第14話 僅かな可能性
信じられない。
あんなに元気だったお義父様(とうさま)が、倒れただなんて……嘘よね?
こんなの、信じたくない――!
過去の私、コジョフーは、ジュプトルのお義兄様(にいさま)とガルーラおばさんと一緒に、急いで山を駆け降りていた。
木々の影が、いつもより暗く見える。その暗がりから一刻も早く抜け出そうとするかのように、山の出口を目指していた。
数分程経った頃。視界の先にぽっかりと、明るい光が見えてくる。
――出口だ!
光の先には、雲で半分隠れはじめた太陽の光が、外を照らしていた。
視界の先にあるのは、私の家。足を止めること無く、入口に向かっていった。
(お義父様、無事でいて……!)
ばたん、とコジョフーは勢いよく家の扉を開ける。
まず、真っ先に目に入ったのは――
静かに仰向けで横たわるバシャーモ。お義父様だった。
体をぴくりとも動かさず、寝息さえしているのかどうかも、一目見ただけではわからない。
それほど静かに、お義父様は眠っていた。
「お義父様!」
「おじさん!」
コジョフーとお義兄様は、急いでお義父様の下へ駆け寄った。
お義父様に手を触れようとした――その瞬間。
「えっ?」
突如、コジョフーとお義兄様の体が、ふわりと宙に浮かぶ。
見えない力で、操られているみたいだった。抵抗して体を無理やり動かそうとしても、全く自由が利かない。
成すすべもなく、そのまま入口のそばまでゆっくりと戻された。コジョフーとお義兄様の体は、ガルーラおばさんの側で、静かに着地する。
「……失礼。診察中ゆえ、少し静かにしていただけますかな?」
不思議な力から解放され、聞き慣れない声が正面から聞こえたところで、お義父様の側にもう1匹ポケモンがいることに、ようやく気付いた。
狐のような顔をしていて、口元からとても長い、髭のようなものが伸びている。
手には匙を1本ずつ持ち、神妙な面持ちで、お義父様の側に控えていた。
先程、コジョフーたちがお義父様に近づけなかったのは、彼が「サイコキネシス」を繰り出したからだろう。
彼は、コジョフーたちがおとなしくなったのを見届けると、再びお義父様の方に向き直る。
「おばさん。あのポケモンが、おばさんが呼んだ医者なのか?」
小声で、お義兄様がガルーラおばさんに訊ねる。
「そうだよ。彼は、フーディンさん。あんたも聞いたことあるだろう。この村じゃ『念力の神医』と呼ばれるお方だよ。」
「な、何てお方呼んでいるんだ、おばさん……。」
そういえば、聞いたことがある。
フーディンさんは、彼にかかればどんな病気でも何とかなる、とこの村で噂されている名医だった。
なので、村中で引っ張りだこのため、呼びつけるのも難しいはずなんだけど……本当に、よく呼び出せたなぁ、おばさん。
お義兄様共々驚いていると、フーディンさんは横に置いていた箱から、銀色の鍼を取り出す。
「えっ……フーディンさん、何を!?」
「大丈夫だよ。あれがフーディンさんの、治療法なのさ。」
鍼をお義父様に刺し始め、コジョフーは思わず動揺してしまったけど、ガルーラおばさんは、落ち着いてその様子を見ていた。
フーディンさんは、自身の念力を込めつつ患者に鍼を打ち込むことで、体を廻る気の流れを良くし、快方に向かわせるのだという。打ちどころを誤ると逆に傷つけることになるから、フーディンさんほどの技術を持つ者にしかできない芸当らしい。
今の私でも、わかったようなわからないような、そんな感じだけど……でも、実際にこの鍼治療と薬で他の方は治っているし、効果はあるのかなぁ。
数分程、皆が治療を静かに見守る中――
やがてフーディンさんは、お義父様に刺した鍼を全て抜いていく。
それまで真剣だった目が、少し緩む。鍼を箱にしまい、ふうっと大きなため息をついた。
「どうなんだい、フーディンさん。バシャーモさん、何とかなりそうなのかい?」
ガルーラおばさんが、不安そうな顔をしながらおずおずと、フーディンさんに訊ねた。
彼は、おばさんの方へと顔を向けると、険しい顔を崩さないまま重い口を開く。
「とりあえず、応急処置は施しました。少しの間は、大丈夫でしょう。ですが……」
フーディンさんは、顔を少し背けて目線を斜め横に逸らし、苦虫を噛み潰したような表情をしていた。
何か言いづらいことでもあるのだろうか。彼は、しばらく口を閉ざしていたが、やがて決心したかのようにおばさんの方へ向き直り、言葉を続けた。
「……バシャーモさんの病気は重く、治療はとても難しいです。残念ですが、助けられる見込みはとても低いでしょう。」
フーディンさんから聞かされたのは、認めたくない現実だった。
あの時の感覚は、今でもよく覚えている。
目の前が急に真っ暗になり、どうして良いかわからない。そんな感じだった。
――お義父様は、助からないの?
私達には、苦しむお義父様を、ただ見ていることしかできないの?
「ふざけんな!!」
真横で叫ぶ声に、思わずハッとした。
振り向くと、お義兄様が体をわなわなと震わせ、ものすごい剣幕で歯をぎりぎり言わせている。
次の瞬間、お義兄様の姿が消える。ふと前を見ると、フーディンさんに飛びかかり、胸倉に掴みかかっていた。
目を血走らせながら、フーディンさんを思いっきり睨みつけ、掴む手に力を込めていく。
「他人事のように、さらりとそんなことを言いやがって!神医だか何だか知らねえが、やる前から早々に見限るとか、それでも医者か貴様は!?」
「ぐっ……ぬぅ……」
フーディンさんは、苦しそうに呻き声を上げていたけど、抵抗は一切しなかった。
先程みたいに、サイコキネシスを使いすらもしない。しかし、目には光を宿したままで、視線だけは一切お義兄様から逸らさなかった。
コジョフーは状況の変化に追いつけず、ただまごついていることしかできなかった。しかし――
「止しな!あんた、お医者さんに診察を頼んでいるってのに、何て言い草してんだい!!」
――ガルーラおばさん、さすがだ。
おばさんの一喝に、頭に血が上っていたお義兄様の動きが、ぴたりと止まる。
「……ちっ。」
お義兄様は、なおもしばらくフーディンさんを睨んでいたけど、やがて手を振りほどいた。
はぁ、はぁと息を荒げつつも、フーディンさんは息を整えていく。
「申し訳ないね、フーディンさん。」
「いえ、彼の怒りも、ごもっともですから。」
おばさんは何も悪くないのに、お義兄様の代わりに頭を下げ、フーディンさんに真摯に謝っていた。
こういうところも、おばさんが村の者から信頼を得られる所以なんだろう。
「フーディンさん。あんた、見込み低いって言ってたけど、助かる可能性が零ではないんでしょ?何か、治療の仕方ぐらいは、あるんじゃないのかい?」
いわばフーディンさんは、皆にとって頼みの綱だった。
ガルーラおばさんは、少しでもお義父様を助けたいという思いから。すがるようにフーディンさんに訊ねる。
フーディンさんは、少し考えた後に、おばさんに答えた。
「……手詰まりというわけでは、ありません。」
少しでも、可能性があるらしい。3匹とも、ごくりと唾を飲み込み、フーディンさんの言葉を待った。
「最近の報告で、バシャーモさんの病気に効く新たな薬の作り方が、出されています。それができれば、彼を助けることができるかもしれません。ただ……」
またも、フーディンさんがやや俯く。何か問題でもあるのだろうか。
「……その薬を作るには、『ふっかつそう』が必要なのです。しかし、このあたりでは入手が難しく、私もつい先日遣いを出して調達するよう命じたのですが……未だ戻らず、いつのことになるのやら……。」
『ふっかつそう』。
漢方薬の1つで、ひん死の者でも全快するほどの力を持つという。
しかし、フーディンさんの言う通り、私たちの村でそれを入手することは困難だった。フーディンさんの遣いも、毎回同じところで入手できるとは限らず、そうでなくとも貴重な物のため、どこかで見つかれば幸運な方だと言う。
フーディンさんからそのことを聞いて、コジョフーもガルーラおばさんも、曇った顔をして互いに見合わせていた。
「……なら、話は簡単だな。」
しかし、お義兄様だけは違っていた。
先程まで黙っていたお義兄様が、何かを決心したようにつぶやく。その言葉に、コジョフーとおばさん、そしてフーディンさんの目が、彼に向けられた。
「俺が、『ふっかつそう』を採りに行く。それで済む話だ。」
「なっ!?」
お義兄様以外の全員が、思わず声をあげて驚いた。
突拍子もない発言に、ガルーラおばさんはお義兄様の両肩に手を当て、諭し始める。
「あんた、正気かい!?『ふっかつそう』がある宛なんてないし、村の外は悪党共がちらついていて危険なんだよ!!」
「だったら他にどうすればいいって言うんだ!?」
お義兄様の強い反論に、これにはガルーラおばさんも黙ってしまった。
確かに『ふっかつそう』を手に入れない限り、他に道はない。それは、ガルーラおばさんも、よくわかっていたし、だからこそ何も言えなかった。
「このまま何もできないまま、おじさんを見殺しにするぐらいなら、危険を冒してでも僅かな可能性に、俺は賭ける。」
お義兄様の決意は、固かった。
実の父でもないのに、ここまでしようとするお義兄様。それを見ているうちに、コジョフーの心の内から、何かが湧き上がるものを感じた。
「……あの、お義兄様。」
私も、お義父様のために、何かをしたい。
少しだけでもいい、何か自分にできることをして、お義父様を助けたい――!
そう思った時には、コジョフーはお義兄様に想いを伝えはじめていた。
「お義兄様、私も連れて行ってください!私だって、何もしないまま、ただ待っているだけなんて、そんなの嫌です!だからお義兄様、私も……!」
「――いや、駄目だ。」
お義兄様は、しばらくコジョフーの訴えを黙って聞いてくれていたけど、それを途中で遮った。
そして、コジョフーを見据えて、お義兄様はきっぱりと言い放った。
「お前は、来るな。」