第16話 無双の炎脚、風前に揺れる
かつて、私のお義父様は、名の知れた闘士として活躍していたという。
私と出会う前、若かりし頃のお義父様は、比類ないほどの強さを誇っていたらしい。
武と炎の扱いに長け、鍛え抜かれた体から繰り出される一撃は、しなやかな動きでありながら重く、なみいる悪党共を倒してきたのだとか。
特に、私たちの世界で「大悪党」として名を轟かせていた、ガブリアスとの死闘は、伝説となっていた。
多くの配下を従え、目に付く村を荒らして強奪を繰り返していたガブリアスの一党を止めるべく、お義父様は単騎で乗り込み、首領に一騎打ちを申し込んだという。
戦いは数時間にもおよび、素早くも重い攻撃を繰り出すガブリアスの前に苦戦を余儀なくされたが、激闘の末にお義父様は勝利したそうだ。
お義父様の得意技は、足に炎を纏わせて強烈な蹴りを喰らわせる、『ブレイズキック』。
逞しい脚から繰り出される脚力は相当なもので、この技で倒した敵は数知れず。あのガブリアスを仕留めたのも、この技だった。
皆はお義父様を、『無双の炎脚』と呼び、皆から頼りにされ、悪党からは恐れられたらしい。
しかし、ある日を境に突如、お義父様は闘士としての表舞台を去り、身を隠したという。
体力的に衰えを感じたというわけではない。そこまで老いた訳でもなく、むしろ体力自体は十分有り余るほどだというのに、お義父様は闘士として生きる道を捨てたのだった。
そして、この村に辿り着き、私と出会い、穏やかな暮らしをしていた。
けれど、今のお義父様は――
重い病を患い、横になっていた。
かつて、闘士だった頃の鍛え抜かれた体もやせ細り、『無双の炎脚』と呼ばれていた頃の力を徐々に失いつつあった。
―――――
「そうか。ジュプトルが、俺のために薬を採りに行ってくれるとはな……。」
お義兄様が「ふっかつそう」を採りに、旅に出てから3日後。
フーディンさんの鍼治療で病状が一時的に収まり、意識を戻したお義父様は、過去の私、コジョフーと話をしていた。
お義父様の表情に、まだ活気は残っている。でも、声は今までと比べると、弱々しくなっていた。
確実に病魔は、お義父様の体を蝕み始めている。
「ええ。だから、辛いと思うけど、もう少し待ってて!お義父様は、私たちが助けるから。」
コジョフーは元気よく答えるが、お義父様は少し浮かない顔をしながら、横を向いていた。
「すまないな。本当は、父である俺がお前を護ってやらなければならんと言うに……申し訳ない、コジョフー。」
「なんでお義父様が謝るの?私とお義父様は家族よ?困った時に助け合うのは当然じゃない。」
……私ったら、年端も行かない子供のくせに、何ませたこと言ってんのよ。
過去の自分を見ながら、私は恥ずかしさに思わず顔を赤くしてしまった。
でも、お義父様はその言葉に安心してみたいだった。
優しく笑みを浮かべ、コジョフーの体に手を伸ばす。
そして、優しく抱き寄せて、背中をなでてくれた。
「ありがとう、コジョフー。お前は俺の宝だ。」
お父様が見せてくれた、心からの笑顔。
嬉しさのあまりなのか、穏やかに閉じられた瞼から一筋涙が伝っている。顔にとどまらず、全身から幸せな気持ちが溢れているようだった。
お義父様の病気は、何としても治したい。
私の心に、そう強く決めた瞬間だった。
―――――
私たちの願いとは裏腹に、無情にも時間は容赦なく過ぎて行った。
日は沈み、夜の闇が辺りを覆ったかと思えば、再び日は昇る。当たり前のことだけど、それは徐々に私の心を折り始め、お義父様の体を蝕んでいった。
お義兄様は、旅立って1週間になっても、まだ帰ってこなかった。
「ふう……。」
フーディンさんが、お義父様に打った鍼を全て抜き、一息つく。コジョフーはフーディンさんのそばに座り、治療を静かに見守っていた。
あれから、フーディンさんは毎日私たちの家に立ち寄り、鍼治療を施してくれていた。
普通ならお義父様の病気は、何も処置を施さずにいれば、2日も経たないうちに命を奪われるらしい。お義父様が1週間経っても生き伸びていられたのは、フーディンさんの治療のお陰でもあった。
「今日は、これで失礼致します。」
フーディンさんが、コジョフーに向かって一礼する。
コジョフーもそれに合わせて頭を下げるが、ふと顔を上げると、フーディンさんと目があった。
表情こそ神妙な面持ちでいるものの、目元あたりに疲れが見て取れた。
無理もない。フーディンさんは、念力を込めて全身全霊で鍼治療を行うから、体力をかなり消耗するのだ。
そういえば、他の患者さんの治療もしなければならないのに、フーディンさんはいつ休んでいるのだろう。
フーディンさんが腰を上げる。立ち姿勢になる時も念力を使うから、ふわりと体が浮かんで姿勢を整え、そこから扉へ向かっていた。
しかし――この日だけ、フーディンさんは家の扉に手を触れると、急に足を止め、コジョフーの方をちらりと見ていた。
(……?)
今まではそんなことなかったのに、どうしたのだろう?
不思議がるコジョフーと、再度目が合う。フーディンさんの目が、少し細くなった。
それは、何かを躊躇いながらも、どこか哀しんでいるようにも見えた。しばらく、フーディンさんとコジョフーは、目を合わせたままでいた。
「あの……どうか、なさったんですか?」
耐え兼ねて、コジョフーはフーディンさんに訊ねる。
フーディンさんは、少し躊躇うような素振りを見せたが、軽く首を振って答えた。
「……いえ、何でもありません。」
何かを振り切るように、フーディンさんはコジョフーに目を背ける。
そして、静かに戸を開け、部屋を後にした。
「うう、う……」
背後から、お義父様の呻き声が聞こえる。それと同時に、ガサガサと片手を動かす音が聞こえた。
驚いたコジョフーは、お義父様の方へと振り向いた。何かを探すように動くお義父様の右手を、コジョフーは慌てて押さえ、両手で軽く握りしめる。
「お義父様、どうしたの!苦しいの!?」
そこで、コジョフーは思わずはっとした。
お義父様の手が、軽い。握り返す手の力はかなり弱い。がっしりとしていた腕も、信じられないくらい細く感じた。
もはや、お義父様はここまで弱ってしまったのか。
「コジョフー、いるのか……?」
あぁ、声までこんなにか細くなって……。
コジョフーは思わず、涙を流しそうになったが、ぐっと堪えながら、より強く手を握る。
こくこくと、首を縦に振りながら、お義父様を見つめていた。
お義父様がゆっくりと、目を開ける。
焦点が合わないのか、しばらくコジョフーをぼうっと見続けていたが、やがてはっきりと視界に捉えたのか、お父様は安堵の表情を浮かべた。
「お前を置いて、俺がどこかに行ってしまう夢を見た……。お前がいなくなるのかと思うと、怖くて……。」
怯えているお義父様を見るのは、これが初めてだったかもしれない。
元気だったころは、恐れを知らない豪放な方だったのに。やはり、病気との闘いは、辛いものだったようだ。
「情けないな。俺ともあろう者が、病気にここまで屈するとは……笑えるな。」
ははっ、とお義父様は乾いた笑いを浮かべた。
冗談のつもりで言ったのかもしれないけど、目は怯えの色を隠せていなかった。
「お義父様……大丈夫よ、私はここにいるから。ずっと、私はお義父様の側にいるから。」
コジョフーはお義父様を見つめてそう言いながら、手を握り直す。
「……すまないな、コジョフー。」
お義父様は、申し訳なさそうな表情をしながら、コジョフーの顔を撫でていた。
「お前には、満足な暮らしもさせてやれなかったな……。
もっといろんなところに連れて行って、もっとお前の欲しいものをあげて、何一つ不自由なく育ててやりたかった。なのに、俺は……。」
自責の念に駆られるお義父様に、私は首を横に振って答えた。
「ううん、お義父様。私、幸せだった。
お義父様が拾ってくれたから、今日の私があるの。いつも側で見守ってくれて、一緒に過ごしてくれて……毎日が楽しかったわ。
それに、お義兄様やガルーラおばさんにも逢えた。皆今では、私の大切な方達よ。それも全部、お義父様のお陰なんだから。」
お義父様を宥めるだけじゃない。これは、自分の本心だった。
少し顔を近づけ、笑顔を浮かべながら、コジョフーはお義父様に優しく言った。
「お義父様、大好きよ。私、お義父様の娘でいられて、本当によかったわ。」
「コジョフー……ありがとう……っ。」
お義父様は、コジョフーを抱きかかえて、涙を流しながら静かに泣いていた。
力の入らない手を懸命に動かして、抱き寄せてくれた。今までお義父様は、私のことを何度も抱いてくれたけど、この時が一番、温かみがあったなぁ。
2匹だけの、血が繋がっていない家族。だけど、自分で言うのもあれだけど、私たちは本物の家族に負けないくらい、絆は強かったと思う。
しばらくお義父様とコジョフーは、涙を流しながら、でも幸せな表情で、抱き合いながら横になっていた。
「コジョフー。こんなこと、父親が言えることじゃないが……一度だけ、甘えてもいいか?」
少し落ち着いたところでお義父様は、はにかみながらそう言った。
コジョフーは、優しい表情で首を縦に振る。
「今日は、お前と一緒に寝かせてほしい。こうして、お前を抱きながら、寝たいんだ。」
大好きな、お義父様の頼みだもん。断るわけないじゃない。
私は、お義父様に抱かれながら……そして、私も手を伸ばし、お義父様を安心させるかのように、体を預けた。
(おやすみなさい、お義父様……。)
―――――
冷たい風が吹きつける、宵闇の中。
村の夜道を1匹のポケモンが歩いていた。狐のような顔立ちをしており、口からは長いひげのようなものが伸びている――フーディンさんだ。
彼はしばらく、秋の夜空を見上げ、眺めていた。
紺色の空に、無数の星が煌めく。しかし――
(……!)
突如、1つの星が急速に落ち始め、フーディンさんは目を見開いた。
それは、コジョフーの家のほうに向かっていくように見えた。一筋の光の線を作ったかと思うと、やがてそれは消えていった。
(そうか……やはり、か……。)
フーディンさんは、こうなることをわかっていたんだ。
帰り際に、ちらりと私を見たのは、それを言おうかどうか迷っていたからだろう。でも、当時子供だった私にそれを告げるのは、あまりに酷すぎた。そう思ったからこそ、フーディンさんは何も言えなかったのだ。
その日以降、お義父様が目を覚ますことは、二度となかった。