第13話 かくれんぼ
山の中は、見渡す限りの緑色だった。
しかし、一口に緑色と言えど、明るい黄緑や濃い深緑など、様々な緑が混ざり合う。そこに太陽の光が差し込み、幻想的な景色を作り出している。
昼の陽光は緑の隙間から差し込み、柔らかい新緑の葉を照らす。
明るい光が森の中の至る所で反射し、煌めいていた。
過去の私、コジョフーは、山の入口付近にある切り株に腰かけた。
お義兄様(にいさま)と遊ぶ時は、いつもここが待ち合わせ場所になっている。
――あれ?
そういえば、お義兄様は先に待っているって、お義父様が言っていたわね?
何故、待っているはずのお義兄様がいないのだろう。
切り株に座り、ようやくそのことに気付いたコジョフーは、辺りを見渡し始めた。
ガサリ。
右の方へ、十歩ほど進んだあたり。草むらが、音を立てて揺れる。
反射的に、コジョフーは音のする方を向いた。
(……お義兄様?)
草むらは一度揺れただけで、それっきり静かである。
コジョフーは、気にせずにはいられなくなり、音のした草むらに近づいた。
一歩ずつ近づき、慎重に顔を近づけて、草むらの中を覗きこむ。
――おかしい。
誰もいない。周辺に目を向けてみても、それらしき影も見当たらなかった。
(さっき、確かに音がしたはずなんだけど……何だったのかしら。)
ガサゴソ、と草をかき分け、さらに奥を覗くコジョフー。
当時の私は、探すことに夢中で全く気が付いていなかった。
抜き足、差し足、忍び足で、ゆっくりと1匹の影が近づいていることに。
「つかまえた!」
「きゃっ!?」
突如、何者かが背後から、コジョフーの脇腹を両手でつかむ。思わず、コジョフーは悲鳴をあげた。
相当怖かったのだろう。コジョフーは自分を掴む手を握り、右へ左へと体を動かしながら強引に振りほどこうとする。
「誰なの!?は、離して!」
「……くっ。あははははは!!」
あまりにもコジョフーが必死だったのが、余程可笑しかったのだろう。
背後から襲ってきた者は、その様子を見て急に笑い出した。
(えっ?)
聞き覚えのある低い声に、コジョフーは動きを止める。
暴れるのを止め、コジョフーはゆっくりと、後ろを振り向いた。
森の木々に生える葉のように、鮮やかな新緑色の体。
細身な体とは裏腹に、発達した力強い脚。
そして、頭や腕からしなやかに伸びる、深緑の葉。
木々の間を俊敏に飛び移る森蜥蜴、ジュプトル。
私の数少ない遊び相手だった、お義兄様だった。
「もう!驚かさないでよ!!」
「悪いな。いつもと同じように、ただ待ち構えているだけじゃ、つまらないだろ?」
そりゃ、そうだけど……もうちょっと、やり方ってものがあるじゃない。
コジョフーは、お義兄様から解放されても、不貞腐れたように頬を膨らませていた。
今、私は第三者の立場で当時の私とお義兄様を見ていたけど……
悪戯好きにも程があるわよ、もう。見ていて、溜息をつきたくなっちゃう。
「わかった、わかったからそんなに怒るなって。」
お義兄様は、未だに口元で笑いを隠し切れないまま、そうコジョフーに言ってきた。
「かくれんぼだ。俺が数える間に隠れて、やり過ごしてみろ。……そうだな、五十数えるまで待ってやるよ。」
「五十って、随分時間をくれるのね、お義兄様。」
普通、かくれんぼって数えるのは十くらいじゃないかしら。
もしかして、五十数えても私を見つけられるって、甘く見ているの?
そう思うと、コジョフーは意地でも勝ちたくなってきた。
「いいわ。見つけられなくて、『降参です』なんて言っても、許してあげないんだからね?」
胸を張って、コジョフーは余裕の表情で自信満々に答えた。
その様子に、お義兄様も思わず、くすりと笑う。
「言ったな?それじゃ、数えるぞ。」
後ろを振り返り、目の前の木の幹に向かって、いーち、にーい、とお義兄様が数えはじめる。
それを合図に、コジョフーは走り出す。お義兄様から逃げながら、作戦を考えていた。
(うーん、お義兄様のことだから、普通に草むらに隠れても見つかりそうな気がする。
というか、お義兄様って木登り上手いから、木の上から見られたら一発でばれるのよね。
どうすればいいかしら。何か、見えづらい洞穴とか、あればいいんだけど……。)
そう思いながらコジョフーが走っていると、左手のほうに岩場が見えてきた。
周囲が緑色の森の中で、そこだけ明らかに異質な感じたこともあり、コジョフーは気になって立ち止まる。
(寄りかかって少し休憩しながら、いい隠れ場所がないか見渡してみようかな……。)
コジョフーは、自分の身の丈ほどある岩の1つに身を預けた。その瞬間――
ぐらり。体重をかけた岩が横に動き、思わずコジョフーは体制を崩しそうになる。
(っ!?)
なんとか体制を立て直し、先程まで寄りかかった岩のほうを見る。
すると、岩が少しずれたところから、自分がちょうど入れそうな、小さな空間があった。
(ここ、使えるかもしれないわ!ふふっ、今度こそお義兄様には負けないんだから!)
コジョフーは、いい隠れ場所を見つけられて目を輝かせた。
洞穴の中に入って、岩で出口を塞ぐ。
―――――
……四十九、五十。
「よし、探すか!」
五十数えて、お義兄様はもう1度振り返り、森の全景を見渡す。
まずは悠々と歩きながら、近辺の草むらを適当に探し始めた。どうせこういったところを探せば見つかるだろう、とお義兄様は思ったみたい。
しかし、周辺の草むらを探ってみても、コジョフーの姿は見当たらない。それどころか、気配すら感じなかった。
(むっ、どういうことだ?高いところから探してみるか。)
そう思い、お義兄様は近くの太い幹をした木の下から、上を見やる。
瞬間、兄様の目の色が変わったかと思いきや、自慢の脚力で一気に跳躍した。
そのまま太い幹を掴み、軽やかな動きでするすると、てっぺんまで登っていく。枝の付け根のところで動きを止め、下界を見下ろした。
しかし、上から見ても、コジョフーの姿は見当たらない。お義兄様は顎に手を当て、考える仕草をした。
「コジョフーも考えたな。俺が木の上から探すことくらいは、予測済ってわけか。
となると、木の陰か、どこかの穴か……んっ?」
そう言いながら、お義兄様は周囲を見渡すと、ある1点で動きが止まる。
視線の先には、灰色の岩が積み重なった、岩場があった。
「こんなところに岩場が……?今まで気付かなかったな。」
そう、独り言を言ったかと思うと、お義兄様は木々の間を飛び移り、岩場に近づいた。
そして、岩場の前で着地すると、目の前の岩の1つに、手を触れる。
ぐらり。触れた瞬間、岩が手の動きに合わせて揺れた。
「そこか!」
確信したお義兄様は、力強く手を動かして岩をよける。
そこには――肘をつき、ふくれっ面で座っていた、コジョフーがいた。
「大口叩いた割には、意外にあっけなかったな?」
「私の負けね。やっぱりお義兄様って、かくれんぼ強いわ。鬼にしたら、敵わないもの。」
かくれんぼは今回が初めてじゃないけど、結局お義兄様をギャフンと言わせたことって、一度もないのよね……。
特に今回は、お義兄様に勝ちたいと意気込んでいた分、余計に悔しかったわ。
そう思っていた、矢先。
お義兄様が急に、コジョフーの頬を撫でてきた。
驚いて、体をびくりと反応させるコジョフーに、お義兄様は不敵な笑みを浮かべて言う。
「当たり前だ。どこに隠れていようとも、俺はお前を見つけ出してみせる。必ずな。」
「もう、お義兄様ったら、怖〜い!」
コジョフーが吹き出したのを皮切りに、2匹の笑い声が森の中で響き渡った。
今思えば、こうしてお義兄様と遊んでいる時が、幸せだったなぁ。
お義父様と一緒に暮らせて、お義兄様と一緒に遊べる。こんな幸せな日々が、ずっと続けばいい。そう思いさえもしていた。
しかし……それは、あまりにも唐突だった。
こんな日々に、まさか一気に暗雲が立ちこみ始めるなんて。
「あんたたち!こんなとこにいたのかい、探したよ!!」
急に横から、甲高い声が響く。思わずコジョフーとお義兄様は笑うのを止め、声のする方を向いた。
見ると、ガルーラおばさんがこちらに走ってきた。急いできたのだろうか、息が荒い。
「どうしたの、おばさん?」
何も知らないコジョフーが、おばさんに訊ねる。
おばさんの口から切迫した様子で告げられたのは、信じがたい事実だった。
「今すぐ来ておくれ!あんたの義父さんが……バシャーモさんが、急に倒れたんだよ!」
「お義父様が!?」
「おじさんが!?」
お義兄様と2匹で、思わず驚いて大声をあげてしまった。
頭を横から、唐突に強打されたような気分だった。先程まで元気だったお義父様が、倒れるなんて。
「そんな!さっきまで具合悪い様子は無かったのに、どうして……。」
コジョフーはその場に崩れ落ち、茫然としていた。
一方で、お義兄様も暫くは目を見開いて驚いた。お義父様とも親交があり、「おじさん」と呼ぶほど親しかったから、彼が倒れたと聞いて、やはり気が気ではなかったようだ。
しかし、すぐに気を取り直して、おばさんに訊ねる。
「おじさんは今、どこに?」
「コジョフーちゃんの家で安静にさせているよ。お医者様も呼んで診療をさせているんだけど……。」
こうしては、いられない。お義兄様はコジョフーのほうを向き、手を取る。
はっとしてコジョフーが顔を上げ、お義兄様と目があった。2匹で、何かを決心したかのように、同時に頷く。
「急ぐぞ!」
「ええ!」
目指すは、お義父様のもとへ。コジョフーとお義兄様、そしてガルーラおばさんは、同時に家へと駆けだした。