第20話 己が意志のため
時刻は昼間だというのに、厚い雲が空一面を覆い、太陽の光を隠していた。
荒れ果てた村から立ち上る黒い煙が、さらに視界を暗くする。
そこでは、己の意志を果たすため、2匹のポケモンが、対峙していた。
1匹は、私たちの世界で『大悪党』の異名を轟かせたガブリアスの息子、ガバイト。
『無双の炎脚』と呼ばれたバシャーモにより、決闘で敗れてガブリアスは倒れ、彼の組織は衰退した。かつての『大悪党』再興の拠点とするため、そして仇の墓を暴いて復讐を果たすため、ガバイトはこの村に来ていた。
もう1匹は、この村の住人、ガルーラおばさん。
突如現れたガバイトたちの襲撃により、村は甚大な被害を受けた。彼らの専横を止めるため、そしてこれ以上犠牲を増やさないため、単独でガバイトたちの前に立ちはだかることを決意した。
2匹の間を、さっと乾いた風が吹く。暫く、無言のまま睨みあっていた。
双方とも最初から敵意を露骨に見せている訳ではなく、表情は平静時と大きく変わってはいなかった。しかし、互いの決意は胸に強く秘めており、視線だけは激しくぶつかりあっている。一瞬の油断が命取りになるのは目に見えていた。
「どけ。貴様に油を売っている暇はない。」
沈黙を破ったのは、ガバイトだった。睨みをきかせながら右手をガルーラおばさんの方に挙げ、鋭い爪を向けてくる。
しかし、その程度でおばさんは怯まなかった。
「断ったら、どうするってんだい?」
ガルーラおばさんは、余裕のある表情で、腕を組んだまま返事をする。ガバイトを見据えたまま、おばさんは続けた。
「あんたの本当の目的は、大体想像がつくよ。あたしは『無双の炎脚』のこと、よーく知っているからねぇ。
大方、父親の仇討ちに、彼の墓でも暴いてやろうってところだろ?」
それを聞き、ガバイトは憚りもせずに舌打ちした。
(ちっ。だからこそ、わざわざここで待ち構えていたってのか。忌々しいにも程がある。)
ガバイトの目が、先程よりも鋭くなる。その目は獲物を狙う狩人のものと同じであり、いつ喉笛を狙ってもおかしくないようであった。
「もう一度だけ言う。そこをどけ。さもなくば、お前の命はないぞ。」
「はん!あたしはもともと、命を捨てる覚悟でここに来ているんだよ。そんなことも分からないのかい?」
ガバイトは先程よりも強く脅したものの、ガルーラおばさんには効いていないようだ。
それどころか彼を鼻で嗤い、さらに挑発する始末である。ガバイトは苛立ちを露わにし、ギリッと強く歯ぎしりした。
おばさんは、彼の表情に変化が現れたのを見届けると、にやりと口元を吊り上げて畳みかける。
「まったく、あんたらを見ていると、悲しくなってくるよ。バシャーモさんがいなくなった途端に、無関係で力の無い村の者を虐げにかかるとかさ。そんなずるいやり方しか能がないんだねぇ、あんたらは。」
蔑んだように視線を上から落としつつ、さらに煽りの一撃を加えるガルーラおばさん。しかし、ガバイトはそこで激情せず、むしろ微笑を浮かべていた。
「ずるいだと?……ふん、違うな。これは、効率よく目的を果たすための戦略だ。今しか時がないと思った時に行動を起こす。戦術の基本だぞ?」
「都合のいいことばかり言って……」
「悔しかったらそれを覆してみせろって話だ。何も手を打てないままそうやって批判しかできないのは、貴様がそれを回避できるほどの力や知恵が無いって認めたことになるんだぞ?」
「くっ……。」
先程までの状況とは一転、今度はガルーラおばさんが言葉に詰まってしまった。
実際、ガバイトたちの襲撃を防ぎきることはできず、ここまで被害が大きくなってしまっている。そしてそれに対し、何も有効な手を打てずにいたのも、また事実であった。
「いいか?平和ボケしているお前に、俺がちゃんと教えてやるよ。己の目的を果たし、他者を従えることができるのは、優しさとか慈愛とかそんなもんじゃねえ。」
「――なら、何だっていうのさ。」
冷汗をこめかみから流しつつも、目を逸らさずにおばさんは訊ねる。
ガバイトは、にやりと笑みを浮かべた後、声を張り上げて言い放った。
「圧倒的な力だ!周囲を捻じ伏せる力を手にして、それが可能になる。そしてそれを俺に教えたのは……あの石の下でふんぞり返って眠っている奴なんだよ!」
「――っ!?」
ガバイトが、おばさんの後方にある墓石を強く指して叫ぶ。これにはおばさんも、驚きの色を隠せなかった。
「何言ってんだい!?バシャーモさんはそんな考えの持ち主じゃないよ!!」
争いを嫌うバシャーモさんが、そんなことを思っているはずがない。何故、目の前の彼に、そんな思想を植え付けることになったのか。
「父は、この生温い世を変えたいと思い、『大悪党』と呼ばれるほどの組織を作り上げた。だが、奴が決闘で父を倒した瞬間から、全てが変わった。
忠誠を誓ったはずの者共も次々と去り、求心力を失った『大悪党』は瞬く間に衰えた。父による力の統制が無くなった途端、このザマだ!」
「……。」
「どんなに崇高な理想を掲げようが、負ければ己が身とともにその理想は潰えてしまうことを、あいつはハッキリと見せつけやがったんだよ!!」
ガバイトの語調に、段々と怒りが込められ始める。ガルーラおばさんはそんな彼に、口を挟むこともせず、真剣な目つきのまま冷静に聞いていた。
「俺がこの手で、父の理想を塵に変えやがったあいつを倒したかったと、どれほど願ったと思っている!?『無双の炎脚』が亡き今、こうでもしないと気が済まねえ!そして俺は父の代わりに、この腐れきった世で、力による統制が正しいことを示してやる!」
――かわいそうな、子だ。
おばさんがガバイトの話を聞き、まず思ったのは、この一言だった。
(この子は自分が一方的に被害者だという視点に縛られ、抜け出せずにいるのかもしれない……。あんたは、他者を傷つけることでしか、自分を慰められないのかい?
それに、口ぶりからして、父親の真意を読み切れているかどうかも怪しい。父親の行動の意味を自分の思い込みで解釈して、無理にでも自分を納得させようとしているのだとしたら……本当にかわいそうな子だよ。)
おばさんは、ガバイトの話を一通り聞くと、目を少し細めた。
ガバイトを説得するのは半ば諦めていたような様子だったが、それでも一言だけ、訊ねてみることにした。
「その力、別の方向に使う気はないのかい?あんたの親父さんも、本当にそれを望んでいると言い切れ……。」
そこまでガルーラおばさんが言った瞬間、ガバイトの中で何かが切れてしまったようだ。
一瞬にして鬼のような形相になり、怒りを露わにした表情でおばさんに怒鳴りつける。
「会いすらもしていない貴様が、父を語るな!!」
それを聞き、おばさんは初めてガバイトから目を逸らした。
雲に覆われた空をしばらく見つめた後、一度嘆息して目を閉じる。
「はぁ……やっぱり、あんたに話し合いは通じないみたいさね。」
もはやこれ以上の説得は効果がない、とおばさんは悟ったようだ。
おばさんが、ゆっくりと目を開ける。そして再度、真剣な目つきに戻り、拳を強く握りしめてガバイトに相対した。
「あんたの意志の固さはわかった。けどね、あたしにだって意地があるんだよ。
この村を…そして、この村にいるあたしの大事な仲間たちを、これ以上傷つけさせる訳にはいかないんでね。あんたたちがこの村でまだ横暴を続けるってんなら、あたしは全力で止めさせてもらうよ!」
覚悟を決めたガルーラおばさんは、左足を1歩引き、戦闘態勢に入る。
それを見たガバイトは、突然大笑いをし始めた。
「はっはっは、笑わせるな!貴様だけで、何ができる?たとえメスと言えども、邪魔するというなら容赦はせんぞ?」
ガバイトの横で、配下のカブトプスとワルビルも、構えに入った。
「若殿には、傷一つ負わせない!」
「3対1で、本気で俺らに勝てると思ってんのかぁ?」
「上等じゃないか!あんたらごときなんざ、あたしだけで十分なんだよ!!」
3匹を前にしてもおばさんは屈しない。一喝して、その場に立ちはだかった。
「まとめて、かかってきな!言って聞かない馬鹿どもは、あたしがまとめて仕置きしてやるよ!」
「面白い!退屈していたところだ。遠慮なく行かせてもらおう!」
ガバイトが桁違いの速さで突進してくる。数秒後には、既に眼前に迫っていた。
その間、ガルーラおばさんは拳に力を溜め、ガバイトを迎え撃つ。
「ドラゴンクロー!!」
「メガトンパンチ!!」
轟音を立てて、2つの技が激突する。
互いの意地をかけた戦いの火ぶたが、切られた。
―――――
一方、過去の私、コジョフーは、村の中でそんなことが起こっているとも知らずに、ただひたすら走っていた。
山を越えて村を離れようとしたのだが、子供の体力で、それを行うのは厳しかった。七分ほど山を登ったところでコジョフーは疲れ切ってしまい、はぁ、はぁと息を荒げながら、手をついてしまった。
ふと、コジョフーはその場で振り返る。
そこには、山の下で広がる盆地の中心で、かつて私が住んでいた村だったものが映っていた。
今では建物の形も崩れ、あちこちで火の手が上がっており、見るも無残な焦土と化し始めている。
コジョフーの頭には、村で共に過ごした大切な者の顔が浮かんでいた。
――ガルーラおばさん。
いつも、私を助けてくれて、ありがとう。
いつも明るくて……そして、実の娘でもないのに、命がけで私を護ってくれて、嬉しかった。
でも、おばさんには何一つ返すことができなかった。
恩を返すこともできなくて、本当に、ごめんなさい……。
――お義兄様。
今、一体どこにいるの?
遊び相手になってくれて、頼りがいのあるお義兄様。気性が激しいところはあるけど、お義父様を助けるため、危険な旅に出ることを選んでくれた。
今となっては、生きているかさえも、わからない。
お義兄様、無事なの?せめて、一目逢いたいわ。
――お義父様。
お義父様がいなければ、私は今日までこうして生きていたかわからない。
実の娘同然に育ててくれたから、今の私がある。お義父様のことは、私がずっと見守っていたかったけど……
それも、叶いそうにないわ。
お義父様。黙って旅立つ私を、どうか許してください。
『何があっても、しっかり生き抜くんだよ。いいね?』
数刻前、ガルーラおばさんに言われた言葉を思い出す。
これから先どうなるか、予測できない。でも、生きるため、行くしかなかった。
「さようなら。そして――ありがとう。」
コジョフーがそう呟いた瞬間――
突如、私の目の前に広がる世界が白く染まった。晴れた日の朝に、急にカーテンを開けた時のように、一瞬にして全ての景色が白くなった。
―――――
意識が虚ろなまま、うっすらと、目を開けていく。
「んん……。ここは……。」
少しずつぼやけた世界が見え始め、やがて徐々に視界がはっきりとしてくる。
目の前の状況を理解するのに、少し時間がかかった。
まず目に入ったのは、見慣れたはずの内装。そこでようやく、ここはキュウコンの稽古場にある、自分の一室であることを理解する。
ふと右を見やると、窓の隙間から朝日が差し込んでいる。それは、夢の終わりに見たものとは違う、実に穏やかな陽光だった。
そこまできて私は、長い夢を見ていたのだと、改めて悟った。
(昔のことを、夢でここまで見たこと、あったかしら……。あまり、いいものではなかったけれど。)
あれから私は成長し、進化を果たして、今はコジョンドとして生きている。
踊り子としての、私の第2の道だ。
「コジョンド〜、起きてる?」
馴染みのある声。チャーレムだ。
……そう、辛いこともあったけど、今の私にはこうして友もいる。そして、自分の踊りを喜んでくれるお客さんもいる。
そのためにも、頑張らなくちゃね。
「はーい、今行くわ!」
私の新たな一日が、こうしてまた始まろうとしていた。