドはゆっくりと目を開けた。
暗闇に包まれていたはずの外には既に日が昇り、境内は明るく照らされていた。そこでコジョンドは、あれから寝入ってしまったのだと気付く。他の皆は、まだ寝ているようだ。

彼女は、外から聞こえる声が気になり、そちらへと歩み寄っていった。
静かに少しだけ扉を開ける。視界の先には境内の中心で、住職のコータスと、門下生のバクフーンとブリガロンが立っていた。

「そういうわけじゃ。お前たち、留守は頼んだぞ。」

コータスは、門下生に向かい合うようにして立っており、ブリガロンとバクフーンにそう告げた。

「和尚様、安心してください!この寺のことは、オイラたちが預かります。」
「ま、俺らに任せときゃ大丈夫だって。だから、じじいは安心して行ってきな。」

留守を頼まれた2匹は元気よく答える。ブリガロンはこの寺に入って以来、コータスのことを「和尚様」と呼んでいるらしい。
そんなことに妙に関心しながらコジョンドが見ていると、コータスはバクフーンの方へ、面倒くさそうに首を向けた。普段から目をつぶっているので表情は読み取りにくいが、眉間にしわが寄っており、少なくとも良い感情は持っていないだろう。

「……お主が一番心配なんじゃがのう、バクフーン。」
「なんでだよ!?」

今までの行動を知っているためだろうか。コータスは、本当にバクフーンに留守を任せられるか、気が気でなかったのである。
これにはさすがに、バクフーンも思わず声を荒げた。もうコータスとの付き合いも長いのに、未だにそのような視線を投げられるのは、彼にとっても心外だったようだ。

「まぁ、良いわい。それじゃ、後のことは任せたぞい。」

そう言って、コータスは鼻や甲羅の穴から煙を1度、大きく噴き出したかと思うと、弟子たちを背にしてゆっくりと歩き始めた。
ブリガロンは深々と頭を下げて見送ったが、バクフーンはそっぽを向きながら不服そうに腕を組み、ぶつぶつと文句を言っていた。

「ったく、どこまで俺を信用してねえんだ、あのじじいは。」
「まあまあ、兄弟子、落ち着いてくださいよ。あ、オイラはここの掃除をしてますから、炊事をお願いしていいっすか?」
「へいへい。あと、今のままでも割と綺麗だし、どうせ飯食ったらすぐに踊り子さんたちが外で訓練するから、掃除は適当でいいからな。」

やる気のない声でそう言うと、バクフーンはのそのそと奥へと引っ込んでいった。
彼の姿が見えなくなると、はぁ、とブリガロンは溜息をつく。

「……それだから、和尚様にあんな目向けられるっすよ、兄弟子……。」

最近では、バクフーンの適当な素振りが目立つようになり、ブリガロンも呆れ始めていた。1週間ほど前、火の海の中で自分に説得していた時の彼は、何だったのだろうか。今ではその影もなくなり、街の人が揶揄を込めて、彼を『迷い火の風来坊』と呼ぶのも頷けるほどになっていた。
小声で兄弟子の不満をぶつくさ言いながら、ブリガロンは箒を手に持ち、境内の掃除を始める。コジョンドは、そんなブリガロンにゆっくりと近づいていった。

「ブリガロンさん。」
「あっ、コジョンドさん!お早いっすね。」

コジョンドに気付くと、ブリガロンは先程までの態度を一変させるかのように、明るい笑顔を向けながら、元気よく声をかけてきた。
それに合わせ、コジョンドが一礼する。

「おはようございます。あの、住職殿はどこかお出かけになられたのですか?」
「あぁ、今日は隣の地方まで法事と講義を頼まれていましてね。大分離れた場所だし、明日になるまで帰れないって言ってたなぁ。」

(コータスさんは、明日まで帰れない?)
ブリガロンからそのことを聞き、コジョンドの目の色が一瞬変わった。

「でも、なんでそんなこと聞くっすか?和尚様に、何か用事でも?」
「あぁ、いえ。ただ、さっき話し声がしていたのが聞こえたから、何かあったのかと思いまして。」

ふと疑問に思うブリガロンに、コジョンドは慌てて首を横に振った。

「そうっすか……もうすぐ朝ごはんできますから、待っていてください。」
「ええ、わかりました。」

コジョンドは再度、ブリガロンに会釈をした後、再び御堂に戻っていった。
その最中。コジョンドは歩きながら、あることを考えていた。

――寺の住職、コータスさんは、今夜は留守……。
次またいつ、こんな日がくるかわからない。このような絶好の機会は、今夜しかない!


■筆者メッセージ
2週間ぶりです。どうもこんにちは、ミュートです。

9月初旬。個人的には、この時期でもまだまだ残暑が厳しいイメージがありますが、今年は割と早めに涼しくなってきたように思います。
秋の気配が、早々に訪れてきたという感じですね。

さて、物語はというと文通により加速する恋、そしてまたとない好機到来。
この好機を、活かせるか。それは次のお話で。
ミュート ( 2015/09/05(土) 17:40 )