第8話 優しすぎるというのは…
あれは、私が稽古場に入り、コジョンドに進化したばかりの頃。
当時、私にはチャーレム以外にも、もう1匹友達がいた。
彼女の名は、サーナイト。
優雅で大人しくて、純情な子ではあったけど、自分が決めたことは曲げない、強い精神の子だった。
そんな彼女だったけど、稽古が終わるといつも何かを取り出しては、大事そうに眺めていた。
何かの飾りのようだったかしら。赤い石を使った、首飾りみたいなものだった。
特に、お師匠様に怒られた時は胸に当てたりして、より一層想いを込めていたみたいだったなぁ。
毎日1回は必ず首飾りを取り出していたから、気になって思い切って聞いてみた。
『サーナイト、それ……なぁに?大事なものみたいだけど』
すると彼女は、少し恥ずかしそうにしながらも、優しく答えてくれた。
『あぁ、これね……。』
サーナイトが言うには、「ほしのかけら」を使った飾りとのことだった。
彼女には、エルレイドという恋人がいた。でも、一旦稽古場に入ってしまうと、彼と逢うことはままならない。
そこで、別れ際にエルレイドが渡してくれたのが、この首飾りだったという。
『ここに来る前から、厳しい道だっていうのはわかっていた。実際、今も大変だしね。
だから、毎日これを見て、勇気づけてもらっているの。私には、いつも彼が味方してくれるから……。』
その時のサーナイトの表情、幸せそうだったなぁ。
思わず、彼女のことをぼうっと見つめていた。
『あ……ごめんなさいね、コジョンド。私ったら、脇目もふらずに……。』
見つめていた私に気付くと、サーナイトはぽっと顔を赤くして慌てていた。
それがまた、とても可愛かったなぁ。
『う、ううん、気にしないで!そういうの、素敵だと思うから……』
思わず私とサーナイトで、可笑しくなって笑っちゃった。だけど……
『サーナイト。』
気が付くと、すぐ側にお師匠様が立っていた。そして、サーナイトが振り向いた瞬間。
パチンッ!
お師匠様は、サーナイトが手に持っていた首飾りを、無造作にはたき落とした。
「え……?」
私は何が何だか分からず茫然としていた。一方でサーナイトは一瞬呆気にとられていたけど、大事なものをぞんざいに扱われてお師匠様を睨みつけていた。
しかし、お師匠様は表情何一つ崩さず、こう言い放った。
『サーナイト。よもや忘れたとは言わせませんよ。我々踊り子は、何のために踊っている?』
これは、入門した時にお師匠様が必ずする質問だった。
そして、弟子入りして最初にこの質問をされた時と同じ言葉を、サーナイトは繰り返す。
『全ての方々に、踊りで感動を与えるためです、お師匠様。』
サーナイトが怒っている。声のトーンもいつもより低く、明らかにいつもの明るい感じとは違っていた。
しかし、お師匠様はたじろぐ様子を全く見せず、目線を逸らさないまま言葉を続ける。
『そうだ。我々は、世の者に遍く感動を与えるのが役目だ。そのために己が芸を磨き続ける。
故に、恋などという特定の者にのみ心を捧げるというのは、踊り子の前提に異を唱えるのと同じなのだ。』
サーナイトは、口を固く結びながらお師匠様の言葉を浴びていた。
それに追い打ちをかけるように、お師匠様はサーナイトに選択を促す。
『その飾りを捨てよ。さもなくば、芸の道を捨て、ここから去りなさい。』
サーナイトにとっては、究極の選択と言っても、過言ではなかったと思う。
お師匠様は、何故ここまで酷なことをさせるのだろう。とりあえず、お師匠様を宥めてこの場を何とか収めようとした、その矢先。
『やっぱり……こんなの、違う。』
サーナイトは、力のない声でそう言った。
少し俯いたかと思うと、彼女は涙を零しながら、お師匠様をきっと睨んで叫んだ。
『想いを秘めながらも、それを己が勇気に昇華させ、世の者を喜ばせるために己を磨く……それでは、いけないというのですか!?』
この稽古場で、お師匠様に逆らえる者はいない。
これまでも、そしてこれからも、サーナイトはお師匠様に真正面からぶつかった唯一の門下生だと思う。
彼女は、踊り子の姿勢としては間違っていたかもしれない。しかし、ここまで己を貫く姿勢に、私はただただ、驚くばかりであった。
一方、お師匠様はというと、くるりと後ろを向き、サーナイトから顔をそむけた。
お師匠様は、まるで独り言を呟くかのように、虚空を見つめながら静かに答えた。
『道を究めるには、雑念などあってはならない。
煩悩に振り回され、己が進むべき芸の道を見失うことこそ、最も忌むべきことだ。』
明かりに照らされる、お師匠様の顔。
少しだけしか見えなかったけど、珍しく、悲痛な表情をしていたような気がした。何か、感情を押し殺していたような……いや、お師匠様のことだから、そんな表情など他人には見せないはずなんだけど。
サーナイトはお師匠様の言葉を聞くと、拳をぎゅっと握りしめて叫んだ。
『私は……貴方の説く芸の道など、認めたくありません!!』
それが、私の覚えている彼女の最後の言葉だった。
サーナイトはこの日を境に、稽古場を出て行った。今、彼女がどうしているか、それは私にもわからない。
―――――
「……ょっと?もしも〜し?」
明らかに、稽古場の者ではない声。メスばかりの稽古場で、オスの声が聞こえるはずがない。
思わずハッと目を開くコジョンド。周りには、明かりに照らされ、ポケモンたちの喧騒で賑わう街の広場。
ここは稽古場ではなく、花火大会の会場である。その横では、ズルズキンが心配そうに自分の顔をのぞき込んでいた。
「あ、え?えっと……何かしら?」
ようやく状況を飲み込むコジョンド。どうやら、過去のことを思い出して、思わずぼうっとしていたようだ。
動揺を隠せないまま、慌ててズルズキンのほうに向き直る。
ズルズキンは、少し困ったような顔をしながら、さらに顔を覗き込んできて尋ねた。
「あんた、ホントに大丈夫?さっきからぼ〜っとしちゃってさ。何度呼びかけても反応ないんだもん。そりゃ、不安になるっつーの。」
「あぁ、ちょっと考え事をしていたもので……申し訳ありません。」
思わず畏まり、頭を下げるコジョンド。
しかしズルズキンは安堵するどころか、表情を緩めることなく、ふうっと溜息をついた。
「あんた、普段から優しくて、誰にでも悪い顔できねえって面してんな。……けど、気を付けな?」
ズルズキンはさらに身を乗り出し、コジョンドへ至近距離で忠告する。
「優しすぎるっていうのは、時に身の破滅を招くこともあるのさ。
いざとなったら、思い切って何かを捨てるっていうのも、大事だぞ?」
その言葉にコジョンドは、サーナイトのことをもう1度思い出す。
彼女のように、自分は何かを思い切り捨てることが、できるだろうか……。
「おいこら、俺を差し置いてコジョンドさんに言い寄るとは、いい度胸してんなぁ、ズルズキン?」
横槍を入れるかのように響く豪快な大声に、コジョンドの顔は再び青ざめ、ズルズキンの眉がぴくりと動いた。
ズルズキンが気怠そうにゆっくりと後ろに体を回す。そこには案の定、サイドンが上からズルズキンを睨みつけていた。
「……お前、ちゃんと話聞いてねえだろ。今の会話のどこに、口説く要素があったんだっつーの。」
もはやツッコミを入れるのは飽きたと言わんばかりに、ズルズキンは疲れ切った声をしていた。
だが、サイドンにはそれが聞こえていないのか、全く意に介さずコジョンドに近づいてきた。
「さぁ、コジョンドさん!こんなオスよりも、俺と一緒に2匹だけで花火を……!」
そう思いつつ、再びサイドンは目を光らせながら一歩、一歩と近づいてくる。
しかし、コジョンドにとってサイドンは、恐怖の対象でしかない。また先程のように肩を掴まれ、離してくれないのはもう御免である。
「あ、あの……私より、他の人をあたってください!!」
体を震わせながら言葉を絞った後、たまらずコジョンドはその場から走り去って行った。
だが、これで諦めるサイドンではない。まるで獲物を狙うかのように目をぎらぎらとさせ、両手を振りかぶりながら追おうとした。
「待て待て〜、俺の愛しのコジョンドさ……ぎゃうっ!?」
しかし、サイドンが走り出そうとした瞬間――
頭上から、ゴチンと鈍い音がしたかと思うと、動きが止まる。
「ほげぇ〜〜〜……」
またもや情けない声をあげ、サイドンが倒れる。どうやら今回は完全に伸びきってしまったようである。
その背後では、サイドンに強力な「ずつき」を喰らわせたズルズキンが、腕を組みながら怒りを露わにして仁王立ちしていた。
相方を睨み、ズルズキンはすうっと息を吸う。そして、思いっきり怒号を投げかけた。
「お前はいい加減にしろっつの!!」
―――――
「はぁ、はぁ……」
どこまで走っただろう。コジョンドはサイドンの魔の手から逃れようと、とにかく当てもなく走り、気が付くと広場からも随分と離れてしまったようだ。
いつの間にか広場の明かりが離れて見え、周りはすっかり暗くなってしまっている。
「ここは……あっ!」
どこだろう、と周囲を見回しながら歩いていると、何かに躓いて急にバランスを崩し、コジョンドは倒れてしまった。
「いった〜い……。」
痛さと疲れから、倒れてもコジョンドはしばらく動けずにいた。
ちょうど、まさにその時だった――
「ははっ。相変わらずドジっ子なんだなぁ、あんたは。」
聞き覚えのある、優しい声。コジョンドは思わず顔を上げた。
「あなたは……!」