第7話 猪突の犀
夜。空は真っ黒であったが、街の中心の広場は至る所で明かりに照らされ、星明りが霞むほどであった。
花火を一目見たいと、ポケモンで溢れかえる広場を散策する観光客。そんな観光客に明るい声をかけ、食べ物を売ったり遊戯の場を提供したりと、活気のいい露店。
広場では、春の祭りとはまた違った賑わいぶりを見せていた。
そんな中、広場に向かう、2匹分の足音。
コジョンドとチャーレムが、その広場へと駆け込んだ。そして、広場入口の前で足を止め、はぁ、はぁと息を荒げながら体を屈める。
「よかったぁ、まだ花火は始まっていないみたいね。」
チャーレムが呼吸を整えた後、ほっと一息つく。花火大会は、花火が打ち上げられてから解散になるため、もし終わっていたら皆が帰り始めているはずなのである。
コジョンドも胸に手を当て、息を整えてから、賑わう広場を一望する。
楽しみにしていた、花火大会。
友のお陰で今年も参加できて、それがコジョンドには嬉しかった。
「さて。あたしはお師匠様のとこに行くんだけど……あんたには、忠告しておかなきゃね。」
チャーレムは急に真面目な顔になり、コジョンドのほうに向き直る。
「いい?ここで絶対にお師匠様たちに見つかっちゃ駄目よ。そうなったらもう終わりと思いなさい。目につくとまずいから、目立った行動もいけないわね。」
コジョンドは、うんうんと頷く。キュウコンは、コジョンドに留守番を任せているつもりでいるため、花火大会にコジョンドがいるのはおかしいのである。
「それから、お師匠様たちが帰る前に稽古場に戻って。代わりの留守番役は用意したけど、それでもあんたがいないと面倒なことになりそうだし。
花火が終わったら、急いで見つからないように帰って。」
「わかったわ。」
チャーレムがこれほどまで真剣な眼差しで注意するなんて、珍しい。
そう、コジョンドが思ってしまうほど、チャーレムの目は本気だった。そのためか、コジョンドの返答にも思わず力が入る。
チャーレムはコジョンドの返事を聞くと、安心したかのように、ふんと鼻で息をしてからにっこり笑う。
「あんたのためにお膳立てしたんだからね。台無しにしないでよ?」
そう言ってチャーレムは、コジョンドの肩をぽんぽんと叩く。
「大丈夫よ。……ありがとう、チャーレム。」
穏やかな表情で笑いながら、コジョンドはお礼を言う。
最近のコジョンドは、キュウコンからの風当たりが厳しくなったこともあり、笑顔を見せる機会が少なくなっていた。だからこそ、久々に見せるコジョンドの笑顔は貴重であり、それを見るとチャーレムも、胸の内でするりと何かが解かれていくような気持ちになるのであった。
思わず一瞬表情が緩むチャーレムだが、コジョンドの目線がこちらに向いているのに気付くと、顔を赤くしてそっぽを向いた。
「お、お礼と花火の感想は、帰ってからいっぱい聞くわ。……さ、わかったらとっとと行きなさいよ。」
と言いはしたものの、コジョンドを見送る前にチャーレムは、そのままくるりと後ろを向いて、自分からさっさと広場の奥へと歩みを進めていってしまった。
「もう、チャーレムったら……ふふ。」
コジョンドは、そんな友の様子を見てくすくす笑いながら、チャーレムとは少しずれた方向から広場の中へと向かった。
―――――
露店が並ぶ中、コジョンドは歩いていく。
あえて目立たないよう、派手な装いは避けている。周りには目を引く露店もあるし、この混雑ならば赤の他人を気にする余裕は、まず無いだろう。あとは、お師匠様の御一行にさえ気を付ければ、大丈夫なはず。
……そう、コジョンドは思っていた。しかし――
「うおおおおおお!」
突如、何者かの声が後ろから聞こえてきた。
ただでさえ賑わうお祭りなので、最初、コジョンドはあまり気にしていなかった。だが、その声も、声の方から聞こえる足音も段々大きくなってくる。明らかに、声の主がこちらに近づいてくるようである。
さすがのコジョンドも、驚いて思わず振り向いた。すると、声の主は既に自分の目の前に迫っており、いきなりその大きな手で自分の肩をがしりと掴んできた。
「コジョンドさん!あ、あ、あなたもここにいらしたんですねっ!!」
声の主は自分より、体格も腕も一回り大きかった。腕も太く、この調子では容易に離れられそうにないだろう。
おまけに、声も大きく荒っぽい。さらに額には、ドリルのように角が伸びていた。
コジョンドにとっては、巨漢の荒くれ者にも見えるほどであった。そんな彼から、興奮しながら肩を掴まれ迫られる。これほど恐ろしいことはない。
しかも、何故自分を知っているのだろうか。出会ったことなど、一度もないというのに。
「あ、あの……どなたですか?」
すっかり怯えきって震えていたコジョンドであったが、声を絞り出しながら相手に訊ねた。
「は、はっ、初めてお会いした時から、あ、貴方に惚れてずっと……す、すすっ、好きでした!そして今日は、は、花火大会に、おおお、俺と貴方と二人きりっ、こ、こんなに最高なことはないっ!!」
余程興奮しているのか、顔を赤くして言葉に何度も詰まらせながら、しかし目線だけはしっかりとコジョンドを見つめて口説く。
あまりにも一方的すぎる告白にコジョンドは戸惑う一方であったが、彼はそれにも一向に構わず、がしりと強く抱きしめてきた。
(な、何なのこのお方は!?誰か、助けて……!!)
わけがわからず混乱するコジョンド。それでも、声の主は落ち着く気配が全くない。
それどころか、彼はさらに目をぎらぎらさせ、より抱きしめる力を強めてくる。
「さぁコジョンドさん、俺とともに花火を愛でながら素敵な一夜を……!」
そこまで言ったところで、声の主の頭上からガツンと鈍い音がした。何者かが、彼の頭上で重い一撃を喰らわせたらしい。
「はらひれはぁ〜〜。」
次の瞬間、コジョンドを抱きしめた巨漢は情けない声を発しつつ、白目をむいて倒れ込んだ。腕からも力が抜け、抱かれていたコジョンドが落とされる。
「きゃっ!」
声の主とともにコジョンドは、どさりと一緒に倒れてしまった。
コジョンドがゆっくりと身を起こすと、先程の巨漢とはまた違った声が聞こえてきた。
「はぁ……お前、どこでそんな歯の浮くような言葉覚えてきた?迷惑でしかないっつーの。」
巨漢に「ずつき」を喰らわせたポケモンが、溜息をつきながら言った。
まず真っ先に目についたのは、モヒカンのような赤い頭部。そして黄色の頭巾と体。
お世辞にも良い人相とは言い難く、あまり近づきたくないような印象を持った。
「あんた、大丈夫?……って、あんな目に遭ったら、怯えるのも無理ないか。」
その黄色いポケモンはコジョンドのほうに近づき、しゃがんで彼女に声をかけてきた。
しかし、震えているコジョンドを見ると、やれやれと言わんばかりに首を振りながら、言葉を続ける。
「驚かせてすみませんね。俺はズルズキン。で、そこで倒れているどうしようもないのがサイドン。この間の春の祭りで、どうもあんたに惚れこんだらしくて、毎日毎日うるさいんですよ、ホントに。」
「は、はぁ……。」
ズルズキンと名乗るポケモンは、コジョンドに自分と仲間を紹介する。
コジョンドは、色々なことが起こり過ぎて、まだ気持ちを落ち着かせることができずにいたが、ズルズキンが見た目ほど悪い者ではなさそうだと感じ、ひとまずは安心した。
「痛ってぇな……せっかく、いいとこだってのによぉ。」
だが安心したのも束の間。横から、あの巨漢の声が聞こえてきた。
『ずつき』を喰らって倒れていたサイドンが一瞬で意識を取り戻し、むくりと起き上がったのである。
思わずコジョンドは、再び湧き上がる恐怖で、びくりと体を震わせたが――
(うわ、もう復活しやがった……)
ズルズキンは、至極面倒と言わんばかりに額に手を当て、不快な表情を露わにしていた。
サイドンが起き上がってズルズキンのほうを向いた、その時。急にサイドンが怒りで顔をひきつらせ、ズルズキンに掴みかかる。
「何しやがんだ、てめえ!!俺とコジョンドさんの熱い再会とデートを邪魔しやがって!!」
思わずコジョンドは、その尋常でない雰囲気に慌てるが、ズルズキンにはこれが慣れているらしい。
チッと舌打ちした後、ズルズキンは冷静にツッコミを入れる。
「何が熱い再会だか……。お前が一方的に追っかけていただけだろうが!挙句、そのまま連れ去ろうとするとか、下手すると犯罪だっつーの!!」
黙らせるつもりでズルズキンは反論したが、どうやらサイドンには逆効果だったらしい。
余裕の表情を見せながら、ふんと鼻で笑いつつ、さらに熱を込めて語り始める。
「はっ、くだらんな。このサイドン、たとえ追われる身になろうとも、コジョンドさんさえいれば何も要らん!地の果て海の果てどこまでも、俺はコジョンドさんと共にある!
わかったらてめえは、俺の恋路を邪魔するんじゃねえ!!」
ズルズキンに向けてビシッと指を差し、決め台詞を言ったつもりになっているサイドンであるが……
これでは公然と追っかけ宣言をしたようなものである。
(何故だろう。この方の側にいると、危ない気しかしない……。)
これには、コジョンドも思わず青ざめて冷汗を垂らし、身の危険を感じるほどであった。
固まったのはコジョンドだけではない。ズルズキンは勿論のこと、周囲で騒ぎを聞いていた者も、サイドンのあまりの狂信ぶりに開いた口が塞がらずにいた。
(本当に、馬鹿につける薬はねえな……。)
心底呆れたズルズキンは、自分を掴む手を払いのけた後、一呼吸置いて再びサイドンを諭した。
「前にも言ったのにホントに学習能力ねえんだな。あのねぇ、コジョンドさんのようなこの街の芸者さんはね、恋はご法度なんだよ。
誰かと結ばれるのは、許されねえんだっつーの!」
そのズルズキンの言葉に、コジョンドの頭の中では、稽古場で起こったある出来事が駆け巡った。
そう、あれは私が入門して、それほど経っていなかった頃だろうか……