第15話 微かなる希望の灯火
「お前は、来るな。」
――どうして?
お義父様を助けたい気持ちは、私も同じなのに。
私だって、お義父様を助けたいのに……!
「……私が、弱いから?」
確かに私は、旅に出るには非力すぎるかもしれない。
お義兄様の足を、引っ張ってしまうかもしれない。
でも――それなら、私はどうすればいいの?
お義兄様は危険な旅に出てまで、お義父様を助けようとしているのに、私は黙って見ていろって言うの!?
「私だって、できることをしたいの!私にも、『ふっかつそう』を手に入れるお手伝いしたいのに!
お義兄様、なんで駄目なの!?どうして――!!」
過去の私――コジョフーは、お義兄様にすがりながら、大声で泣いていた。
大粒の涙を零しながら、お義兄様の手に掴まり、大きく揺すりながら。
「……なら、訊くが。」
お義兄様はしばらく何も言わずにいたが、やがてコジョフーに、穏やかな声で話しかけた。
「おじさんを、独りにするつもりか?」
コジョフーの動きが、ぴたりと止まる。
お義兄様は、先程よりもゆっくりと、言葉を続けた。
「俺もお前も旅に出れば、残されたおじさんは独りで病気と闘うことになる。それでもいいのか?」
コジョフーは、ハッとして顔を上げる。
そこには、真剣な眼差しでこちらを見つめる、お義兄様がいた。お義兄様はコジョフーの前でしゃがみ、頬に手をあてた。
お義兄様がコジョフーの目元を、指でなぞる。指の動きに合わせて涙は消え、ぼやけた視界が少しはっきりとしてきた。
お義兄様の、鋭くも穏やかさのある2つの目が、コジョフーを見つめる。
「確かに、『ふっかつそう』は必要だ。それを探すのは、厳しい旅になるだろう。
危険な役目は俺が引き受ける。だからお前も、自分にできることをするんだ。」
「私に、できること……?私に、何ができるって言うの……?」
コジョフーの、涙で満たされた丸く純粋な瞳が、お義兄様を見つめる。
泣くのを懸命に堪えるのが精いっぱいだった。言っている側から、どうしても声がつっかえてしまう。
「そうだ。お前はずっと、おじさんの側にいてやるんだ。病気で苦しむおじさんの、心の支えになれ。これは、お前じゃなければできないことだ。……どうだ、やれるか?」
そう言って、お義兄様は私の頭を撫でてくれた。
今まで私には、いつもお義父様やお義兄様が側にいてくれていた。
今思えば、箱入り娘もいいとこだったのかもしれない。
けど、いつまでも甘えてはいられない。
何より、お義父様も病気に立ち向かい、お義兄様もこれから1匹で危険な旅に身を投じようとしている。そう思うと、自分だけ泣いてばかりもいられない。
「うん。私、頑張るわ!だからお義兄様。絶対、帰ってきてね?」
そこでコジョフーは、ようやく泣き止んだ。声にも元気が戻ってくる。
それに合わせて、ふっとお義兄様は優しく笑った。
「……ああ。俺は『ふっかつそう』を手に入れて、必ずここに帰ってくる。だからお前も、おじさんと一緒に、俺を信じて待っていてくれ。」
お義兄様は、コジョフーの肩にぽんと手を当てて、そう言った。
正直言って、上手くいくかはわからない。
でも、お義兄様なら大丈夫な気がする。そう確信しつつ、コジョフーはにこりと笑いながら、頷いた。
「あぁ、お義兄様。ちょっと待ってて。」
突如、何かを思い出したようにコジョフーは、お義兄様のもとから離れた。
お義兄様が不思議がる中、棚からごそごそと何かを探り、あるものを手に取った。
それは、小さな赤い巾着状の袋だった。コジョフーの手にちょうど収まるくらいの大きさをした、手製の袋である。
コジョフーはその袋から、中の物を取り出す。そこには、1つの橙色の石が入っていた。
小さな火のように微かに、しかし明るく輝き、不思議な力を宿す石。
石の中心には、炎を象る模様が刻まれていた。
今だからこそ、それが何かわかる。『ほのおのいし』だ。
私たちは進化に使えないけど、お父様が以前手に入れたらしく、『お守りとして使いなさい』って言われて譲り受け、大事にしていたものだった。
「これ、お義兄様にあげるわ。」
そう言って、コジョフーは袋から取り出した橙色の石を、お義兄様に見せた。
「おじさんからもらった、お守りなんだろ?いいのか?」
あの時の、目を見開いて驚いていたお義兄様の顔、すごく印象に残っている。
だって、いつも冷静なお義兄様は、驚く顔なんて滅多に見せないもん。
「いいの!お義兄様はこれから危険な旅に出るんだもん。私の心の支え、お義兄様にも必要でしょ?」
「ふっ……こいつめ、言ってくれるな。」
お義兄様が、ようやく口元をにっと吊り上げ、余裕のある笑顔を見せてくれた。
「だから、『ふっかつそう』と一緒にこれも返しに来て。約束よ?」
そう言ってコジョフーは、お義父様からもらったお守りを差し出す。
赤く輝くその石は、私たちにとっての希望の灯火のように、光を放つ。
これから私達には、さらなる試練が待つことになるかもしれない。しかし、それに立ち向かう力を与えるかのように、輝いていた。
「ああ、約束だ。」
お義兄様はしっかりと頷いた後に、橙色の石に手を伸ばした。
お義兄様の手がそっとコジョフーの手に触れる。軽く撫でるように小さな手に触れた後、握られたお守りに、2本の指が当たる。
そして、『ほのおのいし』は、私の手からするりと離れていった。
―――――
今は一刻でも、時間が惜しい。お義兄様は早速、旅支度に取りかかった。
住処にある木の実や使えそうな道具を、鞄に詰めていく。コジョフーやガルーラおばさんも、お義兄様に役立ちそうなものを探していた。
「申し訳ありません。私が不甲斐ないばかりに、皆様を巻き込むことになってしまうとは……。」
フーディンさんは、コジョフーたちに深々と頭を下げていた。
「何言ってんだい。こうしてあたしたちが希望を捨てずにいられるのも、バシャーモさんを助ける方法を、フーディンさんが教えてくれたおかげじゃないのさ。」
ガルーラおばさんが、詫びるフーディンさんの肩をぽんぽんと叩く。おばさんを前にしては、神医と呼ばれるフーディンさんすらも、頭が上がらないようだ。
今思えば、ここまで誰に対しても分け隔てなく接することができるのは、おばさんの素敵なところだったのだろう。
おばさんは、フーディンさんを宥めた後、お義兄様へと歩みを進めた。
「あんたしか頼れるもんがいないから任せるけど、無理はしないでおくれよ?あんたまで倒れたら、どうにもならなくなっちまうんだからね。」
……あれ?
珍しく、おばさんが物凄く不安な顔をしている。
一度誰かに物事を任せると決めたら、普段のおばさんならいつものように、自信もって堂々と送り出すんだけど……。
「わかっている。必ず『ふっかつそう』を見つけ出して、ここに戻ってくるから。」
お義兄様は真剣な目でああ言ったけど、おばさんの表情はあまり明るくならなかった。
本当にどうしたんだろう?おばさんらしくないなぁ。
「では、行ってくる。」
そう言って、お義兄様はくるりと背を向け、歩き出していった。
お義兄様の姿が、どんどん遠くなっていく。見えなくなるまで、コジョフーたちは村の入口に立って見送っていた。
「大丈夫なのかねぇ、あの子。」
ガルーラおばさんが、溜息をつきながら、そう呟いた。結局、お義兄様を送り出しても、おばさんの表情は暗いままだった。
でも、当時の私から見れば、何故おばさんがそこまで不安に思っているんだろうって不思議に思っていた。
必ず帰ってくる。そう約束したし、お義兄様はきっと大丈夫。コジョフーはそう確信していた。
「気にし過ぎよ、おばさん。お義兄様は絶対帰ってくるわ。」
疑うことを知らない純粋な子供の笑顔で、コジョフーはおばさんに声をかけた。
コジョフーの笑顔に、おばさんの口元がふっと緩む。
「……あんたは、本当に良い子だねえ。そうだね、コジョフーちゃんがそう言うのなら、間違いないね!」
おばさんは、コジョフーの頭を撫でながら笑って答える。
いつもの、優しくて頼りがいのある、ガルーラおばさんだ。
「さて。あたしたちも、できることをしなくちゃね。」
互いに励まし合ったところで、コジョフーとガルーラおばさんはお義兄様が向かったほうから背を向け、村へと戻っていった。
数歩進んだところで、おばさんがふと、もう1度村の出口へ振り向く。
時刻は夕暮れ時。沈みゆく赤い太陽が、遠くに見える黒い雲に隠れはじめる。
雲が作り出す影は、お義兄様の姿も、視界の先も、暗い闇で隠していた。
(あたしたちは、できることをやる。今は、それしかないってのは分かっているんだ。でもねぇ……。)
ガルーラおばさんは、先の見えない暗がりへと視線を見やりながら、目を細めた。
(この、嫌な予感というか……胸騒ぎがするのは、一体何故なんだろうねぇ……。)