第24話 絶望の業火と、希望の灯火 後編
『迷い火の風来坊』。
話には聞いていた。実際に、見かけたこともあった。
だから、彼のことは知っていた。でも、話したことはなかった。
「おい、あんた何やってんだ!?焼け崩れた家に足踏み入れるとか、正気か!?」
その風来坊が、オイラに声をかけてくる。
……見て、分からない?
今のオイラは、正気じゃない。正気に戻れる気もしない。
目の前で弟たちを失って、もうオイラには、生きる気力もなくなったんだ。
何より、君を見ていると、希望を奪った炎を連想する。
所詮他人事のくせに、オイラのことなんか、ほっといてよ。
―――――
「……離して。」
力なくそう呟いたかと思うと、ブリガロンは気怠そうに腕を振り、風来坊の手をほどいた。
「弟たちのところに、行かなきゃ……。」
風来坊が、ブリガロンの顔と、焼け落ちた家の残骸を交互に見やった。
そして、一度目を閉じる。今しがた何がここで起こったのかを、彼は察した。
「……。」
風来坊の目が、静かに開く。彼はあごに手を当てて何か考える仕草をしながら、ブリガロンの様子を無言で見ていた。
「寂しがっているだろうから……オイラも早く、行かないと。」
ブリガロンは風来坊から目を逸らし、虚ろな目のまま再び、火のほうへ歩こうとした。だが――
がしり、とブリガロンの腕を、風来坊が無言で掴む。
「俺の名は、バクフーンだ。あんた、名は?」
「……?」
急に名乗り、名を問い始めたバクフーンに、ブリガロンは思わず眉をしかめた。
今になって名を聞いて、どうしようと言うのだろう。
「……ブリガロン。」
怪訝に思いつつも、先に相手に名乗られて、こちらが黙っているのも失礼である。
気乗りこそしていないものの、一応ブリガロンはバクフーンに名乗った。
「そうか。……ブリガロン。」
彼のほうへ、バクフーンが真正面から顔を向け、頬に両手を当ててくる。その次の瞬間だった。
「甘ったれんじゃねえよ。」
「――っ!?」
瞬時にしてバクフーンの表情が、一転して険しくなる。思わずブリガロンは、目を見開いた。
彼の視線はブリガロンに鋭く注がれ、両目の奥底まで見抜かれているような気分だった。
――いや、目や表情だけではない、体全体から威圧めいたものを感じる。
先程よりも低く、重みのある声で、バクフーンは続けた。
「助かった命の使命は、その命を全うすることだ。それをわざわざ無駄にするのは、生きたがっていた者に対する冒涜だ。」
「……。」
「あんたの弟とやらが、どんなやつだったか俺は知らん。だがな、ブリガロン――今あんたがしようとしていることは、そいつらを踏みにじることになるだろうな。
早まる勇気があるんなら、自分の行動の意味を、もう1度よく考えてみることだ。」
ブリガロンの眉が、一瞬ぴくりと動く。何か言いたそうな様子もあったが、バクフーンの剣幕に圧倒され、ブリガロンは何も言い返せずにいた。
ここまで言って、ようやくバクフーンはブリガロンの顔から手を放す。視線は外さないまま、最後にこう言い捨てた。
「ま、あんたの一生だ。好きにやれよ。……選べる余地が、あるうちにな。」
それだけ言うと、バクフーンはくるりと後ろを向き、その場から去っていった。
火の海の中で、ブリガロンはただ1匹残される。バクフーンが去った後も、しばらく彼は茫然と佇んでいたが――
やがて、何かを決心したかのように、ブリガロンは歩みを進め始めた。
―――――
ブリガロンに逢い、数分経った頃。バクフーンは、山の小高い丘にぽつんと置かれた石に腰かけていた。
「ひでぇもんだな。まさか、こんな大火事になっちまうなんてさ。」
目の前には、火の海が赤々と広がっている。
バクフーンは、その惨状をじっと見下ろしながら、ぼそりと呟いた。
「つっ!」
左腕が、ずきりと痛む。
ブリガロンに逢うまでにも、バクフーンは逃げ遅れた者をできる限り助けていた。その際に、焼け落ちた柱が落ちて、受け止めた左腕を痛めていたのである。
左腕以外にも、彼はいくつか怪我を負っていた。安全なところに離れ、少し気が緩んだからだろうか。今になって、傷を負ったところが痛み始めた。
「……。」
落ち着いたところで、バクフーンはもう1度、街の方を見やった。
この火事で、どれだけの者が犠牲になっただろう。正直、考えたくはないが、それでもこの大規模な火の海を見ると、思わずにはいられなかった。
少しでも、救える命があるなら、手を差し伸べたいのだが……。
「……で。それがあんたの答えか、ブリガロン?」
バクフーンが立ちあがり、後ろを向く。
十歩ほど離れた先に、ブリガロンが立っていた。突如現れて去っていったバクフーンを、ここまで追ってきたのだろう。
「……うん。」
ブリガロンが、こくりと頷く。彼の目には、既に光が戻っていた。
「正直、いきなり現れて好き放題言う君に、苛立ちもした。君の意見に合わせるのも、癪だと思った。」
「……。」
「だけど、君の言う通り、オイラは弟たちを踏みにじりかけた。それだけは、絶対に嫌だから。」
「……よく、決心したな。」
バクフーンは、ブリガロンの話をしばらく黙って聞いていたが、やがて、ふっと笑みを浮かべた。
「あんたがここに来るか、実は不安だった。俺自身、酷なことを言っているのは、わかっていたしな。
それに、こんな決断は誰にもできるものじゃない。あんなことあったなら、尚更だ。」
そっと優しく、バクフーンの手がブリガロンの頭を撫でる。彼の毛の感触が、頭を心地よく包み込んでいった。
ブリガロンの体が、一瞬だけびくりと動く。急に撫でられてびっくりしたこともあったが、その感覚がとても穏やかで優しいものだったことにも、驚かずにはいられなかった。最初の頃の、鋭く睨みつけていた時の様子が、嘘に思えるほどに。
ゆっくりと、ブリガロンは顔を上げる。暗闇に照らされる2つの灯火のような目が、こちらを見守っていた。
「あんたはちゃんと、その一歩を踏み出せた。それだけでも十分すげえよ。」
「……ずるいよ、そんなの。あんなにきっついこと言っといて、今になって優しくするなんて。」
心が溶かされていくというのは、このような感覚を言うのだろうか。
まだ会って間もない相手のはずなのに。泣き顔を見せるのも恥ずかしいくらいなのに。
それでも、ブリガロンはバクフーンの肩に頭を預け、涙を流していた。
弟たちをなくした悲しみは、一度心の奥底に封印していたはずだった。だが、バクフーンによってその枷は外され、彼の腕の中でブリガロンは泣き続けていた。
「でもオイラ、不安なんだ。これから、どうやって生きていけばいいのか。」
しばらく泣き続けた後、ブリガロンは今抱えている不安をも、ぼそりと呟いていた。
そんな彼を、バクフーンは一度腕から離し、右手にある物をブリガロンに見せてやった。
それは、やや固いが傷を癒す効果のある青い木の実――オレンの実だった。
「まずは、とにかく食え。十分に気力をつけて、あれこれ悩むのはそれからだ。」
バクフーンがオレンの実を差し出しながら、無邪気に笑って見せる。
そんなバクフーンを見ていると、ブリガロンも思わず、笑みが零れてしまうのだった。
手持ちの木の実を口にした2匹は、バクフーンの提案で、一緒に寺へと落ちのびることになった。
そして、今に至る――。
―――――
「な、何とも、すさまじい話ですね……。」
ひとしきりブリガロンの話を聞いたコジョンドは、思わずそう呟いた。
「ほんと、こいつをどう説得するか悩んだぜ。結果的に上手くいったからいいけどよ。」
はっはっは、と声をあげてバクフーンは無邪気に笑っていた。
これが、火事の最中にあの剣幕で話してきた者と同じ奴なのだろうか。彼の様子を見ていると、ブリガロンは改めてそう思ってしまった。
「バクフーンさんは命の恩人ですからね。感謝していますよ。……でもオイラ、本当にこれからどうしよう。」
やはりブリガロンにとっては、それが気がかりなようだ。
その場で俯きながら、ブリガロンは不安を口にした。
「家も無くなったし、家族もいない。どこかに頼るところもないし……。」
コジョンドもバクフーンも、彼の力になってやりたいとは思っていたものの、何も声をかけられずにいた。
2匹がブリガロンを、心配そうな顔で見つめていた、丁度その時。
「なるほど。話は聞かせてもらったぞい。」
突然後ろから声がして、3匹は思わず飛び上がってしまった。
とっさに皆が後ろを振り返る。そこには、寺の住職のコータスがいた。
「じじい!?いつの間にいやがったのかよ!」
「酷いのう。皆で楽しくおしゃべりして、わしだけ邪険にするとは、つれないにも程があるわい。それより……ええと、ブリガロン、だったかの?」
思わず声を荒げるバクフーンを余所に、コータスはブリガロンに話しかける。
ブリガロンは、「えっ、オイラ?」とでも言わんばかりに、きょとんとした顔で自分を指差していた。
コータスはそれに同意するように一度頷いた後、言葉を続けた。
「お主、ワシの寺で修練を積んでみんか?」
「いっ、いいのですか!?こんな、見ず知らずのオイラに……。」
予想外のコータスの提案に、ブリガロンは目を丸くして驚く。
コータスは再度、うんうんと大きく頷いた。
「困る者を救うのも、寺の役目じゃ。それに、今は人手が欲しいのもあってのう。お前さんなら頼りになりそうだし、伸びがいもありそうじゃて。いつもどこぞをほっつき歩いておる、誰かさんとは違ってのう。」
「一言余計なんだよ、このじじいは……。」
横目で見ながら、それとなく示唆してくるコータスに、バクフーンはあからさまに不機嫌になっていた。
一方、それとは対照的にブリガロンは目を輝かせ、コータスの前に跪いた。
「不束者ではありますが、厄介にならせていただきます!」
ブリガロンは土下座をして、深々と頭を下げた。これにより、ブリガロンもこの寺の門下に入ることが決まった。
彼はコータスに頭を下げると、バクフーンの方にも顔を向け、改めて挨拶をし始めた。
「というわけで、よろしくお願いします、兄弟子(あにでし)!」
「あに……あぁ、まぁ、そうなるか……。」
自分もこの寺の弟子で、ブリガロンより先に門下に入っていたので、ブリガロンから見れば確かに立場上はそうなる。
だが、その呼び名に慣れないバクフーンは、戸惑いを隠せずにいた。
「それじゃまずは、他の避難民に物資を用意してやるのじゃ。」
「はい、わかりました!」
「……バクフーン、何ぼうっと突っ立っとるんじゃ!お主も手伝わんか!!」
「へいへい。はぁ、めんどくせえ……。」
コータスの指示で、勢いよくブリガロンは駆け出して行く。
バクフーンもコータスに呼ばれ、仕方なく重い足取りでついていくが……。
「あ、そうだ。あんた、ちょっといいか?」
バクフーンは、コータスとブリガロンが見えなくなったのを見計らって、コジョンドに向き直り、近づいてきた。