第6話 弄ばれし恋心 後編
「うぐっ……!」
急襲されたコノハナは体を強く打ち付けられ、そのまま動けず壁に寄りかかっていた。
一歩、また一歩とチャーレムが近づく。不気味な笑みを浮かべて近づく彼女に、コノハナは恐怖を覚えた。
「こ、来ないでください!それ以上近づいたら、『はっぱカッター』で……」
コノハナにしては珍しく、思わず口調も荒っぽくなってしまうほどであった。
彼が再び立ち上がり、迎撃の体制をとろうとする、まさにその時。
ピン、と音を立ててチャーレムの指が鳴った。
それに合わせて、何かがコノハナを目がけて飛んでくる。
「……!」
驚いたコノハナは思わず口を開けてしまい、飛んできたものが、すっぽりとコノハナの口に入った。
喉の奥に入り、コノハナは思わずそれを、ごくりと飲み込む。
次の瞬間、彼は突然の体の異変に気付く。
(な、なんだこれ……?体が、動かない!?)
体の自由が、全くきかない。逃げようとしても、足が一歩も動かない。
そうこうしているうちに、チャーレムが段々と近づいてくる。しかし何もできず、恐怖と焦りが徐々にコノハナの心を蝕んでいく。
チャーレムがコノハナの口に入れたのは、「しばられのタネ」。
ダメージを受けるまで全ての行動を封じる、不思議な種である。
「これほどまでに想定通りに動いてくれるなんてねぇ。余程の演者でも、ここまで完璧にはできないわよ。」
いつの間にか、先程まで聞こえていた足音は止まっていた。
すぐ側で、チャーレムが自分を見下ろしている。彼女は先程までの優しい態度とは一変して、侮蔑さえ感じられるほど冷たい笑みをコノハナに向けながら話し始めた。
「あんたが気持ちいいくらい鈍感で助かったわ。こんなにも見事にひっかかってくれるなんて。」
「えっ……?」
ふふ、と微笑を投げかけるチャーレム。コノハナには事の顛末がわからず、ただただ混乱するばかりであった。
戸惑うコノハナに構わず、チャーレムは縄を取り出す。
「悪いけど、あんたにはちょっと大人しくしててもらうわよ。」
そう言いながらチャーレムは、コノハナの両手を無造作に、がしりと掴んだ。
「つっ……!」
乱暴に手を掴まれ、痛さから思わず声を漏らすコノハナ。
タネによる拘束は解けたようだが、今度は両手を直接掴まれて、動くのもままならない。
流れるような動きで、チャーレムはコノハナの腕を縛り、足を縛り、さらには体全体まで拘束し始めた。
「なっ、えぇ!?」
意味がわからないまま、コノハナはどんどん自由を奪われていく。
コノハナが辛うじて理解できるのは、どうやら自分は嵌められたらしいということ。しかし、特に迷惑をかけた覚えもないのに、何故こんな目に合わなければならないのか。
考えを巡らせるごとに、コノハナは段々とこの理不尽な展開に、怒りを覚え始めた。
「は、話が違うじゃないですか!こんなの、あんまりだ!!」
コノハナは怒りに任せて、チャーレムを睨みつけながら言葉を振り絞る。
「はぁ?何言ってんのあんた。」
だが、その抵抗はチャーレムに軽く一蹴されることとなった。
口応えをするコノハナに対し、チャーレムも生意気だと感じたようだ。
腕組みしながら彼を見据え、容赦なく反論する。
「あたし何も嘘はついてないわよ?注文通り、コジョンドと逢瀬の手引もしてあげたし、話をする時間まであげたじゃないの!
しかもお茶まで啜っといて何よ。話が違う?ここまでさせといて、いい御身分ねぇ?」
傍から見れば、随分な物言いである。しかし、チャーレムの言っていることは間違っていなかったため、コノハナはまともに反論することができなかった。
何もできない悔しさで、コノハナは俯いて唇を強く噛んでいた。
「こ、こんなのって、酷すぎる!僕が何をしたって言うんですか!?なんだって、こんな目に遭わなきゃ……」
コノハナの目からは、ついに涙が流れ始めた。
さすがのチャーレムも、一瞬だけ行動を躊躇った。少しだけではあるが、彼女にも申し訳ないという思いが過ったのである。
しかし、作戦遂行のためと思い直し、構わず更に追い打ちをかける。
「はいはい、これ以上のおしゃべりは無用。下手に叫ばれちゃ困るから、これも付けてもらうわね。」
チャーレムが懐から何かを取り出し、コノハナの口にそれを、がぽりと嵌め込む。
「んぐっ!?」
最初、コノハナは何を突っ込まれたのか分からなかった。しかし、口の中にそれを捻じりこまれながら、それが猿轡であることを徐々に理解する。
「むぐぐ…ん〜っ!!」
コノハナが何か言おうとするも、それは全く声にならない。抵抗するも、今のコノハナには体を転がすことが精いっぱいであった。
「これでよし、と……。ふふ、あんたに悪気はないんだけど、これもコジョンドのためなのよ。あたし達の代わりにお留守番、お願いね。」
チャーレムは立ち上がり、部屋の出口へゆったりと向かっていった。
コノハナが何かを必死に叫び、もがこうとするが、猿轡と縄の拘束のせいで徒労に終わる。
「あぁ、そうそう。2つだけ言っておくことがあるわ。」
出口の前で、チャーレムの足がぴたりと止まり、ちらりと思わせぶりにコノハナを一瞥する。
コノハナの怒りと悲しみが込められた視線が、ギロリと向けられる。しかしチャーレムは、それをものともせず、口を開いた。
「お盆の上のポフレは無害だから、お腹空いたら食べていいわよ。……もっとも、やれるもんなら、の話だけど。それと……」
その言葉と共にチャーレムが振り向く。
その顔は、名状しがたいほど恐ろしい表情をしていた。「鬼のような形相」という言葉では足りないくらいに。
「逃げ出したり稽古場を荒らしたりしたら、絶対に許さないからね!!」
チャーレムは本来、『こわいかお』を使えるポケモンではない。
しかしその時の剣幕は、それに匹敵すると言っても過言ではなかった。いや、それ以上だろうか。
「ひいっ……!」
コノハナはその姿に恐れをなし、もはや戦意喪失したかのように怯んでしまった。
目からは更に涙が溢れ、先程まで暴れていたコノハナの動きが止まる。
「じゃ、そういうことで。よろしくー。」
チャーレムはコノハナに抵抗する意思がないことを確認すると、先程の脅しが嘘のように、笑顔を向けながら軽い口調で言葉を残して去って行った。
「う……ぐぐ……」
誰にも聞こえない泣き声が、1匹残された部屋に響く。
(ふふ……。)
チャーレムは自分の策の成功に笑みを浮かべていた。
(お師匠様、あんた言ったわよね。『稽古場に誰もいない、なんてことのないように』って。逆に言えば、誰かがこの稽古場に1匹でもいればいい。そうでしょ?)
―――――
「お待たせー!」
チャーレムの陽気な声が、稽古場の玄関に響く。
日はとうに沈み、あたりはすっかり暗くなっていた。月は見えず、星明かりだけが頼りである。
後ろから響く明るい声に、ずっと稽古場の玄関で待っていたコジョンドが振り返った。
「あら、コノハナさんは?」
コジョンドは、客のコノハナがいないのを不審に思ったのか、チャーレムに訊ねた。
だがチャーレムは、「その質問は想定内!」と言わんばかりに、胸を張って答える。
「あぁ、彼ならあんたの代わりに、ここのお留守番を引き受けてくれることになったわ。」
「えっ!?いいのかしら、稽古場の者でもないのに、そんなことお願いするなんて。」
思いもよらぬ展開に戸惑うコジョンドであったが、チャーレムは上機嫌なまま話を続ける。
「コジョンドのために役に立てるのだから、彼にとっては願ってもないことでしょうねぇ。涙まで流していたわ。だからあんたは何も気にすることはないのよ。」
無論、それが強引な手段であり、コノハナが流していたのは歓喜の涙ではなく悲嘆の涙であることを、コジョンドは知らない。だが、結果だけはチャーレムの述べたような形となっていた。
「さぁ、花火大会に行きましょう!」
チャーレムはコジョンドの手を引いて、街へと軽快に駆け出して行った。
(あれっ?今更だけど、ここまでする必要、あったかしら……?)
道中、チャーレムはふと立ち止まり、稽古場でやらかしたことを一瞬振り返るが……
(まっ、憂さ晴らしになったし、コジョンドも助けられたし、いいか。)
そのままケロリとした表情で、再び走り始めるのであった。