第22話 三度目の邂逅
街は火に飲まれ、家ともいうべき稽古場を失ったコジョンドたちは、北へと向かっていた。
小高い丘を越えた先は、山道となっている。キュウコンが言うには、その山の中腹に、彼女が世話になった師が住職をしている寺があるとのことだった。
しかし、コジョンドたちを待ち受けていたのは――
傾斜20度はあるかと思われる、急な上り坂だった。
「こ、これって、どこまで続くの……。もう、勘弁してよ。」
「というか、もう体動かない……。暑すぎるし、やってられないわ。」
「ね、ねぇ、誰か水持ってない?私、喉乾いたんだけど。」
険しい上り坂に加え、この日は残暑が厳しく、太陽が容赦なく照り付けていた。しかも、皆急いで稽古場から避難することを優先しており、水を持ち出す余裕もなかった。
登り始めて十数分経った程度ではあるが、体力を激しく消耗する。いくら踊りで鍛えているとはいえ、門下生からも不満の声が出始めていた。
「愚か者!普段の鍛錬を何だと思っているのですか、みっともない!
この程度で憚りもなく音をあげるとは、恥ずかしいとも思わないのですか?」
その時。キュウコンが顔を後ろに向け、門下生に向けて一喝した。
当のキュウコンも、暑さで汗を流してはいたものの、疲れ切った様子を全く見せず、凛とした様子で山登りを続けていた。
お師匠様の一言で、門下生の不満の声が止む。
――ただ、1匹を除いては。
「お師匠様。その、世話になった方がいるって寺、本当にこの先にあるんでしょうね?」
コジョンドの隣にいたチャーレムが、怪訝そうにキュウコンに訊ねた。
道中、視界に入るのは山道と木ばかりであり、寺がある気配も、標すらもなかった。ここのところ、チャーレムはキュウコンのことをあまり信頼していないのもあり、疑いの目を向けていたのである。
だがキュウコンは動じず、ふっと冷笑を浮かべながら、チャーレムに言った。
「嫌なら、どこへなりとも消えてもらって構わないのですよ?もっとも、頼る先の提案すらせずに、そんなことを抜かす資格は無いと思いますがね。」
冷めた流し目と言葉が、こちらに向けられる。
お師匠様が『冷たき焔』と呼ばれる所以だ。門下生でも、この目を向けられると、畏縮せずにはいられない。
もっとも、チャーレムはその程度で引き下がらない、数少ない門下生ではあるのだが。
「一々癪に障る言い方するわね、本当に……。」
「チャーレム、抑えて。ここで言い争っても、何もならないわ。」
チャーレムは眉をしかめ、まだ何か言いたそうにキュウコンを睨んでいたが、コジョンドに諭されたこともあり、それ以上は何も言わなかった。
「御覧なさい。貴方の心配も、杞憂のようですよ。」
キュウコンが足を止める。チャーレムもそれを聞き、顔を上げた。
坂道はここで終わっており、その先には平坦な道が続いている。
そしてその道の先には、質素ではあるが、やや規模のある本堂が佇んでいるのが見えた。
「……今の発言、撤回させてもらいます、お師匠様。」
チャーレムがそっぽを向きながら、ぼそりと呟いた。
「おや、珍しい。貴方も私に詫びるくらいの、礼儀はあるのですね。」
……どうしてお師匠様は、こうも棘のある言い方しかできないんだろう。
案の定、チャーレムは歯ぎしりを始め、拳を強く握り始めたが、コジョンドが再度ご機嫌をとり、どうにかその場は収まった。
―――――
「住職殿、キュウコンでございます。いらっしゃいますか?」
山門にて、キュウコンが声を張り上げる。しばらくすると、ギィッと音をたてて門が開き、中から1匹のポケモンが現れた。
赤い亀のような姿で、甲羅と鼻から煙が噴き出している。この寺にいてから永いのだろうか、年を召しているようにも見えた。
どうやらこの方が、お師匠様が世話になった住職らしい。
「これはこれは、キュウコン殿。しばらくぶりじゃのう。」
「住職殿、ご無沙汰しております。お元気そうで、何よりです。」
住職を目の前にするキュウコンは、普段とは想像もつかないほど穏やかな態度であり、門下生は皆、密かに驚いていた。
「そういえば先刻、街の方で火事があったようじゃな。よく無事に、ここまでこられたのう。」
「ええ。そこで住職殿に、お願いがあるのですが……。稽古場を再築するまで、暫くの間門下生共々、ご厄介にさせていただけませんか?急に押しかけてしまって、まことに申し訳ないのですが……。」
恭しく礼をして、キュウコンは本題を切り出す。
それを見て住職は、かっかっか、と大笑いした後、キュウコンに声をかける。
「なに、わしとお主の仲、遠慮することはないですじゃ。困った時はお互い様、ですからのう。」
それから住職は、キュウコンと後ろに控えた門下生を見渡しながら言った。
「ここまで避難して、皆さんお疲れでしょう。まずはここで、休まれると良いですじゃ。あと、何か必要なものがあれば遠慮なく、わしに言って下され。」
「多大なるお心遣い、感謝致します、住職殿。」
キュウコンは、住職に深々と頭を下げた後、くるりと後ろを振り返り、門下生全員に顔を向けた。
「皆、本日より、この寺に世話になってもらうこととなりました。住職であるコータス殿に、丁重にご挨拶を。」
「よろしくお願い致します、コータス様。」
キュウコンの指示により、皆が一礼する。
コータスは、満足そうにうんうんと頷きながら、その様子を見ていた。
「いやはや、立派な御弟子さんたちじゃのう。ささ、どうぞお入りなされ。」
その言葉を皮切りに、キュウコンに続いて門下生が続々と入り始める。
ここに来てようやく、門下生の顔にも安堵の色が現れた。
皆に引き続き、コジョンドも寺へと足を踏み入れた――ちょうど、その時だった。
「ち、ちょっと、そこのお嬢さん!」
背後から何者かに声をかけられ、コジョンドは足を止めた。
振り返ると、そこには1匹のポケモンが立っていた。太い両腕に、とげのある鎧のような殻が目を引く。屈強そうな見た目でコジョンドは一瞬驚いたが、表情に厳つい印象はなく、むしろ穏やかそうな印象を持ったので、少し安心したようだ。
彼はぺこりと頭を下げつつ、コジョンドにお願いをした。
「急に呼び止めて、申し訳ない!オイラも火事で難を逃れてきたんですが、連れが怪我をしてしまって……。手当てを手伝ってもらえませんか?」
唐突なお願いではあったが、自分も寺で世話になってもらう身だったので、何かできることをしたいと思っていたコジョンドは、彼のお願いを引き受けることにした。
「私で良ければ、参ります。怪我したお方は、どこですか?」
「おぉ、ありがたい!ささ、こっちです!」
先導するそのポケモンに、コジョンドはついていった。
彼の言う「連れ」は、少し進んだところにある大きな木の影で休んでいた。離れたところでは暗くてよく見えないが、近づくにつれてその姿がだんだんはっきりとしてきた。
(……あれ?このお方、見覚えあるような……いや、まさか。)
まだ、顔は良く見えないが、その者の姿は妙に見覚えがある。
しかし、その者がここにいるわけがないと、コジョンドは思い直した。
そして、コジョンドが彼の目の前までやってきた時だった。
誰かがやってきたことに気付き、『連れ』が顔を上げる。その者とコジョンドの目が合った。
2匹は、驚きのあまり、思わず同時に叫んでしまった。
「バ、バクフーン様!!どうしてあなたが!?」
「あ、あんた……何でここに!?」
全くの予想外だった。
これまでも、2匹の出会いは唐突なものばかりではあったが、その奇跡が3度も起こるものだろうか。
コジョンドとバクフーンは、目を見開いて驚いたまま、しばらく固まっていた。
「えっ……知り合いだったんすか?」
コジョンドを連れていたポケモンは、状況を飲み込むことができず、目をぱちくりさせるばかりだった。
―――――
「驚きました。寺で修行しているとは聞いていましたけど、まさかここだなんて。」
「あんたの師匠が、じじいの世話になっていたとは初耳だぜ。どこで縁があるか、わからんものだな。」
落ち着いた後、コジョンドはバクフーンの手当てを始めながら、互いの状況を話した。
打ち身と、切り傷が幾つかあった。話によると、バクフーンは火事が起こった時にちょうど街を廻っており、逃げ遅れた者を見つけ次第、助けに向かっていたらしい。その時に、怪我を負ってしまったようだ。
「しかし、ひどい火事だったよな……。あんたも、気の毒だったな。」
「いえ、こればっかりは、どうしようもできませんから。それより、皆が無事で、何よりですわ。」
コジョンドは、傷を負ったバクフーンにゆっくりと包帯を巻いていく。
その時、ふと視線が横に動く。そこには、先程からバクフーンの側で座っており、コジョンドを呼び止めてきた、あのポケモンと目が合った。
「あの……よろしければ、お名前をお伺いしても?」
「おっと、失礼。まだ名乗ってなかったっすね。オイラは、ブリガロンっていいます。」
ブリガロンと名乗ったポケモンは、大きな腕を顔の前でガチリと組むと、コジョンドに向かって深く礼をした。
「私はコジョンドと申します。ブリガロンさん、バクフーンさんとはお知り合いですか?」
「いや、実はついさっき知ったばかりで……。」
そう言うと、ブリガロンはここまでの経緯を話し始めた。