第23話 絶望の業火と、希望の灯火 前編
今から、一刻ほど前の話。
街に火の手が上がる、数時間前のことである。
「お兄ちゃん、お腹すいたー。」
「すいた、すいたー!!」
街のとある一角。ぽつんと佇む家に、ブリガロンは彼の弟たちーーハリボーグ、ハリマロンと共に住んでいた。
彼の家から、元気な弟たちの声が聞こえてくる。
「よーし、そろそろ昼ご飯にしようか!……あれっ?」
弟たちに明るく声をかけて、ブリガロンは木の実を取り出そうと、保管している倉庫を開ける。
しかし、中身を見た途端、ブリガロンは首を傾げ始めた。
(こんなに木の実、少なかったか?朝には、まだ残っていた気がするんだけど……って、まさか!)
思い当たる節があったのだろう。ブリガロンは弟たちの方に、くるりと向き直る。
ハリボーグは、そっぽを向いて気まずそうに口笛を吹き、ハリマロンは、ぺろっと舌を出していた。
よく見ると、ハリマロンとハリボーグの口の周りには、食べかすが僅かに残っている。
「お前ら、またつまみ食いしたな?」
「えへへへへ……。」
弟たちが、にかっと笑ってごまかし始める。この2匹は、食べ物を見れば飛びついてしまうほどの食いしん坊で、兄のブリガロンも手を焼くほどだったのである。
よくあることではあるのだが、それでもブリガロンは困り切った表情をして、溜息をついた。
「ったく、しょうがないなぁ。木の実とってくるから待っているんだぞ。」
そう言って、ブリガロンは出かけようとするが、扉の前で一度止まり、振り返って弟たちに言った。
「いいかい?勝手に外に出るんじゃないぞ。あと、これ以上つまみ食いしたら、昼飯抜きだからな!」
「はーい!」
ブリガロンは半分怒ったように言ったつもりだったのだが、ケロリとした顔で弟2匹は元気よく返事した。
「……ホントに、返事だけは一丁前なんだよな。じゃ、行ってくるから。」
白けた目線を投げかけつつも、ブリガロンは家の戸を閉め、外へと出かけて行った。
―――――
家の裏口から出て、しばらく歩いたところ。そこは木の実が成る木が数多くある、小高い丘だった。
日当たりが良い場所で、オレンの実やモモンの実など、様々な木の実が年中収穫できていた。まさに、木の実調達には絶好の場所なのである。
「よしっ、大分採れたな。……ふふっ。」
しばらく木の実の採集を続けた後、ブリガロンの顔にふと、笑みがこぼれた。
採れた木の実を見ていると、それを美味しそうに頬張る弟たちのことが思い浮かぶ。それを見ていると、ブリガロンも幸せになってくるのである。
何だかんだ言って、ブリガロンは食いしん坊な弟たちが好きなのだ。
「もう少し木の実採ったら、帰ろうか。」
そう言って、ブリガロンが立ち上がった瞬間だった。
――カンカン、カンカン!
突如鳴り響いた、緊急事態を知らせる鐘の音。山にいても、微かながら響いていた。
瞬時に、ブリガロンの顔から笑みが消える。
「鐘の音……?一体、何が!?」
手に木の実を抱えながら、少し山を下りる。
街を見下ろした、その時。
「――!!」
ブリガロンは、思わず息を飲んだ。
街に火の手が上がり始めている。折から吹く風で、燃え広がっているようだ。
火の延びる方向を見て、ブリガロンの顔は色を失う。なんと、火が自分の家へと向かっているではないか。
このままでは、弟たちが危ないかもしれない。
「まずい!急がないと……わっ!」
足を踏み出した瞬間。足元に伸びていた蔦に気を取られ、ブリガロンは派手にこけてしまった。
ブリガロンの大きな体が、正面から地面に叩きつけられる。手に抱えていた木の実も、四方八方に散らばってしまった。
「あっちゃ〜……けど、勿体ないなんて言ってられないや。今は早く、家に帰らなきゃ!」
木の実よりも、今は弟たちの安否確認が先だ。
そう思ったブリガロンは、零れ落ちた木の実を一瞥したものの、街の方へ向き直り、一目散に山を駆け下りていった。
―――――
ブリガロンはただひたすらに、駆けた。
身を護るための、重くて頑丈な装甲が、これほど邪魔に感じるのは初めてだった。
一秒でも早く、弟たちが無事なのを確認したい。少しでも早く街に辿り着こうと、大きな手足を必死に動かしていた。
十数分後。ブリガロンが下山し、街の入り口に辿り着いた時。
風は強さを増し、思いのほか飛び火するのが早かったようだ。既に街の民家の大部分は炎に包まれて、辺り一面は紅の土地と化していた。
「うっ……。」
熱気を浴びた風を受けて、思わず片腕で顔を防ぐ。
火が苦手なブリガロンは、眼前に広がる大火を目の当たりにするのも、正直怖いのである。
だが、躊躇っている場合ではない。彼は拳を握りしめて意を決し、焦土と化し始める街へ身を投じていった。
「ハリマロン!ハリボーグ!どこにいるんだー!?」
火の海の中、ブリガロンは必死に弟たちを呼んだ。
状況は最悪。それでも、どうか助かっていてほしい。僅かな望みを支えに、ブリガロンは弟たちを探していた。
「おにいちゃーん、おにいちゃーん!」
奥の方から、微かに聞き覚えのある声。とっさに、ブリガロンは前の方へと顔を向けた。
自分の家の方からだ。あの声は……
(間違いない、ハリボーグの声だ!)
考えるより先に、体が動く。ブリガロンは、すぐさま家へと飛び出していた。
―――――
「……!」
家に着いた時、ブリガロンは目の前の光景に、思わず絶句してしまった。
「おにいちゃーん、たすけてー!」
「たすけてー!あついよー!」
そこにあったのは、変わり果てた自分の家だった。
大部分が火に包まれており、辛うじて立っている柱が、やっと家の形を留めている。
だが、既に一部の柱が焼け落ちたらしい。2匹の弟たち――ハリマロンとハリボーグは、屋根から落ちた柱の下敷きになり、身動きが取れずにいた。
痛さと熱さで、2匹の表情はとても苦しそうだった。
「待ってろ!今、助け……。」
弟たちへ手を伸ばそうと、ブリガロンが1歩踏み出した、その瞬間だった。
ガラガラガラ、ドーン!
ブリガロンのすぐ目の前で、轟音が鳴り響いた。
「えっ……?」
辛うじて立っていた家の柱が、火に焼かれて重みに耐えられなくなり、支えを失った棟とともに崩れ落ちたのである。
次々に落ちていく柱で、目の前にいた弟たちが埋もれ、姿が見えなくなった。
数秒後。崩れた家は再び、静けさを取り戻した。
後に残ったのは、パチパチと、木屑が燃える音だけだった。
先程までの轟音も、ぴたりと止んでしまっていた。――弟たちが助けを求めて泣き叫ぶ声さえも。
「……嘘、だろ……。」
パチパチと、火の燃える音しか聞こえなくなった残骸の前で、ブリガロンはその場に、がくりと膝をつき、力無くその場にしゃがみ込んだ。
「さっきまで、オイラを呼んでいたじゃないか……。出かける前も、あんな元気そうに、していたのに、どうして……っ。」
目の前の現実を否定するかのように、ブリガロンは首を横に振りながら、涙を零していた。
頭に浮かぶのは、ほんの一刻ほど前の、他愛もないやり取り。
性懲りもなくつまみ食いを繰り返し、笑ってごまかす弟たち。
あの時の笑顔が、焼きついて頭から離れない。思えば、悪戯ばかりするものだから、最近の自分は怒ることも多くて、彼らに笑顔を見せる機会が少なくなっていたかもしれない。
そんな弟たちに自分はというと……
呆れた顔で、彼らに忠告していた。
『いいかい?勝手に外に出るんじゃないぞ。あと、これ以上つまみ食いしたら、昼飯抜きだからな!』
(まさか……!)
ブリガロンの目が、少し見開く。
何かに気づいたかと思うと、ブリガロンの顔は、次第に青ざめていった。
(まさか、オイラのせい……?オイラが、勝手に外に出るなって言ったから、あいつらは火事になっても、ずっと家で待っていて……?)
一度ショックから立ち直れずにいると、どんどん悪い方向へ物事を考えてしまいがちである。
今のブリガロンは、まさにそんな状態だった。頭を抱えこみ、ブリガロンはその場にうずくまってしまう。
「そんな……嫌だ、こんなの……うわああああっ!!」
地獄のような業火の中で、ブリガロンの悲痛な叫び声が、街中に響き渡った。
―――――
「……。」
泣けど叫べど、弟たちは帰ってこない。
最初こそ声をあげて泣いていたが、そのうちに、是が非でもこの事実を認識させられる。時間が経っても、事態は変わらないのだ。
俯いていたブリガロンも、次第に泣き声は止み、涙も流れなくなっていた。
「ハリマロン、ハリボーグ……。怖かった……よな?寂しかったよな……?」
虚ろな目で、既に焼け落ちた自分の家を、もう一度見上げる。
つい先程まで、自分を呼んでくれていた弟たちが、そこにいた。だが今は、火と倒れた柱によって、無残にもかき消されてしまっている。
「大丈夫だよ。オイラも……すぐに、そっちに行くから……は、ははっ……。」
乾いた笑いを浮かべながら、ブリガロンは覚束ない足取りで――
未だに燃え続けている家に向かって、足を進め始めた。
1歩、また1歩……
まるで幻影に気を取られているかのように歩みを進めるブリガロンと、業火との距離が短くなっていく。
火にその身が触れるまで、あと10歩……5歩。
そして、あと2,3歩という時――
ぐいっと、右手が引っ張られる感覚。それとともに、ブリガロンの動きが止まった。
「おい、あんた何やってんだ!?焼け崩れた家に足踏み入れるとか、正気か!?」
誰かが、自分の右手を掴み、声をかけている。
その声の方に向かって、ブリガロンはゆっくりと顔を上げた。
そこにいたのは、紅き瞳の火鼠――『迷い火の風来坊』だった。